2-52 馬鹿と天才は紙一重
「アルジャーノンやっぱおもれー♪蓋開けてみりゃ圧勝だったな♪」
十天観覧席では、〈十天〉の面々が、その激戦の余韻に浸っていた。
「うんうんっ☆さすが夏瀬くんだねっ☆ボク、圧倒されちゃったよっ☆」
「見事で御座った、雪渚殿。拙者も鼻が高いで御座る」
「今年の本戦もレベルが高いですわね……。一体この戦いでいくつの言語を使ったのかしら」
「……え、槐お姉様……つ、使った言語の数は三千三百十二……だったよ」
「あら!そうですの!流石樒ですわね!」
「おーゴスロリ嬢ちゃん♪この三時間半ずっと数えてたのかよ♪」
「ふふん!樒なら当然ですわ!きっと戦ったお二方が発した言葉も、お二方の頭上に浮かぶ日本語訳がなくとも全て理解しているはずですわよ!」
「……そ、そんなことないよ、え、槐お姉様……!きゅ、旧世界の本が好きなだけで……わ、わからないのも多少あったし……」
「多少で済むのかよ♪バケモンだな♪――あ?徒然草♪ずっと黙ってるけどどーしたよ♪」
〈十天〉・第四席――艶やかな花柄の着物に身を包む徒然草恋町。夕暮れの中、彼女の表情には、赤みが差していた。
「……見つけたで……ありんす……!」
「……恋町ちゃんは相変わらずよくわからない女の子だねぇ」
「はは、僕からしたら全員、どうして静かにしてくれないのかよくわからないけどね……」
「鳳殿、この面々に規律を守れというのは無理難題で御座ろう」
「……………………」
「ははは……困ったね……」
〈十天〉・第一席――鳳世王は、騒ぎ立てる〈十天〉の面々を宥めるのに疲れ果てた様子だ。
「さーて次は……去年の〈極皇杯〉の本戦で俺がブッ殺した二人のバトルか♪お侍サン、終征が出るぜ♪」
「そうで……御座るな」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
俺――夏瀬雪渚は、知恵川と共に〈天上天下闘技場〉内の治療室を訪れていた。緑色の培養液で満たされたカプセルが大量に置かれた治療室――中央には清潔なベッドが三床置かれている。そのベッドのうち、一つだけが滅茶苦茶に荒らされていた。――多分、アホの竜ヶ崎の所為だろう。
〈犠牲ノ心臓〉が発動し、本戦で敗北した者が〈翔翼ノ女神像〉によって転移させられる先は、この培養液で満たされたカプセルの中らしい。俺と知恵川の決着は知恵川の「降参」によるものだったため、俺たちは一言も言葉を交わさないまま、ここまで歩いてきたわけだが。
この培養液は回復薬らしく、全身のどんな傷でも瞬く間に全快の状態まで回復するようだ。仮にも医学部に在籍していた身としては、八十五年での医療の進化を実感せざるを得ない。
「せつくん、準決勝進出おめでとうございます。やはり頭脳戦はせつくんの土俵ですね。私も何だか鼻高々です」
「ああ。天音、ありがとう」
俺が全裸の状態でカプセルから出ると、メイド服に身を包む白髪の日本人離れした美女――天音が恭しく俺に頭を下げた。知恵川を倒したからか、天音は何処か満足げだ。
「腹部の傷と全身の火傷、凍傷も完治しましたね」
「ああ、これで準決勝も問題ないだろう」
天音がタオルで優しく俺の身体を拭く。背後をちらりと振り返ると、並列されたカプセルのうちの一つに、全裸の知恵川の姿がある。彼女は眠るように目を閉じており、こちらの声が届く様子はない。しかし、ヒートショックによって死の間際まで弱っていた知恵川が見る見るうちに癒されてゆく様子が、俺にも感じ取れた。
俺が清潔なベッドに腰掛けると、天音が俺の柄シャツを俺に着せながら、優しく俺に問い掛ける。彼女の白い毛先が微かに揺れていた。
「せつくん、やはり『降参』と回答させることによる、文字通りの白旗を振らせての勝利と、『ん』が付くことによる『全言語デッドエンドしりとり』の勝利……。この二重の勝利は、せつくんの狙いだった『圧倒的な勝利の演出』そのものですが……せつくんはどこまで仕組んでいたのですか?」
〈極皇杯〉の運営の主体は〈十天〉である。事実上は末端の運営スタッフがメインで動いているのだが、治療室に関しては天音の管轄だ。今年は俺や竜ヶ崎が出場するということで、天音が自らその治療を申し出たのだ。
「知恵川の指摘の通りだよ。一手目の『火宅』から仕組まれていたと言うこともできるし、何なら三週間前、天プラを初めて訪れた日の夜から俺の策は始まっていたとも言える。みんなにそれを言っていなかったのは悪かったけどな」
「いえ、むしろ言わなくて正解だったんじゃないでしょうか。盗聴されていることを知りながら、それを悟られないように自然な会話をするのは、アホの竜ヶ崎さんや演技力に乏しい陽奈子さんでは難しいでしょうから」
「はは、間違いないな」
そもそもこのカプセルを満たす回復薬は、天音の神話級異能、〈聖癒〉によって創造されたものらしいのだから驚きだ。俺が医学部で学んだことは何だったのだろうと深く考えざるを得ない。
「それはそうと、皆さん。もう入ってきても大丈夫ですよ」
「――おォ!ボス!おめでとうなァ!よくわかんねェけどすごかったぞォ!」
「――雪渚!ホントおめでとう!マジカッコよかった!」
「――雪渚氏!これでBEST4ですな!天晴れでしたぞ!」
回廊へと続く石の扉の隙間から室内をずっと覗いていた三名の男女。竜ヶ崎と陽奈子、拓生――この地獄のような異能至上主義の新世界を共に生きる、〈神威結社〉の仲間たちだ。彼女らは俺を賞賛しながら治療室に飛び入る。
「おう、みんな。ありがとう。つーか新世界面白いじゃねーか。旧世界より退屈しない奴ばっかだ」
――いや、今までの俺が周りにそれだけ興味を持っていなかっただけか。
「雪渚がそこまで言うんだ……。すごかったわね……。聞き逃さないよう必死に観てたから頭痛いわよ」
「さっすがボスだなァ!もう優勝は決まったようなモンだろォ!」
「言葉のプロである知恵川女史相手に圧勝とは……未だに小生も雪渚氏の底が知れませんぞ」
「ホントそうね……。あっ、でもあまねえ、良かったの?治療室って立入禁止なんでしょ?」
「ええ、問題ございませんよ。元々は回復中、どうしても無防備になってしまうファイナリストの皆さんを守るためのルールですが、〈極皇杯〉のファイナリストを襲おうとする馬鹿なんているはずもありませんから。あってないような規則です」
「天ヶ羽女史は〈十天〉の第二席――世界で二番目に強いお方ですからな……。治療室の立入禁止なんてルール、天ヶ羽女史がNOと言えばそれが正解になりますぞ」
「それはそうと陽奈子、悪かったな。パクチーの件、黙ってて」
「全然いいわよ。まさか知恵川ちゃんに勝つための策なんて思いもしなかったけどね……」
「で、ですが知恵川女史が回復中と言うのに……小生も入って良かったのですかな……」
拓生は必死にカプセルで眠る全裸の知恵川から目を背けている。俺は普通に知恵川のナイスバディを天音にバレない程度にチラ見しているが、拓生は流石。この辺りは律儀な奴だ。
「知恵川の裸なんかに何の価値もないでしょう」
天音はやはり知恵川が嫌いらしい。不貞腐れたように、ふいとそっぽを向いた。
「ボスはやっぱめちゃくちゃ頭いいんだなァ!アタイの漢字ドリルより難しそうだったぞぉォ!」
「竜ヶ崎女史……どう考えてもレベルが違いますぞ……」
「はは、竜ヶ崎。少しは元気出たか?」
「おォ!バッチリだァ!ボスを守るためにも、アタイもボスに負けてらんねェって思った!」
頭を擦り寄せてきた竜ヶ崎の頭を撫でる。すると、陽奈子がベッドの傍に座り込んで、上目遣いで俺の瞳を見つめた。その表情はいつにもなく真剣だ。
「ねーねー、雪渚。神様っていると思う?」
「おー、陽奈子。まさか俺を全知全能だと思ってる?」
「アホみたいな質問してますな……」
「だって仕方ないじゃん!あんなの見せられちゃったら!」
「神がいるかは俺が何を言っても机上の空論の域を出ないだろ。俺からすれば天音や陽奈子たち〈十天〉が神みたいなモンだしな」
「へへー!」
「なんで嬉しそうなんだ……」
治療室の天井の隅に取り付けられた小型のモニターから、ミルルンの実況音声と一千万人の歓声だけが聴こえてきた。どうも、一回戦第四試合が始まったようだ。
『――東門!Bブロック代表!「ファンタジスタ無双侍」!!大和國終征ぃぃぃぃ!!!!』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
「始まりましたな……第四試合……」
そのとき、培養液で満たされたカプセルの一つが、ウィーンという機械音と共に開いた。ぺた、ぺたと足音を立てながら、全裸の知恵川がカプセルの中から現れた。
「なっ……!夏瀬雪渚……!見ないでほしいのです!」
「おー、悪い悪い」
知恵川はこちらの様子に気付くと、真っ赤に顔を赤らめて、ベッドの周囲に取り付けられた間仕切りカーテンを閉め、隠れてしまった。目を背けていた拓生が気不味そうにポリポリと顳顬を掻く。
『――西門!Dブロック代表!「Mr.ノックアウト」!!幕之内丈ぉぉぉぉ!!!!』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
「――雪渚。アタシね、やっぱり雪渚が好き」
「陽奈子……」
「親友のあまねえには悪いと思ってる。でもアタシは雪渚が好き。アタシは――雪渚の彼女になりたい」
「ふふ、だからこそ私たちは親友になれたのかもしれませんね」
「あまねえ……そうかもね」
「とは言え陽奈子さんは可愛すぎますから厄介ですね……」
「ううん、今のアタシじゃあまねえには適わないわ。もっと可愛くならなきゃ、雪渚に見てもらえない」
「陽奈子さん……」
「幕之内くんが優勝したとしても、アタシは幕之内くんを好きになれない。だから、幕之内くんの試合をちゃんと見届けた上で、そう伝えなきゃ」
――この異能至上主義の新世界における、「モテ」の指標。それは顔や性格じゃない。強さだ。才能準拠で決まる個人の異能が強いかどうか、それが全てだ。その点で言えば、幕之内ならば本来、陽奈子を幸せにしてやれるだろう。
「……そうか。陽奈子がそう決めたんなら俺から言うことはない。幕之内の試合をちゃんと見届けてやってくれ」
「うん……」
陽奈子はモニターから目を離さない。既に、画面の中では激闘が繰り広げられていた。
「――夏瀬雪渚。天ヶ羽天音」
空を裂くように俺と天音の名を呼ぶ女の声。それは、間仕切りカーテンの向こうから聞こえた。間仕切りカーテンがぱっと開かれると、そこには冬の寒冷地の貴族のような衣服を着た、知恵川の姿があった。電動車椅子に座る姿は、先程の試合前の姿と何ら変わりない。
「……謝罪したいのです」
そう徐に口を開くと、知恵川は蹌踉めきながら、電動車椅子からゆっくりと立ち上がった。窓から、夕陽が治療室に射し込んでいた。
「お、おい知恵川。足動かないんだろ……」
「心配……ないのです……」
ふらつきながら、知恵川はそのまま膝を地に着け、額を地に着ける。――そして、土下座した。俺と、天音に向けて。
「これまでの無礼な発言の数々……全て撤回するのです。私が、どうしようもなく愚かだったのです。本当に、本当に申し訳なかったのです」
「……知恵川……さん」
天音が声を漏らす。知恵川のその土下座は、「誠意」と表現するのが相応しかった。上っ面じゃない。心の底からの謝罪。
「――知恵川、頭上げろ」
「――せつくん、ですが……!」
知恵川は頭に地を擦り付けたまま、俺たちに頭を下げたままだ。その場にいる全員が、状況を飲み込めないままに、その様子を見下ろしていた。
「天音は俺を侮辱されて怒ってくれてたんだよな」
「もちろんです。せつくんへの無礼は、せつくんが許しても、私は許すことができません。せつくんは、私にとってヒーローです。そんなせつくんを侮辱したこの人を土下座一つで許せるほど、私は……そこまで寛大な心を持てません」
「当然なのです。私は……許されないことをしたのです」
「ありがとうな、天音。……知恵川はな、どうしようもなく馬鹿だったんだよ」
「……せつくん」
「馬鹿だから愛情の向け方もわからない。初対面の人間との接し方もわからない。勉強ばかりしてたんだろうな。その分、人として大事なものが欠けてしまっていた」
「せつくん……」
「俺も昔はそうだった。知恵川の気持ちがわからないわけでもないんだよな。だから知恵川、顔を上げてくれ」
「……夏瀬雪渚。私は……」
「俺も必要以上に煽って悪かったな。お前とのバトルは……面白かったよ」
「……そう言ってもらえると、救われるのです」
そう言って初めて、知恵川は顔を上げた。
「――はい!この話おしまい!」
その重苦しい空気を断ち切るように、手を叩いたのは――陽奈子だった。陽奈子は八重歯を覗かせ、ニコニコと笑みを浮かべながら言った。
「何があったのかはわかんないけど、知恵川ちゃんは謝って、雪渚も許したわけだし、あまねえもそれでいいでしょ?」
「え、ええ……まあ……」
「はい!じゃあこの話終わり!ほら!みんなで第四試合観よ!もう始まってるよ!」
「ふふ、全く……陽奈子さんには敵いませんね」
そう言って、天音は白い髪を掻き上げた。彼女は、優しそうに微笑んでいた。
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