3-29 戻り猫
『――あー、あー、〈神威結社〉の夏瀬雪渚だ。〈真宿エリア〉の各位に告ぐ』
俺は〈オクタゴン〉の三階、空き個室の窓から〈真宿エリア〉全体に呼び掛けていた。右手に持つメガホンは拓生に借りたものだ。外から温かな風が吹き付けてくる。
『――敵の脅威は去った。繰り返す。敵の脅威は去った』
「うおおお!!!俺たち、勝ったんだ!!」
「〈神威結社〉万歳!!」
「夏瀬さーん!!」
真夜中であるにも関わらず、そのエリアは酷く賑わっていた。無理もない。皆が先程まで命懸けで戦っていたのだ。俺の終戦宣言に歓喜した様子の住民たちは、皆がそれぞれに歓喜の声を上げる。
『俺たち〈真宿エリア〉の完全勝利だ。もう夜も遅いから今日はみんな休んでくれ。明日の正午、詳しい説明をする。〈オクタゴン〉の前に集まってくれ。……以上だ』
「終わったー!!」
「マジで疲れたー!」
「あそこで日向様が来てくれなきゃ俺、死んでたよ……」
「御宅くんの武器が大活躍だったなー、よく一人も死人を出さずに済んだもんだ」
俺の鶴の一声に、住民たちはそれぞれに家路に就く。少しずつ静かさを取り戻す〈真宿エリア〉。街には事後処理を行う〈警視庁〉の面々が残るだけだ。俺は窓を閉め、階段で一階へと向かう。
一階では〈神威結社〉の七人が集まっていた。そこには、俺のメガホン越しの声で目を覚ましたばかりらしい猫屋敷もいた。猫屋敷の身体は既に癒えている。天音の神話級異能、〈聖癒〉によるものだ。
「――せつくん、お疲れ様です」
「――ボォス!戻ったかァ!」
「――雪渚氏!〈警視庁〉の方々の対応も間もなく終わるようですぞ!」
「そうか。ああ、拓生、メガホンありがとな」
拓生にメガホンを返す。
「雪渚、アイス買ってきたわよ。どれ食べる?」
「お、いいな。じゃ、バニラ貰うか」
「うん!」
「――ボス!アタイ勝ったぞォ!『なでなで』してくれェ!」
「おー、よしよし。可愛い奴め」
竜ヶ崎の頭をわしゃわしゃと撫でまくる。竜ヶ崎は満足げな表情を浮かべ、俺に頬を擦り寄せた。彼女の黄色い二本の角が俺に突き刺さりそうになる。
一方の猫屋敷は何が起こったのかまだ事態を飲み込めていない様子だ。そして、次第に状況を理解したのか、ゆっくりとその場に立ち上がった。
「彼岸……?」
猫屋敷はその場に土下座した。深く、深く、頭を下げる。
「みんな……ごめんなさい……」
沈黙。誰も言葉を返せなかった。猫屋敷の事情を知っても尚、猫屋敷に掛ける言葉が見当たらなかったのだ。
「拓生、今回の件……水に流せるか?」
「――ぶひっ!?そ、そうですな……。猫屋敷女史に襲われたときはビックリはしたでありますが……怒ってはいませんぞ」
「だそうだ。ニコは?」
「む、質問か?私は『許す』の意味がよくわからないが……」
「うん、ニコはいつも通りだな。陽奈子はどうだ?」
「……うーん、彼岸が〈不如帰会〉だったのはショックだったけど……猫ちゃんを守るためだったワケだし……彼岸も〈不如帰会〉に脅されてたのよね。だったら彼岸も被害者……アタシと同じ立場じゃない。怒る理由がないわ」
「天音と竜ヶ崎は?」
「猫屋敷さんはせつくんが認めて〈神威結社〉に入れた方ですから、私は最初から異論はございません。〈竜ヶ崎組〉を壊滅させた時点で、〈不如帰会〉に襲われるような展開は想定できていたことですし」
「あァ?アタイはよくわかんねェなァ。みんながいいならいいんじゃねェかァ?」
「よし、お前はいつも通りアホだな。というワケだ。猫屋敷、別にみんな驚きはあったものの怒ってない。死人が出ていたら話は変わったかもしれないが、みんなの活躍で誰も犠牲者は出なかった」
「せつなっち……」
「あと、陽奈子の話によると、元から猫屋敷が俺たちを殺そうが殺せまいが、〈不如帰会〉は『にくきゅう日和』の猫たちを殺すつもりだったらしい。元から約束なんて守るつもりなかったんだよ、〈不如帰会〉は」
「そうだった……んだね~」
「『にくきゅう日和』の周辺は〈竜ヶ崎組〉の元構成員たちにもパトロールを強化するよう依頼したがな。〈真宿エリア〉内とはいえ、〈オクタゴン〉よりは〈歌舞姫町エリア〉に近い場所だ。だから雷霧に頼んで〈鉛玉CIPHER〉にも時々様子を見に来てもらえるよう頼んである」
「銃霆音さんも『アルジャーノンの頼みなら』って快く引き受けてくださいましたからね」
「アイツ、なんやかんやでEMB以来、雪渚のこと気に入ってるわよね……」
「せつなっち……ありがとうにゃ~。でも、あたしは〈警視庁〉に自首して、〈奈落〉で然るべき罰を受けるよ~。猫たちが無事なら、あたしはそれでいいから……」
「ん?俺の知ってる話と違うな。飛車角さん、その辺り、どうなってるんですか?」
俺の言葉に反応し、陽奈子が抱えていたペットカメラのLEDリングが光り出す。
『…………あ?なんだ、夏瀬の坊主。俺たち〈警視庁〉は〈真宿エリア〉にはパトロールで向かっただけだぞ。……猫屋敷彼岸は関係ねーハズだ』
「あゆむっち……!それは違うにゃ……!」
『…………部外者の意見は聞き入れることはできないな。偶然、〈真宿エリア〉に〈不如帰会〉が現れ、そのタイミングで偶然、夏瀬の坊主と猫屋敷の嬢ちゃんが手合わせ――修行していたと報告を受けている』
「でも……それじゃ、命を脅かされた住民のみんなが納得するはずないにゃ!」
「ガッハッハ!うるせェぞォ!猫屋敷ィ!」
「まあ明日、エリアボスとして、俺には住民たちに然るべき説明をする義務がある。その場で猫屋敷が謝罪すればいい」
「……っ!わかった……にゃ……」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――翌日、正午。快晴。〈オクタゴン〉の前の桜並木には、〈真宿エリア〉の住民たち、〈竜ヶ崎組〉の元構成員たちと、大勢の人々が集まっていた。俺は再び、三階の個室の窓を開け、メガホンを通して彼らに告げる。
『――あー、あー、〈神威結社〉の夏瀬雪渚だ。みんな、昨日の今日だが集まってくれてありがとう』
「お!夏瀬さんだ!」
「アルジャーノン~!!」
『まずは俺の前に、みんなの前で話したいという奴がいる』
俺がそう告げると、俺の真下で、〈オクタゴン〉の玄関の扉が開いた。現れたのは猫屋敷だ。猫屋敷は、不安そうな様子で、〈オクタゴン〉の庭園を歩き、皆の前に姿を現した。
「あれ……?〈極皇杯〉の本戦進出経験者の猫屋敷さん……?」
「『にくきゅう日和』の店長じゃん。最近〈神威結社〉に入ったんだよね?」
「ってことはやっぱ昨晩も俺たちを守るために戦ってくれてたのか……」
猫屋敷は、その場で膝を突いた。足を折り畳み、土下座の姿勢を執る。そして、頭を深く下げた。
「昨日の〈不如帰会〉の襲撃事件……あたしも関与してました……。ごめん……なさい」
住民たちは言葉を失う。俺は、メガホン越しに猫屋敷の言葉を補足する。
『俺は昨日、この〈オクタゴン〉で猫屋敷と戦っていた。猫屋敷の正体は〈不如帰会〉の会員番号『拾壱』――幹部に近い立場の人間だった』
「マジか……。猫屋敷さんが……?」
「いやいや、『にくきゅう日和』に遊びに行ったとき、めちゃくちゃ親切だったよ?」
「つーかなんで〈不如帰会〉が俺たちを襲うんだ?」
「〈不如帰会〉って日向様のご家族の命を奪った奴らだろ?クソ野郎共じゃねーか」
「は?猫屋敷さんがその一味ってこと?」
住民たちはそれぞれの考えを口々に発する。皆、〈不如帰会〉に対する印象は様々だ。世界二位のクランということでリスペクトの念を抱いている者もいれば、陽奈子の事件を知っている者からすれば、恐ろしい存在でもあるだろう。
『俺たち〈神威結社〉が約半年前に壊滅させた〈竜ヶ崎組〉――〈不如帰会〉の傘下組織だった』
俺が話し始めると、住民らは静かに俺の話に耳を傾ける。浮かべる表情は様々だ。〈不如帰会〉への怒りを表に出す者、未だ状況が掴めていない者、どう判断すべきか迷っている者……。
「えっ……?〈竜ヶ崎組〉が……?」
「じゃあなんだ?昨日〈真宿エリア〉が襲われたのは……その報復……?」
――〈竜ヶ崎組〉と〈不如帰会〉に繋がりがある、というのは限られた者だけが知る情報だ。これを知らなければ、〈不如帰会〉が〈真宿エリア〉に攻めてきた理由などわかるはずもない。
『これでわかっただろう。恐らく、昨夜の襲撃はその報復と見ていいだろう。結果的にみんなの命を脅かす結果となってしまった。……本当に申し訳なかった』
俺は深く頭を下げる。猫屋敷もまた、土下座したままだ。
「――夏瀬さん!顔を上げてください!〈神威結社〉がいなかったら、俺たちとっくに死んでますよ!」
「そうだそうだ!〈神威結社〉は俺たちのために戦ってくれたじゃないか!」
「私たちみんな〈神威結社〉を愛してますよ!謝らないでください!」
――この反応は……想定内ではあった。自分で言うのもなんだが、それほどに〈神威結社〉が〈真宿エリア〉に残した功績は大きい。だが問題は……。
地上で土下座したままの猫屋敷を見下ろす。
『……みんな、ありがとう。話を戻すが……猫屋敷は確かに〈不如帰会〉の一員だった。だが……実情は猫屋敷は〈不如帰会〉に脅されていた。猫屋敷が経営する猫カフェの猫たちを殺す、と脅されていたんだ』
「あの猫ちゃんたちを……!?」
「うわ……〈不如帰会〉、最悪じゃん……」
『それが昨日の真実だ。誰も死人が出なかったとは言え、昨晩、怪我を負った者は大勢いるだろう。怒りを覚える者がいても不思議はない。猫屋敷の処遇をどうするかは、住民のみんなで決めてほしい』
住民たちは顔を見合わせる。――だが、意思は一つだったようだ。
「――猫屋敷さん!顔上げろー!」
「あなたのお店の雰囲気、優しくてみんな大好きですよ!」
「また〈真宿エリア〉を盛り上げてくれよ!」
「つーかフードメニューの料金高いんだよ!安くしろー!」
猫屋敷は、土下座したまま、ぽろぽろと大粒の涙を流していた。
「みんな……ありがとう……ありがとうにゃ……」
――猫屋敷は、質素ながら「にくきゅう日和」で〈真宿エリア〉の人々の心を癒していた。その猫愛は、住民たちにも十分に伝わっていたようだ。
『アホばっかだろ?〈真宿エリア〉。みんな自分の命が脅かされたのに、誰もお前を責めないんだぜ?』
「夏瀬さーん!アホとか言うなー!」
「竜ヶ崎ちゃんほどアホじゃねーよー!」
『はは。でもだからこそ、俺はこの〈真宿エリア〉が好きだ。エリアボスとして、コイツらを守ってやらなきゃなんねえ』
「せつなっち……そうだね……」
猫屋敷はやっと顔を上げた。そして、涙を拭って声を張り上げる。
「みんな!ありがとう!ありがとうにゃ!あたし、心を入れ替えてまた頑張るね!だから、『にくきゅう日和』にも足を運んでほしいにゃ~!」
こうして猫屋敷彼岸は、〈真宿エリア〉に再び、温かく迎え入れられた。だがこれは俺の功績ではない。猫屋敷が築き上げてきた信頼――その結果に過ぎない。
『陽奈子に竜ヶ崎、そして猫屋敷――〈神威結社〉で〈不如帰会〉に因縁がある者は多い。それに、この〈真宿エリア〉でも、〈不如帰会〉によって過去に酷い目に遭わされた者がいると聞き及んでいる。そして、放置すればその被害は広まるばかりだ』
住民たちは、再び、静かに俺の話に耳を傾ける。
『〈神威結社〉のクランマスターとして、〈真宿エリア〉のエリアボスとして、俺がやるべきことは一つだ。〈不如帰会〉の壊滅――』
「あたしも……頑張るにゃ……!」
『〈不如帰会〉は俺たちが潰すから安心してくれ。もう誰も、泣かせやしねえ』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
拍手喝采の中、俺の演説は幕を閉じた。そして、猫屋敷彼岸が、〈神威結社〉に帰ってくる。
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