1-32 ワンサイドゲーム
「……夏瀬……アンタ……何者なの……?」
「……さあな」
背後で蹲る日向が目を丸くしてこちらを見つめている。程なくして、罅割れから天井が崩れ、男は瓦礫と共に落ちてくる。空いた天井の穴から黒い雲が覗く。瓦礫の中から姿を現した金髪のオールバックの男を、雨が激しく打ち付けた。
その大柄の男は、瓦礫の中からゆっくりと立ち上がり、床に血が混じった痰を吐いた。そして、サングラスを通して、俺の姿を血走った目で見据えている。
「猪口才な……っ!俺様が誰だか理解した上での狼藉か?」
男は羽織っていた白いスーツを脱ぎ捨てる。太い左腕と背中にかけて彫られた龍の刺青が覗き、照明を反射して妖しく光る。
「箱庭の王気取りの癌だろ?」
黒いスキニーパンツのポケットから即座に〈エフェメラリズム〉とパチンコ玉を取り出し、棹を左手で握り締め、右手でゴム紐を引っ張る。右手を離すと同時に、パチンコ玉は男の脳天を目掛けて勢い良く射出された。
――かと思われた。竜ヶ崎龍はそのパチンコ玉を指の間で挟み、そのまま砕いた。破片がパラパラと床に舞い落ちる。
「こんな軟弱な攻撃で俺様を殺せると?」
「プレス機かお前の指……」
「意識の内にある攻撃は通用しないと思え」
「俺のアッパー喰らって血反吐吐いてたのってお前じゃなかったっけ?」
「馬鹿が……!『喰らってやった』ンだろうが……ッ!」
「お前ほどは馬鹿じゃねえよ」
「貴様は俺様の逆鱗に触れた……ッ!」
刹那、瞬間移動したかのように集中線と共に眼前に迫り来る男。男が振りかぶったその大きな拳に、俺の右の拳を合わせる。衝撃音と共に、拳の骨に軋むような痛みが走る。
「逆鱗……?龍だけに、ってか?」
雨が降る。ザーザーと、ザーザーと。その雨は止む気配を一向に見せない。血で濡れたその一室に雨が降り注ぎ、二人の血が床に滲んでゆく。
「舐めるなよガキが!貴様如きに何が為せる!?」
「――害虫駆除?」
「――ッ!抜かすな……ッ!!」
サングラスを掛けた金髪オールバックの男――竜ヶ崎龍が俺の頬に拳で打撃を喰らわせる。俺は痛みに耐え、歯を食い縛ってその男の頬を殴打する。パンチにキックの応酬、超絶怒涛のインファイト。両者、一歩も引かない。そんな互角の戦いだった。
――俺は、特別喧嘩が強いわけではない……と思う。だから拳を打ち出す角度、タイミング、有効性――あらゆる要素を瞬時に計算して攻撃を繰り出すだけだ。
「――ガキが……!俺様に楯突くなんざ百年早ェ!」
「くっ……!いい歳して一人称が『俺様』なの痛すぎるぞお前」
「傷んでいるのは貴様の肉体のように見えるがな……ッ!」
竜ヶ崎龍は額に青筋を立て、凄まじい勢いで猛攻を繰り広げている。俺も負けじと拳を繰り出す。俺の背後で蹲る金髪ツインテールの女、〈十天〉・第七席――日向陽奈子は息を呑んでその様子を見守っていた。
――神話級異能、〈天衡〉について過去四度の戦闘で判明したこと。一つ、条件は敵を両の眼で視認すること。一つ、直接的な死は罰として指定できない。一つ、掟が課されるのは自身と相手の二者間。
俺は竜ヶ崎龍が繰り出す拳に対応しながら、しっかりと、傷だらけの竜ヶ崎龍を視界に捉えた。そして、脳内で掟を定める。
『掟:他者に暴力を振るうことを禁ず。
破れば、全身が石化する。』
――無力化してこの男に、住民たちへ頭を下げさせる。
掟を定めると同時に、俺は拳を引き両手をぱっと開いた。無抵抗の状態となった俺。竜ヶ崎龍は一瞬、怪訝そうな表情を浮かべるも、繰り出す拳を止めることはなく、その拳は俺の左胸に直撃した。心臓が破裂したかと思うほどの、凄まじい衝撃が全身を走る。
――瞬間、金髪オールバックに筋骨隆々の男――竜ヶ崎龍の身体が、まるで石像のように動かなくなった。まるでメデューサに魅せられたかのように、文字通り石になってしまった。
「……終わったか」
「……石化……したの?」
日向が赤く腫れた腹部を摩りながら、ゆっくりと立ち上がった。その表情には困惑の色が滲んでいる。すると、日向が目を丸くして、驚きの声を上げた。
「――夏瀬っ!後ろ!」
――車に轢かれたのような、衝撃。俺の身体は後方に吹っ飛ばされ、壁に激突した。ぱらぱらと、壁が毀れる。壁には大きな罅が入っていた。
「石化……?だったらなんだ?舐めるなよガキが……!」
――痛え。マジかコイツ。石化を解いただと……?
壁に凭れ掛かったまま、背後の罅割れた壁を肘で小突く。すると、壁がガラガラと崩れ、プレハブの街並みが覗いた。再び〈エフェメラリズム〉とパチンコ玉をポケットから取り出し、その空いた穴に向かって思いっ切りパチンコ玉を射出した。
パチンコ玉は当然、竜ヶ崎龍とは真反対――プレハブの街並みに向かって――即ち、明後日の方向に勢い良く飛んでいった。
「……ちょ!夏瀬、アンタ……どこに撃って……!」
「はっ、頭を打って錯乱したか?何処に撃ってる?」
ザーザーと降り頻る雨が、ロータリーのアスファルトを激しく打ち付けていた。気絶しているのか、ロータリーの路上に倒れる沢山の構成員たちは、目を覚ます様子はない。
「……日向。逃げてろ」
「逃げないわよ。なんでアンタの指図なんか――」
「――表現が悪かった。邪魔だ」
俺はゆっくりと立ち上がり、ポーカーフェイスを保ったまま、日向に告げた。日向は生唾をごくりと飲み込み、大人しく従う様子を見せた。
「……っ!……わかったわ」
日向は諦めたようにそう言うと、背後の壁に空いた穴からロータリーへと飛び降りた。その様子を目の端で見届け、再度、竜ヶ崎龍と目線を合わせる。
「他人の女を勝手に逃がすとはどういう了見だ?」
「お前じゃ釣り合わねーだろ」
「抜かすな……ッ!どんな女も俺様への恐怖には抗えない!」
――何故掟が通用しない……?コイツの異能か?……いや、断定するにはデータの母数が足りない。もう一度試すか。
『掟:怒声を上げることを禁ず。
破れば、全身を骨折する。』
「学生時代モテなかったのか?恐怖で支配しなければ女を抱けないか」
「随分と回る口だなァ!?」
そう筋骨隆々の大男が怒号を上げた瞬間、バキバキッ――と、痛々しい音が雨音に混じって室内に響いた。
「ぐっ……!」
全身の複雑骨折――到底立っていることすら困難なはずだが、竜ヶ崎龍は僅かに苦痛に顔を歪めただけで、直ぐに何かを確信したように、にやりと口角を上げた。
「はっ……理解した。貴様の異能……戦闘中のルール……規則……掟を定める。――そんなとこだろ?」
「どうだかな」
「――死ねや」
――刹那、急速に俺との距離を詰めた竜ヶ崎龍の膝蹴りが、俺の腹に直撃する。
「が……はッ……!」
――コイツ……全身の骨が折れた状態で……!
俺の身体が、身を任せるようにして床に倒れ込む。見上げると、竜ヶ崎龍は右手に沢山のパチンコ玉を掴み、掌の上でコロコロと転がしていた。
――膝蹴りと同時に抜き取ったのか……。
男は、沢山のパチンコ玉を床にばら撒き、その上にそっと足を乗せた。沢山のパチンコ玉が、その圧力で破壊された。その男が足を上げると、そこには銀色の粉末だけが残っていた。
――パチンコ玉を踏み潰して破壊するのは通常の人間の力であればまず不可能だ。パチンコ玉は炭素鋼やステンレス鋼等の高硬度の金属で作られている。それに加えて球形のため、力が均等に分散されるハズだが……。
俺が立ち上がろうとすると、竜ヶ崎龍の的確な回し蹴りが俺の頭を捉えた。頭が揺れる。再び飛ばされ、壁に激突する。全身を凄まじい衝撃が伝う。
「弱い。話にならんな……!その程度でよく俺様に刃向かったモンだな……!」
――何故掟が通用しない?複雑骨折した状態でのこの身の熟し……これは気力で補っていると考えるしかない。
――だとすれば石化の罰も気合いで解いた?馬鹿言うな……。
「事務所の玄関に貴様の首を飾ってやる……!覚悟しろ……!」
――いや、違う。俺が温かった。
透かさず〈エフェメラリズム〉を手に取り、ポケットに仕舞っていたモノと共にゴム紐を引っ張る。手を離すと、それは勢い良く男のサングラスに命中した。サングラスの片側が割れ、その破片と共にそれは竜ヶ崎龍の右の眼に強烈な一撃を喰らわせた。
「……なっ!?」
その隙に立ち上がり、後ろ回し蹴り――金髪オールバックの男の項を狙って蹴りを喰らわせる。そのまま男は、前方に頭から倒れ込んだ。
「貴様……ッ!」
男は即座に立ち上がった。その右の眼からは、どくどくと血が流れている。お互いの身体は、既にボロボロだった。一瞬の静寂の中、竜ヶ崎龍は口を開く。
「貴様のパチンコ玉は全て破壊したハズだ……!何処に隠し持っていた……!?」
「パチンコ玉じゃねーぞ、それ」
床に転がっている、血が付着した「それ」に目を向ける。「それ」は――赤い字で「中」と彫られた、一枚の麻雀牌であった。
「そうか貴様……下の階で拾って隠し持っていたか」
『掟:他者に暴力を振るうことを禁ず。
破れば、自らも同じ傷を負う。』
――掟は両者に課される。相手だけが不利になるような半端な罰ではダメだ。俺も罰を受ける覚悟でぶっ叩くしかない……!
「――和了らせてもらうぞ」
再び、お互いが殴る蹴るの乱打戦。その度に両者が掟によってその分の傷を負う。近接格闘――インファイトは加速する。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――時は少し遡る。その階下では、〈神威結社〉所属の商人――御宅拓生と〈竜ヶ崎組〉・幹部――李蓬莱による戦闘が始まるところだった。
「主人を逃がす男気……好ネ」
御宅拓生は、階段を駆け昇る夏瀬雪渚を視界の端で見届け、赤いチャイナドレスに身を包む〈竜ヶ崎組〉の幹部――李蓬莱と全自動麻雀卓を挟んで対峙していた。
「す、すんなり逃がしてくれましたな……?」
「無問題アル。ボスが負けるは有り得ないアルヨ」
脚がガクガクと震える。その震えを必死で押さえるも、止まる気配はない。眼前に立つ糸目の女――李蓬莱は、細い目の奥で不敵に笑っているように思えた。
「止まってくだされ!止まってくだされ!」
――怖い。逃げたい。小生は飽くまで商人。本来、戦闘は専門外ですぞ……。
「怖いアルカ?逃げたいアルカ?」
「…………っ!」
「豚一人逃がしたところで何ら影響はないアルが……ボスの命令アル」
――いや、雪渚氏や天ヶ羽女史の役に立つと決めましたぞ。腹括って、やるしかありませんぞ。
李は、片脚を高く上げ、片脚立ちの姿勢を執った。両手を開いて構える。中国拳法・功夫の構えだ。
「――死ねアル」
瞬きの間に、李は軽やかな身の熟しで全自動麻雀卓を蹴り飛ばし、小生の腹を突き上げるようにボディブローを喰らわせた。
「ぐふぅ……っ!」
――痛い。痛すぎる。
続け様に李は、小生の頭を目掛けて回転蹴りを放った。直撃したその左脚の威力に、抗うこともできずに吹っ飛ばされる。壁に激突――衝撃が全身を伝う。
「ぐわぁ……っ!」
壁に凭れ掛かる小生へ、余裕綽々といった様子でゆっくりと歩み寄ってくる李蓬莱。その糸目の女は、窓の外の黒い雲も相俟って、酷く不気味に映った。
「来いヨ豚サン。準備運動にもならないアルネ」
「ま、まだですぞ……」
ボディブローの痛みと恐怖で震える身体を必死に押さえ付けながら、その肥満体の大きな身体を何とか起こす。小生の頭はフル回転し、必死に解決の糸口を探る。
――組長は……雪渚氏が必ず倒してくれるハズですぞ。であれば小生は……勝てなくとも……時間稼ぎを!
咄嗟に何もない虚空から一つの黒い、掌サイズの筒を取り出し、ピンを抜き、足下へ投げた。小生と李の間の床に着弾したその筒――発煙弾が、モクモクと白い煙幕を張る。
「――!?煙幕……アルカ!」
――この隙に!
李の背後と思われる場所まで音を殺して移動し、全身を使ったタックルを放つ。――かと思われたのも束の間、小生の腹に再び、強力なボディブローが入った。
「……ぐふ……ッ!」
あまりの痛みに耐え兼ねて、膝から崩れ落ちる。煙幕が晴れる中、李の姿が露わになった。
「――考えが浅いアル」
「どうして……位置がわかったんですかな?」
「ワタシは生まれつき目が見えないアルヨ。大した問題ではないアル」
「異能……というわけですかな?」
「豚サンの力は見切ったアルから言ってもいいアルネ。ワタシの異能――上級異能、〈香薫〉……百キロメートル先の微かな線香の匂いすら嗅ぎ分けるアル」
「上級異能……でありますか……」
――小生は階級が一つ高い偉人級異能でありますが……異能の階級が強さに直結するわけではありませんな。小生のウィルソンは亜空間にモノを収納して持ち運ぶ異能……決して戦闘向きではありませんぞ……。
「案外驚いてないアルネ。豚サンは上級か……偉人級か……否、関係ないアルネ」
――人は本来、得る情報の八割を視覚から得ている。しかし、盲目の人は、その視覚情報を他の聴覚情報や嗅覚情報に頼る分、その感覚が鋭敏になることも珍しくない。
――盲目の李女史は更に嗅覚特化の異能……。鼻腔に纏わりつくような嫌な白煙の中から、動き回る小生の匂いを的確に探り当てた……。この人に対して……逃げ隠れは通用しませんな……。
「底も知れたアル。終わらせるアルヨ」
そう李が言葉を発するのと同時に、虚空からスパイクシールド――複数の棘が生えた円形の盾を取り出す。
功夫の構えから、次々へと的確に攻撃を繰り出す李蓬莱。その拳に必死に盾を合わせるも、李はそれを読んでいたかのように盾を避け、攻撃を身体に当ててくる。
「ぐっ……は……!」
「――次……次……次はここアルネ」
ぶつぶつと呟きながら連撃を繰り出す李。その度に、小生の身体の傷が増えてゆく。
「どのタイミングでどの部位に攻撃すれば勝てるか……そういう『弱点』すら嗅ぎ分けられるアル。防御しても無駄アル」
「うぐっ……!うっ……!」
――強すぎる。「弱点」すら嗅ぎ分けるほどの嗅覚に、洗練された武術のセンス。戦うことを生業とする女……小生では、勝てるハズもありませんな……。
「その盾……邪魔アルネ」
素手で払い落とされるスパイクシールド。カラン、と虚しく音を立てて床に転がる。その直後、風を切って一歩前に踏み出した李の拳が、的確に左胸を捉える。瞬間、心臓に大きな負荷が掛かり、その場に倒れ込んだ。
「が……は……ッ!ああっ……痛い……痛いですぞ!」
「惨めアル。結局、弱者は強者に支配されるだけアル」
――身体が動かない。次元が違う。勝てるハズもありませんでしたな……。
呼吸が荒い。一方的なまでの、ワンサイドゲーム。横綱相撲。完膚なきまでの敗北――その絶望に打ちひしがれる。
「ワタシに立ち向かってきた勇姿に免じて、命だけは助けてやるアル」
そのとき、上階から凄まじい衝撃音が聴こえた。天井か、壁が崩れるような凄まじい衝撃音。その衝撃に、建物が揺れた感覚すら覚える。
――雪渚氏、申し訳ありませんな……。小生、手も足も出ず、勝てませんでしたぞ……。
「組長の援護に行くアル」
背を向けて、赤い妖艶なチャイナドレスをひらひらと揺らしながら、階段へと足を進める李蓬莱。御宅拓生が敗北を喫したその空間に、コツ、コツという白いハイヒールの音だけが響く。
――小生は商人。元より戦闘は専門外。それにしてはよくやった方ですな……。雪渚氏も、天ヶ羽女史も……きっと慰めてくれますな……。
「再見」
「さようなら」を意味する言葉を、傷だらけで仰向けになっている小生に、吐き捨てる李蓬莱。こちらを見ることもなく、ただただ、冷たい挨拶として響いた言葉。
小生は――下唇を噛み締めた。
――情けない。小生は……それで雪渚氏に「仲間」だと、胸を張って言えるのですかな……!?
小生は、虚空から取り出したマジックハンドを伸ばし、彼女の赤いチャイナドレス――その裾を掴んだ。そして、自分を誤魔化すように、勇気を振り絞って、告げた。
「ここからが……王道逆転展開ですぞ……!」
評価(すぐ下の★★★★★)やブックマーク等で
応援していただけると執筆の励みになります。
よろしくお願いいたします。




