2-49 言の葉のアカシックレコード
――アリーナに立つ夏瀬雪渚――その眼前に降り注ぐのは、『香菜』――コリアンダーの粉末だ。その粉末は、目を丸くする夏瀬雪渚の穴という穴に侵入する。経口摂取は避けられない。
知恵川言葉は、北叟笑む。そして、思考する。
――奴の〈エフェメラリズム〉とやらは予選で壊れている。だが、そんな事態も想定して盗聴器は最先端かつ超小型のものを用意した。金属片に変わったとて、何ら支障はない。盗聴器の件は絶対にバレていない。
「目を丸くしてどうしたのです?まさか、そんな香辛料でゲームセットと言うつもりなのです?」
「馬鹿言うな……。あまりに攻撃がショボいモンだから驚いただけだ。――回答、『大焦熱地獄(パーリ語)』」
刹那、アリーナが再び劫火に覆われる。まるで地獄の底のように燃え盛る炎。目を開けるのすら辛いほどの熱だった。
――『大焦熱地獄』。八大地獄の第七とされる地獄。焦熱地獄の下にあり、炎熱で焼かれ、その苦は他の地獄の十倍ともされる。
――クソが。暑さに拍車を掛けやがって。……まあいい。私の勝利は時間の問題なのです。
「――回答、『クレイモア(スコットランド・ゲール語)』」
――『クレイモア』。旧世界のスコットランド高地人――ハイランダーが、十五世紀から十七世紀に掛けて、主に戦争で使用したとされる両手持ちの大剣だ。
私は『クレイモア』の柄を力強く握り、電動車椅子の車輪を巧みに回転させる。そして、電動車椅子だとは思えないほどのスピードで、夏瀬雪渚に向かってゆく。夏瀬雪渚は、『イージスの盾』を構える。
「――回答、『アモルファス化(イタリア語)』」
『クレイモア』が『イージスの盾』に触れた瞬間、『クレイモア』だけが弾けた。金属片が、アリーナの大地に降り注ぐ。地に散らばった金属片が陽光を反射していた。
――金属は、原子が規則正しく配列した結晶構造である。『アモルファス化』とは、物質が結晶構造を持たない状態になることを指す。つまり、結晶構造を持つ物質は、「脆くなる」のだ。
一進一退の攻防が続く、夏瀬雪渚と知恵川言葉による頭脳戦。――この決着が遠くないことを確信していたのは、この新世界で、ただ一人であった。
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「なァ姉御ォ。なんでボスも『しすてまちっく』も日本語を使わねェんだァ?」
ファイナリスト控室。竜ヶ崎巽が、大型のモニターから目を離さないまま、天ヶ羽天音に不思議そうに問う。
「プライド――でしょうね。二人とも、少なからず自分は頭が良いという自負があるはずです。日本語なんて最も簡単な言語を使えば、負けを認めるのと同義……ということでしょうか」
「本来、同じゲームを小生たちがやろうとすれば、日本語、英語、中国語と来てすぐに限界が来そうですな……」
「あの二人……ここまで来たらもう、『すごい』を超えて、異常よ……」
「異常かァ……」
「この新世界じゃ絶対に必要ない旧世界の言語を網羅している知恵川ちゃんも、絶対に過剰だと理解しながらもそこまでの知識を身に付けている雪渚も、両方ともおかしいわよ……」
「どう……決着するんでしょうか……。この勝負……」
「何にせよだァ!ボスが『俺の戦いを見てろ』って言ったんだァ!アタイは最後まで見届けるからなァ!ボス!」
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そして、同じくこの戦いを見守る十天観覧席。新世界の頂点に座する彼ら〈十天〉もまた、このハイレベルな頭脳戦に息を呑む。
「やるなアイツら♪遂に消滅危機言語にまで手出してやがる♪どれだけの知識を蓄えてんだよ♪アイツらは♪」
「ふん!ウチの樒も数百言語くらいなら使えますわ!」
「……や、やめてよ、え、槐お姉様……。あの二人の前で……は、恥ずかしいよ……」
「ケッ♪オレは十言語くらいしか無理だが、やっぱアルジャーノンは天才か♪」
「矢張り雪渚殿は、あの五六殿の唯一のライバルと評されるだけはあるで御座るな」
「弟子が活躍してて嬉しそうだな♪お侍サン♪」
「此の死合いに関しては雪渚殿本来の実力で御座るがな」
「お♪お前が真面目に見てんの珍しいな?徒然草♪」
「……お黙りんす」
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一方、アリーナでは未だ一進一退の攻防が続いていた。この時点で既に、試合開始から一時間が経過していた。炎に包まれる中、場面は知恵川言葉――私が、夏瀬雪渚にロケットランチャーを放ったところだった。
「――さあ、夏瀬雪渚。どう出るのです?」
「――回答、『超世(イタリア語)』」
夏瀬雪渚が構えた『イージスの盾』をロケット弾の弾幕が襲う。爆風が晴れても、夏瀬雪渚の肢体に一切外傷はなかった。
――『超世』。仏語で、世の理を遥かに超えていることを指す言葉だ。夏瀬雪渚は、「世の理を遥かに超えていること」を、「ロケットランチャーを生身で受け止める」と解釈して、『イージスの盾』で受け止めたのです。
「案外大したことねーな、お前。一二三も呆れてんじゃねーか?」
「戯言を……。一二三様は寛大なお心をお持ちの方なのです」
「ああそうだ。お前が出てた二年前の〈極皇杯〉の本戦の映像観たけどよ、そのときのファイナリストが持ってた武器で……なんか決して折れず毀れず、あらゆるものを両断できる剣があったよな?ほら、次は日本語訳して……『せ』からだぜ?」
――くっ……明らかな挑発。だが……!
「――回答、『聖剣エクスカリバー(ラテン語)』」
――アーサー王伝説にも登場する、『聖剣エクスカリバー』。千の松明を集めたかの如き、神々しい光を放つ聖剣。この剣は、決して折れず、毀れず、あらゆるものを両断する。
私は電動車椅子に乗ったまま、『聖剣エクスカリバー』を振るった。その斬撃が、衝撃波と化し、夏瀬雪渚に襲い掛かる。私の青みがかった銀髪の毛先が微かに揺れた。
「――回答、『〈継戦ノ結界〉(新世界語)』」
すると、夏瀬雪渚の肢体を覆うように、正六角形が無数に連なったエネルギー体がその斬撃を受け止めた。この〈天上天下闘技場〉にも展開されている魔道具・〈継戦ノ結界〉だ。
「異能による攻撃を一切通さないんだっけ?便利な魔道具だな」
――ちっ。新世界語か。確かに〈聖剣エクスカリバー〉は私の〈詞現〉によって生み出した産物。十分に異能による攻撃と言える。
「あらゆる異能の攻撃を受け止める〈継戦ノ結界〉に、最強の盾である『イージスの盾』。そしてあらゆるものを一刀両断する『聖剣エクスカリバー』――どっちが勝つのか試してみたくてな」
「故事成語で言えば『矛盾』なのです」
「でも実物じゃない。今回はイメージ次第だろ?」
「――回答、『青天井(エスペラント語)』」
私のその回答。だが、何も起きない。
「おー、想像力不足か?冷める真似すんなよ?――回答、『ウルトラプリニー式噴火(インドネシア語)』」
突如、凄まじい衝撃音。足場が大きく揺れ、私たちの足許には、噴火口が隆起した。――そして、大噴火。凄まじい熱気と、電動車椅子の車輪を徐々に溶かす火砕流。脚に凄まじい火傷を負う。一方の夏瀬雪渚は、〈継戦ノ結界〉に守られ、一切のダメージを受けていない。
――死ぬわけじゃない。脚の一本や二本……気にしている暇はないのです。
「――回答、『快刀乱麻(ベトナム語)』」
――『快刀乱麻』。本来は「問題を鮮やかに解決する」という意味の四字熟語だが……。
私は回答と同時に、電動車椅子の半分溶けた車輪を回転させ、再び、『聖剣エクスカリバー』を手に、夏瀬雪渚へと襲い掛かった。火砕流と共に、噴火口を駆け下りる。
「……お前の訳は苦しい気もするが……まあ『快刀乱麻』か。でもこれこそ『矛盾』しないか?」
「イメージ次第と言ったはずなのです」
〈継戦ノ結界〉に包まれた夏瀬雪渚が眼前に迫る。私は『聖剣エクスカリバー』は再び振り抜いた。すると、その斬撃は、〈継戦ノ結界〉と『イージスの盾』、そして噴火口ごと、一刀両断した。『聖剣エクスカリバー』だけを残し、それらは消滅する。
「――おっと!マジか!」
〈継戦ノ結界〉や『イージスの盾』を貫通し、夏瀬雪渚の肩から腰までに、切り裂くような傷跡を創る。その痛々しい傷跡からはどくどくと血が流れ、アリーナの地に赤黒い血が滴った。
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
お互い、かなり消耗していたが、目に見える傷という意味ではここに来て初めて。その一撃に、一千万人の観衆が沸き立つ。
「『青天井』で『聖剣エクスカリバー』の攻撃力を飛躍的に伸ばし、『快刀乱麻』で一刀両断……〈継戦ノ結界〉程度なら崩せるイメージができたのです」
「そんなのもアリか……」
「そんなことより動きが悪いのです。どうかしたのです?」
――理由は明確だが。この男――夏瀬雪渚は「食物依存性運動誘発アナフィラキシー」を患っている。原因食物はコリアンダー。
「ははっ……そう見えるか?」
――情報戦、頭脳戦、異能バトル、知識量――全てを制して圧倒的に勝利する。これが私の、存在証明なのです。
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