3-22 八大地獄
「どうしました?行きますよ!」
あまりに現実離れした光景に言葉を失う俺。それを気に留める様子もなく、無邪気な青髪の巡査――葉月外は地下へと続く階段を降りてゆく。
「雪渚、行こ?」
陽奈子に手を握られて漸く我に返る。前進し始めた陽奈子や俺に続いて、天音と竜ヶ崎がついてくる。壁には等間隔でランタンが点っているものの、階段の辿り着く先は仄暗く、先が見通せない。まるで地獄に通じているかのような不気味な空間だった。
「なんだか不気味ね……」
「そうですね……。少し怖いです」
天音が俺の袖を掴んでいる。足を踏み外さないように慎重に下ってゆく。
「ボス!気を付けろォ!凶悪な犯罪者がいるかもしれねェぞォ!」
「いや凶悪な犯罪者がおんねん」
思わず似非関西弁でツッコんでしまう。口元を抑えて笑う天音や陽奈子を横目に、少し空気が和んだ感覚を覚える。
「面白いこと言いますね!雪渚センパイ!」
俺たちの少し先を歩く青髪の女――葉月が、こちらを振り返って笑みを零す。その表情は只管に無邪気だった。
「先輩……?」
「人生の先輩なので!」
――なんだコイツ……。
「葉月……さん、さっきの扉を開けたのって、あんたの異能だよな」
「雪渚センパイ!葉月ちゃんとかハズレちゃんでいいですよ!はい!私の異能です!中級異能、〈怪力〉ですね!『力持ちの異能』です!」
「中級異能……」
――中級異能を持つのは新世界の総人口の約三割だ。恐らく異能の性質だけならば陽奈子や幕之内の下位互換に当たる異能なのだろうが……それであれだけの力を発揮するか……。
「いやー、神話級異能の雪渚センパイや〈十天〉の天音さん、陽奈子さんの前で恥ずかしいんですけどねー!」
俺は身震いした。こんな異能を新世界の総人口――十一億人が皆、持っているのだとすれば、そりゃあ犯罪率も著しく上がるし人口は減る一方だ。
「あれ?どうしたんです?雪渚センパイ!」
「雪渚?大丈夫?」
「……ああ、何でもない」
――そしてこの〈奈落〉こそが、異能を武器として罪のない人に向けてしまった奴等の掃き溜め……ということか。
「葉月さん、〈奈落〉は〈警視庁〉の管轄なんですよね?」
「はい!天音さん!そうですよ!クランでもある〈警視庁〉の人間が、新世界中の犯罪者を収容する〈奈落〉の看守も務めます!」
「ふーん、じゃあハズレちゃんも巡査でもあり〈奈落〉の看守でもあり……ってことなんだ?」
「そうです!陽奈子さん!」
「それでハズレはなんでここに捕まってんだァ?」
「……雪渚センパイ、もしかして巽サンってアホですか?」
「……アホだぞ」
「アホですね!了解しました!――あっ、そんなこと言ってる間に着きましたよ!」
眼前には、刺々しい鉄の柵で覆われた巨大なリフトが現れていた。これで下層まで行けるのであろう。
「ささっ!乗ってください!」
ハズレちゃんに促されるままにそのリフトに乗る。全員が乗ったところで、ハズレちゃんがボタンを押すと、リフトは緩やかに下降し始めた。
「さてさて始まりました!〈奈落〉観光ツアー!担当は私、ハズレちゃんがお送りしまーす!」
この空気の読めなさにももう慣れた。リフトから目に映る光景は、次第に移り変わってゆく。
「――おあッ!?」
「きゃっ!」
鼻を突くような腐敗臭。そして、その階層を埋め尽くすように飛び回る無数の羽虫。羽虫と羽虫の隙間から通路と、壁に沿って並んだ牢が見える。牢の中の囚人たちには虫が纏わり付く。衛生環境は最悪だ。
「第一層――『等活地獄』です!主に自転車の二人乗りとか、ゴミの不法投棄とかの軽犯罪!その程度のしょうもない犯罪に問われたG級犯罪者が入る層ですね!」
「警官が『その程度のしょうもない犯罪』とか言わない方がいいんじゃないか?」
「てへっ☆そうでした!」
ハズレちゃんは態とらしく拳を顳顬にこっつんこ――そして舌をペロッと出してみせる。彼女の青い毛先がリフトの下降に合わせて微かに揺れていた。
「葉月さん、羽虫はリフトまで入ってこないのですね?」
「はい!〈極皇杯〉でも使われた魔道具・〈継戦ノ結界〉の応用です!」
「虫が入ってきたらアタシもう帰ってるわよ……」
「これより下の階はもっと酷いですけどね!ただ、〈継戦ノ結界〉のお陰でリフトには影響しないので安心してください!」
リフトは更に下層へ。その階層は、〈継戦ノ結界〉越しにも熱気が伝わってきた。牢の中の囚人たちは熱鉄の黒い縄で縛られ、その眼前にフルオートで熱鉄の斧が振り下ろされる。その階層全体の宙に熱鉄の斧が浮き、自在に上下運動をしている。
「……ひっ!」
「……もう嫌だ!助けてくれ!」
囚人たちの悲鳴が聞こえてくる。眼前に振り下ろされる斧に、一切の身動きができない恐怖。常人ならば一日もいれば精神が崩壊するに十分だろう。
「第二層――『黒縄地獄』です!器物損壊罪や公然猥褻罪などのF級犯罪者が収容されます!」
「あっぶねェとこだなァ……!」
「ここは……精神を崩壊させるのに特化した階層ですね……」
天音がごくりと息を呑んだ。第二層の時点で「これ」なのだ。これより下に六つも階層があることを考えると、正気でいられない。
「雪渚センパイ!『罪の軽さに比べて罰が重すぎないか……』って顔してますね!?」
「まあな……」
「私は巡査なので何の権限もないんですけど!再犯防止のためにここまで厳しくしてるらしいです!もちろん、刑期が終わればちゃんと出られますからね!終身刑じゃなければ!」
警察の階級は上から、警視総監、警視監、警視長、警視正、警視、警部、警部補、巡査部長、巡査である。これは旧世界でも新世界でも変わらない。因みに、〈十天〉・第三席――飛車角歩は警視監、今目の前にいるハズレちゃん――葉月外は巡査だ。
「さーて!どんどん降りますよー!」
またしても視界が移り変わる。その階層の牢では、壁が両側から迫り、囚人を押し潰していた。――いや、押し潰すギリギリのところで寸止めされている。
「寸止めしてるのね……。あれはキツいわね……」
「いよいよ痛みを伴うようになってきましたね……」
「はい!第三層――『衆合地獄』です!窃盗や詐欺を犯したE級犯罪者が収容される階層ですね!」
――知っていれば誰でも思い当たるが、この〈奈落〉、仏教の八大地獄がモチーフのようだ。しかし、「タルタロス」という言葉はギリシャ神話に由来する。何ともナンセンスだ。
「第四層――『叫喚地獄』です!横領、傷害、強盗などを犯したD級犯罪者が収容される階層です!」
目に映るのは炎、炎、炎。その階層全体が猛火で覆い尽くされている。あまりの熱気に、目を細めてしまう。
「第五層――『大叫喚地獄』です!放火、殺人未遂、誘拐、性的暴行あたりの重い罪を犯したC級犯罪者が収容される階層ですね!」
「あっつ……!」
目に映るのは更に威力を増した炎だ。壁にはマグマが流れ、囚人の悲鳴が反響している。仏教では、先の「叫喚地獄」の十倍の苦を受けるとされている。
「第六層――『焦熱地獄』です!ここに収容される囚人は皆、殺人を犯していますね!全員がB級犯罪者です!」
更に威力を増した業火。正に地獄絵図だった。ハズレちゃんの底抜けに明るい声が、その想像を絶する光景を引き立てる。
「おォい!全部炎じゃねェかァ!手抜きすんなァ!」
「えーっ、巽さん!手抜きじゃないですよー!」
多少の違いはあれど、概ね仏教が教える通りではある。因みに、「焦熱地獄」は「大叫喚地獄」の十倍の苦を受ける。
「あっついわね……。〈継戦ノ結界〉があるとは言っても、こっちまで熱さが伝わってくるわ……」
「まあ異能による炎じゃありませんからねー!我慢してください!」
また視界が切り替わる。目に映るのは更なる炎。業火、猛火、劫火。地獄絵図とも呼べる光景であった。
「ここが……第七層……」
「はい!第七層――『大焦熱地獄』です! 大量殺人、テロ、戦争犯罪を犯した極悪人――A級犯罪者が収容されます!」
ガコン、という音と共にリフトが止まる。竜ヶ崎が少し怯えた様子で背中越しに俺に声を掛ける。
「ボス……ここに兄貴がいるんだなァ……」
「ああ、そのはずだ」
リフトからその階層へと足を踏み入れた瞬間、スニーカーがジュッと焼ける音がした。全身から汗が噴き出す。熱さからか、皮膚が痛い。炎が思考力を奪う。
「――せつくん」
祈るように手を合わせた天音。その手には神々しい光が灯っている。その途端、何故か全身に感じていた痛みや熱さがまるで何ともないかのように和らいだ。
「私の異能によって熱さのダメージを相殺しました。素の状態でここを歩くのは苦痛でしょうから」
過度な熱というのは人体にも悪影響を及ぼす。熱中症などが良い例だ。それをダメージと捉えて回復させる。天音の神話級異能、〈聖癒〉――やはり万能だ。
「さすがあまねえね……。全然熱くなくなったわ」
「ボス、姉御、陽奈子ォ。行くかァ……」
「……ああ」
「ご案内いたします!」
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