2-50 かつて天才だった私たちは
――約一年半前。〈天網エンタープライズ〉、入社式。〈超渋谷エリア〉の中心地にある、〈天網エンタープライズ〉のオフィスタワー。ラウンジやブティック、時計店すら構えられたそのオフィスタワー――その一室で、豪勢な入社式が行われていた。
――現在は、歓談の時間。二千六百名から僅か六名にまで絞られた、極めて優秀な新入社員たちが、それぞれ、バイキング形式で食事を摂りながら、先輩社員とのコミュニケーションを楽しんでいる。皆は、これから踏み出す社会人としての一歩への期待に瞳を輝かせていた。
私は緊張した面持ちで、「その人」を見つめていた。一目惚れして、ずっと憧れ続けてきた人。「その人」と、遂に一緒に働けるところまで辿り着いた。
――無茶苦茶にカッコいい。できればあの方の子供を産みたい。アンドロイドだと聞いたが……生殖機能はあるのです?
――すると、「その人」は、こちらに気付いた様子で、優しい笑みを浮かべながら、こちらに歩み寄ってきた。胸が、張り裂けそうになる。
「知恵川言葉さんだね」
「はっ……!はい……!……なのです……!」
「はは、変わった話し方だね」
「す、すみませんなのです!む、昔から……五六CEOに憧れていて、必死に勉強を続けてきたのです。それで……コミュニケーションが上手く……」
「いやいや、構わないよ。それにしても知恵川君は、昨年末、〈極皇杯〉のファイナリストにもなっていたし、大学生の時点で論文を幾つも発表しているんだろう?拝見させてもらったよ、何れも素晴らしい内容だった」
「こ、光栄なのです!」
――一二三様に名前を覚えていただけているだけではなく……褒めていただけるとは……何たる幸せか……!
「知恵川君、大変失礼なことを聞くかもしれないが……足が悪いのか?」
五六CEOは、電動車椅子に座る私を一瞥して言った。
「実は……幼い頃に交通事故に遭ったのです。それから……足が動かないのです」
「そうだったのか……。それは悪いことを聞いたね」
「いえ、とんでもないのです。一二三様にそう言ってもらえるだけで、生きてきた甲斐があるのです」
「……一二三様……?」
「あっ……!えと……、その……!」
私がこのとき、顔を赤らめていたことは言及するまでもないだろう。痛い女だ。
「あの……本当に一二三様を心から愛している自信があるのです!一二三様に捧げるために処女も守り抜いてきたのです!」
――あれ……?私は何を言っているのです?こんなことを言っては、一二三様がいくら寛大だからと言っても、ドン引きされるに決まっているのです。
私の言葉に、会場が静まり返る。一様にこちらを見ている。当然の反応だ。
「はは……面白い子だね。知恵川君」
「あっ……申し訳ないのです!私なんかが大変な失礼を……!」
「いやいや、面白いよ。……そうだ、知恵川君。副社長のポストに興味はないか?この〈天網エンタープライズ〉の、No.2だ」
「えっ……それは……なりたいのです。でも……まだ入社式なのです」
「俺は年功序列が嫌いでね。優秀な人材はどんどん出世させるべきだというのが俺の考えだ」
「それは……テレビでお話されているのを拝見していたのです。でも……創業以来、副社長のポストは設けていなかったのではないのです?」
「俺が元々旧世界の人間で、アンドロイド化して生き長らえていることは知っているだろう?旧世界でね、既に命を絶ってしまったが……親友がいたんだよ」
「親友……なのです?」
「彼は優秀すぎた。だからこそ、馬も合った。彼を副社長にすることはもうできないかもしれないが、彼くらい、俺を理解してくれる人材でなければ、副社長にはできないと思っていたんだ」
「それで……空席だったのですか」
「だが知恵川君、君ならばそのポスト、任せられるかもしれない」
――こんな幸せなことが……あっていいのです?
「ありがたく……拝命するのです」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――時は再び〈極皇杯〉、本戦。〈天上天下闘技場〉。出場者観覧席。その最前列には、昨日の予選で激闘を繰り広げた猛者が集っていた。激戦は既に、開戦より三時間半が経過していた。西日が彼らの横顔を鮮やかに照らす。
予選Aブロックからは庭鳥島萌に馬絹百馬身差、冴積四次元、予選Hブロックからは羊ヶ丘手毬、李蓬莱、猿楽木天樂、犬吠埼桔梗に霧隠忍、夜空野彼方――。
「雪渚!さ、さすがボクのライバルなのだ!ま、まあこれくらいはボクも余裕なのだ!」
「ほえー、せつな、ほんと賢かばい……。もう二人で三千言語くらい使っとるとよ」
「でも……なんだか夏瀬サンの動きが悪いアル」
「うむ。時間が経つごとに動きが悪くなるな。夏瀬の、吾輩を討ち滅ぼした汝は何処へ行ったのだ」
「もう三時間半も戦っているヨ……。仕方ないヨ……」
「せやかて、知恵川の姉ちゃんはまだ大した傷受けてへんで?夏瀬の兄ちゃんはボロボロやし。だいぶまずいんちゃう?」
「うーん、でも夏瀬くんもまだ体力はありそうだよ?それにしても知恵川ちゃん、可愛いなぁ!」
「正に、絶体絶命でござるな」
「霧隠忍……予選で私を細切れにしておいて、何故悠長にここに座っていられるのだ?」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――彼らの言う通り、夏瀬雪渚と知恵川言葉による異能バトル――否、頭脳戦は既に開始から三時間半が経過しようとしていた。夕陽が差す。しかし、刻一刻と、決着の刻は迫っていた。『火宅』や『大焦熱地獄』、『ウルトラプリニー式噴火』によって未だ残る熱気の中、夏瀬雪渚のターン。
「――回答、『黒魔法(ハワイ語)』」
満身創痍の夏瀬雪渚――その手から放たれたのは、何か黒い靄を放つ魔法。当然、その日本語訳を瞬時に理解した私――知恵川言葉は電動車椅子を動かし、それを回避する。
「――回答、『運命共同体(バスク語)』」
――「食物依存性運動誘発アナフィラキシー」。特定の食物を経口摂取し、二時間以内に運動を行うと起こすアレルギーの一種である。重度のものであれば死に至ることも珍しくない。そして、私は夏瀬雪渚がそれに該当することを知っている。
――だが、何故倒れない……?原因食物の『香菜』――コリアンダーを経口摂取してもう三時間近く経つ。その間にも激しい運動を敢えてさせている。なのに……何故倒れない……!?
――『運命共同体』という回答によって、私と夏瀬雪渚を『運命共同体』にし、相討ちを狙うことは可能。だが……飽くまで私が狙うのは、一二三様の側に立つのは私の方が相応しいと証明すること。そのための、圧倒的な勝利……!相討ちの道はない……!
「なんだ?何か焦ってるみたいだな?――回答、凍曇(ウェールズ語)』」
『凍曇』。夏瀬雪渚のその回答によって、一気に残熱が奪われ、アリーナ内部が急激に冷えてゆく。二人の頭上には、霧靄のような黒い雲が現れ、雪がしんしんと降り始めた。
――いい加減倒れてくれ……!こんな試合をダラダラと続けていては、一二三様に飽きられてしまうのです……!
「――回答、『竜虎(マオリ語)』」
私の背後に、巨大な龍と虎が現れる。その瞳はギラギラと妖しく光っていた。――そして、一斉に夏瀬雪渚に襲い掛かる。――が。
「――回答、『氷霰(カタルーニャ語)』」
夏瀬雪渚がその攻撃を避けると同時に、回答。『氷霰』が降り注ぐ。先刻までとは打って変わって、壮絶な寒気が、アリーナ内部を満たしていた。
「師匠――〈十天〉・第五席の大和國さんの下で修行させてもらっててね。今更こんな畜生の攻撃では死なねーよ、馬鹿が」
「くっ……!――回答、『霊験あらたか(ニャンジャ語)』」
「意訳すると『霊験あらたか』ってところか?日本語の伝統的表現だし、訳が苦しいな」
「……五月蝿いのです!」
――何故……何故倒れない!?コリアンダーによるアレルギーに、『聖剣エクスカリバー』で与えた傷……身体は既に限界のはず……!
「焦ってんなぁ。あと一週間くらい楽しもうぜ?――回答、『仇討ち(ロンバルド語)』」
夏瀬雪渚がそう発した瞬間、『竜虎』は断末魔を上げて全身に傷を負い――消滅した。吹き付けた冷たい風に、私の青みがかった銀髪が靡く。
「『名誉ある復讐』って意訳で『仇討ち』なのです?そちらも苦しいのです」
「おいおい、そこは意訳のセンスを褒めるべきだけどな」
「――回答、『超音波(トク・ピシン語)』」
――クソ……!倒れろ……!倒れろ……!
「さて……そろそろか。――回答、『パンドラの箱(ブルトン語)』」
――だが、何も起きない。そして、私が次の単語を回答しようとした瞬間、ある異変に気付いた。
――!?声が出ない……!?
この戦いは、次の「回答」で決着を迎えることになる。
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