3-EX1 ペスト医師の第三夜
――〈超渋谷エリア〉。その街には誰もいない。ビル壁面の大型ビジョンに、鳥の嘴のような白いペストマスクを着けた男が映っている。鍔広の黒い帽子、ワックス加工された漆黒のコート、革製の黒い手袋にブーツ、黒のマント――徹底的に露出を避けた格好で、堂々と椅子に座る男。
彼は足を広げ、膝の上で手を組むような形で座っている。椅子に座るペスト医師は、こちらを真っ直ぐと見て告げる。まるで我々に語り掛けるように。
「……また会ったね」
ペスト医師の声音は、モザイクが掛かったか、ボイスチェンジャーを使ったかのような声で、体格から何とか男と判別できる程度だ。
「ああ、何度も穿った見方をしないでくれたまえ。僕はただの新世界の観測者さ」
ペスト医師は一呼吸置いて、再び口を開いた。しかし、ペストマスクに阻まれ、その表情筋の動きを読み取ることはできない。
「突然だが君は、『人を殺すこと』は悪いことだと思うかい?」
静かな街の大型ビジョンに映るペスト医師。ザーッというザッピングのような音と共に、映像が少し乱れる。
「そうだね。悪いことだ。それはこの新世界でも、かつて存在した旧世界でも変わらない」
ペスト医師は酷く落ち着いた様子で淡々と言葉を継ぐ。
「――が、場合によっては『人を殺すこと』が善となる場合もある」
誰もいない街に、ペスト医師の言葉だけが静かに響く。
「例えば戦争。我が国の勝利のために敵を殺せば……それは賞賛される」
新世界の観測者を名乗るペスト医師。彼は何処か暗い部屋にいるようだ。
「例えば死刑。大量殺人などの凶悪な犯罪行為を犯した人間に死刑を執行する――即ち殺す行為は賞賛される」
淡々と言葉を継ぐ彼の顔は見えない。椅子と彼だけが映るその映像は、時々ザーッと乱れる。誰もいない街で、大型ビジョンはその映像だけを映していた。
「結局のところ、善悪なんて判断基準は、人が都合が良いように決めた物事に過ぎないということだね」
ペスト医師の言葉を皮切りに、少しだけ、空気が張り詰める。
「人間はいつだって自分勝手さ。君だってそうだろう?僕もそうさ」
不気味さを放つそのペストマスク――取り付けられたガラスのゴーグルが光を反射する。
「――全ては虚構だよ」
映像が、プツンと切れる。ザーッという音と共に、白と黒が交錯する砂嵐だけが大型ビジョンの中を舞っていた。
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