2-15 本館47F:レストランアベニュー
「戦うにしては……邪魔な小蝿が一匹飛んでいるようだがの」
馬絹は俺の背後――頭上付近で停空飛翔する庭鳥島をじろりと睨み付けて告げた。
「まぎぬ……あんたもAブロックやったとね……」
「驚くほどのことでもなかろう。昨年のファイナリストが均等に振り分けられるわけでもなかろうに」
――馬絹百馬身差。昨年の本戦出場時のキャッチコピーは「黄金郷の鬼神」。二年連続で〈極皇杯〉の本戦に進出した女。偉人級異能、〈覇駆〉による超スピードと、尋常ではないレベルにまで鍛え上げた脚力による近接格闘型の闘士だ。
忌住ほど筋肉質というわけではないが、十二分に恵まれた体格だ。いや寧ろ、「千倍反射状態」の罰による攻撃が通用しない以上は、その実力は最終予選組とは一線を画す。
「だが邪魔立てされるとは予想外ではあった。三万人ほどは屠ったがの」
――人の気配がなかったのはやはりコイツが元凶……!
――FPSゲームのバトルロワイヤルルールにも見られるが、安全地帯とはそもそも、プレイヤーがマップ上に散らばってゲームの展開の遅延を防ぐ目的がある。安全地帯が縮小することで、プレイヤーが安全地帯内に集中し、効率的に戦闘を促すのだ。つまりは本来、段階的に人が減っていくはずだったのだ。
――そのため、まだ二回目の縮小が始まった段階でこの人数の減り方は異常。馬絹百馬身差――この女は予選のシステムすら超越して、この予選を勝ち抜こうとしている。
「半分減らしてくれたならこっちとしては助かるけどな……」
「強がるな、夏瀬の。汝では吾輩に勝てぬ」
俺を見下ろしながら眼前に立ち開る馬絹の目をしっかりと見据える。背後――回廊と連絡通路の境界線付近を低空飛翔しながら、庭鳥島が静かにその様子を見守っていた。
――〈天衡〉の「反射状態」や「千倍反射状態」の罰による反撃は通用しないが、「無敵状態」での防御力は有効だろう。
『掟:攻撃を受けることを禁ず。
破れば、一切のダメージを受けない。』
「来いよ馬絹」
「――勇気は認めよう」
馬絹は、その巨躯を翻すと、逞しい馬の後ろ脚――その両脚で俺の腹を蹴り付けた。凄まじい威力の蹴撃が腹を穿つ。――が。
「こんなもんか?効きやしねーな」
――馬の蹴りの威力は凄まじい。良くて大怪我。最悪の場合は死に至る。競走馬の調教師が最初に教わることは「馬の後ろに立つな」ということらしい。
「うむ……吾輩の攻撃も通じないと見た。どうしたものかの」
「ファイナリスト様がもう打つ手なしってことはねーだろ」
「否。夏瀬の、汝の底は知れた」
馬絹は、俺に後ろ蹴りが通じないのを見るやいなや、静かに両脚を地に下ろし、こちらに向き直った。常人ならば対峙するだけで萎縮するほどの、凄まじい圧を放っている。
――冷静だな……。「無敵状態」は飽くまで防御策……攻め込まなければ勝利はない。だが掟を上書きすれば、それに紐付られた罰である「無敵状態」も解かれる。俺は馬絹にどう勝てばいい……?どうすれば勝てる……?
『掟:一切の攻撃を禁ず。
破れば、全身が炎上する。』
――……一旦燃やすか。
その瞬間、馬絹は前脚で俺を軽く蹴り上げた。――にも関わらずその威力は絶大で、体内で何かがのたうち回るような感覚を覚えた。――内臓が破裂したのだ。口から鮮血を吐き出しながら、俺の身体が力なく宙に打ち上げられる。
「――が……はッ!」
「――せつな!」
その代償として馬絹の身体は炎に包まれた。――が、馬絹はそれを気に留める様子もなく、天井に叩き付けられた俺の身体――重力に従って落ちる俺をその背に乗せ、そのまま庭鳥島の横を通り過ぎて連絡通路を駆けてゆく。
「――まぎぬ!せつなに何しとっと!」
俺を背に乗せ、その場を走り去る馬絹。背中に乱暴に乗せられ、両足が浮いたままの俺。その背を、赤い翼を広げた庭鳥島が凄まじい速度で追い掛けてくる。馬絹の肢体を包む炎が、俺の身体にも燃え移る。
「夏瀬の……ぼうぼうと燃えておるわ」
「あっ……つ……」
馬絹が連絡通路を颯爽と駆け抜け、俺は再び本館二十階、客室フロアへ。馬絹はエレベーターフロア裏の屋内階段へと向かってゆく。血濡れの回廊の中で、パカラッパカラッ――という馬の蹄の音だけが響いていた。腹部がズキズキと痛む。
――コイツ……まさか……!
馬絹は屋内階段を駆け上がり、本館を昇ってゆく。二十一階、二十二階――。至るところに血痕が遺る、赤いカーペットが敷かれた屋内階段。それは、宿泊客として利用するには申し分ないほど豪勢な内装だった。馬絹の凄まじい速度により強風を受ける。二人の身を包む炎を消し去りながら。
「馬……絹……お前……」
「まだ喋れるか、夏瀬の。だが酷く痛むだろう。直ぐに楽にしてやろう」
「――せつな!早く飛び降りんと!」
――馬絹の目的は十中八九、俺を安全地帯の外に放り出してしまうことだろう。俺の異能が何であれ、安全地帯外の毒ガスに触れればその時点で〈犠牲ノ心臓〉が発動――ゲームセットだ。
言葉も思うように発せないまま、馬絹は本館の四十七階、レストランアベニューに辿り着いたところで立ち止まった。いつの間にか、受けた風によって馬絹や俺を包む炎は消え去っていた。焦げた俺の柄シャツには穴が開き、煙が上がっている。
馬絹はコツコツと蹄が大理石の床を叩く音だけを響かせ、レストランに囲まれる、他に誰もいない広々とした通路――コンコースの中央に立ち止まった。食品サンプルが並べられたショーケースが色鮮やかに照明を反射する。背後では直ぐに庭鳥島が俺たちに追い付いてきた。
「――せつな!」
『掟:赤いニット帽の着用を禁ず。
破れば、全快する。』
馬絹の背に乗せられたままの俺の傷が、まるで時間が巻き戻ったかのように治ってゆく。衣服の穴も塞がれ、綺麗なトランプ柄が再び顔を出す。赤のニット帽を押さえながら、馬絹の背中から大理石の床に飛び下りた。
「おい……何が目的だ。ここは完全に安全地帯内だろ」
「嗚呼、既に理解しておるのならば話が早い」
俺が回復したことも意に介さず、そう返事をした馬絹。すると馬絹はその場に高く、高く跳躍し、後ろ脚で天井に――強烈な後ろ蹴りを放った。
崩れ落ちる瓦礫の中から現れたのは、天井に空いた大きな穴。――だが風穴が空いたのは、この階だけではなかった。更に上階の四十八階、四十九階、五十階の天井にも同様に風穴が空いている。馬絹はたった一撃の後ろ蹴りで、四階層分の天井に風穴を開けたのだ。
見上げた先――四十八階の天井の穴の奥から覗くのは、黒い霧状の毒ガスであった。安全地帯内であるこちらに漏れ出してくる様子はないものの、四十九階より上階はその禍々しい毒ガスが充満している。
「お前……!」
「うむ。死ぬが良い、夏瀬の」
回避する隙もなく、馬絹は後ろ脚で俺を蹴り上げる。再びの凄まじい衝撃に、体内の臓器という臓器がのたうち回り、悲鳴を上げる。
「ぐ……はッ……!」
「――せつな!」
天井に連なる風穴を突き抜け、俺の身体は、高く高く突き上げられる。――だが、悲鳴を上げる身体とは対照的に、脳内は冴え渡っていた。
「――庭鳥島!来るな!」
「なっ……!?」
穴の隙間から覗く、こちらを見上げる馬絹は、勝利を確信して不敵な笑みを浮かべていた。その姿を視界に捉え、即座に脳内で掟を定める。俺の肌が毒ガスに触れるまで、残り数メートルだった。
『掟:宙に浮くことを禁ず。
破れば、全身の肉体が十秒間メタル化する。』
突然、メキメキと俺の柔肌が銀色の光沢を放つ金属に変貌する。衣服も含め、全身が金属に変貌した俺の身体は、重力に従って勢い良く落下する。行き先は勿論、真下で目を丸くした馬絹百馬身差宛だ。風を切る音が、メタル化した俺の耳を劈く。
「――ははっ、こりゃいいや」
「夏瀬の……汝は……!」
「――挽き肉はパック詰めよォ……!」
――衝撃音。避ける暇なんて一切与えていない。間違いなく、馬絹にクリティカルヒットした。――だが、それでは終わらせない。その重みに耐えきれなくなってしまった大理石の床に、大きな穴が空く。床を突き破り、階下へ。そして更に階下の床を突き破り階下へ。
――床を突き抜け、また突き抜ける。どすん、どすん――と、連続して衝撃音を響かせながら、俺と馬絹はそのまま階下へと沈んでゆく。――そして、本館一階のエントランスの床を突き抜け、地下駐車場に到達――そのコンクリートの床の上で俺たちは止まった。周囲には砂埃が舞っていた。
砂埃により、直ぐには状況を掴めない。だが、確かに馬絹を五十回弱、踏み潰した感覚があった。ゆっくりと立ち上がると同時に、十秒の役割を終えた俺のメタル化が解けた。砂埃の中、穴の空いた地下駐車場の天井から、庭鳥島が翼を羽ばたかせながら近付いてくる。
「――せつな!」
――「メタル化」の罰による自由落下。今の俺が〈天衡〉で出せる最高火力に近い。イメージした俺のメタル化の重量は二十トンだ。簡略化した計算の上でも、時速二百キロメートルで走行する車で衝突した際の運動エネルギー――それ以上の破壊力だ。
「ゴホッゴホッ……」
砂埃を手で払い、咳き込みながら砂埃の奥に視線を向ける。まず目に映ったのは、駐車された車両の数々だった。貸切のため、〈竜宮楼〉に宿泊客はいないはずだが、これも戦略に組み込めというメッセージなのだろうか。
「せつな!なんしよっとね!?」
「これくらいしないと倒せないだろ」
――そして晴れる砂埃。
「いや……そうじゃなかばい」
「……え?」
「――ファイナリストを舐めすぎばい」
――足下から悍ましい声が聞こえた。俺の声でも、庭鳥島の声でもない。身震いする。
「――ふむ。今のは効いたぞ、夏瀬の」
起き上がった女の褐色の肌が、晴れてゆく砂埃の中に覗く。次に視界に飛び込んできたのは、逞しい馬の胴。焦げ茶色の毛並みが美しく輝いていた。女はその逞しい身体に傷を負い、血を流している。
――このとき、俺は〈極皇杯〉のファイナリスト――その真の強さを、未だ本当の意味で理解できていなかった。
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