3-33 社会するドラゴニュート
四月も下旬。時刻は夕方。〈真宿エリア〉の駅前にある雑居ビルの一階――猫カフェ・「にくきゅう日和」は、〈真宿エリア〉の住民たちで賑わいを見せていた。
「竜ヶ崎ちゃん!注文いい?」
「――おォ!待ってろォ!」
「にゃはは~、たつみょん、落ち着いて注文聞いてきてね~」
「おォ!」
竜ヶ崎や猫屋敷がエプロンを着て働く様を眺めながら、俺は膝の上に乗せた猫を優しく撫でる。テーブルの上にはサンドウィッチなどのフードメニューがずらり。床に座って猫たちと戯れていた陽奈子が賑わう店内を見て言った。
「巽ちゃんも随分バイトに慣れたみたいね」
「そうだな。――へくしゅ!」
「……猫好きなのに猫アレルギー……神は残酷ですな……」
「せつくん、マスクをどうぞ」
「あー、天音、ありがとう」
他のスタッフも慌ただしく働いている。少し離れたところでは、ニコが無表情ながら少し興奮した面持ちで、猫を抱き寄せている。
「夏瀬雪渚、ここに定期的に足を運んでも良いというのは真実か?」
「ん?ああ、徒歩数分で来れるしな。好きに来るといい。俺も最低週一では通うつもりだしな」
「だが夏瀬雪渚、〈神威結社〉はそこまで自由で良いのか?私としては、鍛錬や起床、就寝の時間を分刻みで定められても構わないのだが」
「そんなクランにいてもつまんねーだろ。〈神威結社〉は自由至上主義だ」
「でも確かに〈神威結社〉って自由よね、クランって〈陸軍〉ほどじゃないにしろ、結構スケジュール決めて動いてるところが多いわよ」
「そうですな。小生もその想定だったのでありますが、〈神威結社〉に入ってからはいい意味で拍子抜けしましたぞ」
「ここまでクランメンバーの自由を尊重しているクランは〈神威結社〉と銃霆音さんの〈鉛玉CIPHER〉くらいでしょうか。せつくんらしいクランになって、私は好きですけどね」
「うん!アタシも〈神威結社〉の雰囲気好き!」
「そうですな!」
そのとき、微かに奥から声が聴こえてきた。慣れ親しんだ声だ。
「たつみょん、あとは他のスタッフさんに任せてちょっと休憩にしよっか~」
「おォ!――ボォス!」
竜ヶ崎が勢い良く俺に駆け寄ってくる。そして、俺にダイブ。危うく二本の黄色い角が俺の喉元に突き刺さりそうになる。
「――うおっ!危ねーだろ、竜ヶ崎」
「ボス!『なでなで』してくれェ!アタイ頑張ったぞォ!」
「よしよし、可愛い奴め」
膝の上の猫と一緒に、頬を擦り寄せてくる竜ヶ崎の頭を優しく撫でた。少し遅れて、仕事をひと段落させた猫屋敷が俺たちに歩み寄ってくる。そして、俺の向かいの椅子に腰掛けた。
「にゃはは~、お陰様で大繁盛だにゃ~」
「猫屋敷、竜ヶ崎の仕事ぶりはどうだ」
「一生懸命やってくれてて助かるにゃ~。たつみょんのことは任せて~」
「ガッハッハ!猫屋敷はアタイがミスしても殴ったりしねェからいいなァ!」
「にゃはは~、あたしパワハラなんかしないよ~。それにしても、せつなっちがオーナーになってくれたのは大きかったね~」
「雪渚氏が買収すると言い出したときは驚きでしたな……」
そう、この猫カフェ・「にくきゅう日和」。前のオーナーから買収し、この店は事実上、俺の所有物となったのだ。
「〈神威結社〉がバックにいた方が猫屋敷や竜ヶ崎も動きやすいだろ。まあ、実務には大きく関わらないけどな」
「いや~、ありがたいよ~。せつなっちには色々借りができちゃったね~」
「でも彼岸、ホントにタダでいいの?結構楽しんじゃったけど」
「そうですね。前回も猫屋敷さんはお金を取りませんでしたし」
「にゃはは~。恩人の〈神威結社〉からお金取れるワケないにゃ~。〈神威結社〉のみんなはいつでも遊びに来てくれていいよ~」
「それはありがたいな」
「すご!アタシも毎週来ようかな」
「ふふ、いいかもしれませんね」
「……ん?」
ふとプレートフォンを確認すると、一件の不在着信が表示されていた。発信源は――「五六一二三」。
「悪い、ちょっと電話してくる」
「了解ですぞ!」
外に出る。〈真宿エリア〉らしい相変わらずの人混み。俺を見つけて手を振ってくれる者たちも見受けられる。それに片手で応えながら、俺は画面内の不在着信をタップし、折り返す。相手は直ぐに応答した。
『……おう、雪渚』
「ああ、悪い、一二三。ちょっと取り込んでてな」
『そうか、構わない』
「それでどうした?」
『ああ、「五六総合病院」で「ゆっくり飲みにでも行こう」と話して以来、お互い忙しくて時間が取れなかったからな。今夜でもどうかと思ったんだが』
「確かにそうだな。俺も今夜なら大丈夫だ。場所はどうする?」
『そうか。それなら俺がそちらに出向こう。〈真宿エリア〉なら……近くで飲める場所となると〈歌舞姫町エリア〉か』
「ああ、助かるよ」
『よし、じゃあ時間はまたDMで』
「おう」
そうして通話は終了した。再び「にくきゅう日和」に足を踏み入れる。
「雪渚、またつれこま?」
「いや、一二三だった。今夜飲みにでも、ってさ」
「おォ!ボス!アタイもついてくぞォ!」
「……竜ヶ崎女史、ダメですぞ。親友同士の水入らずの時間でありますぞ」
「ふふ、せつくん、たまにはゆっくり羽を伸ばして来られてください」
「雪渚、〈オクタゴン〉のことはアタシたちに任せて楽しんできて!」
「ああ、ありがとう」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――二時間後。日もすっかり暮れ、夜の帳が降りた頃。俺は「にくきゅう日和」から〈歌舞姫町エリア〉へと向かっていた。華やかな服装の若い男女が街を行き交う。色とりどりのネオンライトが鮮やかな光を放っていた。
俺が足を踏み入れたのは、一軒のバー。大人の雰囲気に包まれた、日常に疲れた人々の癒しの空間だ。そのバーカウンターに、白衣に身を包む一人の長身の男が座っている。
「一二三、待たせたな」
その男の隣に腰掛ける。端正な顔立ちの、スマートな眼鏡を掛けたその男――五六一二三は、赤ワインをひと口――そして、言った。
「ああ、構わない。来てくれて嬉しいよ、雪渚」
「――マスター、マティーニを」
「かしこまりました」
バーカウンターの向かいに立つ初老のソムリエは、俺の注文に恭しく返事をした。
「こうして一二三とサシで飲むのも八十五年以上振りか……」
「はっ、自虐できるまでになったか。雪渚」
「まあな。――ああ、そういやニコのプレートフォン、ありがとな」
「ああ、気にするな。大切な親友の仲間だ。それくらいさせてくれ」
「助かるよ」
「……雪渚、随分明るくなったな」
「……ん?まあ……仲間のお陰だよ。蘇った当初はどうしたものかと思ったが、お陰様で楽しくやれてる。今じゃ蘇って良かったとすら思ってるよ」
「そうか。それは何よりだ」
すっ、とソムリエからカクテルグラスが差し出される。透明の液体が注がれており、その中にはオリーブの実が沈んでいる。
「どうぞ、マティーニでございます」
「ありがとうございます」
マティーニをひと口、口に運ぶ。キリッとした味わい。ジンの香りとハーブの苦味、仄かな甘みが口の中に広がった。
「それにしても……雪渚が蘇ってから約半年……雪渚の快進撃は凄まじいな」
「そうか?大したことはしてないけどな」
「いやいや、〈竜ヶ崎組〉の壊滅に〈十天〉・第八席――銃霆音君との戦闘やEMB決勝、〈極皇杯〉の準優勝。これは全て雪渚が蘇って一ヶ月以内に起こしたことだろ?凄まじい功績だ。そして今や〈世界ランク〉十三位。次期〈十天〉入りすら有望視されてるんだ。知らないわけじゃないだろ?」
「〈十天〉なぁ、天音や陽奈子を見てると程遠いように思えるけどな……」
「〈極皇杯〉以来、知恵川君も雪渚を大絶賛だ。史上最高クラスの頭脳戦となったあの本戦一回戦――そのときの敗北が効いたんだろう」
「一二三……お前も趣味悪いよなぁ。知恵川が俺に勝てないとわかってて仕向けたんだろ」
「知恵川君が極めて優秀なのは間違いないがな。上には上がいると、知ってほしかったんだよ。雪渚、お前は俺が知る限り、最も賢い人間だ」
「よせよ、一二三ほどじゃねえ」
「はっ、謙遜だ。だが俺はあのとき、〈極皇杯〉で雪渚と知恵川君の頭脳戦を見て震えたよ。俺も雪渚と戦ってみたくなった」
「は……?」
「戦わないか、雪渚。新世界で一番賢い人間を決めようじゃないか」
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