2-47 特効薬の英訳は銀の弾丸
――知恵川言葉。彼女は幼少期より優れていたわけではない。だが、中学生のとき、テレビで観た五六一二三に一目惚れし、彼の横に立つために血の滲む努力を重ねた。
――そして、気付けば新世界で最も偏差値の高い最高学府、東慶大学――その文学部に首席入学を果たす。そのまま成績を維持し続け、首席で卒業。彼女は極めて優秀な人材が集まる〈天網エンタープライズ〉へ入社し、直ぐに副社長の座を奪い取った。彼女は――努力の天才であった。
「では……ゲームスタートなのです。先攻は譲るのです」
「予言しておこう。決着がつく頃には新世界中が『蓋を開けてみれば夏瀬雪渚の圧勝だった』と口を揃えて言うことになる」
「御託はいいのです。時間制限は十秒なのですよ?」
「つれねーなあ。……まあ最初だしなんでもいいか。――回答、『火宅(サンスクリット語)』」
――火宅。仏教用語で煩悩や苦しみに満ちた現世を、火炎に包まれた家に喩えた言葉である。
夏瀬雪渚のイメージによって、アリーナ中が轟々と燃える炎に包まれる。あまりの熱気に、両者の額を汗が伝う。――だが、揺らめく炎の中で、知恵川言葉は余裕の表情を浮かべていた。
「初手サンスクリット語なのです?逆張りが過ぎるのです。――回答、『車社会(韓国語)』」
知恵川言葉がそう言葉を発した瞬間、地獄のように燃え盛る炎の中から、無数の乗用車が現れる。途轍もないスピードで、夏瀬雪渚に迫り来る。
「――回答、『行き止まり(ポルトガル語)』」
夏瀬雪渚を轢き殺そうと迫り来る様々な形状の乗用車――夏瀬雪渚は燃え盛る炎の中で回答する。途端、夏瀬雪渚を取り囲む、分厚いコンクリートの壁が現れた。乗用車は壁に激突し、大破する。――車と壁は同時に消えてしまった。お互いがそれらのイメージを止めたのだ。
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
凄まじい言葉の猛攻。一千万人の観客が沸き立つ。アリーナ内で燃え盛る炎の熱気が〈継戦ノ結界〉越しに伝播したのか、観客たちは興奮した面持ちを浮かべていた。
「なんつー試合だよ……!レベル高すぎだろ……!」
「〈継戦ノ結界〉越しに二人の頭上に浮かんでいる二人の回答の日本語訳……オレたちは見えてるけどあの二人は見えてないわけだろ?」
「なんでしりとりが成り立ってんだよ……!」
魔道具・〈継戦ノ結界〉によって、実際にはアリーナ内で使われた異能は観客には一切影響しない。その熱気すらもだ。しかし、観客は見たこともないレベルの頭脳戦に興奮せずにはいられなかったのだ。
――しかし、アリーナ内部は違う。その戦闘の渦中にいる二人は、ぼうぼうと燃え盛る炎によって汗だくだ。呼吸すらも苦しくなってくる。知恵川言葉は、夏瀬雪渚の回答から数秒と待たずして次の回答に移る。
「――回答、『硫酸ミスト(ドイツ語)』」
知恵川言葉がそう回答すると、燃え盛る炎の中、黄色い霧が立ち込めた。一目で人体に有害だとわかる。吸ってはいけない――と夏瀬雪渚の身体が警鐘を鳴らす。知恵川言葉はこのとき、確信していた。
――硫酸ミスト……吸入すれば即座に尋常ではない被害を人体に齎す。夏瀬雪渚……試させてもらうのです……!
「――回答、『特効薬(英語)』。俺に無限に投薬し続けるイメージをした。硫酸ミストのイメージは絶やして構わないぞ」
「へえ……見事な回答なのです」
「スラング的な和訳だけどな」
「私は洒落ていて好きなのです」
炎を残し、黄色の霧だけが晴れる。熱気に満たされるアリーナ。――「全言語デッドエンドしりとり」は、まだ始まったばかりだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――一方、ファイナリスト控室。モニター越しに二人の頭脳戦を見守っていた日向陽奈子は、目を輝かせながら、大好きな夏瀬雪渚のその戦いを見守っていた。
「特効薬って銀の弾丸って訳せるんだ……。なんか素敵かも」
「姉御ォ!何が起きてんだよォ!これよォ!」
「具現化する単語でジャンケンをしているイメージですね。お互いが発した単語に有効な単語をぶつけていく。その上で勝ちを拾えるかというところでしょう」
「とは言えお二方共すごいですな……知恵川女史の異能によって日本語訳が小生たちには見えるとは言え、ついていくのがやっとですぞ……!」
「知恵川の方は知りませんが……せつくんは極度の勉強嫌いではあるものの、読書はお好きな方ですからね。旧世界の言語は全てネイティブレベルまでマスターされています」
「さすが雪渚ね……。あの知恵川ちゃん相手に一歩も譲らないわ……。頭良すぎてマジカッコいいんだけど」
「実際は〈継戦ノ結界〉で防がれているものの、最初の雪渚氏の『火宅』による熱がこちらにまで伝わってくるようですな……」
「すげェ!日本語訳が見えたところで一つもわかる言葉がねェ!」
「日本語訳しても難解なものですからな……。竜ヶ崎女史でなくとも無理はないですぞ」
「でもこれ……もしかするとまずいんじゃない?自分のターンを防御に割かなきゃいけないから全然攻め込めてないわ。雪渚らしくもない」
「そうですね、陽奈子さん。でも戦っているのは、あのせつくんです。何か考えがあるのでしょう」
「つーか『しすてまちっく』はなんつー異能だよ、あれよォ!強すぎねェかァ!?」
「派手なだけでそんなことはないですよ。当人の想像力に大きく依存する異能ですから、実際の殴る蹴るの戦闘ではイメージを有効に持続させるのはとても困難でしょう」
「確かに……そうですな。だから雪渚氏の異能を封じ、知恵川女史が言うところの『言語ゲーム』を提案したのでしょうな」
「ただ……初手からトップギアのせつくんに、あれだけ知識量で迫れる知恵川は見事です。悔しいですが、そこは認めるべきです」
「あまねえ……」
「まァ、ボスが負けるこたァねェよ!ガッハッハ!」
「ええ、私はせつくんに全幅の信頼を置いています。あの方以上の方なんて存在し得ませんから」
そして、夏瀬雪渚と知恵川言葉の壮絶な頭脳戦に息を呑むのは、何も〈神威結社〉の面々だけではない。同じく控室に集っていたファイナリストの面々――幕之内丈、大和國終征、海酸漿雪舟、黒崎影丸も同様であった。
「マジかよ……!EMBで観たときから夏瀬のボキャブラリーは半端ねェとは思ってたが……ここまでかよ……!『火宅』なんざ日本語でも知らねーぞ……」
「雪渚殿も知恵川殿も……どれだけの研鑽を積めばあれだけの知識を得られるのか……。想像もつきませんね……」
「知恵川ちゃんに負けず劣らず……凄いわねぇ、竜ヶ崎ちゃんの『ボス』さんは。ねぇ、黒崎くん♡」
「海酸漿様……。ええ、そうですね」
「ふふ♡準決勝ではよろしくねぇ♡」
「はい、全身全霊を以て死合いましょう。海酸漿様」
――夏瀬雪渚と知恵川言葉による異能戦――ならぬ、頭脳戦はまだ始まったばかりだ。この決着は、誰も想像し得ない形で迎えることになる。
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