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3-25 寝返り猫

 血に濡れた〈オクタゴン〉のリビングでは、拓生が息も絶え絶えといった様子で、ゆっくりと口を開いた。ぽた、ぽたとフローリングに赤い血が滴る。


「逃げ……て……くだされ……」


「拓生ォ!死んだらダメなんだぞォ!」


「――天音!拓生を!」


「はい!今まさに!」


 俺が頼むまでもなく、天音が祈るような動作で拓生の傷を癒してゆく。拓生の身体に刻まれていた深い傷は見る見るうちに塞がってゆき、流れる血が止まる。


「お……おお……楽に……なりましたぞ」


「大丈夫か?」


「……何とか大丈夫ですぞ。感謝ですな……」


 回復した様子の拓生をソファに座らせ、俺は話を聞くことにした。


「それで拓生、何があった?」


「そうよ、オタクくん。ニコちゃんと彼岸はどこに行ったの?」


「……っ!そうですぞ!ニコ女史と猫屋敷女史が屋上で……!」


「待て、拓生。順を追って説明してくれ」


「そ、そうですな……!ニコ女史と猫屋敷女史と小生で、リビングで雪渚氏たちの帰りを待っていたのでありますが……突然、猫屋敷女史が小生に襲い掛かったんですぞ……」


「猫屋敷が……」


「それでニコ女史が止めに入って……今、屋上で二人が戦ってますぞ……!」


「――天音!拓生を見ててくれ!」


 俺は踏鞴(たたら)を踏んで屋上へと駆け出した。階段は屋上へと繋がっていない。屋上に向かうにはエレベーターしかない。俺の後に陽奈子、竜ヶ崎が続いてエレベーターに乗り込む。


 エレベーターの中で交わす言葉はなかった。陽奈子や竜ヶ崎が何を考えていたのかは俺にはわからない。特に、猫屋敷と友人だった陽奈子にとっては、この裏切りは相当なダメージだと思われた。


 エレベーターの扉が開く。月光が差し込む屋上庭園と、それに囲まれたプール。そのプールサイドで二人の女が傷だらけになって戦っていた。


「――ニコ!」


 赤いコート風衣装を着た、黒髪ショートボブの女騎士――ニコラ・メーデー・合戦坂(がっせんざか)。彼女は、振り返ることもなく、背中越しに俺に返事をした。それと同時に、猫屋敷の鋭い爪がニコの身体を斬り裂く。


「……夏瀬雪渚か」


「――彼岸!なんで!なんでオタクくんを……!」


 陽奈子が声を上げるが、それは声になっていなかった。猫屋敷は、獣のような両の爪を駆使し、軽やかな動きでニコを斬り付ける。ニコもまた、その剣、〈熾天剣(してんけん)エノク〉で応戦する。ニコの周囲には無数の神々しい輝きを放つ剣が舞っていた。


「ありゃりゃ~。間に合わなかったね~」


 猫屋敷は悪びれる様子もなく、俺たちが帰ってくるまでにニコを始末できなかったことをただただ残念がっていた。剣と爪が火花を散らして交差する。そして、猫屋敷は陽奈子の言葉に答えた。


「いや~、陽奈子っちには悪いと思ってたんだよ~?でもさ~、〈不如帰会(ほととぎすかい)〉を潰すとか言われちゃうとさ~、あたしも止めざるを得ないんだよね~」


「彼岸……!じゃあ……!」


「そうだよ~。あたしは〈不如帰会(ほととぎすかい)〉の会員番号『拾壱(じゅういち)』だよ~。黙っててごめんね~」


「彼岸……!なんで……!」


 陽奈子は今にも泣き崩れそうだ。竜ヶ崎は憤慨した様子で「竜人(ドラゴニュート)化」する。生やした刺々しい尻尾が力強くプールサイドを叩き付ける。


「――猫屋敷ィ!テメェ……!ボスや陽奈子を騙してたのかァ!」


「そうだよ~。たつみょんもごめんね~?」


「……ッ!テメェ……!」


「……ニコ、お前が守ってくれてたんだな。〈オクタゴン〉を……」


 ニコは猫屋敷の凄まじい猛攻をその剣で受けながら、背中越しに言葉を返す。


「……夏瀬雪渚、私は夏瀬雪渚の命を受け、まだ数日だが竜ヶ崎巽を訓練していた」


「……そうだな。ニコは強いもんな」


「その最中(さなか)、竜ヶ崎巽が指摘した。自分ではわからないが、私が『楽しそうだ』、と」


「ニコは感情わかんねェヤツだけどよォ、ニコは口数も増えたからなァ」


「……夏瀬雪渚、私は……竜ヶ崎巽の指摘の通り、この生活が少し、『楽しい』のかもしれない。体が勝手に動いていた。猫屋敷彼岸に、この日常を壊されたくなかった」


 ニコの思い掛けないその言葉に、思わず口角が緩む。俺は凄まじい猛攻を繰り広げる二人に歩み寄った。


「それが聞ければ十分だ、ニコ。代わってくれ」


「……夏瀬雪渚。承知した」


 二人の攻撃が止む。四つん這いの姿勢で構える猫屋敷が、俺を見上げて口を開く。そのミルキーブラウンの癖毛が夜風に(なび)いた。


「せつなっちは仲間想いだね~?」


「……猫屋敷、俺はお前が〈不如帰会(ほととぎすかい)〉に加担するような人間には到底思えない。事情があるんだろ」


「にゃはは~、それは言えないかにゃ~」


「いや、事情があるはずだ。猫好きに悪い奴はいないからな」


「雪渚……」


「にゃはは~、せつなっちの猫好きも大概だね~?でもいいのかにゃ~?」


「何がだ」


「あたし一人で〈神威結社〉全員を相手取るワケなくな~い?あまねっちやひなこっちに勝てるワケないんだし~。襲うなら〈神威結社〉じゃなくてさ~、〈真宿(しんじゅく)エリア〉の住民たちだよね~?」


「――ッ!竜ヶ崎!〈真宿(しんじゅく)エリア〉を守ってくれ!敵が来る!」


「ボス!?わ、わかったァ!」


 〈オクタゴン〉の屋上には、透明かつ開閉式のアーチ状の屋根が設置されているが、現在は開かれている。竜ヶ崎が理解しきれていない様子のまま、跳躍してからそこから飛び出してゆく。


「夏瀬雪渚、私も行く」


「ニコは休んでろ、その身体じゃ無理だ」


「……だが」


「大丈夫だ。代わりに天音にもこのことを伝えてくれないか?ニコはその間、〈オクタゴン〉を守っていてほしい」


「承知した」


 ニコはエレベーターを用いて、階下へと降りてゆく。


「――雪渚、アタシも行く」


「陽奈子……大丈夫か?」


「うん、アタシも彼岸が〈不如帰会(ほととぎすかい)〉に入信するとは思えない。アタシは……彼岸を信じたい……!」


「……わかった、陽奈子のスピードが必要だ」


 陽奈子は力強く頷いて、竜ヶ崎に続いて外へと飛び出した。それはまるで、夜空を飛来する光の矢のように。そして、その場には俺と猫屋敷だけが残された。


「にゃはは~。始めよっか~?〈真宿(しんじゅく)エリア〉防衛戦、成功するかにゃ~?」


 猫屋敷がそう告げると共に、猫のような軽やかな動作で跳躍し、獣のような前脚で俺を切り刻んだ。その身の(こな)しには一切の無駄が感じられない。


『掟:月光を浴びることを禁ず。

 破れば、一切のダメージを受けない。』


 だが、それと同時に定めた掟により、俺の身体は(おろか)か、衣服すらも破れない。俺は何事もなかったように立ち尽くしたまま、再び四つん這いの姿勢で構える猫屋敷を見下ろす。


「猫屋敷、お前じゃ俺に勝てない」


「あ~、これが〈天衡(テミス)〉の『無敵状態』の罰ってことね~。なるなる~」


 ――猫屋敷には〈天衡(テミス)〉について詳細に話している。それに加え、猫屋敷は飄々(ひょうひょう)としているが、かなり頭は回る奴だ。そして神話級異能、〈猫神(バステト)〉……強敵だ。


「――〈リベレーター〉」


 そう声を発した俺の手中に握られるのは、スタンバトンだ。スタンバトンとは、スタンガンとしての機能を持つ警棒。護身用具の一つだ。


「それは……スタンバトンかにゃ~?そんな舐めた武器であたしに勝つの~?」


「殺す気はないからな。聞きたいことが色々ある」


「……いや~、せつなっちとは戦いたくないんだけどにゃ~」


 とても小さな声だった。夜風に掻き消されそうな小さな声で、確かに猫屋敷はそう呟いた。そして、覚悟を決めたように俺を見据える。四つん這いの姿勢のまま、その獣のような前脚に力が入る。


「せつなっち、あたしにも譲れないモノがあるんだよね~」


「そうか。でも拓生を傷付けた罰は受けてもらうぞ」


「にゃはは~。じゃ、改めまして~、〈不如帰会(ほととぎすかい)〉、会員番号『拾壱(じゅういち)』――儀礼省・副大臣の猫屋敷(ねこやしき)彼岸(ひがん)ちゃんだよ~」


 猫屋敷(ねこやしき)彼岸(ひがん)――ミルキーブラウンのロングヘアの髪は癖毛で軽く外ハネ。ベージュのだぼっとしたセーター――それを萌え袖にして着ている。下睫毛(したまつげ)が長い、三白眼でデフォルトでジト目……というよりは気怠げで眠そうにも見える。だが、このときだけはしっかりと俺を見据えていた。


「……猫愛好家の夏瀬雪渚だ」


「じゃ、始めよっか~。四天王の直接対決――」


 月光の下、プールサイド。二人の癖毛の男女が相対する。

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