2-18 本館5F:スパフロア
――場所は〈極皇杯〉の予選Aブロック――その会場となる五ツ星ホテル、〈竜宮楼〉。その本館五階、スパフロア。最先端のマッサージチェアが敷き詰められたフロアの外周に沿って、大浴場や岩盤浴、プライベートサウナ等が併設されたフロアだ。
俺たち三人はそんな本館五階、スパフロアの大浴場――その男湯にいた。黒を基調とした高級感のある内装に広々とした空間。湯煙と熱気が立ち込める。
「――おい、ちょっと待て。庭鳥島、馬絹」
「なんね、せつな?人が寛いどるとに」
「おー、ここ男湯なんだよな」
当然俺は入浴していない。服やニット帽を着用したまま、大浴場の外に併設された露天風呂――その近くに設置されていた木製のベンチに腰掛けていた。開けっ放しにされた扉の奥では、大浴場に浸かって寛ぐ「人形態」の庭鳥島と馬絹の姿がある。
「細かいことを言うでない、夏瀬の」
「まぎぬの言う通りばい!女湯はめちゃくちゃになっとったけんしかたなか!」
「戦闘が発生したのであろうな」
「せつなは考えすぎばい!リラックスすることも大事とよ?」
「おー、庭鳥島。俺は〈極皇杯〉は初出場だがよ。わかるぞ。リラックスするのも大事なんだろうが少なくともこういうことではないだろ。間違いなく」
「はー、せつなはわかっとらんねー」
「あと馬絹。お前は全身傷だらけなのに風呂入るな。染みるだろ」
「この程度の痛み、マッサージとそう変わるまい」
「いや変わるだろ。頭おかしいのか」
――〈極皇杯〉の予選。予選Aブロック会場となる、この〈竜宮楼〉中を天プラ製の超小型カメラが飛び交う。これによって〈極皇杯〉の予選の様子が新世界中にリアルタイムに生中継されるが、カメラも流石に大浴場やトイレの中には入ってこないようだ。プライバシーの配慮という観点からだろうが、まさか〈極皇杯〉の予選中にのんびり入浴している馬鹿がいるとは〈極皇杯〉の運営サイドも思うまい。
「というかなんで俺を連れてきたんだ……」
「愚問であるな。吾輩と庭鳥島のが入浴する間は汝は暇であろう」
「話し相手になってもらわんと!てかせつなも入ればよかとに!」
「庭鳥島の、強要は良くなかろう。夏瀬のには最愛の彼女がおるのだ」
「そう言えば!せつなの彼女さんと陽奈子様の親善試合……すごかったばい」
――〈継戦ノ結界〉によって観客に被害が及ばないとは言え、先刻の親善試合において、〈極皇杯〉の出場者ではない天音と陽奈子は〈犠牲ノ心臓〉を使っていない。
――本来、〈犠牲ノ心臓〉アリの殺し合いなら、天音か陽奈子の何れかが死亡していてもおかしくなかっただろう。神話級異能という神に等しい力を持ち、一歩誤れば殺してしまうかもしれない状況下で、「魅せる」試合が成立したのは、二人の強さと信頼関係があってのものだ。
「カメラがなかけん聞くばってん、せつなは彼女さんと陽奈子様、どっちが好きとね?」
「はあ?」
――いないだろ、血で血を洗う〈極皇杯〉の予選中に恋バナする奴。
「陽奈子様はせつなラブばい!陽奈子様と付き合わんとね?」
――〈不如帰会〉の幹部の手によって、陽奈子の家族や親友が惨殺された例の凄惨な事件については、先日、陽奈子が正式に世間に公表したばかりだ。そんな背景もあって、今、「@hinateras」のユーザー名から始まる陽奈子のSSNSが抱える四億人のフォロワーは、陽奈子の恋の応援ムード一色になっている。
「一夫多妻制など旧世界の話であろう。今は男も女も自由な時代であるぞ。二股でも掛ければ良かろうに」
「そう言われてもな……」
今この瞬間も、〈天上天下闘技場〉の大型ホログラムディスプレイ越しに、画面に一向に映らない俺たちを探しているであろう陽奈子に想いを馳せる。陽奈子だけではない。天音や拓生も俺や竜ヶ崎の本戦進出を願ってくれているはずだ。
「うーん、俺も陽奈子の気持ちにちゃんと答えてやれないのは申し訳ないと思ってるけど、最終的には陽奈子が幸せになってくれればいいかな」
「はー!せつな、わかっとらん!陽奈子様にとってはあんたと一緒になっとが一番の幸せなんに」
庭鳥島が大袈裟に溜息を吐いて、自身の肩に湯を掛ける。ちゃぷ、という音が大浴場に木霊した。
「ふっ、〈十天円卓会議〉で銃霆音のから日向のを守ったのだろう?女としては、惚れるのも理解できんではないがな」
「ようじゅーていおんに逆らえるなー。あたしやったら怖くてでけんばい」
「まあ、あのときは必死だったしな」
「その結果、図らずも〈神威結社〉は日向陽奈子を獲得したというわけか……。吾輩らもクランに入るべき頃合かもしれぬな」
「あー、お前らってクラン入ってないんだよな。強い奴ほどクラン入らないとは聞くけど……気が変わったか?」
――新世界を共に生き抜く仲間であるクラン。家族を看取ることも難しい新世界において、クランは「新しい家族のカタチ」という側面が強い。上級以上の階級の異能を持つ強者は働かずとも食っていける。
――しかし、中級異能や下級異能を持つ者はそうではない。彼らにとって、働いて日銭を稼ぐのは必要不可欠だが、旧世界とは異なり、それだけでは新世界を生き残れない。クランへの加入は「生き残るための術」なのだ。
「汝に敗北して吾輩自身の弱さを省みるフェーズに来たということよ。のう、庭鳥島の」
「んー、あたしも今年負けたらクランば探すことになりそうばい」
「ふーん。でもまあお前らなら引く手数多だろ」
「少なくとも〈神威結社〉はなかろう。温すぎよう」
「あたしも思っとったばい。陽奈子様がおるのは魅力的ばってん、〈神威結社〉はなかばい」
「おー、なんだお前ら」
庭鳥島と馬絹は随分とリラックスした様子で五ツ星ホテルの大浴場を堪能していた。見るからに気持ち良さそうだ。予選の最中にも関わらず、図太い神経を持った彼女らが少しだけ羨ましかった。それでも流石と言うべきか、二人は全く警戒を怠ってはいなかった。
「……さて、血で血を洗う戦場に戻るとするかの」
ざばん、と音を立てて馬絹が湯船から立ち上がる。馬絹の豊満な褐色の胸が露わになった。馬絹の身長は百九十センチは優にあるだろう。異能を使わずとも並の人間なら性別を問わず体格差で圧倒できそうだ。
「おー馬絹、お前、羞恥心とかって子宮に置いてきた?」
「ふっ、生まれは戦闘民族でな。左様なものならば昔に捨てたわい。庭鳥島の、汝も出ようぞ」
「いやー、せつながおるとに、恥ずかしゅうてそぎゃん堂々とはでけんばい」
「……先に出てるぞ」
裸足のまま、大浴場から脱衣所へと続く扉を開け放つ。そのまま脱衣所を通過し、床に脱ぎ捨ててあった靴下を履き直す。入口に置かれたスニーカーを履き、「男湯」と書かれた紺色の暖簾を潜った。
眼前の広々とした空間には様々な種類のマッサージチェアが規則正しく並んでいる。一面にはタイルカーペットが敷かれ、壁際には牛乳等の飲料を売る自動販売機も見受けられる。紙幣挿入口がない以外は旧世界の自販機と変わりない。
喉の渇きに負けた俺は、自販機のコイン投入口に一枚の銅貨を突っ込み、コーヒー牛乳を購入する。その牛乳瓶の蓋は素手で開けられるようになっていた。吸い寄せられるように蓋を開け、ミルクティーブラウン色の液体を口内に注ぐ。ひと口、喉に流し込めば、甘くてほろ苦い味がじんわり広がる。胸の奥にまで染み渡って、思わず小さく息が漏れた。
「……うっま」
その広々とした空間は、俺一人で使うにはあまりにも寂しい。付近に並んでいた白いマッサージチェアの一つに腰掛け、残りのコーヒー牛乳を口内へと運ぶ。ひんやりとした瓶の手触りすら心地良い。
すると直ぐに、大浴場の脱衣所の暖簾を潜り、元の衣服を身に纏った庭鳥島と馬絹が現れる。――と言っても、庭鳥島は腹部が露わになった短い丈の白いキャミソールに赤いショートパンツ、馬絹は胸にサラシとオーバーサイズの紺色の下衣――全裸と大差ない気がした。
「ほう、夏瀬の。吾輩らに講釈を垂れる割には汝も寛いでおるな」
「ずるか!あたしもコーヒー牛乳飲むけん!」
――緊張感ねーな、コイツら……。
俺が座る白いマッサージチェアから、夕暮れの光が差す窓に目を向ける。現段階で完全に安全地帯内となるのはこの本館の七階以下、北館の五階以下のみとなりそうだ。東館は完全に安全地帯外、西館と南館は壁際のほんの一部が安全地帯内――実質的には安全地帯外と換算して良さそうだ。
「それにしても馬絹は二年連続ファイナリストなんだろ?こんな予選を二年連続で勝ち抜いてるなんて化物だな……」
庭鳥島と馬絹はコーヒー牛乳を片手に、俺が座る両隣の白いマッサージチェアに腰を下ろした。
「今年は汝によって阻止されたようだがな」
「ぷはぁ……!うまかぁ。……ばってんよう出たね?今年は見送るとか言うとらんかった?」
「なに、銃霆音のに認められたいというのもあるが、祭りがあるなら神輿を担がねば面白くなかろう」
美味しそうにコーヒー牛乳を口にする二人を横目に、俺は空になった牛乳瓶を捨てようと立ち上がった。自販機の横に置かれたゴミ箱まで歩を進め、牛乳瓶を放り投げる。
――戦闘はいつも突然だ。再び二人の下へと戻ろうと、後ろを振り返ったときだった。ぱん、と弾けるような音と共に、マッサージチェアに腰を下ろしていた馬絹の頭が――吹き飛んだ。まるで夜空に打ち上がった花火のように、真っ赤な血が飛び散る。
「は……?」
思わず声が漏れる。庭鳥島は驚きのあまり、コーヒー牛乳を瓶と共にタイルカーペットに零し、勢い良く立ち上がった。頭部のない馬絹の身体が、力なく床に横たわり、やがて消滅した。〈犠牲ノ心臓〉が発動し、馬絹百馬身差は今この瞬間、敗退したのだ。
馬絹も、庭鳥島も、そして俺も、警戒は怠っていなかった。当然馬絹を倒したのは庭鳥島ではない。敗北を認めた馬絹を今更俺たちが倒す意味もないし、何より庭鳥島には馬絹を倒すチャンスは他に幾らでもあったからだ。
――だとすれば……!
庭鳥島の表情からは先刻までの明るさは見られない。寧ろ、その表情には恐怖の色が滲んでいる。庭鳥島は俺に胸を押し付けて抱きつく。――そして庭鳥島萌は、声を震わせながら叫んだ。
「――お、鬼が……鬼が出たばい!」
――予選開始より一時間五十二分三十九秒。予選Aブロックは遂に最終局面を迎えようとしていた。
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