2-59 Mr.ノックアウト
――幕之内丈。ボクシング世界王者にして、〈極皇杯〉三年連続ファイナリスト。そして暴走族・〈脳苦會斗〉の元総長。彼の少年時代は、荒れに荒れていた。
――五年前。夜の神社の境内にて、〈脳苦會斗〉の決起集会が行われていた。その境内に黒い影が一つ、また一つと集まってくる。革ジャン、学ラン、金髪、鋲付きのリストバンド。何れも町を震わせてきた面々だ。
彼らが見上げるのは、賽銭箱の前に立つ金髪の青年。齢十八歳にして、〈脳苦會斗〉に属する総勢百八人を束ねる、幕之内丈だ。いつもは軽口を叩く男だが、今夜ばかりは目が血走っている。
「……オメーら、よく集まったな」
幕之内丈は境内に集まる〈脳苦會斗〉の面々を見下ろす。彼のその表情には怒りが滲んでいた。そして、それは〈脳苦會斗〉の面々も同様だった。
「オメーらも知っての通り、副総長のヅカちゃんが殺された」
総長・幕之内丈の言葉に、誰かが拳を握り締める音が響いた。息を呑んだのは、ヅカちゃんこと、鬼塚と小学校からの付き合いだった男だった。泣きたいのに泣けない。怒りが喉元で炎のように渦を巻く。
「ヅカちゃん……!クソっ……!クソっ……!」
「鬼塚さん……!やっぱり……!クソっ……!」
「あんな強い人が……」
「……総長!俺らでカチコミに行きましょう!」
「そうだそうだ!ぶち殺してやりましょう!」
幕之内は溜息を吐くと、傍に控えていた眼鏡の男に声を掛ける。
「雪村、敵の詳細を」
「押忍!敵は新興宗教・〈不如帰会〉の傘下を名乗る暴力団・〈赤煙会〉です。鬼塚副総長を殺害し、その遺体を実家に送り付けたそうです……が、何とかその足取りを追跡し、敵のアジトの場所は割れています」
「チッ……ひでえことしやがる……」
あまりに衝撃的な話に、〈脳苦會斗〉の面々も言葉を失ってしまっていた。そんな中、口火を切ったのは、リーゼントヘアに特攻服を着た男・鮫島駆琉だった。
「丈さん!〈不如帰会〉ってのは何なんすか?聞いたことないっすけど……」
「ああ、〈不如帰会〉はほんの数日前に発足したばかりの新興宗教らしい。にも関わらず、調べた限りでは既に会員――信者は千人以上だ」
「既に千人以上……っすか。いや、俺らで潰しましょう」
「まあ待て、サメちゃん。飽くまで敵はその傘下の暴力団・〈赤煙会〉だ。敵を見誤るな」
「でも……!丈さん……!」
「定かじゃねーが、〈不如帰会〉の幹部には神話級異能もいるっつー話もある。幹部でそれならオレらに勝ち目はねえ。ヅカちゃんが遺してくれた情報を無駄にする気か?」
「くっ……!すんません。頭に血が上ってました」
「サメちゃんが〈脳苦會斗〉のことを想ってくれてんのは伝わってる。……が、まず潰すべきは〈赤煙会〉の方だ」
幕之内が懐から皺だらけの学ランの袖を引き出した。血で染まったその布は、鬼塚が最後に着ていたものだ。
「アイツはな、逃げなかったんだよ……。あのクソヤクザ共に囲まれても、最後まで立ってた。オレらの名前、汚さねぇようにって……!」
誰かが地面を蹴った。コンクリートの破片が弾け飛ぶ。仲間たちの眼差しが一斉に鋭くなる。
「忘れんな。ヅカちゃんはオレらの誇りだ。アイツを殺して、涼しい顔してる連中をこのまま生かしとくのか? ――いいや、オレは許せねーな」
周囲の誰もが頷いた。誰も声を出さずとも、その目には同じ炎が宿っていた。これは復讐なんかじゃない。誓いだった。仲間の死を無駄にしないという、魂の叫びだった。
「丈さん!全員で〈赤煙会〉を潰しましょう!」
「――いや、行くのは俺一人でいい」
低く響いた声に、誰もが息を呑んだ。
「……は?」
鮫島が一歩前に出る。
「なに言ってんすか、丈さん。俺たちも――」
「ダメだ。オメーらはここにいろ」
幕之内の声が一閃、雷鳴のように走った。
「これは俺の喧嘩だ。……ヅカちゃんは俺の『右腕』だった。アイツが殺された時、俺は隣にいなかった。そのツケは俺一人で払う。いいな?」
誰も言葉を返せなかった。総長の背中から放たれる圧だけで、全員が息を呑んだ。幕之内は一人、漆黒の革ジャンを翻し、夜の街へと消えていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
幕之内丈がアジトに突入したのは、深夜――午前一時。暴力団・〈赤煙会〉の組事務所。扉を蹴破る音が響いた瞬間、室内の空気が変わった。銃を構える者、鉄パイプを持つ者、何人もがその場に一斉に立ち上がる。
「誰だテメェは――」
幕之内は一言も答えず、既に拳を振り抜いていた。最初の一撃で男の顎が砕け、壁に叩き付けられる。
次の瞬間、銃声が響く。だが、幕之内の動きは弾丸より速い。踏み込んだ足でテーブルを蹴り上げ、即席の盾にして突撃。銃を持つ男の手首を掴み、逆にその銃で眉間を撃ち抜いた。
「動くなァッ!!」
誰かが叫び、十数人が一斉に襲い掛かる。だが、幕之内の瞳は冷えていた。怒りでもなく、憎しみでもない。ただ静かな「覚悟」がそこにあった。
殴る、蹴る、折る、砕く。どれもが研ぎ澄まされた「殺戮」――一人、また一人と地に伏し、呻き声すら出せずに気を失っていく。
「おい……なんだこいつ……人間じゃねぇ……!」
やがて、残されたのは組の若頭ただ一人。
「待て、話せば分かる――ッ!」
「……テメェがボスか?」
幕之内は、拳を握った。
「そ、そうだ!あ、あれだろ、昨日殺したガキの仲間だろ!?いくら欲しい!?金なら用意す――」
静かに、拳が落ちた。――その一撃で、若頭は沈黙した。
――数刻後。夜が明ける頃、幕之内は血塗れのまま神社に戻ってきた。仲間たちが駆け寄る。
「丈さん……!」
「終わった」
そう言った幕之内の目は、何処か悲しげだった。仲間たちの歓声の中、彼だけが静かに空を見上げていた。
「……ヅカちゃん、仇は討ったぜ」
空は赤く染まり、夜が、終わった。そして、幕之内は静かに口を開いた。
「オレは今日で総長を下りる」
仲間たちは、静かにその言葉に耳を傾けていた。
「そろそろ辞めなきゃいけねーとは思ってたんだ。好きなボクシングでも世界獲りてーし、〈極皇杯〉でも優勝してみてえ。オレの勝手に、オメーらの人生を巻き込むワケにはいかねーからな」
「丈さん……!でも、俺たちは丈さんだからついてきて――」
「オレたちは不良。街の迷惑者扱いだけどよ。親からの虐待、育児放棄……そんな目に遭ったヤツらが集まってできたのが〈脳苦會斗〉だ。オレはオメーらの頭を張れて誇りに思う」
「丈さん……」
「サメちゃん、〈脳苦會斗〉は頼んだぜ?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――〈極皇杯〉。〈天上天下闘技場〉・アリーナ。そこでは、幕之内丈が夏瀬雪渚に、強烈なラッシュを食らわせていた。「無敵状態」の夏瀬雪渚――俺は、それを受けながら、〈リベレーター〉を乱射する。
「夏瀬!オメー、またそれか!」
――が、幕之内はそれを全て拳で的確に弾く。銃弾がバラバラと音を立てて地に落ちる。神業だ。最早、彼はボクサーの域ではなかった。
『掟:防御を禁ず。
破れば、両手の指が切断される。』
瞬間、幕之内の表情が苦痛に歪む。グローブに隠れて見えないが、両手の指が全て切断されたのだ。無理もない。いや、表情が苦痛に歪む程度で済んでいるのが不思議なほどだ。
「――っでェ!夏瀬!何しやがったァ!」
だが、幕之内は攻撃を止めない。何故、指が失くなっても、俺を尚も殴り続けられるのか。そんな疑問は、幕之内の気迫の前では無意味だった。必死に〈リベレーター〉の引き金を引き続ける。
「なんで指を失って拳を握り続けられんだよ……!」
「その程度でオレが止まるか!舐めんなよ!」
――幕之内の弱点は明らかだ。もう、終わらせよう。
視線を少し横に向けると、倒れていたはずの終征さんが、ゆっくりと立ち上がっていた。
『大和國終征!!立ち上がったぁぁぁぁ!!』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
――二人纏めて、終わらせよう。
『掟:発砲を禁ず。
破れば、一分間、日向陽奈子となる。』
そして、俺は〈リベレーター〉を、眼前の幕之内に撃ち抜いた。――瞬間、俺の身体が神々しい光に包まれる。胸は大きくなり、白い髪は桜色の毛先の金髪ツインテールになり、服装はへそ出しファッションに変わった。陽奈子の姿そのものだ。
俺はそのまま天へと舞い上がる。その姿を見た幕之内は、力なく拳を垂らした。その表情には、驚嘆の色が強く滲んでいる。一方、終征さんは神の奇跡でも目の当たりにしたかのように目を丸くしている。俺は――陽奈子になったのだ。
「――アマテラスタイムだ。終わらせようか」
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