2-45 毒林檎級ジョーカー
「竜ヶ崎……」
竜ヶ崎巽の敗北に、俺は言葉を失っていた。それは、仲間である〈神威結社〉の面々も同様だった。控室には重苦しい空気が充満していた。
「巽ちゃん……頑張ったわね……」
「ええ、竜ヶ崎さん、立派でしたよ」
「そうですな……。小生だったら、怖くて何もできませんでしたぞ……。勇敢に戦っただけでも、賞賛されるべきですぞ」
――これが……〈極皇杯〉の本戦……。予選も過酷だったが、本戦は更に過酷。予選Hブロックの激戦を勝ち抜いた竜ヶ崎を、海酸漿は歯牙にも掛けなかった。
「竜ヶ崎は……よくやってくれたよ。立派だった。アイツが〈神威結社〉に入ってくれて、俺は誇らしい」
「そうですな!」
「うん!そうね、雪渚!」
「ふふ、せつくんはなんやかんやで竜ヶ崎さんに甘いですね」
「雪渚だけじゃなくて、巽ちゃんはみんなの妹みたいな感じだしね」
「〈翔翼ノ女神像〉の転移によって、竜ヶ崎女史は治療室にいるはずですぞ!迎えに行きますかな!」
「――おっとバカ〈神威結社〉共♪治療室は何人足りとも侵入禁止だぜ♪」
「雷霧……」
「つーかすぐに次の試合が始まるぜ♪オレもそろそろ戻らなきゃな♪」
雷霧の言葉通り、モニター越しの実況席に座るミルルンが次の試合の開幕を宣言したのは、その直後だった。
『――では!どんどんイッちゃいましょう!一回戦第二試合!』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
『――女は言った!〈極皇杯〉とは、「憂さ晴らし」である、と!予選の映像にも全く映らず、六分後、気付けば、彼女だけが残っていた!正体不明のグラマラス美女!』
――現憑月……見つかったのか……。
『――優勝予想ランキング三位!情報がないためここで言うことも特になし!その力を!この場で示してくれ!』
ミルルンが指し示す東門からアリーナに足を踏み入れたのは、赤紫のロングヘア――その前髪に白いメッシュのラインが入った女であった。黒や赤を基調としたゴシック調のドレスを着用し、頭には、喪の席で着用する黒いトークハットを冠っている。巨乳安産型のグラマラスな、長身の美女だ。
『――東門!Fブロック代表!「毒林檎級ジョーカー」!!現憑月月ぁぁぁぁ!!!!』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
「騒がしい……本当に鬱……マジ病む……」
『彼女に対するは、この男だぁ!!』
ミルルンは続いて西門を指す。
『――男は言った!〈極皇杯〉とは、「終点」である、と!苦節六年!遂に辿り着いた!本戦の舞台!!』
その西門から現れたのは、黒い燕尾服に身を包んだ、短い短髪の端正な顔立ちの若い執事だった。その手には、レイピア――先端が鋭く尖った刺突用の、細身の片手剣が握られている。
『――優勝予想ランキング八位!杠葉家の執事長が今、この本戦の大地を踏み締める!捧げろ!主君に勝利を!』
その男は、恭しく一礼した。その所作は、血で血を洗う〈極皇杯〉に似つかわしくないほどに丁寧だ。俺は思わず息を呑む。
『――西門!Gブロック代表!「NO LOYALTY, NO LIFE」!!黒崎影丸ぅぅぅぅ!!!!』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
観客席ではウサ耳を生やした金髪の爆乳チアリーダー――として有名らしい、卯佐美兎月を筆頭に、チアガールが声援を送っていた。モニター越しに、観客の大歓声が聴こえてくる。
――全く正体も掴めない二人の対戦……どうなる……?
そんな思考を遮るように、モニター越しの実況席――そこに座るミルルンが声を上げた。――開戦の合図だ。
『さあ皆さんご一緒に!行きますよ!3,2,1――Ready……!』
「「「「「Fight!!!」」」」」
会場中が一体となって開戦のゴングが鳴り響く。控室の誰もが、余計な言葉を発することはなかった。――と思ったのも束の間だった。
黒崎がレイピアを構えると同時に、現憑月が手を挙げた。まるで、授業中の教室で挙手するように、ゆっくりと。
『――なんだ!?現憑月月の異能なのかぁ!?』
「……そうじゃなくて」
現憑月月の謎の行動にしんと静まった観客席。彼らは一様に、彼女を見つめている。
――なんだ?
「……降参します」
――…………は?
「は?どういうこと?」
「いや、予選勝ち上がったんでしょ?」
「ビビったってこと?」
「六分で予選終えた奴だぞ?そんなことあるか?」
当然の如く、観客席も次第にザワつき始めた。彼女の意図が、わからない。ポカンとした様子のミルルンに先立って、その疑問を現憑月月に投げ掛けたのは、他でもない、黒崎影丸――その人だった。
「……現憑月様、どういった了見でしょうか?」
「……何故も何もないわよ……。……『降参を宣言する』――決着の条件にあったはずだけど?」
「現憑月様……そういうことではなく……」
『――えっと、失礼しました……。現憑月月が「降参を宣言」しましたので……この一回戦第二試合、勝者は――黒崎影丸となります……』
覇気のないミルルンの宣言。一回戦第一試合で見られた歓声は、そこにはなかった。一千万人の観客がポカンとした表情のまま、その言葉に耳を傾けていた。観客の中には不満を口にする者も見受けられる。
――何が……目的だ……?
「ワケわかんないわね……あの女……」
「はい、前代未聞ですよ。〈極皇杯〉で初手降参なんて……」
「結局……現憑月女史に関しては何もわからずじまいでしたな……」
――理解できない。今更日和った……とは考えづらい。〈犠牲ノ心臓〉によって、死ぬことはないのだから。いや、それでも怖いとは感じるものだが、予選を六分で終わらせた猛者が怖気付くとは考えづらい。
そのとき、控室に足を踏み入れた女の姿があった。黒髪のロングヘア――そしてタコ足を足代わりに移動する女――海酸漿雪舟だ。
「あらあら♡運営スタッフが慌ててると思ったらそういうことだったのねぇ。降参なんて……」
「海酸漿……あれ?竜ヶ崎は一緒じゃないのか」
「治療室に用はなかったから見てないわねぇ。それより『ボス』さん、知恵川ちゃん、直ぐに選手入場ゲートに向かった方がいいわよぉ。直ぐに第三試合が始まると思うわぁ」
――いや、そうだ。今は自分のことに集中しろ。相手はあの一二三も認める天才――知恵川言葉……。
「雪渚氏!知恵川女史の異能戦は決まって頭脳戦になるでありますが、頭脳戦で雪渚氏が劣るわけがありませんぞ!いつも通り、頭脳で圧倒してくだされ!」
「雪渚、アタシは応援しかできないけど……頑張ってね!雪渚なら、きっと勝てるから。またカッコいいとこ見せてね。あっ、でも無理はしないでね!」
「陽奈子さん、御宅さん、せつくんが知恵川言葉とかいう馬鹿女に負けるわけがありません。応援すら野暮ですよ。せつくん、頑張ってくださいね」
「みんなありがとうな。そんで天音は一行で矛盾するのやめてくれ……」
俺は、控室の隅で、電動車椅子に座る、青みがかったAラインシルエットの銀髪の女に目を向ける。そして、気合いを入れ直すように、赤のニット帽を押さえ付けるようにして目深に冠る。
ずっと沈黙を貫いていた知恵川は、海酸漿の言葉に振り返り、俺の目をじっと見つめた。頭に冠った、白くモコモコで円柱型のロシアンハット。口元を隠した、首元の白いファーティペット。防寒性と高級感を兼ね備え、裾が広がったロイヤルブルーのロングコート風のアウター。ハイカットブーツ。まるで冬の寒冷地の貴族のような装いだ。
「夏瀬雪渚……待ち侘びていたのです」
電動車椅子の両端から伸びたアームに大型のディスプレイが取り付けられ、女の前に展開されている。そのディスプレイに、「FUCK YOU」という文字列が不気味に浮かび上がっていた。
「あっそ、俺は待ち侘びていなかったよ。お前のことを、今この瞬間まで忘れてたくらいに」
「始めるのです。究極の頭脳戦を――」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
〈天上天下闘技場〉――その周囲を取り囲む観客席。その真下には煉瓦造りの回廊がある。俺は〈神威結社〉の仲間の声援を受け、独り、回廊を進んでいた。向かうのは、選手入場ゲートだ。
――海酸漿も竜ヶ崎を見てないって言うし……何処に行きやがったんだ、アイツは……。
「ぐすっ……」
そのとき、回廊の先で、涙声が聴こえた。聞き覚えのある声だった。――その壁際で蹲って泣いていたのは、黒い軽装の鎧に身を包む、二本の黄色い角を生やした、長い黒髪の女――竜ヶ崎だった。
「竜ヶ崎、ここにいたのか。みんな心配してたぞ」
「ぐすっ……ボス……」
「らしくないな。何を泣いてんだ」
俺はその場に腰を下ろし、竜ヶ崎の頭を撫でた。艶やかな髪の感触が心地良い。
「ぐす……。すまねェ……ボス。ボスの……役に立てなかったァ……」
「頑張ったな、竜ヶ崎。お前が〈神威結社〉に来てくれてよかった。お前は俺の誇りだ」
「ボス……嬉しいけどよォ、何もできずに負けたアタイなんかにその言葉はもったいねェ」
「お前は勇敢に戦っただろ。誰もお前を責めやしねーよ」
「ボス……。アタイが弱いと……ボスが舐められちまう……。アタイは――」
「……竜ヶ崎。控室で俺の戦いを見てろ。お前が忠誠を誓った男が、どれだけヤバいのかを見せてやる」
竜ヶ崎は、俺の顔を見上げた。その表情は、涙で腫れ、整った顔が台無しだった。竜ヶ崎は、少し間を置いて言った。
「……わかったァ。ボス、アタイの分まで、勝ってくれよォ」
「ああ、任せろ」
俺は立ち上がり、竜ヶ崎に背を向ける。向かう先は、選手入場ゲート、その先の広いアリーナだ。ミルルンの声が聴こえてくる。
『――気を取り直して!始めましょう!一回戦第三試合!この試合も見逃せないッ!』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
『――男は言った!〈極皇杯〉とは、「存在証明」である、と!八十五年前に「溺死」、その「歴史」から舞い戻った不死鳥!』
ミルルンの実況に合わせ、ゆっくりとアリーナに足を踏み入れる。そこでは、一千万人の観客が俺を見下ろしながら、皆がその期待に瞳を輝かせていた。
そして、十天観覧席に戻ったばかりらしい杠葉姉妹や雷霧も俺を見下ろしている。無論、他の〈十天〉の面々も。新世界中が、この一戦に注目しているのだ。
――これが……〈極皇杯〉の本戦か……!
『――優勝予想ランキング六位!〈竜ヶ崎組〉の壊滅に銃霆音雷霧様戦にEMB優勝――今話題のこの男は、また歴史に名を刻むのか!?』
アリーナ上空に浮かぶホログラムディスプレイでは、コメント欄が爆速で流れている。今この瞬間、俺がこの新世界で最も注目されている人間だ。そして、俺は定位置に立った。
『――東門!Aブロック代表!「革命前夜のスーパールーキー」!!夏瀬雪渚ぁぁぁぁ!!!!』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
――竜ヶ崎、見てろ。俺がお前の分まで勝ってやる。
『そんな彼に対するは、この女だぁ!!』
実況席のミルルンは続いて西門を指す。一千万人の観客が、一斉にそちらに注目する。
『――女は言った!〈極皇杯〉とは、「断頭台」である、と!〈天網エンタープライズ〉を、世界的な大企業にまで押し上げた立役者にして、CEO・五六一二三の懐刀!』
俺の視線の先では、陰になった西門から、そのシルエットが浮かび上がっていた。徐々に、そのシルエットが露わになってくる。
『――優勝予想ランキング五位!今年はどんな頭脳戦を!我々に魅せてくれるのか!全員!頭フル回転させて見届けろ!』
寒冷地の貴族のような装いの、青みがかった銀髪の女。電動車椅子を動かしながら、ゆっくりと定位置で止まった。そして――一礼。
『――西門!Cブロック代表!「言の葉のアカシックレコード」!!知恵川言葉ぁぁぁぁ!!!!』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
『さあ皆さんご一緒に!行きますよ!3,2,1――Ready……!』
「「「「「Fight!!!」」」」」
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