11. untitled
放課後の教室。
最後のチャイムが遠くで響き、夢はそっとノートを閉じた。
「夢さん」
「……律くん」
律は手にした紙を差し出す。
「先ほどの件です。加害者の生徒たちに謝罪文を書かせました。こちらを夢さんにお渡しします」
夢は紙をそっと受け取るも、その手はまだ震えてた。
「……ありがとう。ルナ先輩と、陽翔くんにもお礼を言わなきゃ」
その時。
「よっ」
教室から陽翔が顔を覗かせた。
「あっ、陽翔くん。さっきはありがとう……」
律と夢の姿を見て、少し言いにくそうに頭をかいた。
「いや、巻き込んでごめんな」
夢が口を開こうとした瞬間、陽翔は言葉を被せる。
「なぁ、気分転換にこれから四人で出かけないか? ほら、明日からテスト期間だろ。その前に」
「えっ、いいけど、どこに?」
「俺の好きな場所」
夢は驚いた顔をしたあと、ふっと笑顔になった。
「……うん。行きたい。」
夢の表情に、律は一瞬だけ瞳を揺らし、やがて小さくうなずいた。
「分かりました。僕も行きます」
——校庭。
風にスカートの裾が揺れる。
校庭ではルナが腕を組んで待っていた。
「遅いわよ」
微笑を浮かべながら顔を上げるルナ。
「悪りぃ」
陽翔が笑い、夢は小さく頭を下げた。
——電車の中。
窓の外を流れる景色は次第に都会の色を抜け、淡い群青に染まっていく。
律は景色を静かに眺め、陽翔は出入り口の横に立ちイヤフォンを装着した。
夢はルナの隣にそっと座り、話しかける。
「先ほどは助けてくれて、有難うございました。」
「別に、助けたわけじゃないのよ。個人的にああいうのが嫌いなだけ」
「……ルナ先輩も、似た経験があるんですか?」
「ええ、沢山」
その答えは短く、しかしどこか遠い記憶を滲ませていた。
夢は胸が締めつけられるような気持ちになり、ぽつりとこぼす。
「辛いですよね」
ルナはしばし視線を伏せ、やがて外の景色に目をやった。
「そうね。理不尽だわ。だから——久しぶりにすっきりした」
その横顔に夕陽が差し込み、柔らかい陰影を作る。
思わず夢は微笑んだ。
「ルナ先輩は、とっても優しいんですね」
「えっ……」
不意を突かれたように、ルナが目を見開く。
夢の言葉が、心に触れるようで。
「お前ら、着いたぞ」
小さな駅のホームに、電車が静かに停まった。
がたん、と扉が開いた瞬間——ふわりと潮の香りが流れ込んでくる。
「……わぁ」
夢が思わず声を漏らす。
鼻先をかすめる潮の匂いは、甘くて、少ししょっぱくて——胸の奥が高鳴り、思わず夢は深呼吸をした。
「海の匂いがするだろ」
陽翔が隣で笑う。その横顔は夕日を浴びて赤銅色に染まっていた。
改札を抜けると、すぐに小さな坂道が海へと続いていた。
「ここ、降りると海なのね……!」
夢は瞳を輝かせる。
そんな彼女の横顔を、律は静かに見つめていた。眼鏡の奥の瞳が、いつになく柔らかい。
ルナは腕を組んだまま、微笑を浮かべて言う。
「ふふ、子供みたいね」
だが夢は気づかない。坂を駆け下りる風に髪をなびかせながら、ただまっすぐに海へと向かっていく。
そして——
視界がひらけた瞬間、群青と金色が溶けあった大きな海が目の前に広がった。
夕日が水面に反射し、波はきらめきながら寄せては返す。
「すごい……!」
夢は砂浜に飛び出し、足跡を刻むように走っていった。
その後ろ姿を追いながら、陽翔はイヤホンを外し、笑い声をあげた。
律は小さく息をつき、胸の奥が熱を帯びるのを感じていた。
ルナは夕焼けの海を見つめながら、そっと目を細める。
陽翔が砂浜に腰を下ろし、無造作に靴と靴下を脱ぎ捨てる。ズボンの裾をざっくりとまくり上げると、潮風に髪を揺らしながら笑った。
「ここ、いいだろ」
その声に、夢の胸は高鳴る。
「うん! 私、海に来たことないの。親が危ないって言って……でも本当はずっと来てみたいと思っていたの」
「そっか。よかった。靴、脱いじゃえば?」
「あっ、そうだね!」
夢はローファーと靴下を脱ぎ、波打ち際へ。
足先にひやりと冷たい海が触れた瞬間、くすぐったそうに笑みがこぼれた。
「きゃっ……!」
波が引くとき、砂ごと足がさらわれていく感覚に、思わず声をあげる。
「気をつけろよ。波、結構強いからな」
陽翔が声を張る。
「ねぇ、海の水って……やっぱりしょっぱいの?」
「当たり前だろ。舐めてみりゃいいじゃん」
恐る恐る指先で水をすくい、ぺろりと舐める。
「えっ……ほっ、ほんとだ! しょっぱい!」
陽翔が豪快に笑う。
「はははっ!」
その笑い声が、波音と混ざって広がっていく。
「……あっ! 可愛い貝殻見つけた!」
夢はしゃがみ込み、小さな白い貝殻を両手に包む。夕陽に透かすと、宝石のように光った。
——少し離れたところ。
砂浜の上に立つ律とルナ。
律はポケットに手を入れたまま、二人の姿を眺めていた。夢が無邪気に笑う。その姿を目にして、胸の奥がふっと和らぐ。
「ルナさん、今日は有難う御座いました」
「ふっ、律儀ね」
ルナは片方の口角を上げ、視線を海へと向けた。
「……」
律は一瞬言葉を探し、けれど次の音を見つけられずに黙り込む。
ただ、潮騒だけが二人の間を満たした。
「……群れるのは嫌いだったわ」
ルナがぽつりとこぼす。
「でも、そんな思いは……海がさらっていってくれそう」
「なんとなく、分かる気がします」
律の声は、静かに波音に溶ける。
「律くん! こっち来て!」
夢の声が、潮風に乗って響いた。
「おーい! ルナ!」
陽翔も笑いながら呼ぶ。
律とルナは一瞬だけ目を合わせて、二人の元へ向かった。
「なぁ、あの岩場まで競争しようぜ」
陽翔の目はきらきらと輝く。無邪気な挑発。
「はぁ?」
ルナは呆れ顔で答えるが、その表情には僅かに楽しげな色も滲む。
「走るとスッキリするんだよ。いくぞ……よーいドン!」
陽翔が一目散に砂浜を駆け抜ける。
まるで夏そのもののように、勢いで風を切る。
「あっ……」
夢は一瞬立ち尽くす。追いかけようとしたけど、隣で固まるルナが目に入り、そっとその手を握った。
「行きませんか?」
ルナは少し驚いたように夢を見つめるが、やがて小さく頷き、夢と並んで走り出した。
自然と笑みが零れ、二人は波打ち際を駆ける。
しかし、ルナはふっと手を離し、夢の前をひとりで駆けていく。
自由に風を受けて走るその背中に、夢は息を呑む。
「ルナ先輩、早い……」
そんな時、夢は砂に足を取られ、つまずく。
「うわっ!」
ふいに腕が差し伸べられ、夢の体をしっかりと支えたのは律だった。
「大丈夫ですか?」
後ろから夢の歩幅に合わせていた。夢の胸はぎゅっと温かくなる。
岩場に着いた瞬間、夕日の光が波に反射して、砂粒ごとに金色の輝きを散りばめた。
心がぱっと軽くなるような感覚に、夢は自然と深呼吸した。
「はぁ、はぁ……。こんなに走ったの久しぶりだよ」
「気持ちいいだろ」
「そうだね、皆が居るから」
陽翔はにっと笑った。
「夏休み、また四人で海に行こうな!」
「うん……!」
私たちの関係に、言葉は要らなかった。
ただなんとなく海に集まっただけなのに、
この瞬間、四人の心の色が砂浜の上で溶け、夕陽に照らされて鮮やかに煌めいた。
潮風の匂い、夕陽の光、波の音——すべてが胸にしみて、心が柔らかくほどける。
私たちはただ、同じ瞬間を共有していた。
名前なんていらない。胸の中に広がるそれが、私達を繋いで、鮮やかに輝いた。




