3-28 続々・真宿エリア防衛戦
「――テメェ!巽に何しやがる!」
「――ぶち殺すぞ!画家女ァ!」
最初に怒りを露わにしたのは、〈竜ヶ崎組〉の元構成員たちだった。竜ヶ崎巽の苦労をよく知る者たちである。〈真宿エリア〉の住民たちは、竜ヶ崎巽が殺害されたという事態に言葉を失ってしまっている。
――だが、唯一その場で冷静だったのは、〈十天〉の二名。天ヶ羽天音と日向陽奈子であった。
「勝負は決したようですね、陽奈子さん」
「そうね、あまねえ」
ニコニコと柔らかい笑みを浮かべる虹架彩は、槍で突き刺した竜ヶ崎巽を高く持ち上げたまま、筆で描かれた夏瀬雪渚に声を掛けた。
「雪渚くん、トドメ刺してくれるー?」
「……あいよ」
夏瀬雪渚が空中の竜ヶ崎巽に銃口を向けた、そのときだった。竜ヶ崎巽が、白い歯を覗かせた。竜ヶ崎巽の姿が、忽ちドラゴニュートへと変貌する。
「――『竜ノ息吹』!」
腹部を貫かれたままの竜ヶ崎巽は、地上の虹架彩に向けて、火炎放射を放つ。それは、何かを燃やすには十分な威力であった。虹架彩の手から、灰になった何かが地に落ちる。スケッチブック――だったものだ。
「あっつ……!って……あれま、スケッチブックが……」
その瞬間、筆で描かれた夏瀬雪渚が消滅した。そして、竜ヶ崎巽を貫いていた槍も。竜ヶ崎巽はその場に軽やかに降り立った。刺々しい尻尾がアスファルトを叩く。
「ガッハッハ!待ってたぜェ!お前が直接攻撃してくるのをよォ!」
「あちゃー、やっちゃったー。大臣に怒られるかなー?」
「スケッチブックがねェと絵も描けねェだろォ!」
虹架彩の手中に残ったのは、最早、原型を留めていない筆だけだ。毛先は燃え、筆管部分は溶けかけており、使い物にならない。
「ううん?まだ描けるよー?」
そう告げると、虹架彩は、自身の指先を、思いっきり噛み千切った。ボタボタと血が滴り落ちる。あまりに痛々しい光景に、住民らは息を呑む。目を塞ぐ者も見受けられた。
虹架彩は、その場に座り込む。指先から滴る血を使い、アスファルトに絵を描こうとする。
「うんしょ……うんしょ……」
だが、慣れてもいないのだろう。動きが覚束ない。先刻までの凄まじい速度のスケッチと異なり、待っていれば日が暮れてしまいそうなほどであった。
「おいおい……見てらんねぇよ……」
「なんだあの子……なんでそこまで……」
住民らが騒めき立つ中、腹から血を流す竜ヶ崎巽は虹架彩に歩み寄る。そして、虹架彩を見下ろし、淡々と告げる。
「おォい、絵描き女ァ……。ボスが殺しはダメだって言ってたからアタイは殺しはしねェ。さっさと負けを認めろォ……!」
「や、やだー。負けたのがバレたら……殺されちゃうもん……」
「〈神威結社〉のボスならそうならねェようにしてくれる。ボスはめちゃくちゃ頭いいからなァ」
「無理だよー。いくら雪渚くんが〈極皇杯〉の準優勝者でもさー、『はんぶん様』は疎か、会員番号一桁――大臣たちにも勝てないよー」
「あァ?テメェ、ボスが負けるってんのかァ!?」
虹架彩は必死にお絵描きを続けている。それは、門限を過ぎても公園の砂場でしゃがみ込み、意地になってお絵描きを続ける子供のようで、まるで見ていられない光景だった。
「――巽ちゃん、怒っても仕方ないわよ。その子はどうせ〈奈落〉行き。既に飛車角さんには連絡済みだし、死ぬことはないわ」
「はい、直に〈警視庁〉の方々が大勢来られて、信者たちも含めて〈奈落〉行きとなるでしょう。拘束したら私たちは〈オクタゴン〉に戻りますよ」
「お、おォ!ボスが待ってるからなァ!」
「……というワケです。住民の皆さん、〈警視庁〉の方々の対応は皆さんにお任せしてもよろしいでしょうか。竜ヶ崎さんの怪我も治療しなければなりません」
「かっ、かしこまりました!天ヶ羽様!」
〈神威結社〉の三名はその場を去ってゆく。向かう先は〈オクタゴン〉だ。時刻は既に零時を回っていた。月光がそのエリアを温かく照らす。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――再びの〈オクタゴン〉・屋上。屋上庭園に囲まれるプールサイドでは、二人の男女が相対していた。その一方、猫屋敷彼岸は夏瀬雪渚に両手両足でしがみ付き、夏瀬雪渚に頭突きを繰り出す。頭突きをモロに受けた夏瀬雪渚――俺は何事もなかったかのように言葉を返す。
「おー、今の痛かったろ。猫屋敷」
「いや~、どうやったら勝てるのかにゃ~?」
血を流すのは、頭突きを受けた俺ではなく、頭突きを繰り出した猫屋敷の方だ。彼女の額は赤く滲み、プールサイドに血が滴り落ちている。
猫屋敷が俺から手を離した隙を見逃さず、スタンバトンを猫屋敷の身体に触れさせる。――が、猫屋敷は怯む様子もない。
――俺は猫屋敷を殺すつもりなんてない。まだ〈神威結社〉に迎え入れて数日だが、猫屋敷は立派な〈神威結社〉の仲間だ。
『掟:月光を浴びることを禁ず。
破れば、一切のダメージを受けない。』
猫屋敷は四つん這いの姿勢から、獣のような手で猫のように俺を引っ掻き始める。俺はそれを防御することもなく、微動だにせず受けて立つ。この攻防も、開始して既に一時間が経過していた。
――俺はこの一時間、同じ掟をずっと定め続けているだけだ。殺す気のない俺と、攻め手がない猫屋敷――お互い決め手がないまま、ここまで来てしまった。
「せつなっちー、お願いだから負けてくれないかにゃ~?負けてくれたらヤらせてあげてもいいんだけどにゃ~?」
『掟:月光を浴びることを禁ず。
破れば、一切のダメージを受けない。』
「そんなこと言うなよ……。親が泣くぞ……」
『掟:月光を浴びることを禁ず。
破れば、一切のダメージを受けない。』
「にゃはは~、親に泣かされ続けてきたせつなっちに言われても説得力ないよ~」
『掟:月光を浴びることを禁ず。
破れば、一切のダメージを受けない。』
猫屋敷は攻撃を止めるつもりはない。俺の「無敵状態」の罰を強引にでも突破する気だろう。無論、そんな隙を与えないように同じ掟を定め続けているのだが。
『掟:月光を浴びることを禁ず。
破れば、一切のダメージを受けない。』
「……猫屋敷、猫が人質に取られているんだろ」
「……っ!」
猫屋敷の動きがピタリと止まる。
「猫屋敷が〈神威結社〉に入りたいと言ってくれたとき、その数時間後には〈オクタゴン〉での生活を始めていたワケだが……軍人のニコは兎も角、猫屋敷がそんな簡単に住居を移れるのはおかしいんだよ」
「………………」
「確かに新世界じゃ命を守るために、成人したらクランの仲間と共同生活をするパターンは珍しくない。それどころか一般的らしいな。でも、家族に連絡くらいはするはずだ。それなのに……あのときの猫屋敷には、その素振りすらなかった。この数日間の間もな」
「………………」
「恐らく家族はもう亡くなっているんだろう。そうなると……猫屋敷の心の拠り所は、『にくきゅう日和』の猫たちだけになってしまう」
「…………せつなっち、いつから気付いてたのかにゃ~?」
「いや、今考えただけだ。だがその反応からすると、図星みたいだな」
「……そうだよ~。『魔王城バトルロード』の収録の一週間前くらいだったかにゃ~?〈不如帰会〉に『猫たちを殺す』って脅されてさ~。〈神威結社〉のうち最低三人を殺せって言われてんだよね~。あたし、それまで〈不如帰会〉なんて全然関係なかったのにさ~」
「そうか……。本当に最近のことだったんだな……」
「そうだよ~。あたしってさ~、捨て子なんだよね~。だから友達と呼べる友達もあんまりいなくてさ~。正直、〈神威結社〉での生活はめちゃくちゃ楽しかったよ~。回転寿司も美味しかったし~、みんな新参者のあたしにも優しくてさ~」
猫屋敷は、四つん這いの姿勢のまま、斜め下に目線を送った。少しだけ、気不味そうに、言葉を紡ぐ。
「せつなっちはあたしと同じ猫好きだし~、あまねっちの料理は美味しいし~、オタクっちは話面白いしさ~」
猫屋敷の瞳からは涙がぽろぽろと流れ落ちる。
「たつみょんもアホだけど可愛いし~、ひなこっちがせつなっちをずっと目で追ってるの眺めるの楽しいし~、ニコっちも色々教え甲斐があるしさ~」
「猫屋敷……」
「でもさ~、あたしにとって猫が全てなんだよね~。家族のいないあたしにとって、猫だけがあたしを癒してくれたから~」
猫屋敷は涙を拭う。四つん這いのまま、プールサイドの地を力強く踏み締めた。
「だからごめんね~?せつなっちー。〈神威結社〉のことは大好きだけどさ~、大好きな猫たちを失うワケにはいかないんだよね~」
「ほら、やっぱり猫好きに悪い奴はいねーじゃねーか」
「――大人しくしててね~」
猫屋敷が俺に勢い良く飛び掛かる。――からの、引っ掻き攻撃。だが、攻撃をしたはずの猫屋敷が驚いている。俺の身体から、初めて血が流れたからだ。
「せつなっち……ごめ……あたし……!」
「やっぱりお前も俺を殺すつもりなんてなかったんだな」
『掟:流血を禁ず。
破れば、筋力を倍加する。』
スタンバトンを力強く構え、猫屋敷の身体を目掛けて振るう。これまで俺からダメージを受けていなかったハズの猫屋敷は、大きく体勢を崩し、プールに落ちた。「筋力倍加」により、俺の筋力が上がったのだ。
「――ぷはっ!」
プールから猫屋敷が顔を出す。――が、もう遅い。
『掟:水に濡れることを禁ず。
破れば、その身に雷が落ちる。』
透明かつ開閉式のアーチ状の屋根――それは開放されている。夜空の向こうで、何かが光る。黒い雲から降ってきたのは――一発の落雷だった。落ちる先は無論、プールに浮かぶ猫屋敷だ。
「にゃはは~、あたしの負けだね~」
途端、轟音。黒焦げになって気絶した猫屋敷。その身体から黒煙が立ち上る。その華奢な身体が小刻みに痙攣する。
俺は、水面にぷかぷかと浮き上がる猫屋敷をプールから運び上げた。猫屋敷の身体から立ち上る黒煙。煙はもくもくと、もくもくと、夜空に浮かび上がってゆく。
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