1-2 アンドロイドは異能羊の夢を見るか?
ゆっくりと瞼が開かれる。まず目に映った光景は、知らない天井だった。
「――せつくん……っ!せつくん……っ!」
左手に俺の名前を呼ぶ声。聞き馴染みのある声が響いている。ゆっくりと、その方向へと顔を向けると、案の定、知っている人間の顔があった。その日本人離れした美しい顔は、涙でびしょ濡れになって台無しだった。
「せつくん……っ!せつくん……っ!」
俺の胸に顔を埋めて泣く真っ白のウルフカットの髪型の女。混乱する思考の中で、俺はその人の名前を呼んだ。
「天…………音…………?」
「ううっ……せつくん……っ!うう、うわあああああああああん!!」
豊満な胸を俺に押し付けて泣きじゃくる天音。天音の隣には点滴スタンドが設置されている。俺の身体には無数のチューブが繋がれていた。この場所が病室のベッドの上だと判断するのに、これ以上の情報は必要なかった。
少しだけ落ち着きを取り戻した俺の頭は、必死に状況を理解しようと動き始めた。
――俺は……そうだ。入水自殺を図ったんだ。失敗したのか……?いや、そんなわけがない。確実に死んだハズ……。
「うわああああああああああああああああん!!!」
二人だけの病室に響き渡る天音の泣き声。前髪の右側にはX字型の黒いばってんヘアピンを着けている。よくよく観察すると、天音は何故か、胸元を露出させたメイド服を着ていた。ご丁寧に、頭にレースのカチューシャまで着けて。
「天音……ちょっと待って……」
「ああっ……せつくん!せつくん……っ!」
俺の顔を両手で優しく包み、涙で腫れた両の蒼い眼で俺の顔を見つめる天音。
――この子は……どれほど泣いたんだ。今日だけじゃない。何日も泣いて……いや、それよりもずっと長い期間、泣き続けた目だ。
「天音……ごめんなさい」
「せつくん!本当に……本当に……私……ううっ……」
思うように動かせない右手を、ぎこちなく動かし、天音の白い髪を撫でた。
「ああっ……せつくんの手だ……せつくんの手……っ!」
「――天ヶ羽さん?どうしまし――」
天音の泣き声を聞いてか、天音の背後――病室の白いスライドドアを開けて顔を出すのは、白衣に身を包んだ、黒髪の眼鏡の若い男。
「――雪渚!」
男は驚嘆一色の表情を浮かべ、そしてじわじわと涙を浮かべた。彼は左手で涙を拭って、ゆっくりと歩み寄って来る。
――この男は知り合いだ。それどころか親友――いや、俺にそう呼ぶ権利はない。元・親友としておこう。
「一二三……」
「雪渚……お前……。そうか……色々思うところはあるだろうが、俺は嬉しいよ。お前とまたこうして話ができるとは……。すまない……」
そう断りを入れながら、溢れ出る涙を拭う男――一二三。その隣で、メイド姿の天音が俺の頭をその豊満な胸で抱き締めながら、未だに啜り泣いている。
「ぐすっ……ううっ……」
「雪渚、お前には伝えなければならないことが沢山ある。そうだな……天ヶ羽さんと話したいこともあるだろうが、一度診察室に来てもらえるか。車椅子を用意する」
「あ、ああ……悪いな」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――数分後。患者用のスリッパを履き、看護師の女が持って来た妙に未来的な電動車椅子に乗せられ、俺は左手に掴んだ点滴スタンドと共に、一二三の待つ診察室へと向かっていた。車椅子を押す天音は未だに泣き止まない。
清潔感のある白い廊下では、往来する看護師や他の患者ともすれ違った。彼等は泣きながら電動車椅子を押す天音を見て怪訝そうな表情を浮かべていた。
「ぐすっ……ぐすっ……うぅっ……」
「天音……」
「ごめんなさいせつくん……。私が……私がせつくんをもっとちゃんと支えていれば……せつくんが自殺なんてしなくて良かったんです……。ごめんなさい、ごめんなさい……」
「天音が悪いわけじゃないんだって……」
「せつくん……っ!せつくん……っ!」
――ダメだ。聞こえてないか。
「あ……せつくん、ここが診察室です……」
「あ、ありがとう。――というか天音、なんで敬語なんだ……?」
「せつくん……それはいいんです……。あ、せつくん、段差で少し揺れますよ」
天音が診察室のスライドドアを三回ノックすると、中から声が聞こえる。
「どうぞ」
「失礼します」
天音が丁寧に言葉を返して扉を開くと、キャスター付きの椅子に腰掛ける一二三と、その背後の通路を往来する看護師がいた。ベッドに二つのキャスター付きの椅子、看護師が持ち歩くカルテ――よくある病院の診察室の光景――かと思えば、所々に違和感を感じる。
本来、キーボードと二台のモニターとが置かれているであろうデスクの上には、それらはなく、代わりに、虚空にホログラムディスプレイが投影されている。
――何だ?妙に未来的だな。
「来たか雪渚」
そう声を掛ける男は五六一二三。毛先がウェーブがかった短い黒髪にスマートな印象の眼鏡、端正な顔立ちのこの男は俺の大学時代の無二の親友だ。
「俺を覚えてくれていたことが嬉しいよ、雪渚」
「おう一二三、暫く会ってなかったがお前はやはり医者になったか……ん?」
――いや、それはおかしい。日本で医師になるには、医学部医学科で六年間の教育を受け、医師国家試験に合格して医師免許を取得し、二年間の臨床研修を経て漸く医師だ。つまり最低でも八年間掛かる。これは日本の医師法で定められている絶対不変の事実だ。
「雪渚……」
――海外の医学部を卒業し日本の医師免許を取得する場合や戦時中等の例外はあるが、一二三はそれには当て嵌まらない。
「雪渚……お前が今抱いた疑問だがな。俺がお前に話したい話と密接に関係する」
天音が、空いている方のキャスター付きの椅子の隣に電動車椅子を止め、俺の背後でしおらしく、手を腹部の下辺りの位置で合わせて礼儀正しく立っている。着熟したメイド服も相俟って、まるで屋敷の主人に仕える使用人かのように。
「……わかった。取り敢えず話を聞きたい。あと天音。椅子空いてるだろ、座らせてもらおうぜ」
「いえ、せつくん。私は大丈夫ですから……」
――なんなんだ?天音は元々礼儀正しい子ではあるが、別に俺に仕えているわけでもない。少し歪な関係だが、正式な交際関係にあった彼女だ。
「一二三……天音――ああ、俺の彼女なんだけど、天音はどうしたんだ?」
「そうだな……その話もしなければならない」
ふと視界の端に映ったデスクの上に投影されたホログラムディスプレイ。その右下に表示されている日時。俺はそれを見て目を丸くした。
――十二月一日。マジか……俺が入水自殺を図ったのは二月だ。十ヶ月経ったことになるのか。だが、一二三が医師になっている事実を考えると、下手するともっと……。
眼前の椅子に座る一二三は、覚悟したような表情を浮かべたのち、口を開いた。
「――単刀直入に言おう。雪渚、お前は八十五年間眠っていた」
「は…………?」
――何を言ってるんだコイツは。ずば抜けて優秀な奴だったがいよいよとち狂ったのか?
「待てよ一二三。お前そんなナンセンスな冗談言う奴だったか?」
「その反応が正解だろうな。だが事実だ雪渚。西暦二一一〇年の十二月一日。これが今日の日付だ」
「いやいや……八十五年も経っていたと仮定すれば、お前や天音が俺の知っている容姿のままなのはどういう了見だ?一〇八歳――老衰で他界していてもおかしくない歳だろ」
「何故歳を食ってないのか、という疑問なら俺に関しては……そうだな。俺が高性能なアンドロイドだからだ」
「――一二三お前さあ!」
立ち上がる俺を、背後で佇んでいた天音が慌てて静止する。
「いけませんせつくん!まだお身体も万全ではないのですから……」
その圧に気圧され、天音に促されるがままに再び電動車椅子へと腰を下ろす。
「なんだ?じゃあ一二三、マイハニーもアンドロイドだってのか?」
立てた親指を背後の天音に向けて、そう一二三に言い放つ。一二三の背後の通路、その窓から差し込む陽光が診察室を暖かく照らしていた。
「――せつくん!私はアンドロイドではありません!」
「天ヶ羽さんは当然人間だ」
「……一二三、お前いい加減にしろよ。そりゃお前の頭脳ならアンドロイドの開発くらい造作もないだろうけどな」
「誰が言ってるんだ雪渚。東慶大学医学部次席合格のお前にだって容易いことだろう」
――俺は日本最高偏差値の最高学府・東慶大学に次席で合格を果たした。一次試験の共通テストは堂々の満点、二次試験の各大学別の筆記試験は、ある一問のみ失点し、三席以下に大差をつけて次席合格。まあ自分で言うのもなんだが海外の大学でも余裕で合格できただろう。海外に特に興味もなかったし親から逃げられれば何でも良かったので東慶大学を選んだだけの話だ。
――そして、俺の化物染みた得点率を超えて、一次試験、二次試験、共に堂々の満点。首席合格を果たしたのがこの目の前に座る男――五六一二三である。そもそもが一次試験――共通テストの満点という時点で有り得ない偉業。それを成し遂げた俺たち二人は当時、連日連夜ニュースで崇め奉られたものだ。
「馬鹿、冗談だよ一二三。まあ冷静になって考えれば……お前はそんなくだらない冗談を言う奴じゃない」
「流石に順応が早いな。アンドロイドってのも冗談じゃない。俺は俺の頭脳をフルに使い、肉体改造の果てに不老不死を手に入れたと言うわけだ」
「はー、お前さ、息をするように人類の夢を叶えるよな」
「なに、雪渚にも可能だろう」
「できるか天才が」
「雪渚、実際俺の本業もそっちなんだ。俺は起業して今はそこで最高経営責任者として勤めてる。医者は殆ど雪渚の経過観察のためになったようなもんだからな、医者は副業だ」
「そんな奴いねえって。俺らの東慶大学医学部が泣くぞ」
「ははっ、雪渚。調子出てきたな」
「うるせえよ……じゃあ八十五年経ったってのも、お前がアンドロイドなのもいいとして、天音が老いずに可愛いままなのはどうしてだ?」
振り返ってはいないものの、背後で天音が顔を赤らめて照れている様子が感じ取れた。
「そこなんだよ雪渚。まあ……見た方が早いか。俺の異能だと少し危険か……。山田さん、ちょっと来てもらえるかな」
「あ、はい!五六先生!」
一二三は、通路を往来していた看護師の女を呼び止め、診察室へと呼び寄せた。幸の薄い顔の――悪く言うと何処にでもいるような女性だ。
「山田さん、雪渚――夏瀬さんに君の〈石礫〉を見せてやってくれないか?」
「かしこまりました」
――ストーン?石?いやなんで知らない看護師の女の宝物の石を見てあげなきゃいけないんだ。帰るぞ俺は。
そんな思考の束の間、一二三の隣に立つ看護師は、腕捲りをした右腕を俺の眼前へと伸ばした。傷やシミ一つない綺麗な腕だ。
――何だ?
「雪渚、この看護師さん――山田さんの掌によく注目しててくれ」
「ああ……」
看護師は掌を俺に向ける。すると刹那、俺の髪を掠め、勢い良く何かが俺を横切った。背後のスライドドアに何かがカン、と音を立てて当たる。
足元を見ると、先程までなかったハズの小石がコロコロと、背後から転がって来ていた。小石は、ゆっくりと回転を止め、診察室の床に静かに残った。
「小石……?今、何が……?」
「下級異能の一つ、〈石礫〉。それが彼女の『異能』だよ」
誰も巫山戯て等いなかった。一二三、看護師、そして背後でしおらしく佇む天音に至るまで、皆が真剣な面持ちでその様子を見守っていた。そんな診察室の床に転がる小石を、窓から差し込む陽光が優しく、優しく照らしていた。
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