第1話
目を覚ました瞬間、俺は思った。
「——天井、高っ……」
目の前に広がっていたのは、どう見ても学校の保健室じゃない。というか、比べるまでもない。
天井は十数メートルはあるだろうか。漆黒の金属フレームと硝子が幾何学的に組み合わされた天井板。その間を走る無数のチューブや光ファイバーのような線。そして青白い光を放つ大型スクリーンが壁に埋め込まれていて、なにやら無限に数式を吐き出し続けている。
思考が追いつかない。
目が覚めたばかりでぼんやりしていた頭が、一気に覚醒していく。
「……どこ、だここ?」
ベッドの上。いや、それは“カプセル”と言った方が近い。透明なドームの蓋はすでに開いていて、俺はそこから上体を起こしていた。
「ご気分はいかがでしょうか、博士」
突然、声がした。
ぎょっとして振り返ると、そこには一人の女性が立っていた。
驚くべきことに——いや、もはや“驚く”という言葉では片づけられない。
その女の人は、まるでアニメやSF映画にでも出てきそうな白衣姿で、腰まで届く銀髪が美しく、まっすぐに俺を見ていた。
スタイルはモデルのようで、脚も腕も異常なくらいに長く、顔立ちは人形のように整っている。
……なのに、その声も、表情も、驚くほど無機質だった。
「博士、今朝は七時間十六分の睡眠でした。覚醒タイミングは理想的な周期内に収まっております。おはようございます」
「お、おお……はよう……ございます?」
とりあえず挨拶を返した。というか、なんだこの状況。
「えっと、博士って……俺のこと?」
「はい。あなたこそが本施設の主任責任者、才賀叕一博士です」
「えっ」
なにそれ怖い。待って、情報が処理しきれない。まず「博士」って誰のこと?
というか、俺の名前——言った? さっきの女性、言ったよね? フルネームで??
だが、ここで冷静さを取り戻したのは、俺が理数系男子であるがゆえの特性かもしれない。
状況の再確認。前提条件の検証。異常要素の分類。
……そう、こういうときはまず原因と結果を切り分ける。パニックになっては負けだ。ゲーム理論でもそう教わった。
「……ちょっと確認していい?」
「どうぞ」
「ここは……どこ?」
「帝国政府直属第七研究施設、通称『ラザリオ』。海洋封鎖指定孤島です」
「……俺の職業は?」
「主任研究者兼総責任者。階級はE0。コードネームは 《ヘルメス》 です」
なんだそのコードネーム。厨二病の黒歴史か??
「あなたは、当施設にて“霊子融合体の人格形成”および“魂媒体の再現”において、理論構築から初期モデル開発までを単独で遂行された唯一の存在です」
「へぇー……それはすごいな」
「ありがとうございます。ご謙遜を」
誰が謙遜した。
冗談じゃない。俺、才賀叕一。高校一年。得意科目は数学。苦手なのは恋愛感情。特技はピタゴラス数を暗唱できること。科学のかの字すら手をつけたことはない。
それがなぜか「研究所」の主任扱いって。おかしいだろこの世界。
というかこの女の人、ちょっと可愛い顔…どころか超絶綺麗な顔してるのに、全然笑わないし表情も変わらない。まるで感情が初期化されたアンドロイドみたいだ。
「ちょっと……鏡とかある?」
「こちらへどうぞ」
彼女はすっと一歩下がって、手を差し出した。まるで執事のような、けれどどこか完璧に調整された所作。
案内された先には、壁に埋め込まれた長方形のミラー。見た目は鏡だが、ほんのり発光していて近未来感がすごい。
そして、俺がその前に立つと——
そこにいたのは、俺ではなかった。
「……えっ、誰……」
目の前の“俺”は、白髪混じりの長髪。鋭い目つき。長身で顔立ちは整っているが、どう見ても高校一年の俺ではない。しかも白衣。しかも威圧感。
「こちらが、博士のお姿です」
「いやこれ俺じゃねえよ! え? 顔変わってる? なんで? 俺、整形されたの?」
「いいえ。転生後の適応現象と考えられます」
「てんせ……って、え? なに??」
混乱する俺を、彼女は相変わらずの無表情でじっと見つめた。
「ご安心ください。博士の生体データはすでに正常にリンクされています。すべて、設計通りです」
設計? 誰が? どこで? なんで???
「わけがわからない……!」
心の中で叫ぶ俺に、美女(たぶん部下)がさらに一言。
「なお、本日は実験被験体No.071〜105の覚醒プロトコル起動日です。ご準備を」
「なんか始まるのかあああああああああああ!!?」
俺の静かな朝は、わけのわからない方向へと突き進んでいった。