2-11 本館R:スカイプール
――予選開始から七分三十一秒。予選会場の最高高度――ドーム型の安全地帯の頂点に位置する上空で、俺はホバリングする庭鳥島の背に乗っていた。
俺の目下に広がる光景は、世界六国が一つ、〈南国諸島ニライカナイ〉の〈渚岐南エリア〉が誇る五ツ星ホテル、〈竜宮楼〉である。
つい先刻まで俺たちがいた五十階建ての本館が、敷地の中央に悠然と聳え立つ。そして、その本館を囲うように、東西南北方向にそれぞれ三十階建ての別館――東館、西館、南館、北館が聳え立っている。因みに俺たちが先刻までいた客室は、本館の四十四階にある。
「みんなバトっとるねー!」
庭鳥島は停空飛翔しながら、背に乗る俺に声を掛ける。身長百七十八センチ、体重七十一キロと、俺は比較的体格は良い方だが、その俺を背に乗せる庭鳥島に疲労の色は依然として見えない。
庭鳥島の視線の先では、同じ予選Aブロックの出場者らしき若者たちが、本館の屋上プールのプールサイド、西館の窓から覗く客室内、北館の客室フロアの回廊、本館のエントランスを出た車寄せ付近にある噴水横――至るところで戦闘を繰り広げていた。
「まだ予選開始から八分程度だろう。まだまだ人が多いな」
「六万人もおるけんね!」
「誰も俺たちに気付く様子はないな。まあ当然か……」
「そりゃそうたい!まさか上空に人がおるとは思わんし、みんなそれどころじゃなか」
上空から見下ろす南館では、戦闘によって窓の外に放り出された一人の男が、そのまま地に落下し、血飛沫と共に無惨にも弾けた。あまりにショッキングな光景だ。男はそれと同時に瞬く間に消滅――否、転移した。〈犠牲ノ心臓〉が発動して敗退が決まったのだ。
「うへぇ……グロかね……」
そしてこれらの戦いが、今この瞬間も新世界中に生中継されている。当然、俺も例に漏れず。〈十天〉の面々や拓生、〈真宿エリア〉や〈神屋川エリア〉の住民たち、〈竜ヶ崎組〉の元構成員たちに至るまで、世界中が俺たちの戦いをリアルタイムで見届けているのだ。
今、俺と庭鳥島が留まっているのがこの安全地帯内の最高高度ということもあり、俺の頭上には黒いガスが立ち込めている。少し手を伸ばせば届いてしまう距離感だ。触れた途端に俺の全身を致死量の毒が蝕み、〈犠牲ノ心臓〉が発動――即敗退となるのは間違いない。毒ガスはじわじわと安全地帯を侵食し、徐々に、徐々に球状の安全地帯を狭めている。
因みに安全地帯の外――黒い霧状の毒ガスの奥には、モーテルが並ぶ住宅地やダイナー、大型のマーケットが見えるが、〈極皇杯〉の予選の日に限り、人払いをしているらしい。〈極皇杯〉の予選の日だけ離れていれば〈極皇杯〉の予選会場周辺は家賃も永久無料だとか。アメリカを想起させる街並みの逆サイドには美しい海が広がり、砂浜には波が寄せては返す。
「てかせつな、聞きたかったことがあるとよ」
「聞きたかったこと?」
「外から見てたばってん、さっきの蝋の異能の男、凍らせて倒しとったやろ?あれがせつなの異能と?」
「あー、あれか」
――『雪華弾』。俺がこの二週間で習得した新技の一つだ。被弾すれば割れる程度の脆弱な金属製のパチンコ玉に、「超液体窒素」を詰めた。
――旧世界にも存在した液体窒素の温度は、凡そ摂氏マイナス百九十六度と非常に低い。それ故に多くの物質が急激に冷却されて硬くなったり、脆くなったりする。比較的低い融点を持つ蝋もその一つである。
――対して『雪華弾』に込められた「超液体窒素」は、新世界の技術進歩によって生まれた産物だ。摂氏マイナス二百七十三・一五度――絶対零度のその気体は、触れた物質を瞬時に凍結させる。
――その特徴は、対象の融点ではなく、「感情」に依存する点だ。動揺したり、興奮状態にあったり、精神的に不安定な状態の敵には有効に働く。裏を返せば、理知的な敵や、そもそも感情という概念が存在しない「非生物」は凍らない。
「感情に作用して対象を凍結させる弾丸……ってとこだな」
「ほー、よくわからんけど賢かねー」
――まあ異能による技ではないから、詠唱的な意味合いもない。技名をつけたのはまあノリだ。技名がないと締まらないだろう。……「締まらないと言うならスリングショットじゃなくて素直に剣持てや」というツッコミはナシだ。
「日和って殺せん奴も多いばってん、あんたはそうじゃなかみたい」
「結果だけ見れば『死んでいない』んだから『殺してない』と見るべきだろ。〈犠牲ノ心臓〉がなきゃあんなことしねーよ」
「あんたの言う通りばい。てかそうせんと勝てんしね、〈極皇杯〉は」
――そう、〈極皇杯〉で問われるのは単純な戦闘力だけではない。敵を「殺さなければ勝てない」以上、強靭な精神力も試される。〈犠牲ノ心臓〉があろうとも、殺人という発想が脳裏を過った途端、躊躇してしまう者も多いだろうことは想像に難くない。
「それでせつな、どぎゃんすると?」
「このままあとどれくらい飛んでいられる?」
「んー……、あと……」
庭鳥島は大袈裟に考え込むようなポーズを執った後、満面の笑みで――告げた。
「――一秒ばい!」
「――はあっ!?」
遂に限界を迎えた庭鳥島がまるで猟銃に撃ち抜かれた鳥のように、力なく落下する。真下に位置していた本館の屋上プール目掛けて急速に落下――プールサイドの床が、空を切りながら凄まじいスピードで眼前に迫る。俺は堪らず、庭鳥島を視界に捉え、脳内で掟を定める。
『掟:落下を禁ず。
破れば、一切のダメージを受けない。』
――俺に顕現した神話級異能、〈天衡〉は随分と都合が良い。雷霧戦が正にそうだった。
――雷霧とのバトルでは、『掟:感電を禁ず。破れば、その電撃を相対する者へと反射する。』、『掟:攻撃を受けることを禁ず。破れば、一切のダメージを受けない。』という掟を定めたが、この罰は厳密には罰になっていない。俺にメリットしかないからだ。単なる罰の悪用だ。
――だが〈天衡〉は、如何なる罰も許容する。上手く使えば、ダイヤモンドの装甲を身に纏うらしい〈十天〉・第六席に座する噴下麓すら凌駕する防御力を手にすることができるし、新世界最高火力と名高い陽奈子や師匠を凌駕する攻撃力を手にすることもできる。
凄まじい衝撃音と共にプールサイドの床に激突する。屋上プール付近で戦っていた周囲の出場者たちの注目を集める中、汚れたトランプ柄の柄シャツの埃を手で払いながら、俺はゆっくりと立ち上がった。
全く不思議なのだが、あんな上空から落下しておいて何の痛みもない。直ぐ近くでは、庭鳥島が広々としたラグジュアリーなインフィニティプールの真上で停空飛翔していた。掟を定めるには自分以外に一人の対象者が必要なので、咄嗟に庭鳥島を対象として掟を定めたが、飛べる庭鳥島には元より不要だったようだ。
――その瞬間。轟々と燃え盛る業火が俺の身を包んだ。揺らめく炎の中から覗いたのは、火炎放射器を手にした、角刈りの恵まれた体格の男だった。男は白いタンクトップに身を包んでいる。
「死ねやァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!〈十天推薦枠〉ォォォォォォォォォォォォォ!!!!」
――先刻の掟はこの状況を想定してのものだ。先刻の掟により、掟を上書きするまで、俺は無敵だ。事実、熱くもなんともないし、お気に入りの赤ニット帽や眼鏡、衣服にも何の損傷もない。
――俺が死ねば仲間が深く悲しむことは理解した。ならばと考え、俺は基本的にはこの「無敵状態」で日常を過ごすことにしている。
炎の中で、全くダメージを受けずに――それどころか全く動じた様子のない俺を見てか、火炎放射器を持つ角刈りの男の顔が歪む。――刹那、その男の首元に赤い羽根型の刃が突き刺さった。頸動脈から血飛沫を上げ、男はその場に倒れる。そして、瞬く間に消滅した。
火炎放射攻撃も止み、視界が開ける。インフィニティプールの上空の庭鳥島に視線を向けると、庭鳥島は大きな翼を大きく動かし、まるでナイフ使いかの如く、羽根型の刃を次々に周囲に飛ばしていた。周辺視野が極めて優れているのだろう。
プールサイドにいた屈強そうな若者たちが、次々に首や脳天から血を噴き出し、次々に消滅――〈犠牲ノ心臓〉の発動によって〈天上天下闘技場〉へと強制送還されてゆく。
「――せつな!ぼーっとしとる場合じゃなかとよ!」
「そう言う割には余裕そうだな」
「当然たいね!格が違うとよ!」
一人、また一人と出場者がその場から消えてゆく。まるで戦場の舞姫。剣や銃弾、炎や氷といった攻撃が飛び交う中、鮮やかに水面の上を舞う庭鳥島の勇姿は、そう形容せざるを得ないほどに美しく思えた。
「……俺の出番はなさそうだな」
「てかようあの高さから落ちて無事やったね!?」
「お前はっ倒すぞ……」
「もー!ごめんてせつな!」
「まあ無事だしいいけどよ……」
「この前じゅーていおんと戦っとったやろ?あのときじゅーていおんの攻撃でダメージ受けとらんかったけど、すごか異能ばい」
――どうしても共闘するとなると、〈天衡〉の概要が知られてしまうな。まあそれは覚悟の上だ。最後には戦うことになるのだから、与える情報は最低限にしておこう。
そうして戦う庭鳥島に見蕩れていると、突如、視界を人影が遮る。眼前に立っていたのは、短機関銃――サブマシンガンをこちらに向けた男だった。男は躊躇する様子もなく、俺目掛けてサブマシンガンを乱射する。
「狩らせてもらうぜ……!夏瀬雪渚……!」
「そんな武器使ってる時点で大したことない異能だと教えてるようなモンだろ……」
超至近距離から放たれる弾丸の数々。弾丸は次々に俺の身体に命中するが、俺の身体に穴を開けるどころか、俺のトランプ柄の柄シャツに穴を開けることすら叶わない。無慈悲にも弾丸は跳ね返され、陽光が差すプールサイドに転がる。
「なっ……なんなんだ……!夏瀬雪渚……ッ!どうして……っ!」
――さてこの局面。〈天衡〉で攻撃するための掟を制定しようものなら、掟の上書きによって俺の無敵状態は解かれ、当然、短機関銃を向けられている俺の〈犠牲ノ心臓〉が発動することになるだろう。
「な、なんなんだ……!お前の異能は……っ!」
スキニーの右ポケットから再び〈エフェメラリズム〉を取り出し、照準を眼前の男に合わせる。男の焦った顔が、俺の目には酷く滑稽に映った。
――旧世界の面影が残る新世界が、こんな修羅の国になっていることに、初めは違和感しかなかった。毎日のニュースで流れる、異能犯罪の数々。異能という武器を新世界中の人類が手にしたことで、些細な諍いで簡単に人が死ぬような世界。良くも悪くも、俺はこの新世界に慣れてしまった。麻痺してしまった。
「まっ……待ってくれ!俺はまだ……!負けたくない……っ!」
――だが、だからこそ勝たなきゃいけない。仲間を守るためにも勝たなきゃいけない。俺が最期に笑って死ぬために、勝たなきゃいけない。勝ち続けることでしか、この新世界では生き残れないのだ。
ゴム紐を素早く離し、一発のパチンコ玉が空を切る。その硬質素材の玉は、男の心臓を正確に貫いた。
――『貫通弾』。シンプルに火力と貫通力を高めた、俺が〈エフェメラリズム〉で出せる最高火力だ。威力はご覧の通り。
男はサブマシンガンをプールサイドに力なく落とし、貫かれた左胸を押さえる。男の服に血がじわじわと滲む。やがて、男の動きが愚鈍になってゆき、男がその場に倒れ込むと同時に、男は消滅した。死亡――〈犠牲ノ心臓〉が発動したのだ。
「人に銃口向けといて、『待ってくれ』じゃねーんだよ馬鹿が……」
二十人ほどいたであろう屋上プールはすっかり俺たちだけとなり、プールサイドのあちこちに血溜まりができている。こんな惨状を新世界中に生中継して、エンターテインメントとして新世界中が熱狂しているのだ。旧世界の感覚では明らかに「異常」だが、この新世界ではこれが「普通」なのだ。
――だが、俺は正義の味方でもなんでもない。そこに異を唱えるつもりもない。大事な仲間を守れれば、俺が笑って最期を迎えられるなら、それで一向に構わない。
「――せつな!終わったと?」
そう言いながら、まだまだ余力を残している様子の庭鳥島が、ハーピー化を解いて俺の眼前に舞い降りる。
「こっちは問題ない。万年予選落ちみたいな奴しかいなかったな」
「まだ序盤やけんね。時間が経つにつれて強者しか残らんくなるばい」
――やはり障壁となるのは歴代の〈極皇杯〉ファイナリスト経験者だろう。この予選Aブロックに六万人が振り分けられているのだから、庭鳥島のようなファイナリスト経験者が最低でも他に数人はいると考えるのが自然だ。
――そのときだった。突然ザーッと、雨が降り出した。空は灰色の雨雲に覆われ、横殴りの雨がプールサイドを激しく打ち付ける。
「雨……?」
「――せつな!」
――庭鳥島がこちらを見て声を上げた瞬間。雨の中を掻き分けて、何者かがこちらに凄まじい勢いで駆け寄ってきた――かと思うと、その者は俺に破壊力抜群の拳を繰り出した。
常人なら恐らく弾け飛んでいるであろう威力の打撃。――だが、まるで動じる様子もなく、その場にただ直立する俺。その姿を見た、拳を突き出す筋肉質な女もまた、動じる様子もない。女は不敵な笑みを浮かべた。
――来たか、強者……!
その女の持つ空気感は、これまでの万年予選落ち組とは明らかに格が違った。強者が放つ、特有の存在感。横殴りの雨の中、女の巨躯が妖しく揺らめく。
――予選開始から十三分四十二秒時点。Aブロックの生存者数は、既に半数を切っていた。
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