1-15 ノックスの十戒
「なんで……こんなことに……」
床に膝をついたまま、項垂れる色黒の男――幕之内。それも当然だ。彼の祖父が会議室の中で倒れ、彼の友人が会議室で首を吊っていたのだから。
黒崎と天音も、信じられないといった表情で、その絶望的な光景を見つめている。俺はポケットから取り出した「それ」に少し触れて、再びポケットに仕舞う。そして幕之内に言った。
「幕之内……悪いが実行委員をここに集めてくれ」
――十数分後。幕之内のスマホによって呼び出された学園祭実行委員の面々が会議室に再び集っていた。時計の時刻は二十二時を回っていた。
「ダメですぞ……この大雪の中ではすぐには向かえないと言われましたぞ……」
「警察はダメか……」
警察に連絡していた肥満体のおかっぱ頭の青年――御宅拓生。警察が直ぐに来れないとなると、この状況は俺たちの手で解決するしかない。
「――爺ちゃん!爺ちゃん!」
「う……ううっ……丈……?丈か……?」
「――爺ちゃん!良かった……良かった!」
学長――幕之内の祖父に息はまだあった。後頭部に痛々しい打撲痕が残っていたものの、何とか無事だったようだ。
「爺ちゃん!誰がやったんだこんなこと!」
「すまぬの丈……見ておらぬのじゃ……」
「そうか……爺ちゃんは休んでてくれ……」
「丈……すまんの……ゴホッゴホッ……」
幕之内は祖父である学長に簡単な手当てをし、椅子に座らせた。学長は状況を察したのか、無駄な言葉は発さずに、大人しく幕之内の言葉に従った。
「まさか……大空くんが自殺なんてね……」
綿貫は、床に仰向けになった大空飯亜の遺体を見て、陰鬱とした表情で独り言のように呟いた。白い布を被せた大空の遺体は、幕之内と黒崎と俺で、全員の監視下の中、下ろしたものだ。
「馬鹿言え綿貫。手首足首が切り取られてんのにどうやって首吊るんだよ」
「幕之内くん……。でも殺人なんて、もっと信じられないわ」
「殺人、ですとな……」
「悪かったな、田中、鈴木……アンタらをこんなことに巻き込んじまって」
幕之内は俺と天音に申し訳なさそうに告げる。サングラスで目の奥は見えないが、その表情が決して明るいものではないことは明白だった。
「幕之内さん……あんた大丈夫なのか?」
「歳大して変わんねーだろ、タメ語でいいぜ」
「そうか」
「飯亜は親友だ。飯亜が死んだのはショックだが……絶対にオレはこんなことをした奴を許さねえ。ぶちのめしてやる。そのためにも、ちゃんと真実と向き合わねーとな」
部屋の隅に雑然と置かれた、開かれたままの工具セット。その中にあるハンマーやノコギリの位置が先程見たときと僅かに変わっていた。ノコギリの刃は水で濡れている。その隣にあったはずの太い縄が、犯行に使われたことは明らかだった。
「ゴホッゴホッ……自殺は難しい、か。そうとは限らんぞ、丈」
「爺ちゃん……異能が使われた可能性ってことだろ?爺ちゃんもさっき聞いてただろうが、大空の異能は綿貫と同じ〈念力〉。空飛ぶわけでもあるまいし大空に自殺は無理だぜ?」
――「ノックスの十戒」。英国の推理作家であるロナウド・ノックスが主張した、推理小説を執筆する際に守るべき十の規則。そのうちの一つに、「探偵方法に超自然能力を用いてはならない」とある。
――その理由は言うまでもなく、殺人のトリックに超能力なんかが使われていれば読者は興醒めだからだ。異能がトリックに使われた犯行なんて、ロナウド・ノックスもびっくりの掟破りである。
「そうでしたな。〈念力〉は下級異能――小さいものを触れずに動かす程度の異能ですぞ。とても人体を浮かせるほどの異能ではありませんな」
「まァ……他殺となると異能が使われた可能性はあるかもしれねーな」
「そうね……。学長さんは〈審判ノ書〉を持ち歩いてるって話だったわよね。犯行に異能を使われた可能性がある以上、この場でみんなの異能を明らかにするのはどうかしら。こんな時代だけど、もう異能を隠すとか言ってられる状況じゃないわ」
そう提案する綿貫は、外に幕之内を捜しに行ったためか、先程まで着ていたエプロン姿とは打って変わって、暖かそうなモコモコの赤いアウターを身に纏っている。その背が、雪で濡れている。
「オレはどうせ〈極皇杯〉でバレちまってるし飯亜のためだ。そりゃ構わねーが……」
「小生も問題ありませんぞ」
「ええ、犯行を明らかにするためです。私奴も協力させていただきます」
綿貫の提案に、幕之内、御宅、黒崎が頷く。その様子を、学長が静かに見守っている。
――神話級異能、〈天衡〉をバラす……か。この状況下なら仕方ない。後で公言しないよう念押ししておこう。
「田中さんと鈴木さんも申し訳ないけど、協力してくれるかしら」
「ああ、この状況なら仕方ない」
瞬間、背後に控えていた天音が俺の柄シャツの袖を掴んだ。
――そうか。天音としては戦闘力のない回復系の異能。この、皆が異能という武器を持って戦う異能至上主義の新世界の中、天音が異能を公開することは、「自分は武器を持っていない」と公言するのと同義。
俺は小声で天音に告げた。
「大丈夫だ、天音。天音の異能を公開する必要はないから」
「ゴホッゴホッ……〈審判ノ書〉でお互いの異能を明らかにするんじゃな。じゃったら学長室から持って来ようか。ほれ、儂も容疑者じゃろ。誰か一人ついて参れ」
「爺ちゃん……」
「じゃあ私が学長さんについて行くわ」
「では学長殿の同行は綿貫女史にお任せしますぞ」
「その間オレらは捜査でもするか?殺人犯と同じ空間で寝泊まりなんてゴメンだからよ」
「そうですな……」
ふと、窓を開くと、冷たい空気が会議室を満たし始める。下を見下ろすと、猛吹雪の中で微かに赤い光が見えた。目を凝らすと、先程見た焼却炉の扉が開けられ、その中で炎が揺らめいていた。俺はぴしゃりと窓を閉め、御宅に声を掛ける。
「じゃあ俺たちは外を見てくるよ。気になるものがあるんでな」
「田中氏、わかりましたぞ。まだ誰が犯人なのかもわからない状態でありますから、鈴木女史と離れないよう行動するんですぞ」
「ああ、わかってる。行くぞ天音」
「はい、せつくん」
――天音を引き連れ、外に出て向かった先は焼却炉。焼却炉の中でぼうぼうと燃える炎は、雪景色の中で幻想的な輝きを放っていた。
「せつくん、この焼却炉……先程は使われていませんでしたよね?」
「ああ……」
炎の中に何か見える。それと同時に、鼻を突くような、強烈な臭い。
「これは……」
「何だか……とても嫌な臭いです……」
すると、目線を上げた天音が何かに気付いた様子で俺の柄シャツの袖を掴んだ。
「せつくん、この部屋のカーテン……さっきは開いていなかった気がするのですが……」
天音が指し示した、焼却炉の直ぐ裏の窓。先程はカーテンが閉まっていたハズだが、カーテンも開かれ、鍵が開いている。
「ああ、確実に閉まっていたな」
「犯行と関係があるのでしょうか?」
「成程な……」
――そして再び会議室に戻ると、時を同じくして学長と綿貫が戻ってきた。学長の胸には、大事そうに原初の魔道具――〈審判ノ書〉が抱えられている。一二三が持っていたものと同一のものだ。
ロの字型の机に開かれた〈審判ノ書〉のページの端は欠け、ページは黄ばんでいる。それに引き寄せられるようにして、俺や天音を含めた七名の容疑者が集まった。
「じゃあ始めるか?全員の異能公開をよ」
幕之内がそう告げると、会議室内の空気が一気に緊張感で満たされた。誰かが生唾をごくり、と飲み込む音が聴こえた。
「まァ〈極皇杯〉でバラしちまったし、オレからやるわ」
幕之内が、その色黒の太い腕を上げ、〈審判ノ書〉のそのページの上にゆっくりと手を翳す。
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偉人級
荒拳
Rocky
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黄ばんだ紙にじわじわと浮かび上がった何かが、ゆっくりと文字の形を成してゆく。浮かび上がった文字が存在感を放っている。
――Rockyと言うと……二〇一七年までの六十二年間破られなかった無敗記録を打ち立てたアメリカ合衆国のボクシング・元ヘビー級世界王者――ロッキー・マルシアノだ。
――放つ拳の威力を何倍にも増幅させる肉体強化系の偉人級異能だと、〈世界ランク〉アプリのソロランキング、その幕之内のページにも記載があった。
「流石幕之内くんね……。〈審判ノ書〉に偉人級なんて文字が浮かび上がるのをこの目で見られるなんて……」
綿貫がそう告げると、それを横目に幕之内は面倒臭そうに金色の頭髪を掻きながら、御宅へと顔を向けた。
「ウチで偉人級と言やぁもう一人いんだろ。――拓生」
「そ、そうですな」
幕之内に促されるままに、御宅は〈審判ノ書〉の黄ばんだページに右の掌を翳した。幕之内の異能を示したその文字列が消え、新たに文字の形を成してゆく。
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偉人級
霧箱
Wilson
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――Wilson。霧箱という表記と合わせて連想されるのは、「ウィルソンの霧箱」。スコットランドの気象学者・物理学者であるチャールズ・ウィルソンが発明した、蒸気の凝結作用を用いて荷電粒子の飛跡を検出するための装置だが、まあこんなことは知らなくて良い。
「これは端的に言ってしまえば『亜空間にモノを収納して持ち運ぶ異能』ですな。このように……収納したモノは自在に出し入れができますぞ」
そう言って御宅は、何もない虚空――亜空間からボールペンを取り出して見せた後に、再び何もない虚空へとボールペンを収納した。
――これは俺が先刻の講義で見掛けた通りだ。それにしても戦闘向きではないとは言え、やはり便利な異能だな。
――それにしても、世界中で僅か二百人程度にのみ顕現するとされる偉人の名を冠する異能が、この場に既に二人、か。
「じゃあ次は私ね」
そう言って、赤いモコモコのアウターを着込んだ糸目の女――綿貫が、〈審判ノ書〉の黄ばんだページに、ゆっくりと右手の掌を差し出した。
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下級
念力
Telekinesis
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下級異能だからか、まるでペンで書いたような文字が黄色い紙に滲んで浮き出した。その文字には、俺が〈天衡〉を出したときや、先刻の幕之内や御宅が偉人級異能を出したときのような、文字に篭もる迫力はない。
「私は会議でも少し話したと思うけどこの異能ね。偉人級異能が二人続いた後だと恥ずかしいわね……」
綿貫は気不味そうにそう言うが、一二三の話では、世界総人口十一億人の凡そ六割は下級異能だ。ネットにもそう書いてあった。綿貫自身がどう、と言うよりかは、幕之内や御宅が優秀すぎるのだろう。
「そうですな。実際に綿貫女史はゴキブリを触れずに放り投げて見せてくれましたぞ」
「ゴホッゴホッ……では次は儂かのう」
学長は咳き込みながら、そう告げると、〈審判ノ書〉に左の掌を翳した。浮かんだ文字が、綿貫の異能を示す文字列を塗り替えてゆく。
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上級
壁抜
Pass through
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――Pass through……日本語の意は「通過する」だ。
「ゴホッゴホッ……読んで字の如くじゃな。丈は知っておるじゃろうが、壁抜けの異能じゃ……ゴホッゴホッ……」
「おいおい爺ちゃん、マジで体調大丈夫かよ……」
「学長殿は壁抜けの異能だったのですな……」
「壁抜け……って待って。この講義棟は鍵が閉められて出入りできない状態だったのよね?」
「おいおい綿貫。爺ちゃんを庇おうってワケじゃねーがよ、爺ちゃんは会議室の中で倒れてたんだぜ?」
「あ、そうね……ごめんね幕之内くん。そんなつもりじゃなかったの」
そう言って顔を赤らめる糸目の女――綿貫。
「ったく……これだから下級異能の奴は頭も悪くて困るな……。まァいい、ここまではオレも知ってるメンバーだ」
「そうですな……。残るは、田中氏、鈴木女史、黒崎氏ですな。不謹慎かもしれないでありますが……〈十天〉の第十席に仕える黒崎氏の異能には興味がありますぞ」
すると、窓際で静観していた黒崎が突然、〈審判ノ書〉に近寄って、手を翳した。
「――ちょっ、黒崎氏!早いですそ!」
「大空氏を殺害する動機が全くない田中様や鈴木様と違い、私奴は皆様と多少の面識はございますからね。冤罪は晴らしてしまいましょう」
――即断即決。異能によっては冤罪の疑いをかけられることも有り得るが、一切の躊躇ナシか。
すると、〈審判ノ書〉の黄ばんだ紙に、じわじわと金色の何かが浮かび始めた。神々しい光を放つそれは、文字の形を成してゆく。
――あれ?この感じ、見たことがあるぞ……。
「黒崎さん……アンタまさか……!?」
「これは……現実ですかな……?」
「嘘……でしょ?」
実行委員の面々が、目を丸くして驚嘆の表情を浮かべている。凄まじい存在感を放つ金色のそれが、文字の形を成したとき、俺は一瞬、目を疑った。〈審判ノ書〉の黄ばんだページには、こう記されていた。
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神話級
戯瞞
Loki
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