1-6 襲撃者
「…………俺、なんで自殺なんてしたんだっけ」
「雪渚……?まさかお前……」
「せつくん……」
――ダメだ。大学時代に出逢った一二三や天音のことは断片的に覚えているが、それ以前――高校卒業までの記憶に関しては全く思い出せない。
「…………思い出せない」
「記憶喪失、ということか……」
「せつくん……そんな……」
天音が俺の背を抱き締める腕の力が、少し抜けたように感じられた。それでも、天音は優しく抱き締めてくれていた。
「雪渚、そもそも『一度死んだ人間が八十五年越しに蘇生する』なんて事例がまずない。超記憶力を持つお前が、見聞きしたもの――それもあれほどお前を傷付けた過去を忘れるなんて絶対に有り得ない。自殺を図るほどの辛い記憶――お前自身が無意識に、記憶に蓋をしてしまったのかもしれないな」
「同感だ。恐らくそうなんだろうな……」
「とは言え雪渚なら直ぐに思い出せるだろうが……」
「――せつくん、五六さん。でも……あのせつくんの過去は……せつくんは思い出さない方がいいんじゃないですか」
「天ヶ羽さん……。それはその通りだが……雪渚が記憶を思い出さないようコントロールする術は残念ながらないからな……」
「そう……ですか……」
俺は、俺の背に抱きつく天音の白いウルフカットの髪を撫でて天音に告げた。
「天音、大丈夫だよ。もう俺は天音を置いて何処かに行ったりしない。さっきも言ったろ。俺は生き抜いて覆す。今度こそ、最期には笑って死んでやるんだ」
「そっか……。そうですよね、せつくん!うん、うん!」
天音は嬉しそうに笑顔を取り戻すと再び、俺の背中を強く抱き締めた。俺は一二三へと視線を戻し、いつの間にか立ち上がっていた一二三に告げる。
「一二三。八十五年間、世話になったな。この礼は必ず」
「なに、親友だろ。気にするな。……雪渚、お前にこれを」
そう言って一二三が俺に手渡したのは、目測で縦十六センチ、横六・五センチ程度のガラスの板だった。
「一二三、これは……?」
「ガラス板のように見えるがそうじゃない。俺がCEOを務める企業――弊社で開発した、この新世界におけるスマートフォンだ。画面に触れてみてくれ」
――そうか。俺が使っていたスマートフォンは、自殺したときに諸々の履歴や足が付きそうな情報を消した上でぶっ壊してしまったな。
「ほう。こうか……?」
一二三に促されるがままに、その最新型のスマートフォンに触れると、そのガラス板らしきものに洗練されたデザインのロック画面が表示された。上にフリックしてホーム画面を開くと、整列された幾つかのアプリが表示された。
「その中央、『SSNS』と記載されたアプリアイコンを開いてくれ」
一二三の指示に従ってそのアイコンをタップすると、「夏瀬 雪渚」、その下に「Natsuse Setsuna」と記載されたプロフィール画面が表示された。
画面下部に表示されているメニューバー、その中の、デフォルメされた人と人が握手をしているイラスト付きの「フレンド」のアイコンをタップすると、プロフィール画面が切り替わり、「フレンド」という記載と共に、既知の二人の人物の名前が表示された。
「SSNS。これもウチで開発・提供しているアプリだが、要するにSNSの機能と電話・ビデオチャット・DMの機能を統合したものだ」
「お前すごい開発するのな……」
「新世界じゃ大抵の人間はこのスマートフォンとSSNSを利用している。『フレンド』に天ヶ羽さんと俺を登録しているから、何かあれば連絡してくれ」
「至れり尽くせりだな……。ありがとう一二三」
「ああ」
「――五六先生!ここにいらっしゃいましたか!山本さんが呼んでますよ!」
突然病室に飛び込んできた看護師の女性が、一二三を見つけるやいなや声を掛ける。
「おっと、すまない。直ぐに行くと伝えてくれ」
「急いでくださいね!」
看護師は一二三の言葉を受け、ピシャリ、と扉を閉じた。
「悪いな一二三。時間取らせた。じゃあ……行くよ」
「天ヶ羽さんもいることだし、大丈夫そうだな。今度はゆっくり二人で酒でも酌み交わそう」
「ああ」
――こうして、俺の八十五年間にも及ぶ入院生活は幕を閉じた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
天音が用意していた、俺が当時好んで着ていた白黒の豹柄の柄シャツと黒のスキニーパンツを着て、赤いニット帽を冠って、真新しいスニーカーを履いて、その大きな病院の自動ドアを出ると、眼前の広い駐車場の奥に、都心の街並みが広がっていた。天音は俺の左隣でベタベタと腕を絡めてくる。夕陽が温かくそんな俺たちを照らしていた。
「えへへー!せつくん、取り敢えず私の家に来ますか?」
「天音……気持ちは嬉しいんだけどちょっと動きづらいから一旦離れようか。待合ロビーで凄い目で見られてたぞ俺ら」
「え~、関係ないです~!」
頬を膨らませて反駁する天音。天音にしてしまったことを思うと、俺に天音のしたいことを妨げる権利はないだろう。
背後に聳え立つ白い建物。その大きな総合病院の最上階の外壁には、「五六総合病院」という文字列の外壁サインが設置されている。
――副業で総合病院の開業医。いねえってこんなやつ。
そう脳内でツッコミを入れた瞬間、「何か」が俺の右の頬を掠めた。蹴り上げた右脚が、その「何か」が蹴り上げた右脚と交差する。
「――せつくん!」
目に映るのは、やさぐれた雰囲気の、長い黒髪の女だった。頭には二本の黄色い角が生えており、太腿が露わになっている。
彼女は機動性を重視しているのか、露出の多い、黒を基調とした複数のパーツでできた軽装の鎧を身に着けている。夕暮れの光が、彼女の姿を劇的に照らし出していた。
「アタイの蹴りを受け止めるたァ……やるじゃァねェか……!」
彼女の両手には鋭く光る黒い鉤爪が装備されている。俺の頬から血が滴り、アスファルトの地面へとぴちゃ、と落ちる音がこれから始まる戦いを予感させていた。
「天音、大丈夫だ。危ないから離れててくれ」
「せつくん……かしこまりました」
――天音は回復に特化した異能。こんな時代ならば最低限の護身術程度は身に付けている可能性もあるが、戦闘能力はないと判断しても良いだろう。天音は俺が守らねば……。
天音は心配そうな表情を浮かべながら、それでも従順に、俺たちから距離を取った。その広い駐車場に停められた乗用車のボンネット、斜陽を美しく反射する。俺たちは交錯した脚を地に下ろし、向かい合った。
「……お前、さっき病室を外から遠巻きに覗いてた奴だな」
「ほォ、気付いてやがったかァ……!」
――そう、この黒髪ロングの女は先刻、俺が二階の病室で天音とニュースを観ていた際、窓の外の木の上からその様子を遠巻きに観察していたのだ。
「何の用だ?」
「なァに、殺すつもりはねェよ……。持ち金置いてってくれりゃァいい」
「生憎だが無一文でな。他を当たりな」
「はッ!嘘吐くんじゃねェよ!メイドなんか連れやがってよォ、金持ってねェとは言わせねェぜェ!」
――天音のことだろう。
「アタイはそこのメイド女がお前に会いに病院に通い詰めてるのをこの数日見ててよォ!お前が出てくるのを待ってたんだァ!柄シャツなんか着やがってよォ、狙ってくれって言ってるようなもんだろォがァ!」
「病み上がりなんだけどな……」
――言っても聞く耳持たないな。まだ俺の神話級異能――〈天衡〉の全貌は見えていないが、検証するには良い機会か。
「仕方ないな、金が欲しけりゃ俺を倒してみな」
「いいぜェ!殺ってやるよォ!……うおおおおぉおおおぉおおおぉおォォォ!!!」
女がそう気合いを入れると、女の身体がメキメキと悲鳴を上げ始めた。その音は、人体の限界を超えようとする変貌の予兆のように響く。骨が軋むような音が、駐車場の空気を震わせる。
「――うおおおおおおおおおおおおおおおおおおォォォォ!」
すると、女の肌に鱗のようなものが現れた。その鱗は夕陽を受けて不気味な光沢を放ち、黒い鉤爪の隙間から覗く爪は、切っ先で光を反射して一層の鋭さを見せる。
更に女の下半身には鱗を纏った大きな尻尾が生えた。その姿は、人と竜の狭間にある、荒々しくも美しい存在を思わせた。
「伸ばした爪だけじゃ足りねェよなァ!アタイの蹴りを受け止めたお前に敬意を表して全力で相手してやるよォ!」
「相手してやる、は俺の台詞だろ……」
――形容するならば竜人化。アニメなんかでよく観る人と竜の狭間の存在、ドラゴニュート。これがこの女の異能、というわけか。
「お前も運が悪ィヤツだァ……!残念だったなァ。アタイの異能は上級異能。〈竜鱗〉の本気を見せてやるよォ!」
――上級異能――世界人口の上位十パーセントが持つ異能。この女……自ら武器であるハズの異能をバラした時点で賢くはなさそうだが、目に見えないほどのスピードで俺の頬に傷をつけた身体能力。個人の才能に応じた階級の異能が顕現する、という事実を踏まえれば、この女が上級異能を持つというのも頷ける。
「上級異能……」
――運動神経は俺とほぼ互角か。チュートリアル戦にしては強敵な気もするが……。
「――っしゃァ!来ねェンならこっちから行くぞォ!」
女は、そう息巻くとその場から「消えた」。すると、俺の左頬が、何か鋭利なもので切り裂かれた感覚を覚えた。
「――『竜ノ鉤爪』!」
その直後、続け様に俺の柄シャツごと、俺の右肩が切り裂かれる。引き裂かれた肩から、血が俺の白黒の豹柄の柄シャツに、じわりと滲む。
「――せつくん!」
――ギリシャ神話の「法と掟」の女神、テミスの名を冠する神話級異能――〈天衡〉。俺の推測ではこうだ。――「掟を定める」異能。そして、掟を定める以上は、掟を破った際の罰があると考えるのが自然だ。
「――『竜ノ鉤爪』!」
続け様に次々と引き裂かれる俺の長袖の柄シャツ。全身ズタズタに引き裂かれ、全身の傷跡から血が滲んでいる。そんな猛攻の嵐の中、自分でも不思議なことに、俺は至って冷静だった。
――自殺したときに比べれば、全然痛くないな。
「――おらおらァ!ビビって反撃もしねェのかァ!?」
「お前な、そんなに金が欲しけりゃ単発の倉庫バイトでもしてろ。お前のその体力があるなら労基ガン無視の三十連勤も余裕だろ」
「――るせェ!真面目に働いてちゃァキリがねェんだよ!『竜ノ鉤爪』!」
女は目にも止まらぬ速さで、次々と俺の身体を傷付ける。まるで妖怪・鎌鼬を彷彿とさせるほどに。天音は少し離れた場所で、その様子を心配そうに見守っている。
――さて、そう考えると、〈天衡〉は恐らく、「掟を定め、掟を破った者には罰を与える異能」だと考えられる。
「――ずっと突っ立ったままで!何がしてェンだてめェ!」
「せつくん……っ!」
「ほら見ろォ!お前の使用人のメイドも心配そうにしてんじゃァねェかァ!」
「……あの、誤解していませんか?私が心配しているのはご主人様ではありませんよ」
――まあ当然だが殺す気はない。軽く試してみるか。
「――心配なのは貴女です」
「あァ!?」
――上級異能であることに誇りを持っているようだが悪いな、俺は神話級異能だ。
『掟:衣服に損傷を与えることを禁ず。
破れば、全身を麻痺する。』
そう脳内で思考した瞬間、俺の身体はまた新たな傷を創る。すると刹那、黒髪の女の猛攻が、ぴたりと止む。俺の眼前に突如として現れたその女は、アスファルトに倒れ込むようにして、空中から地に落ちた。
「――なッ!?」
俺はアスファルトの地面に這い蹲るように悶えているその女を見下ろすように立って、黒いスキニーのポケットに両手を突っ込んだまま、告げた。
「勝負あったな」
「……くっそ……ッ!動……けねェ……!」
夕陽がその女の黒い軽装の鎧を温かく照らす。それは、この勝負の決着を意味していた。
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