1-34 ロン
「――せつくん!」
「――雪渚氏なら勝てますぞ!」
背後から天音や拓生の声が聴こえる。その声が、俺の繰り出す拳に更に力を乗せる。竜ヶ崎龍も、負けじと拳を繰り出し、三度、拳が衝突する。
「「「勝て……っ!勝て……っ!」」」
そうロータリーから声援を投げ掛けるのは、〈竜ヶ崎組〉の構成員たち。最早、竜ヶ崎龍を応援する者等、その場には誰もいなかった。
「憐れな王だな……。十六年間この〈神屋川エリア〉に君臨していたお前よりも、ぽっと出の俺が応援されるとは」
「貴様も限界だろ……ッ!何故……何故倒れねェ……ッ!?」
「お前なんかに負けるわけにはいかないんでね」
お互いの蹴りが激しい衝撃音と共に交差する。〈竜ヶ崎組〉の事務所、その二階だった場所の床には、雨が激しく打ち付けていた。
「俺様は貴様を常に『一だけ』上回るんだよッ!骨折していようともなッ!最後には俺様が勝つんだ……!これは不変の真理だ……ッ!」
「今から変わるんだから不変じゃねーよボンクラ」
――そう発すると同時に、俺が突き出した拳――。その拳に、鈍い痛みが走る。
ポタ、ポタと、濡れた床に鮮血が滴る。目線を竜ヶ崎龍へと戻すと、その男が、何かを俺の拳に突き出している。霞む視界の中、目を凝らす。俺の拳に短刀――ドスが刺さっていた。
――コイツ……隠してやがったのか……!
「――せつくん!」
視界の端に映る天音が、明らかに動揺した様子で声を掛ける。状況を理解した観衆が騒めき立つ。
「俺様をここまで追い詰めたのは貴様が初めてだ……!褒めてやるよ夏瀬雪渚ァ!」
「……母親に褒められるくらい嬉しくねーな」
――クソが。超痛え。
その隙を待っていた、とばかりに竜ヶ崎龍の強烈な膝蹴りが腹を穿つ。宙に浮き、無防備になった俺の身体。竜ヶ崎龍は、その場に跳び上がって身を丸め、激しく回転し始めた。
――コイツ……何を……。
床に激しく打ち付けられる俺の身体。――その瞬間、回転の勢いを乗せた竜ヶ崎龍の、メテオの如き蹴りが俺の背中に凄まじい一撃を加えた。
――ローリングアタック……!
「が……ッ!」
「沈めや!三下!」
――これが偉人級異能、〈帝威〉――全てにおいて相手のステータスを『一だけ』上回る異能……。
すると、薄れゆく意識の中、観衆の方角から、聞き覚えのある女の声が聴こえた。
「――もうやめろ!雪渚ァ!」
――この声は……。
「巽!喋ると傷が開くのだ!」
「――手毬!いいんだよそんなこたァ!おい雪渚ァ!もうやめろやァ!言っただろうがァ!『兄貴には絶対に勝てねェ』ってよォ!」
「そ、そうなのだ!そんなに傷だらけで!雪渚がボクたちのために戦ってくれた――それだけでボクたちは嬉しいのだ!」
「元はと言えばアタイが解決すべき問題なんだァ!お前のお陰で兄貴も無敵じゃねェって希望が見えたァ!だから……!もうやめてくれよォ……!」
涙を目に浮かべる竜ヶ崎や手毬。その姿は、激しく降り注ぐ雨の中でも不思議とくっきり見えた。
「ハハハ!愛する妹が俺の勝利を確信しているんだ!『お兄ちゃん』として勝ってやらなきゃなァ!?」
「屑の数え役満が……」
背後で何か、竜ヶ崎や手毬を諭す、柔らかい声が聞こえる。これもまた、聞き覚えのある声だ。
「――竜ヶ崎さん、手毬さん、大丈夫ですよ」
「メイド女ァ……!お前……仲間があんな傷だらけになってんだぞ!止めるべきだろォがァ!」
「……せつくんが刺されたことには一瞬動揺しましたが、私がせつくんの勝利を疑うはずがありません」
「そうですぞ!小生が尊敬するばあちゃんが尊敬する人は!世界一偉大な人だと聞かされてますからな!」
「「勝て……っ!勝て……っ!」」
「「負けるな……っ!!」」
構成員たちの声援に、いつの間にか〈竜ヶ崎組〉・幹部――李蓬莱の声も混じっていた。俺の勝利を心から願うような、そんな、悲痛な声援。
「……李女史!」
「やっと組長を殺せるかもしれない人が現れたアル……!申し訳ないアルが……死んでも勝ってもらうアルヨ!」
「――そうだ!夏瀬雪渚!組長をぶっ殺せ!」
「――倒れてんじゃねーぞ!!」
李蓬莱を含む、〈竜ヶ崎組〉の構成員たちも、長きに亘る竜ヶ崎龍の独裁政治から解放されることを心から望んでいた。彼らにとって、やっと見えた一筋の光明――それが俺だったのだ。
「李まで……!馬鹿共が……!貴様らは俺様に一生支配されるだけの道具だと忘れたか!?」
竜ヶ崎龍は俯せに倒れる俺の背中を強く踏み付ける。怒りからか、その力が徐々に強まってゆく。その度に、全身に痛烈な痛みが走る。
「まァ構わねェ……!この三下を殺した後に!馬鹿共には死よりも恐ろしい恐怖を与えてやる……ッ!」
「訪れない未来の話してんじゃねーぞ。箱庭の王気取りが」
「ハッ……!貴様こそ主人公気取りの憐れな負け犬だろうが……!」
「――おい!竜ヶ崎!」
ボロボロの身体に鞭を打ち、力を振り絞って声を張り上げる。長い黒髪の女に向けて。
「勝つから心配すんな」
「雪渚ァ!でもよォ!」
「『やってみなきゃわかんねえ』っつったろ」
全身を骨折した状態の竜ヶ崎龍が疾うに限界を迎えていることは、誰の目にも明らかだった。しかし、竜ヶ崎龍は狂気とも言える、その常軌を逸したプライドだけで拳を振るっていた。
――俺の身体も限界が近い。お互いあと一発ってところか。
「『やってみなきゃわからねえ』……だと!?ほざくなよ三下が……ッ!〈帝威〉の異能がある以上、俺様に敗北はないッ!?この状況こそがその証左だろうが……ッ!」
俺の背中を踏み付ける力が、更に強まる。全身に痛みが走る。
「お前の異能……全てにおいて相手のステータスを『一だけ』上回る異能だったな?」
「反省会には早いんじゃァねェか!?だがまァ、勝敗は明らかだけどな……!」
「例えば低性能のPCに最新の高性能のグラフィックボードを積んでもその真価は発揮されない」
「何を言っている……?」
「俺の頭脳はカンストしてんだ。上はねえよ」
「馬鹿が!まだほざくか!?」
「お前じゃ使いこなせねえっつってんだよ」
「俺は地頭はいいんだ!俺様に使いこなせないはずがあるか!」
「地頭がいい、ってのは馬鹿が自分を励ますための言葉だろ」
雨音が五月蝿いほどに響いていた。決着の刻が、刻一刻と迫っていた。
「「「勝て……っ!勝て……っ!」」」
「「「負けるな……っ!!」」」
観衆の声援が更に白熱する。状況だけを見れば、勝敗は明白だった。床に俯せに倒れる俺と、それを踏み付ける竜ヶ崎龍。しかし、観衆が願うのは、竜ヶ崎龍の勝利ではなかった。
「――巽!お前は『お兄ちゃん』が逃がしやしねェ!お前は一生!俺を殺すために俺に金を貢ぎ続けろ!」
「屑が」
「沈め……ッ!」
遠方から、カンカンカンカンカンカン――と、連続して金属に何かが当たるような音が微かに聴こえる。雨音の中、その音が、徐々に大きくなる。
「――さあ、決着だ」
「あァ!?」
『掟:自らの勝利を疑うことを禁ず。
破れば、その者は敗北する。』
――その金属音が直ぐ真後ろまで迫ったときだった。プレハブの街から飛来した、凄まじい勢いで迫る、小さな「何か」が、竜ヶ崎龍の脳天に直撃した。
「――なッ!?」
まるで、銃弾で撃ち抜かれたような、凄まじい衝撃音。竜ヶ崎龍は、その場に背中から倒れ込んだ。その床に転がっていたのは、一発のパチンコ玉だった。
「『ロン』だな」
突然の出来事に、何が起こったのかわからないと言った表情を浮かべるロータリーに集まる面々。俺は最後の力を振り絞って立ち上がる。見下ろす竜ヶ崎龍は――気絶していた。全身骨折した状態で激闘を繰り広げていたのだから無理もない。
――後方、その階下のロータリー。付近のプレハブ住宅の屋根からその様子を静観していた〈十天〉・第七席――日向陽奈子が目を丸くして、一人呟いた。
「あのパチンコ玉……さっき街に飛んで行った……!あいつ……どこまで計算して……!?」
――日向の言う通りだ。最初に、壁の穴から明後日の方向に撃ったスリングショット――。そのパチンコ玉は、プレハブの街の中、プレハブ住宅の壁を反射し続け、最後にここに戻ってきた。要するに跳弾だ。
――当然、どの角度にどの強さで撃ち込めば、また、竜ヶ崎龍がその時間にその位置に立つよう誘導して、という計算の上だ。
俺はズレた眼鏡をクイッと持ち上げ、後方、階下のロータリーへと振り返って、合図を送るかのように頷いた。
「――雪渚氏の勝ちですぞ!」
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」」」
「「「っしゃぁぁぁあぁああぁぁぁあぁああぁぁぁあぁあぁぁぁあああぁ!!!!」」」
涙ぐんで歓声を上げるスーツ姿の構成員たち。俺は彼らへと歩み寄ろうと、ふらつきながら足を進めた。階下へと飛び降り、ロータリーへと着地する。あまりの全身の痛みに、事務所の壁に凭れ掛かって座り込んだ。
すると、恭しく頭を垂れる天音や、大袈裟に大号泣する拓生――そして、手毬や日向、傷だらけの竜ヶ崎を筆頭に、大勢が俺の下へと集まってくる。いつの間にか空は、先程までの雨がまるで全て嘘だったかのように晴れ渡っていた。
「せつくん、お見事でした」
「雪渚氏!やりましたな!」
「ああ……。おい構成員共。組長縛っとけ。また起き上がってももう俺は戦えないぞ……」
「「「承知しました!!!ボス!!!」」」
二階へと上がってゆく構成員たち。遠方で様子を見守る李蓬莱を残して、彼らは息巻いて事務所の中へと入っていった。
「……ボスじゃねえよ」
「現実……なのだ?」
「手毬さん、現実ですよ。竜ヶ崎龍は――敗北しました」
「……雪渚ァ。お前……アタイのために……そんなにボロボロになって……」
陽光の中、潤んだ竜ヶ崎の赤い瞳が照らし出される。その表情には、感謝の色が滲んでいた。
「お前のためじゃねーよ。俺が気に食わなかったからやったことだ。……それより疲れた。勝利の余韻に浸らせてくれ」
「そ……そうかァ……」
黒いスキニーパンツのポケットに手を伸ばすと、お望みのその白い箱は、びしょ濡れになっていた。蓋を開けると、十本入っていたハズのそれが、全て水に濡れて使い物にならなくなっていた。
「せつくん、煙草ならこちらに」
「お、ありがとう」
天音がそっとボックスタイプの煙草の新箱を差し出す。それを受け取り、オイルライターで点火する。肺に含む煙が、妙に心地良い。燦々と輝く太陽へと、吐き出した煙が立ち上ってゆく。そんな中、日向が、突然口を開いた。
「夏瀬……アンタ……。最後のパチンコ玉……最初に撃ったヤツでしょ?」
――この女、あのスピードのパチンコ玉を目で捉えていたんだな。なんつー動体視力だ。
「日向女史!パチンコ玉ですと!?」
「跳弾……というわけですか。竜ヶ崎龍を誘導し、プレハブの街を跳ね……戻って来たパチンコ弾が命中するように戦っていた……という理屈でしょうが……」
天音が神妙な面持ちで呟く。天音の前髪の右側に着けられた、X字型の黒いヘアピン――所謂、ばってんヘアピンが美しく陽光を反射した。
「ああ。まあ要するに俺はそれまでの時間稼ぎをしていた……ってところだな」
「軌道や反射を戦闘の中で計算して……?いやいやいやいや……人間業じゃありませんぞ……雪渚氏……」
ドン引きした様子の拓生。すると、日向が不思議そうに疑問を呈した。金髪のツインテールからグラデーションになった、桜色の毛先が優しい風に靡く。
「ちょっ……待ってよ。跳弾は反射する度に威力が落ちるんじゃないの?」
「あー、〈十天〉って馬鹿もいるんだな」
「な、なによ!悪い!?」
ヘソ出しファッションのギャル風の女――日向陽奈子は顔を赤らめて照れた様子を見せる。こうして見ると、顔の造形が整っている。
ギャル系雑誌――女性向けファッション雑誌・『meg』の専属モデルを務め、SSNSのフォロワー数は世界最多の四億人――これは世界総人口十一億人の三分の一以上を占める――という通称「#ぶっ壊れギャル」のスーパーインフルエンサーというのも頷ける。
――そして、日向が言及した、通常、「跳弾は反射する度に威力が減衰する」という理論は強ち間違いでもない。
「日向女史……雪渚氏が撃ったのは銃弾ではありませんぞ。スリングショットによるパチンコ玉ですぞ」
「えっと……それで何か変わるの?アタシ全然わかんないんだけど」
「そうだな……。まあ通常時はそうだ。跳弾は反射する度に威力が減衰する」
「ほら!そうでしょ!?」
「だが連続して反射させることで逆にエネルギーを得て加速する場合がある。細かい説明は省くが、プレハブの住宅の中でも反発係数の高い金属外壁や鉄骨フレームを狙って、かつ、威力が減衰しづらい浅い角度で街中を反射させ続けた。その結果がこれだな」
「いや……現実味がないんだけど……」
「日向女史……だから小生らは驚いているんですぞ……」
「アイツの慢心を利用して……意識外からの攻撃をするしかなかったんだ」
――俺が最初に撃ったパチンコ玉は、事務所の壁の穴からプレハブの街中に飛び出し、プレハブ住宅の壁に連続して反射することで、最終的に竜ヶ崎の脳天に直撃するよう計算した。
――雨で外に人が少なかったことと、先程メガホンによる拡声で人払いをしていたのが功を奏した。パチンコ玉の弾道に一つでも障害物があれば全ての計算が狂い、この策はきっと通じなかった。
ふと、遠方から羽ばたきの音が聞こえた。見上げれば、一羽の鳥が蒼穹を切り裂くように舞い上がり、陽の光を背にして悠然と飛び去っていく。
それはまるで、自由の象徴――俺の勝利を祝うように、空の彼方へと消えていった。
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