1-13 学園祭実行委員会
「えっ、せつくん……〈神威結社〉に入れるって……」
盛り上がりを見せる大教室A――その最後列の角の席で、俺が放った言葉に天音は目を丸くしている。
「言葉通りの意味だ。俺はアイツを勧誘する」
「かしこまりました。せつくんがそう仰るならば私は止めません」
『――自己紹介は以上ですぞ。小生は席に戻るとしますかな』
「おい拓生~!講義の話しねーのかよ!w」
「自己紹介だけして戻るんかい!」
「いいぞ~!!拓生~!!」
――それから講義は進み、大教室Aの壁掛け時計が十七時を指したタイミングで講義は終わった。二百人近くの学徒らは、各々が次の予定へ向けて動き始めていた。
「天音、俺たちも行くか」
「はい、せつくん」
俺らがレジ袋を手に、席を立ち、背後の扉から出ようとしたとき、俺は何者かとぶつかった。衝撃が肩を伝う。
「――おっと、悪い」
その丸眼鏡の巨漢の男は、申し訳なさそうに口を開いた。深夜アニメの萌えキャラらしきイラストがプリントされたTシャツが窓から差し込む陽光を受け、その珍妙な出で立ちをより鮮明に映し出した。
「失敬失敬。小生の不注意でしたぞ」
――御宅拓生……!こんなにも早く接触できるとは……いや、寧ろ僥倖だ。
「――せつくん!お怪我はないですか?」
「ああ、問題ない」
するとそのボウルカットの巨漢男は、俺の背後に控えていた、真っ白のウルフカットとばってんヘアピンに、メイド服が映える天音の姿を視界に捉え、言った。
「おっ……ふ!なんですかな!?その……メイド服が似合う美女は……っ!」
左胸を抑え、悶えるようにして声を上げる御宅。
「ああ……この子は――」
「――貴殿ら!小生について来てくだされ!」
「…………は?」
御宅は突然、俺の手を掴むと、勢い良く駆け出した。
「――おい!?」
「――せ、せつくん!?ちょっ……!お待ちください!」
御宅に手を掴まれ、引っ張られる俺を天音が追い掛けてくる。御宅はそんなことを気にも留めずに、どんどんとその講義棟の中を進み、階段を駆け上がってゆく。
「――ちょっと待てお前!」
「申し訳ないですが、緊急事態ですぞ!」
俺の静止する声も虚しく、御宅が俺の手を離す様子はない。階段を勢い良く駆け上がり、そして、一つの部屋の前に着いた。その教室の重々しい扉の横の壁には、「会議室」と記載された銀色のプレートが取り付けられている。
「――なんなんですか!その逃げ足の速さは!ご主人様を離してください!」
そこまで辿り着いたところで、漸く御宅は俺の手を離した。階段を駆け上がり、天音が俺たちに追い付いた。横には廊下が広がり、同じ階に他にも幾つかの部屋があるのが見受けられる。
「いやはや申し訳ありませんな。しかし、小生としてもこの機会を見逃すわけにもいきませんからな……。一度、入って話を聞いてほしいですぞ」
「一体なんなんだ……。仕方ない。天音、少し付き合ってくれるか」
「もちろんです。せつくん」
御宅に言われるがままにその扉を開き、会議室へと足を踏み入れる。すると、中にいた人物らが、ロの字型の白い長机と、それに沿うように並べられたキャスターと背凭れ付きの黒い椅子に腰掛けている光景が視界に飛び込んできた。
部屋の隅の机の上には、ハンマーやノコギリが入った開いたままの工具セットや幾つかの寝袋、ティーセット、太い縄、使わなくなったデスクトップパソコン等が雑然と置かれている。
俺と天音に続いて、御宅も直ぐに室内へと入り、扉を閉める。会議室の椅子に座る大学生らしき集団は、御宅を見るやいなや声を掛けた。
「早かったわね、御宅くん」
そう口を開いたのは、長袖の白いシャツの上からエプロンを着た、茶髪のミディアムヘアの美女。糸目――と形容しても良い細い目の彼女は、会議室に集った彼らにグラスに注いだ茶を差し出していた。
「講義がきっちり定刻通りに終わりましたからな」
「はっはっは!御宅君はまた面白そうな人を連れてきたね!」
そう言って豪快に笑い飛ばす男。青いサッカーユニフォームに身を包み、鍛えられているのが一目で判る。男の太い腕に流れる汗が、窓から差し込む陽光を受けてキラリと輝く。
「おっ、拓生、エロいねーちゃん連れてきてんじゃねーか」
そう、俺の背後に控える天音を見て告げたのは、長いストレートの金髪を後ろで束ねた、色黒で上裸の、大柄な男。尖った形のサングラスを掛けた男の、その筋骨隆々の肉体の上から羽織った、背中に虎が刺繍された赤いスカジャンが、扉の外から吹いた風を受けて靡く。
――コイツは……先刻の講義の中でも、ご丁寧に写真付きのスライドで話題に挙がっていたから間違いない。昨年の異能バトルの大会――〈極皇杯〉。その四十万人以上が参加する予選から、僅か八名のみが進出できる本戦に、二年連続でファイナリストに残った男。
――この凄まじい存在感の男は――幕之内丈。ソロランキング、世界十三位に名前のあった男。竹馬大学の四年生、ボクシングサークルの代表にして、ボクシングのスーパーミドル級世界王者……!
「ゴホッゴホッ……丈……客人に失礼じゃぞ」
幕之内を名前で呼び、咳き込みながら軽薄な孫を窘める老人の姿がある。頭髪は禿げ上がってはいるものの、長い白髭を貯えた、やけに雰囲気のある老人。
――この人物も昨晩のネットサーフィンで知っている。というか先程、石の広場で彼の銅像が建てられているのを目にしている。幕之内徹。幕之内丈の祖父にして、この竹馬大学の学長――最高責任者を務める人物だ。
「御宅様もいらっしゃったようですし、会議を始めましょうか」
エプロン姿の糸目の美女と同様に、着席せず、立ったままの黒い燕尾服姿の男。端正な顔立ちで、清潔感のある短い黒髪。格式高い燕尾服をビシッと決めた男は、優雅な仕草で窓際に控えている。
――この男は知らない人物だが……なんだ?幕之内と同等……いや、下手すればそれ以上の存在感を放っている。
「はっはっは!そうですね黒崎さん!よし!君たちも座りたまえ!」
サッカーユニフォーム姿の青年は、状況がイマイチ把握できていない俺たちに着席を促す。俺は、ここは大人しく従うことにした。天音と目を合わせ、小さく頷き合う。
俺はレジ袋を机に置き、入口扉付近の席へと座ると、エプロン姿の糸目の女性にグラスに注がれた麦茶を差し出される。俺が会釈すると、その女性は、奥のサッカー青年の右隣の席へと座った。
天音はと言うと、俺の背後でメイドに徹して立っている。どうも天音は俺たちの異能等の情報を外野に漏らさないよう、外では俺のメイドとして振る舞うつもりらしい。少し複雑だが、賢い判断だ。
「――ありがとう、綿貫さん!それでは皆着席したね、では始めようか!今年の『乗法祭』、実行委員会会議を!」
真冬だと言うのにも関わらず汗をかいたサッカーユニフォーム姿の青年が、額の汗を拭いながら豪快に告げる。
――なんというか、暑苦しい奴だな。
そんなサッカー青年の言葉に反して、窓際で優雅な所作で立ったままの黒崎、という名の燕尾服姿の青年は、静かにその様子を見守っている。その姿は、まるで貴族に仕える執事を思わせた。
「改めて挨拶しておこう!『乗法祭』の実行委員長を務める大空飯亜だ!普段はこの竹馬大学の四年生で、サッカーサークルの代表を務めている!よろしく頼む!」
――「乗法祭」という名は俺が自殺する前から聞いたことがある。この竹馬大学で、毎年十二月の中旬に開催される学園祭の通称だ。ここに集った彼らがその学園祭の実行委員会。学長は監査役、といったところか。
「では大空氏、早速、小生から彼らに説明をよろしいですかな?」
御宅は、斜め向かいに座る俺と、その背後に佇む天音に目線を送りながら、大空飯亜と名乗った会議室の奥の席を陣取るサッカーユニフォーム姿の青年に尋ねた。
「うむ!御宅君!よろしく頼むよ!」
「まずは貴殿ら、突然連れてきてしまって申し訳ありませんでしたな……」
「それは構わないが……なんなんだ?」
「実はこの竹馬大学の学園祭である『乗法祭』、貴殿らにメイドカフェを出店してほしいのですぞ」
「いや無理だろ。俺らこの竹馬大学の人間じゃないぞ」
「そうですね。私たちは先程の一般公開された講義に学外から聴講に伺っただけの立場ですから」
「――ぶひっ!?真ですかな!?」
御宅は大袈裟に驚いた表情を浮かべて跳び上がる。顔の肉が揺れ、丸々とした腹の肉がぶよぶよと揺れる。
「おいおい拓生よー、部外者じゃねーかコイツら」
そう軽く御宅を揶揄う上裸にスカジャンを羽織った筋骨隆々の男――幕之内丈。台詞の端々から軽薄そうな印象を受けるが、それとは対照的に、強者だと言わんばかりの存在感が、ひしひしと伝わってくる。腰に巻かれたチャンピオンベルトが照明を反射した。
「はっはっは!まあいいじゃないか幕之内君!聞かれて困るものでもない!折角だし君たちにも聞いてもらって、お客さん目線の意見を貰おうじゃないか!いいですよね?学長」
「ゴホッゴホッ、そうじゃな。彼らが良いならば構わんぞ」
「おいおい爺ちゃん体調大丈夫かよ……」
「すまんの、丈。儂は大丈夫じゃ。して、君たちはどうじゃ?無理に、とは言わんが……」
「まあ……俺は構いませんが……」
――妙なことになったな。メイドカフェを出店させられるよりはマシか。御宅は是非、俺たちのクラン――〈神威結社〉に欲しい人材だし、多少は付き合ってやるか。
「ええ、ご主人様がそう仰るならば私も構いません」
――メイドに徹して情報を与えない。天音、良い判断だ。
「よし!では実行委員の他の皆も彼らに自己紹介がてら挨拶をしておこうか!あ、黒崎さんも良ければ!」
「じゃあ時計回りに軽く自己紹介しない?私からね」
そう言葉を発したのは、長袖の白いシャツの上からエプロンを着た、茶髪のミディアムヘア、糸目の女性だ。重めの前髪で少し隠れた片目に影ができている。
「私は竹馬大学の四年生。料理サークルの代表を務める綿貫私よ。よろしくね」
そう優しく微笑む、綿貫私と名乗る女。サッカー青年――大空の右隣の席に座る彼女からは、温厚そうな印象を受ける。俺は軽く会釈を返した。
「ああ、よろしくどうぞ……」
ロの字型に配置された座席の各辺に、二席ずつ、計八席が用意されている形になる。立ったままの天音と、窓際に立つ黒崎というらしい燕尾服に身を包む男を含め、八人がこの会議室に集っている。時計回りに挨拶となると、次は綿貫の斜め向かいの空席を飛ばして御宅の番だ。
「おっと、次は小生ですな。まあ貴殿らは先程の講義を受けていたのならば自己紹介は不要かもしれぬが、改めて、御宅拓生と申しますぞ。竹馬大学の三年生で商学部に在籍しておりますな。普段は商人として世界を回っていますぞ」
――ビンゴ。商人として既に活動している。御宅が〈神威結社〉に入ればきっと、今後の〈神威結社〉の金問題は大きく解決できる。
「ああ、よろしくな」
「よろしくお願いしますぞ」
――次は俺か。一応挨拶しておくか。
「田中だ。後ろの者は使用人の鈴木。よろしく」
――「夏瀬雪渚」という名前をブラウザで検索すれば旧世界当時の記事が幾らでも見つかることは検証済みだ。
――「未来のノーベル賞最有力候補か?二人の天才高校生、受験史に名を刻む」、「全国一位、二人の天才誕生!共通テスト満点の衝撃」、「共通テスト満点の天才、栄光の果てに相模湾へ――ネット騒然」、「『あまりに悲しい結末』共通テスト満点の麒麟児、変わり果てた姿で発見」……。
――面倒事は避けたい。偽名を使うべきだろう。
俺がそう告げると、背後に控える天音がぺこりと、恭しく頭を下げた。
「田中氏に鈴木女史!よろしくお願いしますぞ!」
「うむ!田中君と鈴木君!よろしくな!次は幕之内君、君も一応頼めるかな?」
奥の席――俺の向かいに座る大空がそう幕之内に告げると、御宅の向かいに座る幕之内はきょとんとした顔で言った。
「お?オレもか?あー、面倒くせーな……。幕之内丈だ。四年生でボクシングサークル代表。気楽にやろうや」
気怠げに金髪の頭を掻きながら、そう口を開いた幕之内。
――〈極皇杯〉のファイナリスト。ソロランキングで世界十三位。つまり、この新世界で十三番目に強い人間だということを意味する。
――俺が自殺したのは本来大学四年生であるハズの年の二月。つまり俺は現在二十二歳ということになる。幕之内の年齢は俺とタメの二十二歳とネットにあった。俺と同い年で世界十三位……か。
「あ、ああ……よろしく頼む」
「おう。次は爺ちゃんか」
「ゴホッ……ゴホッ……そうじゃな。儂はこの竹馬大学の学長を務めておる幕之内徹じゃ。よろしく頼む……」
「……お願いします」
咳き込みながら、苦しそうに挨拶の言葉を述べる学長。彼の左隣に座る幕之内は少し心配そうにしている。
「……爺ちゃんあんま無理すんなよ。おい、最後はアンタだぜ、黒崎さん」
学長や学園祭実行委員長――大空の背後で、窓際に佇む、黒い燕尾服が映える端正な顔立ちの男。彼もまた、幕之内と同格と言っても良いほどの存在感を放っている。
「はい。私奴は竹馬大学の人間ではございませんが、お嬢様方――杠葉槐様、並びに杠葉樒様の命を受け、偵察に伺った次第でございます。名を黒崎影丸と申します、お見知り置きを」
彼の言葉を聞いて、俺の心臓が激しく鼓動を打つ。鼓動は次第に早くなり、まるで胸を突き破るかのような強さになる。昨晩、スマホで見たソロランキングの画面が俺の脳裏を過る。
――ソロランキング、同率での世界十位。即ち、〈十天〉――杠葉槐。そして、杠葉樒――。
黒崎影丸と名乗るその男は、不敵に微笑んだように見えた。窓から差し込む陽光が、彼の端正な顔立ちに、陰影をつけていた。
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