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2-17 本館1F:エントランス

 煙が肺を満たす。口から白い煙が立ち上る。押さえ付けるようにして赤いニット帽を目深まぶかかぶり直し、コンクリート柱にもたれ掛かったまま、真っ直ぐと遠方を見つめる。ガラガラの地下駐車場の通路の中央には、ガラクタの山が積み上がっていた。


 ――馬絹まぎぬ百馬身差ひゃくばしんさは強者だった。最期まで冷静さを失わず、ただ勝利だけを追い求めた。全ては、愛する銃霆音じゅうていおん雷霧らいむに認められたいがために。


 コンクリートの床に煙草を押し付け、重い腰を上げる。立ち上がるときにまた全身に痛みが走った。俺も既に満身創痍だった。


「いって……」


 蹌踉よろめきながらガラクタの山へと歩を進める。全身が痛い。頭からは血が流れ、臓器も骨もぐちゃぐちゃだ。意識も朦朧としている。死んでいない――否、〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉が発動していないことが不思議なほどだった。恐らく、気を失えば〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉が発動するような――ギリギリの状態だっただろう。


「――せつな!」


 背後から聞き覚えのある声が。振り返ると、そこには黄緑色の外ハネウルフカットという髪の上にった白いキャップ姿の女が、腕と一体化した赤い翼を羽ばたかせながらホバリングしていた。女の上半身は短い丈の白いキャミソール、下半身は赤いショートパンツという露出度の高い格好で、年末のこの時期にはそぐわない。


庭鳥島にわとりじま……」


 傷だらけの俺とは対照的に、宙を舞う庭鳥島は傷一つない綺麗な身体をしていた。庭鳥島の肌理細きめこまかい白い柔肌に優しく抱き寄せられる。半強制的に胸元に頭をうずめさせられるも、抵抗する気力もなかった。


「ボロボロたい!まぎぬはどうしたと!?」


「むぐ……庭鳥島……くるし……」


 ――庭鳥島萌もれっきとした昨年の〈極皇杯〉のファイナリスト――本戦進出経験者だ。世間的には馬絹百馬身差と同格、〈十天〉に次ぐ強者とされている。この様子からは想像し難いが……。


「馬絹は倒した……はずだ」


 庭鳥島の胸元から何とか顔を出し、言葉を発する。俺の視線を追うように庭鳥島がガラクタの山に目を向けた。


「あれは……車ね?なしてあぎゃんこつになっとっと?」


「色々あったんだよ……」


 俺を抱き締める力を緩めた庭鳥島。そっと庭鳥島の下を離れ、車の形を成していたはずのガラクタの山へと歩み寄る。


「せつな……やっぱあんた強かよ。まぎぬば倒せる人間なんて〈十天〉以外におらんて思うとった」


 ――昨年の〈極皇杯〉の本戦トーナメント――その一回戦第一試合。二年連続でファイナリストと相成った馬絹百馬身差を、銃霆音雷霧は僅か十秒足らずで簡単に倒してしまった。今俺が満身創痍になりながら、何とか倒せた馬絹百馬身差を、だ。そのことを考えれば、俺はまだ〈十天〉の足元にも及ばない。


「馬絹は本当に強かった。〈極皇杯〉のファイナリストは……こんな奴を何人も相手にして、勝ち上がった奴だけが得られる称号なんだな」


 ガラクタの山に手を伸ばす。その途端、ガラクタの山が微かに動いた。中から、傷だらけの長身の女が現れる。


「――夏瀬の」


 金属片を掻き分けて現れたのは、褐色の肌の、凛とした表情の女。胸を押し潰すように巻かれたサラシにオーバーサイズの紺色の下衣。馬絹百馬身差――その人であった。


「まぎぬ!まだ〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉が発動しとらんかったとね!?」


「馬絹……!」


 ――魔道具・〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉の役割は命の肩代わりである。死ぬ代わりに〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉が発動し、〈翔翼ノ女神像(セラフィム)〉によって〈天上天下闘技場〉へ強制送還される。


「そう警戒するな。夏瀬の、庭鳥島の。吾輩にもう戦う力はない」


 ――馬絹百馬身差――どれだけタフなんだ。いや、タフなんてモンじゃない。あれだけの攻防を経ても死なない――〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉が発動しないのか……。


 相対する馬絹は相変わらずのポーカーフェイスで、その表情から感情の機微は読み取れない。しかし、彼女の言葉に嘘偽りがないことは確かだった。警戒を解き、満身創痍の馬絹に言葉を掛ける。


「凄いな、お前は……」


「吾輩を打ち破っておいて吾輩を賞賛するか、見上げた男よ。夏瀬の」


「ばってんせつな、まぎぬ、どぎゃんすっと?」


「吾輩は夏瀬のの本戦進出に助力しよう」


「馬絹……気持ちは嬉しいけど……お前もボロボロだろ」


なれの足代わりにはなれよう」


 そう言うと、馬絹は再び、下半身を馬の肢体へと変貌させた。立派な焦げ茶色の毛並みが生え揃った馬の肢体が、俺の眼前に堂々と立ちはだかる。しかし、そのたくましい肢体も、骨が砕け、傷だらけなのは言及するまでもなかった。


「走れるのか?それで」


「先刻の戦闘と比べれば幾分か楽であろう」


 俺は馬絹を見上げながら、脳内である掟を定めた。


『掟:赤いニット帽の着用を禁ず。

 破れば、全快する。』


 瞬時に俺の傷が癒されてゆく。のたうち回るような身体の奥底の痛みは鳴りを潜め、身体中の傷が塞がってゆく。凄まじい戦闘の痕跡となった血の汚れだけを残し、俺の身体は万全の状態へと持ち直した。


「……夏瀬の。なれの異能は……不思議なものだな」


「ようわからん異能ばい」


 ――天音の神話級異能、〈聖癒ラファエル〉の回復性能には大きく劣るが、全快程度なら〈天衡テミス〉でも可能だ。連戦連勝がマストとなる〈極皇杯〉の予選においては、回復ができるというだけでもかなり有利になる。


『掟:深呼吸を禁ず。

 破れば、全快する。』


「馬絹、深呼吸しろ」


「む、何だ?」


「傷を治してやる」


 馬絹は目を丸くして数秒。その後、呆れたように言葉を述べた。


「……ふっ、やめておこう。夏瀬の。吾輩は今の戦いの傷をこの身に刻んでおきたいのでな」


「変な奴……」


 ――そうと決まればこの地下駐車場ともオサラバだ。毒ガスが地下駐車場に立ち込めていない以上は地下駐車場も安全地帯内と考えて問題ないが、ここに居座って時間を潰してもその先に勝利はない。


「それなら移動するぞ」


「予選開始から一時間二十五分三十二秒……既に弱者は残っていないであろうな」


「まぎぬ!あんた数えとったとね!?」


「庭鳥島の……当然であろう。なれもファイナリストであるならファイナリストとしての自覚を持って――」


「――わー!やかましか!」


 低レベルな口喧嘩を始めた馬絹と庭鳥島に内心呆れながら、地下駐車場の出口――地上へと続くスロープへと歩を進める。遮断機に取り付けられた黄色と黒の遮断桿しゃだんかんの横を通過する。外へと一歩踏み出すと、気付けば周囲は夕焼けのオレンジに染まっていた。


 背後を振り返ると、遮断機や高さ制限の表示。その真下には、地下駐車場から出てきたばかりの馬絹や庭鳥島の姿があった。夕陽が二人の姿を美しく染め上げる。


 目線をそのまま上に上げると、眼前には五十階建ての本館がそびえ立つ。周囲には車寄せや噴水があり、至るところに血痕という形で戦闘の痕跡がのこっている。


「庭鳥島、馬絹、ここは上階から狙われ放題だ。取りえず屋内に――」


「――夏瀬の、乗れ」


 高らかに前脚を上げ、パカラッパカラッ、と軽快にひづめでアスファルトを叩きながら、馬絹がこちらに駆け寄る。その背に飛び乗り、本館のエントランスへと向かう。その背を追い掛けながら、翼を広げた庭鳥島が頬を膨らませ、不満そうに不平不満を垂れ流していた。


「……あたしも乗せてくれればよかとにー」


「庭鳥島の……なれは飛べるであろう……」


 ――本館一階、エントランス。自動ドアを抜けると豪華絢爛な空間が広がっていた。一面の白い大理石の床の至るところに観葉植物が置かれ、中央には受付――カウンターテーブルが設置されている。


 周囲を見渡しながら馬絹の背から降りる。外周に沿う形でブティックやカフェも見受けられ、手前側には幾つかのテーブルと、それに沿う形でソファが配置されている。そして、白い大理石の床には大きな穴が……。


「なんだこの穴」


「いやさっきせつなが開けた穴ばい……」


 ――そういやそんなことしたな……。


「夏瀬の、あれは効いたぞ」


「『効いた』程度で済んでるのがおかしいんだよなぁ……」


「いや二人ともおかしかばい……」


 庭鳥島の正論のツッコミはさておき、周囲を見渡すも人の気配はない。そのメインロビーの至るところに血痕がのこるばかりだ。今通過したばかりの自動ドア――その両端は一面ガラス張りの窓となっている。


 安全地帯の縮小は何段階目まで進んでいるのだろうか。ガラス越しに上空を見上げると、黒い霧状の毒ガスは、ホテルの七階より上階を全て覆っていた。


「上階は全滅か……。となるとこのエントランスにも人がいても良さそうなモンだけどな」


「吾輩が三万人ほどほふったが……もう多くは残っておらぬのであろうな」


「あっ、さっき二人がたたこうとるときに最終予選組セミファイナリスト十人ば含めて百人くらいっといたばい!」


 ――改めてなんだこのパーティ……。


「いつの間にか終盤だな」


「吾輩はこの〈竜宮楼りゅうぐうろう〉中を駆け回っておったのでな。推測するに、残るは十数人といったところであろう」


「そんなに進んでるのか……」


「例年で言えば、こん段階からは膠着こうちゃく状態ばい!」


 ――お互いが強者故に様子見の段階に入るということか。現段階での安全地帯の広さに対して十数人ならば接敵の可能性も低い。少しは猶予がありそうだ。


 ――だが、一切の油断はできない。この段階まで残るのは最終予選組セミファイナリスト――否、本戦進出経験者ファイナリストばかりだろう。それは馬絹級の強者揃いだということを意味する。


「とは言え油断は禁物だぞ」


「わかっておる。いざとなれば吾輩がなれの盾となろう」


 ――馬絹百馬身差は〈極皇杯〉を事実上敗退した。驚異的なタフネスによって〈犠牲ノ心臓(サクリファイス)〉が発動していないだけで、今年は俺の味方をしてくれると言うのだから心強い。


「他ん出場者は一人なんにあたしらだけ三人って、これもう勝ったようなもんじゃなか?」


「考えが甘いであろう、庭鳥島の。だから本戦で冴積さえづみ四次元よじげんに一撃で倒されるのだ」


 ――冷静沈着な馬絹に対して、庭鳥島萌は楽天家という印象だ。彼女も彼女なりに本気で〈極皇杯〉に臨んでいるのだろうが、その真意は未だ見えない。


「あー!まぎぬ!まぎぬもじゅーていおんに一撃でやられとったとに!」


「それは単に吾輩の実力不足であろう。なれの考えの甘さとは話が違かろう」


「やかましか!馬!馬!」


 ――コイツら本当は仲良しだろ……。


 受付のカウンターテーブルにもたれ掛かりながら、二人の馬鹿馬鹿しい口喧嘩に思わず口角が緩む。予選開始から一時間二十九分十七秒。決着の刻は近い。その緊張感に気を引き締め直す。――すると突然、庭鳥島が信じられないことを口走った。


「――せつな!お風呂に入るばい!」

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