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1-35 プレハブ街の夜は終わらない

 ――こうして、俺の五度目の異能戦は幕を閉じた。野晒のざらしになった上階から、構成員たちの歓喜に満ちた声が聴こえてくる。


「ほ……本当に終わったのだ?嘘じゃないのだ?」


 羊の着ぐるみを着た金髪の少女――幼い外見の女――羊ヶ丘(ひつじがおか)手毬てまりは、未だ現実味がないようで、呆然ぼうぜんとしている。


「現実味がないのも仕方ないか……」


「十六年間も竜ヶ崎龍の支配下にあったわけですからな……」


「――手毬ィ!アタイらは……解放されたんだよ……ッ!クソ兄貴の十六年間の支配から……!やっと……ッ!」


 俺の前に立つ傷だらけの竜ヶ崎巽は、言いようもない涙を流している。羊ヶ丘(ひつじがおか)手毬てまりは、竜ヶ崎と目を合わせると、涙を浮かべて言った。


「巽……!ボク……!ごめんなさいなのだ……巽に手を差し伸べてあげられなかったことをずっと後悔していたのだ……」


「……手毬や街のヤツらがずっと心配してくれてたのはアタイも知ってたよ。謝ることなんてねェよ」


「巽……ありがとうなのだ……ありがとうなのだ……」


「それよりいいのですかな?このことをいち早く街の方々にも伝えてあげるべきですぞ!」


「――そ、そうなのだ!竜ヶ崎龍が落ちたのだ!城壁の外にまだみんないるはずなのだ!巽!このことをしらせに行くのだ!」


 ――俺がメガホンで城壁の外に追いやった〈神屋川エリア〉の住民たちのことを指しているのだろう。だが、それは止めなければならない。


「待て手毬。あと天音と拓生……あとは日向もか。頼みがある」


「なんなのだ?」


「せつくん、おっしゃりたいことはわかっておりますよ」


「むむっ、なんですかな?」


「なによ、改まって」


「――この件だが、竜ヶ崎龍は竜ヶ崎巽が討伐したことにしてくれ」


 刹那せつな、ロータリーが静寂に包まれる。手毬は面食らった表情で、俺に問い返した。


「え……?雪渚はそれでいいのだ?」


「せつくんがそうしたいと仰るならば、私は構いません」


「フフフ……雪渚氏らしいですな」


「役に立てなかったアタシに拒否する権利はないわ。……でも、アンタもお人好しね」


 日向は八重歯を覗かせて少し、呆れたように笑った。


「悪いな」


「雪渚がそう言うなら……わ、わかったのだ」


 そんな中、一人の女が声を荒らげた。


「待てよォ……なんでだァ……夏瀬雪渚……!お前のお陰でアタイは救われたァ!この街の連中もそうだァ!なんで……アタイの手柄になるんだよォ……!納得できねェよ!」


 二本の黄色い角を生やした黒髪の女は、見るからに納得できない、といった様子で不満を口にする。


 ――理由は……そうだ。竜ヶ崎巽は……一人の人間の所為で、俺と同じように――いや、むしろ俺よりも残酷な幼少期を過ごしてきた。あのときの俺が……そう在りたかったこと。


「――竜ヶ崎巽、お前は報われるべきだ」


 竜ヶ崎は、大粒の涙を流して、頭を下げた。アスファルトに、涙がしたたる。


「すまねェ……!すまねェ……!」


「巽……!行ってくるのだ!」


 そうして、手毬はプレハブ街の方向へと去っていった。それと入れ替わるように、上階から構成員たちが駆け下りてくる。


「「「――ボス!!!竜ヶ崎龍を確保しました!!」」」


 太い縄で両腕と両脚を固く縛られた金髪オールバックの、筋骨隆々の肉体の男――竜ヶ崎龍が煙を吐く俺の眼前へと投げ出される。傷だらけの男は気絶したままだ。血塗ちまみれの男の左腕と背中を優雅に泳ぐかの如く彫られた龍の刺青が、嫌に痛々しい。


「おう、ご苦労」


「兄貴が……倒されるなんて……何度……夢見たことかァ……」


 長い黒髪の女――竜ヶ崎は、兄が掛けた割れたサングラスを覗き込み、その勝利が夢ではないことを再確認した。すると、赤いチャイナドレスの糸目の女が俺たちの下へと歩み寄った。構成員たちが騒めき立つ。


「……リーさん」


「――謝謝シェイシェイアル」


 女は、辿辿たどたどしい日本語で、涙ながらに感謝の言葉を述べた。


「李女史……」


 ――何だこの女……異様に臭いな。びしょ濡れだし……。


「ずっと罪の意識に囚われたまま、あの男に支配されていたアル。……いや、言い訳アルネ。ワタシは一生をけて罪を償うアル」


「……だそうだが……竜ヶ崎はそれでいいか?」


「構わねェよ。直接人をあやめちまったのは……兄貴とはかり……荒瀧あらたきだけだからよォ……」


「まあ何らかの処罰はあるだろうがお前らも被害者だ。情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地はある。あとは法に裁いてもらえ」


「……ワタシは自首するアル。夏瀬サン……謝謝シェイシェイアル」


 李蓬莱は涙を流して、頭を下げた。そして、頭を上げると、顔を赤らめ、拓生へと微笑んだ。


「御宅サン……。刑期が終わったら……御宅サンに話したいことがあるアル。それまで……待っててほしいアル」


「――ぶひっ!?」


 李は拓生の反応にくすりと笑ったのち、一礼してその場を去っていった。構成員たちが、慌てて俺に一礼し、李の後についてゆく。


「「「ボス――夏瀬さん!ありがとうございました!このお礼は、必ず!!!」」」


「――李さん!俺たちも!ついて行きます!」


 ロータリーに残されたのは、俺、天音、慌てふためく拓生、涙を流す竜ヶ崎と、日向だけとなった。


「おー拓生、春が来そうじゃねーか」


「ま、待ってくだされ雪渚氏……訳が分かりませんぞ……」


「それよりせつくん、行かせてしまって良かったのですか?」


「嘘を言っている目じゃない。大丈夫だろう。……ってか自首しなければ犯人隠避罪はんにんいんぴざいか、俺……」


 そんな俺をフォローするように、日向が口を開いた。


「〈十天〉に警察官の人がいるわ。どっちにしろあの人からは逃げられないわよ」


「そうか」


「せつくん、傷の手当てを……」


 天音が俺を異能で回復させようと、恐縮しながら告げた。俺は、少し天を見上げて考えた後、天音に言葉を返した。


「いや、天音……後でいいよ」


「かしこまりました」


 ――それにしても、同じく幹部と戦闘した拓生はボロボロだというのに、天音は全くの無傷だ……。既に異能を使って自身を回復させたのか?天音が俺より自身を優先するとは考えづらいが……。


「「――おい!巽!生きてたのか!?」」


「「――竜ヶ崎龍が落ちたぞ!!」」


 眼前に伸びるプレハブ街の通り――その車道が騒がしい。前方に目を向けると、先程城壁の外へと出ていった大勢の男たちが、城壁の中へと戻ってきていた。


「――巽!連れてきたのだ!」


 彼らは〈神屋川エリア〉――その中心地のロータリーまで差し掛かると、なみだぐむ竜ヶ崎と、気絶したその兄――竜ヶ崎龍の姿を見て、歓喜の声を上げた。


「巽ちゃん!ごめんなさい!私たち……貴女あなたに迷惑をかけまいと……!」


「巽……生きてたのか……!良かった……!良かった……!」


「巽がやっと……あの男を……!」


 突如として盛り上がりを見せるロータリー。竜ヶ崎巽は、この瞬間から、〈神屋川エリア〉の英雄となった。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――すっかり晴れた空に乾いた服、癒えた身体。月明かりが照らす〈神屋川エリア〉で、俺たちはエリア全体を挙げた宴に参加していた。


 〈十天〉・第七席――日向陽奈子によって全ての城壁が一瞬のうちに破壊され、開放感のあるエリアへと生まれ変わった。車道を行き交う大勢の住民たちは、片手にグラスを持ち、十六年間の支配から解き放たれた喜びに浸っている。


 ――〈神屋川エリア〉の中心地――〈竜ヶ崎組〉・事務所、その跡地には木材を高く積み上げ、やぐらが造られていた。その上で竜ヶ崎巽が太鼓を叩いている。


「「――いいぞー!巽ー!!」」


「「騒げ騒げーー!!!」」


 和太鼓の心地良い音が喧騒の中に響く。ロータリーに集まる人々は和気藹々(わきあいあい)と、それぞれの時間を楽しんでいた。プレハブ住宅の壁にもたれ掛かり、楽しそうに太鼓を叩く竜ヶ崎を見上げる。その表情には心からの喜びがにじんでいた。


「あの、良かったらどうぞ」


 住民の女性に、カラン、と氷のような音を立ててジョッキが手渡された。琥珀色の液体が滑らかに注がれ、泡がふんわりと立ち上がっている。きめ細やかなそれは、まるで金色の雲のようだ。


「あー……どうも」


 鼻を近付けると、微かに甘い麦の香りとホップの爽やかな苦みが混ざり合い、喉の奥をくすぐるようだった。喉の渇きに耐えかねて、グラスを持ち上げる。


 ――ひと口。


 舌先を擽る微細な炭酸が、一瞬にして口の中を駆け巡る。冷たさが舌を刺し、次の瞬間には心地よい苦みが広がった。喉を滑り落ちていく黄金の液体が、胃の奥へと流れ込むたびに、全身がふっとほどけていくようだ。


「くぅ……っ!」


 思わず声が漏れる。心地良い酔いが、じんわりと体の奥に染み込んでいく。ビールの苦みは、大人の贅沢。喉の奥に残る余韻すら、心を潤す。


 ――もうひと口。止まらない。


「美味しそうに飲むわね……」


 日向がカクテルを口にしながら、呆れた様子で呟いた。嫌味ったらしく日向に言葉を返す。


「陰の功労者だぜ?いいだろ、これくらいは」


「そうね。でもアンタにはお礼言わなきゃね……えっと」


 日向は照れ臭そうに顔を少し赤らめ、目を逸らした。月明かりが、彼女の前髪の太陽のバレッタを美しく映し出す。そして日向は、金髪ツインテール――その桜色の毛先をくるくるといじりながら、照れ臭そうに言った。


「……ありがと」


「……ああ」


 するとそこに、天音、拓生、手毬が顔を出す。三人は片手にそれぞれグラスを持ちながら、俺と日向の下へと駆け寄ってきた。拓生が櫓太鼓やぐらだいこを見上げ、感慨深い、といった様子で口を開いた。


「おぉ……!先程までの街の暗い雰囲気が嘘みたいですなぁ……」


「せつくん、警察への竜ヶ崎龍の身元の引渡しは無事に完了しました」


「幹部の計大車輪だけ姿が見えませんでしたが、三人目の幹部・荒瀧も無事に捕まりましたぞ!日向女史にボコボコにされて酷く怯えている様子でしたがな!」


「ねえちょっとオタクくん!それ言わなくてもよくない!?」


「はは、そうか。それなら良かった。……計って言うとあの眼鏡の浴衣着た奴だろ?天音が倒したんだよな?」


「はい。少々苦戦しましたが……」


 ――ん?


 うやうやしく言葉を返す天音の返答。その言葉に、何か引っ掛かった。


 ――「少々苦戦した」――これは嘘だ。だが、どうして態々(わざわざ)そんな嘘をく?いや……今は気にしても仕方ないか。


「でもすごいのだ!〈竜ヶ崎組〉はこれで壊滅!本当に〈神威結社〉と陽奈子には感謝しかないのだ!改めて、ありがとうなのだ!」


「アタシは何もしてないわよ……ほとんど〈神威結社〉の三人の功績よ、これは」


「しかし、〈十天〉である日向女史であれば、竜ヶ崎龍など本来ワンパンで沈められるハズですぞ。功績を譲ってくれたのですかな?」


 ――〈十天〉・第七席――日向陽奈子。十六年間壊されなかった、〈神屋川エリア〉を囲う城壁をグーパンチ一発でぶっ壊したのを見るに、小柄ながら彼女の身体能力はイカれているとしか形容しようがない。それは俺や竜ヶ崎龍を遥かにしのぐ。


 ――その日向が竜ヶ崎龍に手も足も出なかった、という事実。〈不如帰会ほととぎすかい〉というカルト集団に家族や親友を惨殺ざんさつされた、という日向の過去をかんがみるに、ある程度察しはつくが……。


「まあ拓生、それはいいじゃねーか。事情があったんだろ」


「そ、そうですな。悪かったですな、日向女史」


「……それは別にいいわよ。……でもちょっと気が重いわ」


「気が重い……ってどうしたのだ?陽奈子」


「〈十天円卓会議サミット〉……〈神屋川エリア〉の中でも聞いたことくらいはあるでしょ?〈十天〉が集まる円卓会議……今回アタシが負けた件を報告しないといけないと思うと、ちょっとね」


 日向の表情が曇る。それもそのハズだった。


 ――〈十天円卓会議サミット〉。世界を牛耳る世界上位十名――〈十天〉が円卓に集い、不定期で行われる会議。そして、〈十天〉は異能戦において一度でも敗北すれば、〈十天〉の資格を剥奪されるとのことらしい。日向が杞憂きゆうするのはその点だろう。


「ああ、『異能戦で一度でも負ければ〈十天〉剥奪』って規則か。だが実際のところ、推測になるが日向は異能戦で負けたわけではないだろ?」


「アンタ……お見通しなのね。そうだけど、そもそも歴史上〈十天〉が負けるなんてことがなかったから……どうなるのかわかんないのよね。大丈夫だとは思うんだけど」


「テキトーに誤魔化せないのですかな?」


「無理よ。〈十天〉に下手な嘘なんて通用しないわ。元々正直に告白するつもりだったしね」


 気付けば太鼓の音が止んでいた。賑わう観衆の注目は、櫓の頂上に立つ一人の黒髪の女に向けられていた。


『――あー、あー、ちょっとみんないいかァ?』


「巽?なんだ?」


「どうしたんだ?」


 騒めき立つ観衆。俺たちも、自然にその長い黒髪の女に視線を向けていた。その女――竜ヶ崎巽はマイクを持って、〈神屋川エリア〉の住民たちに向け、言葉を届ける。


『悪ィ。色々考えたんだけどよ、アタイにはやっぱ無理だァ……』


「何の話だ?」


 顔を見合わせる観衆たち。天音が不思議そうに口を開く。


「竜ヶ崎さん、どうされたのでしょう?」


「まさか……」


『みんな聞いてくれ。アタイは――』


 竜ヶ崎は言葉を継ぐ。


『兄貴――竜ヶ崎龍を倒してねェんだ』


「えっ……どういうこと?」


「巽がやったんじゃないのか?」


「じゃあやっぱり日向様が?」


 竜ヶ崎の言葉に観衆たちは驚きを隠せない様子だった。俺は、頭を抱えて櫓の頂上に立つ黒い軽装の鎧に身を包む女――竜ヶ崎巽をにらみ付けた。彼女の黄色い双角がバックの月光に映える。


「あんの馬鹿女……」


「へへ、あの子だけはアンタの思惑通りには動かなかったみたいね?」


 日向が八重歯を覗かせて、俺の顔を覗き込む。


「日向……なんでちょっと嬉しそうなんだ」


「えー?べっつにー?」


「巽らしいのだ。ボクの親友は……誰よりも真っ直ぐなのだ」


 手毬だけが、その女を誇らしげに見つめていた。夜空に浮かぶ満月が、その横顔を美しく照らしていた。

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