1-29 十六年戦争
竜ヶ崎が去ったそのプレハブの街の車道の上には、俺と天音、そして拓生だけが立っていた。静観していた天音が重々しく口を開く。
「せつくん……竜ヶ崎さんは……」
「ああ、大体の事情はわかった。が……推測にすぎないからな。詳しい事情を知ってる奴から話を聞きたい。――おい、さっきから俺たちを覗いてる奴、いるんだろ?気付いてるぞ」
すると、背後のプレハブの陰から、羊を模した着ぐるみに身を包んだ金髪の少女が顔を出した。着ぐるみから顔だけを露出した、その奇怪な格好の少女は恐る恐る俺たちの背後に立った。それに合わせて、後方を振り返ると、その少女の目には、明らかな恐怖の色が滲んでいた。
「なんだ、ガキんちょか……」
「ガ、ガキんちょとはなんなのだ!こう見えても立派な二十歳なのだ!」
少女は目を丸くして、地団駄を踏んで憤慨し始めた。その様はあまりに滑稽に思えた。
「はあ?ホントかよ」
「本当なのだ!合法ロリなのだ!ほら……お酒だって飲めるのだ!」
「――合法ロリでありますか!?」
大きな鼻を膨らませながら目を輝かせる丸眼鏡の巨漢――拓生と対照的に、可愛らしく憤慨するその少女――改め成人女性は、懐から焼酎を取り出し、突然それを飲み始めた。
「お、おい」
――羊の着ぐるみを着た、どう見ても十歳程度にしか見えない少女が、こんな朝から焼酎をぐびぐびと飲み干す姿は、あまりにパンチが効きすぎている。どう見てもヤバい画だ。
「この画……大丈夫ですかな!?」
羊の着ぐるみの女は、ぐびぐびと焼酎を飲み干すと、その空き瓶を見せつけ、ドヤ顔で俺たちに告げた。
「ごく……ごく……ぷはぁ。どうなのだ、これでわかったのだ!?」
「焼酎をロックでイッキ飲みは大人とは言えねえよ、ガキんちょ」
「……なっ!?なんなのだこの無礼な歯ギザギザ色眼鏡男は!」
「おっ、『色眼鏡』か。上手いこと言うな」
茶色のレンズが入った金縁の眼鏡をクイッと押し上げて俺は言った。
「ふふ、せつくん。揶揄うのもそこまでにしておきませんか?」
「はは、そうだな」
「貴女は竜ヶ崎さんのお知り合いですか?」
天音が子供に話し掛けるように、中腰で優しく問い掛けると、その着ぐるみの女はエヘン、とでも言わんばかりに腰に両手を据えて、言った。
「そうなのだ!ボクは羊ヶ丘手毬……巽の親友なのだ!」
――巽、竜ヶ崎巽。竜ヶ崎の下の名前だ。
「ほう、ジャストタイミングで事情を知ってそうな奴が来たな」
「……いや、『親友だった』と言った方が正確かもしれないのだ」
「何でもいい。竜ヶ崎の話を聞かせてくれ」
「わ、わかったのだ」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――〈神屋川エリア〉、プレハブ内。羊ヶ丘手毬に案内されたのは彼女の自宅でもある簡素な造りの白く無機質なプレハブだった。
敷布団に小型の冷蔵庫、照明――必要最低限のものだけが雑多に置かれたそのプレハブ内、中央に置かれた小さなテーブルを囲うように、コンパネ仕上げが施されたグレーの床に座った。
「照明も点けずに……お茶すら出せずに申し訳ないのだ……」
「いや、構わない。ああ、申し遅れたな。夏瀬雪渚だ。竜ヶ崎とは……そうだな、殺し合った仲だ」
「……よくわからないのだ。知り合いなのだ?」
「まあそんなところだ。羊ヶ丘、それよりなんだこのエリアは。街全体がプレハブなのか?」
「手毬でいいのだ。……そうなのだ。昔はこんなところじゃなかったのだ……」
「〈竜ヶ崎組〉……か」
「その通りなのだ。十六年前、ヤツらがこの〈神屋川エリア〉を支配し始めてから、ボクたちの生活は変わってしまったのだ」
「手毬さん、支配……とはどういうことでしょうか」
手毬は物憂げな表情を浮かべながら、言葉を継いだ。窓から見える空は、一転して黒い雲に覆われていた。
「〈竜ヶ崎組〉の組長――竜ヶ崎龍はこの〈神屋川エリア〉に生まれ、昔から暴力的な子供だったと聞いているのだ」
俺と天音、拓生は手毬の話に、静かに耳を傾けていた。黒い雲が、プレハブを暗く染めていた。
「竜ヶ崎龍――あいつは十歳で異能が顕現したらしいのだ。そして暴力性は増す一方で……〈神屋川エリア〉であいつに逆らえる人間はいなくなっていったのだ」
――竜ヶ崎龍、か。
「それと同時にあいつは、遂には自分の両親をも手にかけ……殺したのだ。そしてあいつは僅か十歳で暴力団を組織し、蓄えた金の力で瞬く間にエリア全体を城壁で囲ったのだ。当然住民から反対もあったのだ。でも、反対した住民は一人残らず殺されたのだ……」
「それはまた……」
「あいつはボクたちに毎月高額の上納金を納めさせ……管理しやすいように街を破壊しプレハブの街に作り替えたのだ。街中に車道なんて敷かれてはいるものの、結局車なんて〈竜ヶ崎組〉が所有する数台だけなのだ……」
「そんなことがあったのですな……」
「知らないのも無理はないのだ。あの城壁の所為でボクたちは逃げ出したくても逃げられないのだ。情報機器を持つことも許されず……外に情報が漏れることはないのだ」
「その城壁は壊れただろ?」
「無駄なのだ。あいつら――〈竜ヶ崎組〉は地獄の底まで追ってくるのだ。逃げ出したとしても、いずれ殺されるということに一生怯えなければならないのだ」
――正に、「陸の孤島」というわけか。
「逆らったら殺される、ということ以外に〈竜ヶ崎組〉からの実害はあったのか?」
「もちろんなのだ……。あいつらは……あいつらは……っ!遊び感覚で、見せしめとして毎日住民の一人を殺すのだ……っ!それで、上納金を払えなかったボクの両親も……っ!」
――成程。それで「支配」、か……。
手毬は悲痛の涙を浮かべた。手毬は下唇を強く噛み締め、血が流れた。手毬が――いや、〈神屋川エリア〉の住民たちが竜ヶ崎龍を心から憎んでいるということが、痛いほどに感じ取れた。
「先程の竜ヶ崎さんのお話から察するに……竜ヶ崎龍という男は、竜ヶ崎さんの兄妹ということですか?」
「そうなのだ。巽はあいつの妹なのだ。巽は……巽は、ボクたちをその支配から解放しようと十六年間……ずっと戦い続けているのだ」
「千回返り討ちに遭ったと言っていたな」
「そうなのだ。あいつは……金を払わなければ、部下によって門前払い――巽の相手をしてくれないのだ。それで巽は毎回、必死に金貨五枚を集めて、挑んでは大怪我を負い……挑んでは臓器を潰され……もう見ていられないのだ……」
――日本円で五万円……。竜ヶ崎が俺たちから金を奪い取ろうとした理由はそれか。
「そ、そういうことだったのですな……あんまりですぞ……」
「手毬、竜ヶ崎は村の住民たちの代わりに戦ってるんだろ?」
「そうなのだ。〈竜ヶ崎組〉の構成員を除けば、この〈神屋川エリア〉で戦えるのは、上級異能を持つ巽だけなのだ……」
「だとすればどうして住民たちは竜ヶ崎に冷たいんだ?」
「それは……ごめんなのだ。言えないのだ……」
「そうか……」
――九年間もの間、親に支配され、そのことが尾を引いて自殺という手段に逃げた俺と、十六年間もの間、兄に支配され続けてもなお、戦うことを辞めない竜ヶ崎。
――俺にはなかった「生きる意志」。竜ヶ崎にはそれがある。
黒い雲にすっかり覆われた空から、窓に陽光が差し込むことはなかった。暗い、暗いプレハブの中は一時の静寂に包まれた。やがて、ポツポツと、雨が降り始めた。すると突然、近隣のプレハブ住宅からだろうか――赤子の泣き声が微かに聴こえた。
「――オギャー!オギャー!」
手毬が俯いたまま、小さく口を開いた。
「隣の家の子なのだ……。あの子も……殺されるために生まれたわけじゃないはずなのだ……」
雨足が強くなる。ザーザーと降り頻る雨の中、無機質なプレハブの中の空間は、五月蝿いほどの静寂で満たされていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――同時刻、〈神屋川エリア〉の中心地。ロータリーの中心に〈竜ヶ崎組〉の二階建ての事務所が建っている。瀕死の構成員が、ロータリーの車道上に大勢倒れていた。構成員たちのスーツを雨が激しく打ち付ける。
〈竜ヶ崎組〉事務所、二階には日本刀が飾られている。大きなデスクの奥に、金髪のオールバックの大柄の男が座っている。筋骨隆々の上裸の肉体の上から白いスーツを羽織った、強面の男だ。男は煙草を吸いながら、ブラインドの隙間から曇り空を見上げていた。
「ちっ……雨か」
「――組長!」
事務所二階の扉が勢い良く開かれ、びしょ濡れの構成員の男が入ってくる。男は息を切らし、切羽詰まった表情を浮かべていた。
「……何だ?」
「く、組長!〈十天〉です!〈十天〉の日向が!」
「荒瀧が見張りをしていたはずだが?」
「――瞬殺でした!日向に手も足も出ず……っ!」
「それで?日向は今どこに?」
「日向は現在この事務所の遥か上空にいます!組長を誘い出す気かと!」
「まァ問題ねぇよ。住民共に危害は加えられねぇハズだ。派手なことはできまい」
「で、ですが組長!痺れを切らしてこちらに来るのも時間の問題かと!」
「ん?貴様……俺様が女に負けると?」
金髪オールバックのサングラスの男――〈竜ヶ崎組〉・組長、竜ヶ崎龍の顔が曇る。竜ヶ崎龍は吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。眉間に皺を寄せたその表情は、修羅を思わせる。構成員の男はそれを見て、慌てて否定する。
「い、いえ!そんなつもりは――」
刹那、ぐちゃり、と不快な音を立てて、構成員の男の頭が潰れた。竜ヶ崎龍の拳によって爆散した構成員の男の頭は、血飛沫を上げた。頭を失くした男の身体が、床に身体を預けるかのように倒れた。
竜ヶ崎龍は白いスーツの胸ポケットからスマートフォンを手に取った。血腥い臭いが充満した事務所の一室に、呼出音が響く。
『――組長、お疲れ様です』
「おう、計。悪ィが今すぐ戻れ。羽虫が城壁ブッ壊して紛れ込みやがった」
『かしこまりました。おや、ですが荒瀧さんが残っていたはずでは?』
「〈十天〉の日向だ」
『ああ、それじゃ荒瀧さんじゃ無理ですねェ』
「家族を傷物にしやがって許せねぇだろ?」
『ええ、全くですねェ』
「計、李の奴にもすぐ戻るよう伝えておけ。どうも他にも羽虫が入り込んでいるようだ。お前ら幹部はそいつらを始末しろ――害虫駆除だ」
『かしこまりました。瞬で戻りますよォ』
竜ヶ崎龍が電話を切ると、またもその一室の扉が開かれた。長く艶のある黒髪――その頭から二本の黄色い角を生やした、黒光りする軽装の鎧に身を包んだ女が現れた。女の表情は、憤怒に歪んでいる。
「よォクソ兄貴……ぶっ殺しに来たぞォ!」
「誰かと思えば可愛い妹じゃねぇか。金は持って来たな?」
黒髪の女は床に倒れた顔のない遺体を見て、苦悶の表情を浮かべる。直ぐに兄へと向き直り、吐き捨てるように告げた。
「クソが……ッ!今日こそは終わらせてやるからなァ……!」
「早く出せ、金貨五枚だ。二、三回身体売れば稼げる額だろ?出せねぇって言うんならわかってるよな、今日の犠牲となる住民が更に一人増えることになる――」
「――クッソが……ァ!」
バン、とデスクの上に叩き付けられた五枚の金貨。メイプルリーフ金貨にも似た五枚のそれは、照明を受けて煌々と輝いていた。竜ヶ崎龍は黒い革製の椅子からゆっくりと立ち上がり、手をポキポキと鳴らしながら言った。
「よし、『お兄ちゃん』が相手してやろう」
外で雷が鳴った。それと同時に、刹那、室内が暗くなり、竜ヶ崎龍の姿が雷光で一瞬強調される。男のサングラスの奥の目は最早、妹を見てはいなかった。
評価(すぐ下の★★★★★)やブックマーク等で
応援していただけると執筆の励みになります。
よろしくお願いいたします。




