2-30 1F到着ロビー:手荷物受取所
第十回〈極皇杯〉、予選Hブロック――〈羽成田〉・一階到着ロビー、手荷物受取所。激しく動揺する竜ヶ崎巽の周囲には人影はない。人の気配もない。竜ヶ崎巽は、思わず声を漏らす。
「……李……?手毬……?犬吠埼……?」
しかし、竜ヶ崎巽は見た。彼女らが立っていたはずの場所――その床に、深々と幾つかの手裏剣が突き刺さっているのを。
「……なんだァ……?これはァ……」
そのとき、誰もいないはずの手荷物受取所から、微かに声だけが聴こえた。それはまるで、死神の足音のように忍び寄ってくる。
「――二万五千六百十一、二万五千六百十二、二万五千六百十三……」
「――おォい!誰だァ!」
――瞬間。四方から何かが飛来――竜ヶ崎巽を襲う。竜ヶ崎巽はその戦闘センスを以て、その脅威を察知――透かさず跳躍して回避する。
「――おあッ!?」
竜ヶ崎巽がコンマ一秒前まで立っていたセラミックタイルの床材には、幾つかの手裏剣が深々と突き刺さっている。この攻撃によって犬吠埼桔梗らが死亡――〈犠牲ノ心臓〉が発動させられたことは、最早明白であった。
地に降り立つ竜ヶ崎巽の視界の端――手荷物受取所の奥から黒い靄が飛び込んでくる。――安全地帯を縮小させる毒ガスである。竜ヶ崎巽はいつの間にか背後にまで迫ったその毒ガスから、距離を取ろうと駆け出した。
――まずい……!いつの間に……!
「一方通行」と赤文字で注意書きが為された自動ドアを蹴破る。姿勢を低く保ち、竜ヶ崎巽は空港内――その一階出発ロビーを颯爽と駆ける。後方からは執拗に手裏剣が飛来する。それらを間一髪のところで回避しながら、セラミックタイルの床を立ち止まることなく駆ける。
安全地帯は常に球状だ。そのため、基本的には、「ここが安全地帯の端ならば、あの場所も安全地帯内であろう」という想定を立てて動くことになる。しかし、空間把握能力が著しく低い竜ヶ崎巽にとって、安全地帯の縮小を把握するのは極めて困難であった。
必死に駆ける竜ヶ崎巽の背後からは時折、手裏剣に交じって飛苦無が放たれる。忍者が用いる武器の一種――平らな鉄製で、爪状の武器だ。竜ヶ崎巽が身を翻して回避すると、セラミックタイルの床材に飛苦無は深々と突き刺さった。
「クッソ……がァ……!」
竜ヶ崎巽が駆けながら背後をふと振り返ると、竜ヶ崎巽が駆けてきた軌道に沿って、手裏剣や飛苦無が床に突き刺さったまま一本の線のように連なっている。凄まじい投擲技術とコントロールだ。しかし、肝心の敵の姿が見えない。その奥からは毒ガスが凄まじいスピードで迫り来る。
「うわああああぁああぁあああぁあああぁあああぁああああぁあああぁあああぁああ!!」
背後からは断末魔に近い悲鳴が聴こえる。毒ガスに飲み込まれたのだろう。この時点で既に、生存者数は二十名を切っていた。――そのとき、一本の飛苦無が、竜ヶ崎巽の露出した太腿――その裏、腿裏に深々と突き刺さった。
「がッ……いでェ……!」
あまりの激痛に一瞬蹌踉めく。だが何とか気力を振り絞り、空港内を駆ける。竜ヶ崎巽の長い黒髪が慌ただしく靡いた。
竜ヶ崎巽の黒い軽装の鎧は、実のところ鎧の役割をあまり果たしていない。基本的には全身を覆っているが、ヘソ周りや太腿、背中、上腕部は露出している。露出したその部位を狙われれば、十分に致命傷と成り得るのだ。
竜ヶ崎巽は、息を切らしながら二階出発ロビーへと続くエスカレーターの前まで達する。背後からは毒ガスと手裏剣、飛苦無が執拗に彼女を責め立てる。次は、背中と上腕部に手裏剣が突き刺さり、全身を激痛が走る。
「――がはッ!」
――クソ痛ェ……!なんつー攻撃力だ……!
このとき、一階到着ロビーの大半を毒ガスが覆い尽くしてしまっていた。逃げ道はもう、二階にしかなかった。刻一刻とクライマックスが迫る。
エスカレーターを駆け上がり、再び、二階出発ロビーへ。先刻までいたエアサイドとは異なりランドサイド。搭乗客でなくても立ち入ることができる空間だ。そこには売店や飲食店が並んでいるが、全く人気のないその空間は、何処か寂しさすらあった。ガラス張りの窓からは夕陽が差す。
しかし、毒ガスは頭上からも迫っていた。二階の天井からじわじわと漏れ出してくるように現れた黒い靄。このことは、既に三階以上が安全地帯外となったことを示す。黒い靄は、凄まじいスピードで二階出発ロビーの全てを飲み込もうとしている。
「――おあッ!?マジかよォ!」
背後からは未だ執拗に毒ガス――そして、手裏剣と飛苦無が迫る。手裏剣や飛苦無は、いよいよ黒い軽装の鎧を貫通して竜ヶ崎巽の柔肌に突き刺さる。もう、一階には引き返せない。
「――ッ!行くしかねェ!」
流石の竜ヶ崎巽も理解した。一階到着ロビーの大半を覆ってしまった毒ガスに、今いる二階出発ロビーすらも覆い隠そうとする毒ガス――残された地点――即ち、最終決戦の場は、「彼処」しかないのだと。
ランドサイドのセラミックタイルを踏み付け、勢い良く保安検査場を目指す。時計台や本来CAが立っているはずのカウンターを横切り、保安検査場を跳び越える。
後方からは絶え間なく手裏剣や飛苦無の投擲が襲う。竜ヶ崎巽の肉体は既に傷だらけであった。竜ヶ崎巽の脚を手裏剣が切り裂き、血が噴き出す。
竜ヶ崎巽はそのまま真っ直ぐ駆け抜け、直進――十六番搭乗口を目指す。後方には先刻まで死闘を繰り広げていた喫煙室、目前の床には犬吠埼桔梗が空けた大きな穴が見える。前方からは絶え間なく衝撃音が聴こえる。視線の奥――窓の外には隕石が次々と降り注いでいた。
「間に合え……ッ!間に合えェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!」
気合いを入れるように叫んだ竜ヶ崎巽。背後からは迫り来る毒ガス。竜ヶ崎巽は全速力で穴を跳び越え、罅割れた窓ガラスを突き破る。――目指すのは、最終決戦の場は、「滑走路」だ。
竜ヶ崎巽は滑走路の地――その地に示された青い線の内側に華麗に降り立つ。視界の端に映る飛行機は轟々と燃える炎に包まれている。広大な敷地の中で、悠然と奥へ延びる滑走路。視界の遥か先には既に毒ガスに飲み込まれた地平線が見える。
「はァ……!はァ……!間に合ったぞォ!」
滑走路の至るところに、隕石が落下してできる窪み――クレーターができており、次から次へと隕石が降り注いでいた。竜ヶ崎巽――彼女の直ぐ背後で、毒ガスの侵食がぴたりと止まった。
「ここで……ラストかァ……!」
毒ガスに覆われるドーム型の安全地帯は滑走路の手前側を包み込んでいる。安全地帯は一般的な学校の体育館ほどの広さだろうか。この場所が第十回〈極皇杯〉、予選Hブロック――その最終決戦の舞台となる。
「あァ?」
夕陽に照らされる滑走路に絶え間なく降り注ぐ隕石と、視界の端で炎上する機体。地獄絵図とも呼べるその光景の中、竜ヶ崎巽はあることに気付いた。手裏剣や飛苦無の投擲が止んでいたのだ。
背後を振り返ると、青みがかった白髪ショートカットの華奢な女が立っていた。片目は前髪で隠れているが、キリッとした目に結んだ口。露出度の高い、女性忍者――くノ一のような格好の女。その手には苦無が握られている。竜ヶ崎巽は、強者と言わんばかりのその女の存在感に身震いした。
「テメェかァ……!アタイと鬼ごっこしてたのはよォ!」
「神出鬼没で電光石火、一騎当千のくノ一――霧隠忍と申す者でござる」
「テメェ……!さっきわざと外してたろォ!」
「呉牛喘月でござる。狙いは転ばせて、安全地帯外に放り込むことだったでござる。それよりも――」
霧隠忍と名乗る女は、両の指で印を結んでいた。まるで「ニンニン!」とでも言いそうな気配だ。霧隠忍は何処か不機嫌そうなクールな表情のまま、降り注ぐ隕石群を見て口を開く。
「……夜空野彼方殿でござるか。正に波瀾万丈でござるな」
「二年前の〈極皇杯〉の準優勝者かァ……」
――そのとき、二人の足下に大きな影ができる。竜ヶ崎巽が頭上を見上げると、凄まじい勢いで隕石が迫り――二人を押し潰そうとしていた。
「……くっ!正に百戦錬磨でござるな!」
「――おあッ!?――おい忍者ァ!ワケわかんねェことばっか言ってんじゃねェぞォ!」
二人は素早い身の熟しでそれを回避する。――しかし、そこにはクレーターができただけで、落下したはずの隕石が存在しなかった。
「……あァ?隕石はどこ行ったァ……?」
そしてまた、竜ヶ崎巽の足下に大きな影ができる。そしてまた、竜ヶ崎巽を目掛け、隕石が降り注ぐ。
「――あァッ!なんなんだ一体よォ!」
余力を残しながら、華麗に回避する霧隠忍がふと呟いた。またしてもクレーターから隕石が消失し、頭上から新たな隕石が降り注ぐ。
「第八回〈極皇杯〉のときは不分仕舞でござったが……もしや、『隕石を落下させる異能』ではないのやもしれぬでござる」
「――あァ!?どういうことだァ!忍者ァ!」
「良く視るでござる。同時に二つ以上の隕石が降ってはこないでござろう」
次々に降り注ぐ隕石。二人はそれを回避する。――しかし、その周期は決まって、隕石が落下し、クレーターができ、隕石が消失し、そして次の隕石が降り注ぐという周期だ。霧隠忍の指摘のとおり、同時に二つ以上の隕石が降り注ぐことはなかった。
「――だったらなんなんだァ!忍者ァ!」
「この点から推測ができるでござる。銃霆音殿に似た、『隕石を落下させる異能』ではなく、『自身を隕石へと変化させる異能』ぷらす『隕石への変化を解いての飛行能力』――十中八九、これが夜空野殿の異能の正体でござる」
「――あァッ!難しいこと言うなァ!意味わかんねェ!」
竜ヶ崎巽と霧隠忍は、一定の周期で降り注ぐ隕石を回避しながら、反撃のタイミングを図る。空へと旅立つ乗客を見送るための滑走路は、既にその原型を留めていなかった。
――そのとき、ぴたりと隕石の落下が止んだ。竜ヶ崎巽と霧隠忍は顔を見合わせる。二人は上空――ドーム型の安全地帯の頂点を見上げると、宇宙服に身を包む、一人の小柄な男が宙に浮かんでいた。
「――ふふっ、正解だよ。賢くて素敵だね、忍ちゃん」
宇宙飛行士を想起させる宇宙服に、頭には宇宙服のヘルメットをすっぽり装着している。ヘルメット越しに見える男の、ふわふわとボリュームのある天然パーマの髪は、宇宙を彷彿とさせるような美しいグラデーションのコズミックカラー。その瞳は星が埋め込まれたかのようにキラキラと輝いている。ヘルメット越しに、コズミックカラーの髪の小柄な男は、妖しく微笑んでいた。
「……お褒めに預かり有頂天外でござる。夜空野彼方殿」
「――テメェかァ!ナルシスト隕石野郎ォ!」
「ふふっ、怒っている君も魅力的だね、巽ちゃん」
竜ヶ崎巽は赤面する。それを誤魔化すように、振り払うように、声を荒らげて上空の夜空野彼方に叫んだ。
「……なッ!何言ってんだテメェ……!」
「ふふ、本当に可愛いな、巽ちゃん。僕の彼女になるかい?」
「……なッ!なるかァ!!」
「……見たところ、安全地帯内には拙者たち三者だけでござるな」
「うん。屋外にいた出場者は僕がみんな駆逐したからね」
「屋内は拙者が滅ぼしたでござる。生者必滅でござる」
「――ってことはァ……残ってるのは三人……!アタイと忍者と……テメェだけかァ!」
「ああ、そうだった。自己紹介がまだだったね」
夜空野彼方は、宙に浮かんだまま、両手を広げて、堂々たる挨拶を披露した。夕陽をバックに、その様が幻想的なまでに映る。
「第八回〈極皇杯〉、そのファイナリストにして準優勝――夜空野彼方だ」
まるで天から舞い降りた天使の使いかと錯覚するほどの、圧巻の光景だった。男はヘルメットを外し、ふわふわのその髪を掻き上げて、言葉を継ぐ。
「――あと一歩のところで夢敗れた、憐れな男さ」
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