2-72 天使が降る日曜日
――二一一〇年十二月二十八日、日曜日、夜。俺と天音は海上にいた。貸切のナイトクルージングだ。船の上からは都会の夜景が一望できる。船上に漣の音が心地好く響いていた。
「悪かったな、天音。デートにも連れてってやれなくて」
「いえ……そうしてせつくんが私を気に掛けてくださるだけで嬉しいです」
天音は夜景をバックに、白い髪を掻き上げた。そして、徐に口を開く。
「私……ずっと迷いがあったんです。せつくんが望んでいないのに、勝手にせつくんを生き返らせてしまって」
「天音……」
「でも、『生き返らせてくれてありがとう』って言ってくれたじゃないですか。私、すごく救われたんですよ?」
「EMBの後な。俺も最初は混乱したけど……結果的には天音が蘇らせてくれたことには感謝しかない。天音が蘇らせてくれなかったら、天音にちゃんと謝ることもできないままだったし、陽奈子や竜ヶ崎、拓生たちとも出会うことはなかった」
――これは俺の、心からの言葉だ。
「今の俺があるのは間違いなく天音のお陰だ。改めて、ありがとうな」
「せつくん……」
天音は目に涙を浮かべた。静かな波の音が心地好い。
「ふふ、ごめんなさい。私、どうも涙腺が緩くなっちゃって。もう歳ですかね」
――おー、百八歳ジョーク……。
「その自虐……笑いづらいぞ……」
「ふふ、冗談です。話が脱線しましたね。これから〈不如帰会〉討伐に向けて動かれる……そういうお話でしたね」
「ああ、さっき話したのが昨日陽奈子から教えてもらった情報だ。帰ったら竜ヶ崎と拓生にも共有しておきたいが、当面の目標は〈神威結社〉の戦力強化と共闘する仲間集めだな」
「他の皆さんはお話してみないと引き受けてくださるかわかりませんが……幕之内さんでしたら協力していただけるかもしれません」
「ああ、幕之内は確か、暴走族総長時代の右腕を〈不如帰会〉の傘下に殺されてしまってるんだよな」
「はい、打ち上げでお話されてましたね」
――幕之内丈。既に俺が知るだけでも、かつての仲間を〈不如帰会〉の傘下組織に殺害され、親友を大学の知人に殺害され、祖父を病気で亡くし、両親も既に他界している。まだ俺とタメの二十二歳なのにも関わらず、この新世界でも最も悲惨な運命を辿っている。……と言いたいところだが、新世界ではそんなことは決して珍しくないのが最悪だ。
「俺の修行が済み次第、幕之内から声を掛けてみるか」
「はい、せつくんの仰せのままに」
「〈極皇杯〉組や〈十天〉の説得は頑張ってみるしかないとして……問題は〈神威結社〉の戦力強化か」
「そうですね。〈十天〉の陽奈子さんや私がいるとは言え、敵はあの〈不如帰会〉……万全を期した方が良いかと思われます」
「うーん、〈神威結社〉のバランス的にも完成されている気がするしな……。ここにメンバーを加えるとなるとどういう役割のメンバーが必要なのか……難しいな。天音はいい奴知らないか?」
「はい、実はせつくんがそう仰ったときのために何人か候補は考えておりました」
「お、流石天音だな」
「ふふ、候補の一人は先程も挙げた幕之内さんだったのですが……打ち上げを経て反対派に変わりました。彼の〈オクタゴン〉の散らかしようは半端ではありませんでしたから」
「あー、天音が頑張って掃除してくれたもんな……。他の候補は?」
「正直、私としては女の子はこれ以上入れたくないんですが、ヤリマ……徒然草さんなら首を縦に振ってくださるかと。せつくんと一つ屋根の下となれば、徒然草さんも願ったり叶ったりでしょうから」
「恋町か……。まあ〈十天〉・第四席……世界四位の人間だからな……。実力は申し分ないだろうが……」
――天音……今何か言い掛けたな……。
「いえ、やはり徒然草さんはやめておきましょう。せつくんの身に危険が及ばないとも限りませんから」
「恋町も悲惨な過去を背負ってる……。違うか?」
「せつくん、どうしてそう思うのですか?」
「以前の俺と同じ目をしてたからだ。あの目は、人生に絶望している人間の目だ」
「……私からお話できるようなことではございません。徒然草さんがせつくんに打ち明けるのを待ってあげてください」
「……わかった」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――〈オクタゴン〉への帰路。その途中に寄った〈歌舞姫町エリア〉。月光が二人の足取りを照らす。
「〈歌舞姫町エリア〉――昨日のことのように思い出されますね。私の〈十天〉告白に〈十天円卓会議〉、銃霆音さんとの異能戦、EMB……。あのときのせつくん、とってもカッコよかったです」
「はは、あのときはまさか雷霧と毎週サイファーする仲にまでなるとは思わなかったけどな……」
「ふふ。そう言えば、旧世界の歌舞伎町は、せつくんにとっても思い出深い場所ですよね」
「天音と出会う前後はこの町で遊びまくったからな……。あのときは天音にも苦労させたな……」
「いえ、せつくんの苦労を考えれば、私など……」
〈歌舞姫町エリア〉を歩いていると、天音が突然、俺の柄シャツの袖を引いた。天音が立ち止まる。
「天音?」
天音は、恥ずかしそうに俯いている。俺たちが立っているのは――ラブホテルの前だった。
「せつくん……抱いてほしいです」
俺は一呼吸置いて、小さく頷いた。天音の手を引き、ラブホテルへと足を踏み入れる。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――時刻は深夜。〈真宿エリア〉は静かだった。月光の下、街灯が俺たちの帰りを迎え入れてくれている。
「遅くなっちまったな」
「ええ、ですが久々にせつくんと二人きりで過ごせて楽しかったです」
そう答える天音は何処か嬉しそうだ。心做しか、肌ツヤも普段よりいい。いつも綺麗ではあるのだが。
「そうか、それなら良かった」
「……ですがせつくん、気付いておいでですか?」
「ああ。――おい。俺らを尾行してる奴ら、出てこいよ」
俺が背後をばっと振り返ると、夜道の電柱の陰から二人の女が姿を現した。
「げっ……アンタのせいでバレたじゃない!つれこま!」
「能力が低い者ほど他責したがるでありんす」
頬を膨らませて子犬のように吠える陽奈子と、優雅に佇む恋町。陽奈子は顔を俯かせながら、俺たちの眼前に立った。
「ご、ごめん雪渚、あまねえと二人でいるのが気になって……」
「雪渚はん、奇遇でありんすなぁ」
「お前らなあ……」
――道理で最初から気配を感じていたワケだ。休日一日潰してやることか。アホ共め。
「雪渚はん、どうしてわっちの連絡を無視するんどすか?」
毅然とした態度を執っていた恋町は一変。そう彼女が告げると、一気に空気が張り詰めた。そして、恋町はぼろぼろと涙を流し始める。
「わっちには……もう……雪渚はんしかいないでありんす……」
「つれこま……アンタ……」
「はぁ、厄介な女ですね」
俺は恋町にハンカチを手渡した。そして告げる。
「恋町、悪かった。今日はもう遅いから〈オクタゴン〉に泊まっていけ。な?」
「ぐす……ありがとうござりんす」
三人の美女を両脇に、俺は〈オクタゴン〉への帰路に就いた。〈神威結社〉の戦力強化に、〈不如帰会〉と戦うための〈極皇杯〉組や〈十天〉の交渉、そして〈不如帰会〉との決戦。やるべきことは数多ある。新世界の真の恐ろしさを知るのは、まだ先の話である。
第二章『極皇杯篇』、これにて完結です。
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そして次回より第三章『四天王篇』に突入します。
執筆と推敲のお時間を多少いただきますが、引き続きお楽しみいただければ幸いです。
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