2-58 日向陽奈子彼氏オーディション
「オメーの兄貴――元・〈十天〉の大和國幻征は〈鬼ヶ島〉の調査へ向かったきり、消息不明となった。〈鬼ヶ島〉は以来、〈十天〉ですら立入禁止っつー話だったな」
「ええ、拙者が〈極皇杯〉を優勝し、その名を世界に轟かせれば、敬愛する兄者もきっと戻られる……。それが拙者が、〈極皇杯〉に出場する理由です」
「ほーん、立派なこった」
「無駄話が過ぎましたね……。では、いざ尋常に――」
大和國終征は、ただ、左足を僅かに引き、腰を沈める。居合の構え――風すら斬ると恐れられた型だ。
「――おらァ!」
刹那――ボクサー・幕之内丈が吠えるように駆け出した。地面を蹴る音、踏み締める砂利の跳ねる音。その全てが鼓動を追い越してゆく中、侍・大和國終征の瞳は一寸も揺らがなかった。
擦れ違いざま、銀閃一閃。
空気が裂ける音がした。ボクサーの身体が一歩遅れて動く。やがて、斜めに走った一筋の赤が、夜の帳の中に舞い落ちる。
「――がっ……!やるな……ァ!終征……!」
「……っ!幕之内殿こそ……!」
侍は背後を振り返り、続け様に次の攻撃へと移る。彼の踏み込みと同時に、風が止んだ。月光が二人の横顔を映し出す。
地を擦るように侍の足が前へ滑る。草の葉一枚の隙間を裂くような鋭い一太刀が、無音のまま宙を走った。鞘走りの音すら遅れて耳に届く。次の瞬間には、ボクサーの胴に斜めの閃光が走っている。――しかし、斬り伏せた感触はない。間一髪、身を捩って致命を逃れたボクサーの右が、侍の顎先を掠めて風を裂く。距離は一間、間合いは詰まりきっている。
直ぐさま二の太刀。侍は体勢を崩さずに回転し、斜め下から刃を振り上げる。切っ先はボクサーの脇腹を狙うが、相対するボクサーも斬撃に合わせて一歩下がり、左の拳を突き出して受け流す。その反動で火花が散り、互いの攻撃が空中で噛み合った。
「ッ……!」
一拍の呼吸。侍が沈み込み、腰を回す。膝を折った低姿勢から、鋭角に跳ね上げるような斬り上げ。ボクサーが上体を反らしてそれを避ける。ボクサーの金色の頭髪を掠めた刀身が、月明かりを切り裂くように輝く。
間髪入れず、ボクサーが反撃に転じた。踏み込み、右ストレート。直線的な一撃。しかし侍は僅かに上体を傾けて躱し、その腕を肘ごと切り上げた。――肉が裂け、血が噴き出す。
ボクサーの拳が腕を離れ、回転しながら宙を舞う。落ちる前に、侍の刃が振り下ろされた。抵抗する間もない。斜めに走った一太刀が肩口から胸へと達し、肉と骨とを断ち割った。
ボクサーは音もなく崩れる。刃を振るう侍の呼吸は乱れず、静寂だけが戦場に戻った。
「……幕之内殿、良い勝負でした」
『大和國終征!!遂に幕之内丈を仕留めましたぁぁぁ!!!』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
「――いんや?まだ終わってねーぜ?」
「なっ……!」
――ステップ、ジャブ。ボクサーの左が小さく弾かれる。牽制――いや、誘いだ。それを受けた侍は一歩も引かず、刀身を構える。互いに目を逸らさない。目線の奥で、次の数秒に全てを賭けている。――距離、一歩半。
「幕之内殿……あの一太刀をその身に受けて、まだ……」
「ボロボロなのはお互い様だろ?」
その間合いに、赤いグローブの男――ボクサー・幕之内が踏み込む。ジャブ、ワンツー、下からのボディ。手首から先のない拳による三発目が腹に減り込む音が鈍く響く。だが侍は退かない。反動を利用して半身を捻り、鈍刀による強烈な一太刀を浴びせる。
――しかし、ガードの隙間を抜けたボクサーの拳が侍の頬をとらえる。肉が揺れ、口元から汗が飛び散る。だが、蹌踉めかない。
ボクサーが低く構え直し、身体全体を撓らせて、アッパーを狙う。力を込めて――瞬間、侍が前足を引いた。空を切る拳。そこへ、真正面から右ストレートが突き刺さる。侍の顎が跳ね上がる。侍の身体が一瞬硬直し、首が仰け反る。
ボクサーは侍の追撃を許さない。ボクサーは直ぐさま左のフックで侍の側頭部を叩く。続けて右、また左。怒涛の連打。グローブが顔面に打ち付けられる度、音が弾け、汗と血がアリーナの地に飛ぶ。
観客の叫びは聞こえない。〈極皇杯〉のリングの上では、心音と呼吸だけが全てだ。
侍が膝を折った瞬間、ボクサーは一つだけ深く息を吐いた。――そして、右ストレート。渾身の一撃が顎を貫いた。
侍の身体が、糸の切れた人形のように沈む。床の振動が遅れてボクサーの足元を揺らした。
『決まったあああああああ!!!幕之内丈の重い一撃に、大和國終征、遂にダウン!!……いや、ですが!〈犠牲ノ心臓〉が発動していません!』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
「あ?消えねー……ってことはまだ生きてんのか?終征のヤツ……。――まあいいか。そろそろ出てこいよ、夏瀬」
ボクサー・幕之内丈がそう告げると、その眼前の、何もない虚空から夏瀬雪渚が現れる。その額にも腹にも傷はない。彼の赤いニット帽が月光に照らされていた。
『な、なんと!夏瀬雪渚!!まだ生き残っていたぁ!!!』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
夏瀬雪渚――俺はアリーナの中央に立つ。夜風が俺の頬を嬲り、髪の白い毛先が戦ぐ。大歓声の中、俺は幕之内に問い掛けた。
「……トドメは刺さないんだな」
「オレのポリシーに反するからな。……っつーかお前、どういう異能だ?どうやって隠れてた?」
「バカ、手の内晒すかよ。だがまあお前らが攻撃してたのは、〈真宿エリア〉の服屋から貰ってきたマネキンだよ」
――アリーナに入場する寸前、俺は実況席のミルルンを対象に、『掟:〈天衡〉の使用を禁ず。破れば、一切視認できなくなる。』という掟を定めた。神話級異能に同一の名称の異能は二つと存在しない。その掟を破れるのは俺だけだからだ。そして、この掟を定めることは〈天衡〉を使用することと同義――自己矛盾を起こした俺は、自らその掟を破ったこととなり、罰を受けた。
――そして更に、ミルルンを対象に、『掟:〈天衡〉の使用を禁ず。破れば、マネキンを夏瀬雪渚と錯覚させる。』という掟を定めた。休憩時間に用意していたものだが、この掟も同様だ。マネキンをゲームのアバターの要領で操りながら、俺はアリーナの中央で身を潜め、流れ弾を喰らわないようにだけ気を付けていれば良い。
「オメー、〈十天円卓会議〉で陽奈子ちゃんを庇うために銃霆音に喧嘩売ったり、かと思えばマトモに戦わなかったり、どうも読めねーヤツだよな」
「〈極皇杯〉は異能戦の大会だろ?俺は異能を使っただけだぞ?それに俺は正義の味方でも何でもない。ポリシーに従って戦ってるだけだ。守るべきものがあるなら、手段は選ばない」
「それは同感だぜ、夏瀬。――じゃあ、殺し合おうか」
『掟:注目されることを禁ず。
破れば、一切のダメージを受けない。』
刹那、瞬間移動したかのように眼前に迫った幕之内――その右ストレートが、俺の心臓を穿つ。――が、俺は微動だにしない。
「……蚊が刺したか?」
「はっ!いいね!」
ニヤリと口角を上げる幕之内。デンプシーロール――その拳の応酬が、絶え間なく俺を襲う。その度に俺は、同一の掟を定め直す。その度に「無敵状態」の罰を受ける。
「夏瀬!陽奈子ちゃんと結ばれるのはオレだぜ!」
「そればっかだな、お前は……」
「気分はどうだ!?最悪か!?」
『超速ラッシュラッシュラッシュ!!!これがボクシング世界王者の実力だぁ!!!』
――幕之内丈。本当に強い。――が、コイツは自ら、自身の弱点を晒し続けている。そのことに、この男は気付いていない。
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