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2-25 2F出発ロビー:喫煙室

 旧世界の空港では、国内線と国際線の区分があった。しかし、世界の大陸の面積が大幅に縮小してしまった新世界では、エクスプレスがあるということにも起因して、国内間を飛行機で移動するということはない。そのため、新世界においては国内線や国際線という区分は存在しない。それ以外の〈羽成田はねなりた空港〉の構造は、旧世界の羽田空港に極めて近い。


「――走れ走れェ!」


「――さっきより毒ガスが早いのだ!」


「御託はいいから走るアル!」


 毒ガスの進行速度は極めて早い。四人は全速力で北コンコースを駆けているのにも関わらず、毒ガスは背中にぴたりと張り付いて迫ってくる。そのとき、四人の視線の先――その薄紫色のタイルカーペットの上に、薄らと弧を描く青い光の線が見えた。


「むっ、あの奥が安全地帯のようだ」


「――もうちょっとだァ!気張れやァ手毬ィ!」


「――はぁ!はぁ!しんどいのだ!」


「――何とか間に合うアル!」


 〈極皇杯〉の予選会場においては、安全地帯は青い光の球で示される。つまり、青い球の内側に入れば、しばらくは猶予ゆうよが与えられ、その内側に毒ガスが侵攻してくることはない。そして、一定の猶予時間を経て、安全地帯の内側に更に小さな球が作られ、またその内側を目指す形になる。


 羊の着ぐるみから顔だけを出した金髪の少女――羊ヶ丘(ひつじがおか)手毬てまりがドタドタと走る。竜ヶ崎巽が必死にその手を引く。安全地帯を示す青線まで、残り数メートル。


「――うおォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!」


 滑り込むようにして、青線の内側へと飛び込む。汗一つ流さず余裕そうな犬吠埼いぬぼうざき桔梗ききょうに対し、羊ヶ丘手毬はへとへとであった。


「はぁ、はぁ……死ぬかと思ったのだ……」


「〈極皇杯〉……初めてアルが……想像以上に過酷アルネ……」


 FPSゲームのバトルロワイヤルルールであれば、マップ画面を開けば次の安全地帯の場所の位置を事前に把握し、それを前提に動くことができる。しかし、〈極皇杯〉の予選においてマップ画面なんてものは存在しない。いつ安全地帯外になるかもわからないまま、常に最適解の行動を選び続けなければならないのだ。


「……ふぅ。ちっと体力使っちまったなァ」


「して、次の安全地帯が何処どこになるかも不明だが……どう動くつもりだ」


「――おっ!喫煙所があるじゃねェかァ!」


 二本の黄色い角を生やした女、竜ヶ崎巽の視線のその先――保安検査場側の壁には、喫煙室を示す、煙草のマークが描かれたサインプレートがある。


「――ちょっ、巽サン!煙草吸ってる暇なんてないアルヨ!」


蓬莱ホーライ、言っても無駄なのだ……」


「〈極皇杯〉の予選に休憩時間があるとは知らなかったぞ、竜ヶ崎巽」


 竜ヶ崎巽は一目散にそのサインプレートの下へと駆け出した。ガラス張りの扉を開くと、狭く短い通路の先にもう一つ扉があった。煙が外へ漏れ出ないようにするための二重扉構造だ。


 竜ヶ崎巽は、通路のガラス張りの引き戸を勢い良く開く。全面鏡張りのその喫煙室内には、いくつかの灰皿スタンドが壁に沿って置かれ、中央には灰皿が埋め込まれた台がある。竜ヶ崎巽に続くように、三人が喫煙室へと入ってきた。


 竜ヶ崎巽は喫煙室の奥の隅、鏡張りの壁にもたれ掛かって、黒い軽装の鎧――その隙間に挟んでいたボックスタイプの紙煙草とライターを取り出した。煙草を口にくわえ、ライターで火をける。


「戦闘の形跡はなさそうなのだ?」


「こんな狭いところで戦う阿呆あほうはいないアルヨ……」


 肺に入れた煙を吐き出すと少しだけ落ち着いたような錯覚に陥る。四人の中で喫煙者は竜ヶ崎巽だけ――他の三人は各々(おのおの)、壁にもたれ掛かったり、中央の台にもたれ掛かったりしながら疲れた体を休めている。


 羊ヶ丘手毬は鏡張りの壁をキラキラした瞳で見つめていた。そして、竜ヶ崎巽は煙を吐き出しながら、最初から抱いていた、ある一つの疑問を空に投げ掛ける。


「なァ、李……。なんでテメェは〈極皇杯〉に出たんだァ?」


「……ボクも聞きたかったのだ!蓬莱が〈極皇杯〉に出場しているとは思わなかったのだ!」


 赤いチャイナドレスの糸目の女――リー蓬莱ホーライは少し間を置いて、おもむろに答えた。鏡張りの壁に腕を組んでもたれ掛かった犬吠埼桔梗が静かに見守っている。


「……叶えたい夢があるアルヨ」


「夢って……小さいときに何度も話してくれたあのことなのだ?」


「あァ……嬉しそうに話してたよなァ……」


「覚えてくれていたアルカ……。ワタシは……ワタシの夢は、新世界一の中華料理屋を作ることアル」


成程なるほど……。〈極皇杯〉を優勝すれば十分な賞金が手に入る。そのために出場したというわけか」


「竜ヶ崎龍の下にいたときは……夢なんて捨てていたアル。でも、御宅おたくサンに負けて……道が開けたアル」


「おォ、そういやァ拓生のヤツが李のこと心配してたぞォ。拓生に話があるんじゃなかったのかァ?」


「……もう少しだけ先延ばしにするアル。まだ、ワタシじゃ力不足アルヨ」


「そうかァ……」


「巽の夢はなんなのだ?」


「む、夢を語る流れか。久しい感覚だな」


「あァ?アタイの夢かァ?そりゃ決まってんだろォ!アタイの夢は、ボスの最強の右腕になることだァ!」


「ふふ、巽サンらしいアルネ」


「そうなのだ!」


「羊ヶ丘手毬にも夢があるのか?」


「もちろんなのだ!ボクの夢は、最強のクラン・〈十二支〉を作ることなのだ!」


「そういやァメンバーは集まったのかァ?」


「まだなのだ!ジョーも入ってくれないから仕方なく街中で声掛けしてたのだ!でも誰もボクの強さを理解していないから、全部断られたのだ!」


「おォ……そうかァ……」


「でも〈極皇杯〉に出場したのは、そのメンバー集めも兼ねてるのだ!だから心配いらないのだ!」


「あの、さっきから手毬サンが言ってる『ジョー』っていうのは誰アルカ?」


幕之内まくのうちじょうなのだ!」


「幕之内――って二年連続の〈極皇杯〉ファイナリストの……幕之内丈アルカ!?」


「そうなのだ!この前まで丈の家に居候いそうろうしてたのだ!」


「とんでもないことしてるアルネ……」


「でも丈は汗臭いから、今は〈神屋川かやがわエリア〉に戻ってるのだ!」


「そうか……皆、立派な夢があるのだな」


「桔梗もさっき夢を語ってたのだ!」


「む……?私が、か……?」


「騎士団長を見つけたいって言ってたのだ!立派な夢なのだ!」


「それは……夢なのか?」


「でもきっと他にもあるはずなのだ!」


「ふむ……夢というほど大層なものではないが、私を副騎士団長と慕ってくれる騎士団の仲間を守りたい……とは思っている」


「ガッハッハ!いいじゃねェかァ!でもそれなら全員、〈極皇杯〉は負けられねェよなァ!」


「そうアルネ……。誰が勝っても……恨みっこなしアル!」


「望むところなのだ!」


「……そうだな」


 ――竜ヶ崎巽が短くなった煙草を灰皿に捨てたときだった。喫煙室の引き戸がガラガラと音を立てて開き、突然、そこに人影が現れた。良く言えば無造作、悪く言えばボサボサのショートヘアの金髪の女。毛先は赤く染まっており、目元にも赤いチークを入れている。


「あかんわぁ。やっぱ煙草吸わなやっとられんわほんま……お?」


 頭には緊箍児きんこじと呼ばれる輪がまり、衣服は赤を基調とした虎皮の腰布――虎皮裙こひくんを着用している。その女の出で立ちは、『西遊記』にも登場する道教の神、孫悟空を想起させる。


「おー先客がおったんかい。すまへんな、邪魔するで」


 彼女は喫煙室入口側の隅にもたれ掛かると、腰布の内側をゴソゴソと漁り、ソフトタイプの紙煙草を取り出した。


「あちゃー、しもた。失くしてもうたんやったわ」


 非日常の中で際立つあまりの日常感に呆気あっけに取られ、呆然とする竜ヶ崎巽ら一行。金髪の女はそれを気に留める様子もなく、竜ヶ崎巽ら一行を見て、両手を合わせて申し訳なさそうに語り掛けた。


「すまん姉ちゃん!ライター貸してくれへんか?――って!自分、二年前のファイナリストやんけ!自分Hブロックだったん!?そんなら言うといてくれんと~!」


猿楽木さるがき天樂てんらくか……。直接会うのは初めてだな」


 彼女――猿楽木さるがき天樂てんらくは、昨年――第九回〈極皇杯〉、その予選Bブロックにおいて、単身で一万人を倒し、堂々ファイナリストに名を連ねた女である。竜ヶ崎巽は二本目の煙草に火をけ、彼女――猿楽木天樂へライターを投げ渡した。


「ライターなら貸してやるよォ。受け取れェ」


「おおきに姉ちゃん!ほんま助かるわ!」


 猿楽木天樂は嬉しそうに感謝の言葉を述べ、煙草に火をけた。煙草の先端からもくもくと煙が立ち上る。


 煙を吐きながらチルタイムを決め込む猿楽木に、こちらを騙し討ちしようという悪意は感じ取れない。竜ヶ崎巽は、彼女に裏がないことを直感で理解した。


「お前……去年の〈極皇杯〉のファイナリストだろォ」


「おー、ライターの姉ちゃん!ウチのこと知っとんのかいな!ほな最初から言うといてやー!照れるわー!」


 照れ臭そうに大袈裟なジェスチャーで頭を搔く猿楽木天樂。それでいて、余裕すら感じる、純然たる強者の面構え。竜ヶ崎巽は思考する。


 ――なんだコイツは……。接敵したら有無を言わさず戦闘が始まるハズの〈極皇杯〉の予選で……煙草休憩のために喫煙室に入って来て、挙句の果てに、敵に「ライターを貸せ」だとォ?


「猿楽木天樂なのだ……!?」


「今度こそ最悪のエンカウント……アル!なんでこう本戦進出経験者ファイナリストばかりに会うアルカ!?」


「心配せんといてや、姉ちゃんたち!ウチ、煙草吸うてるときは戦わんと決めとんねん!」


「……そ、そうアルカ」


「――それよか姉ちゃんたち!着ぐるみのちっこいのは知らんけども、〈神威結社〉の姉ちゃんに第八回〈極皇杯〉ファイナリストに元〈竜ヶ崎組〉の幹部やろ?有名人ばっかやんけ!全員名前忘れてもうたけども!喋ろや!」


「な、なんか思ってた感じと違うアルネ……。二年前の〈極皇杯〉だと、予選で暴れ回ってたイメージだったアル」


「そ、そうなのだ。そしてボクはちっこくないのだ」


 ひそひそとウィスパーボイスで話す李蓬莱と羊ヶ丘手毬。二人も猿楽木天樂の余裕の態度に違和感を覚えていた。


「おー姉ちゃんたち!ウチの噂話しとんの聞こえてんで!」


「ご、ごめんなのだ!」


「ええねんええねん!ウチも混ぜてーや!馬絹まぎぬの姉ちゃんももえもおらへんから暇やねん!」


「猿楽木サンは煙草を吸いに来ただけアルか?」


「なんややぶから棒に!せやで!ウチ煙草吸わな力出んねん、ほんま笑かしよるわ!」


「そ、そうなのだ?そういう体質なのだ?」


「そんなアホな!着ぐるみの姉ちゃん!気持ちの問題やで!気持ちの!……ってかライターの姉ちゃんもそんな隅でウチのことにらんどらんで喋ろや!『タバコミュニケーション』やで!『タバコミュニケーション』!」


「あ、あァ……」


「〈神威結社〉ってなかなか話題になっとんねんで?結成して一ヶ月も経たんような新参クランやのに、〈十天〉が二人所属しとるとか前代未聞や。ほんまエグいであれ、〈十天〉とクラン組みたい人なんて腐るほどおんねんで?」


「そう考えると……あのとき、〈十天〉が二人も乗り込んできた時点で〈竜ヶ崎組〉に勝ち目なんてなかったアルネ……」


「赤いニット帽の兄ちゃん……名前なんやっけ――あっ、夏瀬雪渚や!あの兄ちゃんの人望なんかな?銃霆音の兄ちゃんとのラップバトルもエグかったもんなー。ウチはタイプじゃないけど日向ひなたの姉ちゃんが夏瀬の兄ちゃんにベタ惚れすんのもしゃーないで、ほんま」


「おォ!ボスはアタイの恩人だからなァ!当然だァ!」


「巽……雪渚の話になるとすぐ元気になるのだ……。幼馴染として悪い男に騙されないか心配なのだ」


「そう言えば夏瀬サンの昨晩の〈極皇杯〉の優勝宣言、何処どこ行っても話題アルネ」


「ああ……その番組であれば私も目にした」


「あれは驚いたのだ!テレビ観てたら突然雪渚と巽が出てきて優勝宣言したのだ!」


「っちゅーことは夏瀬って兄ちゃんも今回出場しとるわけやな?たぎるわあ、ほんま!強い奴好っきゃねんな、ウチ」


「おォ!多分別のブロックだとは思うがよォ!ボスは絶対優勝するんだぞォ!」


「まずは巽自身のことを考えるべきなのだ……」


「それにしても、〈極皇杯〉の本戦進出経験者ファイナリスト二人といきなり鉢合わせるなんて驚きアルネ」


「買い被りすぎや、姉ちゃんたち!犬吠埼の姉ちゃんはともかく、ウチそんな強ないで!あのときもたまたま運が良かっただけや、あんなもん!今年も勝てるとは限らへんよ」


 猿楽木天樂の発言は謙遜であった。〈極皇杯〉の予選は、運なんて曖昧なもので勝ち抜けるほど甘いものではない。何より、敵であるはずの竜ヶ崎巽らとこうして戦いもせず呑気に会話を弾ませていること自体が、竜ヶ崎巽らを舐めていることの証左に他ならない。


「――おっと、そうなのだ!ボク、前から決めてて、猿楽木……さんに頼みがあるのだ!」


「天樂って呼びや!ウチら同じ副流煙吸った仲やんけ!ほんで、頼みってなんや?着ぐるみの姉ちゃん!」


 猿楽木天樂は、少し恐縮した様子の羊ヶ丘手毬を冗談交じりにほぐす。その様子を静かに見守っていた李蓬莱は思考する。――本来あるべきでない、その可能性を。


 ――手毬サン……まさか……。


「――じゃ、じゃあ天樂!ボクのクラン・〈十二支〉に入ってほしいのだ!」

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