2-43 Champion
――第十回〈極皇杯〉。本戦・一回戦第一試合。序盤から最高潮――熱気に包まれた一千万人の観客が揃って、開戦のゴングを鳴らす。
『――Ready……!』
「「「「「Fight!!!」」」」」
まず先に動いたのは――竜ヶ崎巽であった。両手を大きく広げ、低い姿勢で海酸漿雪舟に向かってゆく。竜ヶ崎巽の足元を土煙が舞っていた。両手の先の鉤爪が妖しく光る。
『――おおーっと!速い!速い!竜ヶ崎巽!速攻で決める気かァ!?』
ミルルンの実況が緒戦から熱を帯びた。竜ヶ崎巽の長い黒髪が、彼女の動きに合わせて揺れる。黄色の双角が、陽光を反射した。
臀部から生えた艶かしい巨大な蛸足に座る、黒髪ロングヘアの女――海酸漿雪舟。髪の毛先は蛸の吸盤のようになっており、側頭部には法螺貝の形状の簪を挿している。女は、余裕の笑みを浮かべていた。
「あらあら♡随分とゆっくりなのねぇ♡」
「――喰らえやァ!『竜ノ両鉤爪』!!」
――瞬間、海酸漿雪舟の臀部から生える蛸足――触手が蠢いた。――そして、竜ヶ崎巽の渾身の一撃を受け止める。
「――おあッ!?」
「全っ然痛くないわぁ♡」
「なンッだよこのタコ足はよォ!切り刻んで刺身にしてやるぞォ!」
「若いわねぇ♡」
――刹那、竜ヶ崎巽の攻撃を受け止めていた触手とは別の触手が、竜ヶ崎巽の背後に迫る。竜ヶ崎巽が回避しようとする隙もなく、竜ヶ崎巽の躰を締め付けた。蛸足はそのまま竜ヶ崎巽の体躯を持ち上げ、アリーナの地に力強く叩き付ける。
「――がッ……は……!」
竜ヶ崎巽の口からは血反吐が。アリーナの土を赤く染め上げる。そして蛸足がまた竜ヶ崎巽を持ち上げ、また地に叩き付ける。容赦のない殺戮ショーが続く。
『まさに圧倒的……!竜ヶ崎巽……!ここで終わってしまうのかぁ!?』
「――がッ!――ぐは……ッ!」
それに対し、微動だにせず、紫色の蛸足に座ったままの海酸漿雪舟。彼女は退屈そうに髪の毛先をくるくると弄っている。
「あらぁ♡思ったより退屈ねぇ。やっぱり準優勝宣言なんてしちゃう子はこの程度かしらぁ♡」
「――ッるせェぞォ!タコ女ァ!アタイは……ボスに恩返しするんだァ!」
「『ボス』の話しか頭にないのかしらぁ」
「――がはッ……!」
竜ヶ崎巽は身動きが取れないまま、また、地に叩き付けられる。あまりにも一方的な、殺戮。〈極皇杯〉らしからぬ一方的な試合に、観客が響動く。
「いや……一方的すぎるだろ……」
「弄んでるな……」
「ちょっと……可哀想なくらいワンサイドゲームだな……」
――しかし、竜ヶ崎巽の赤い瞳は、決して勝利を諦めていなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――一方のファイナリスト控室。言いようのない緊張感が、その室内を満たしていた。日向陽奈子が、思わず声を漏らす。
「巽ちゃん……」
「こりゃ厳しいな♪」
「雷霧……」
銃霆音雷霧の言葉に、夏瀬雪渚が反応する。一年前にこの大会を無類の強さで優勝した彼の言葉には、より一層の説得力が宿っていた。夏瀬雪渚に続き、幕之内丈がシャドーボクシングによって士気を高めながら問うた。
「――シュッシュッ!銃霆音、まだわかんねーんじゃねーか?まだ竜ヶ崎ちゃんには予選で見せた大技・『竜ノ逆鱗』があんだろよ」
「いや♪丈、それ込みでも無理だろ♪」
意外なことに、銃霆音雷霧の言葉に同調したのは夏瀬雪渚だった。
「ああ、『竜ノ逆鱗』による逆転の策があることは海酸漿だって織り込み済みだろ。だからああして触手で竜ヶ崎を締め付けることで反撃を封じてる」
「わかってんじゃねーか、アルジャーノン♪あれよ♪多分、見た目以上のパワーだぜ♪竜ヶ崎ちゃんの肋骨の何本かイっててもおかしくねーだろーな♪」
「オレも二年前に一度アイツと闘ってるからわかるけどよ……。海酸漿の十八番はそもそも水中戦なんだぜ?陸上でもあんな強ェのかよ……!」
「………………」
夏瀬雪渚は、モニターの中で可愛い妹分、竜ヶ崎巽が蹂躙される様に言葉を失っていた。そんな彼に、言葉を掛けたのは他でもない。天ヶ羽天音であった。
「――大丈夫ですよ。せつくん」
「天音……」
「竜ヶ崎さんは……あの日、せつくんが目を覚ましたあの日、病院の前でせつくんに呆気なく負けてしまった竜ヶ崎さんとは違いますから」
「そうだな……」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――再びの〈天上天下闘技場〉、アリーナ内。一千万人の観客と、十億人を超える視聴者が見守る中、黒い軽装に身を包む女――竜ヶ崎巽は格闘していた。
「――がはッ!」
『――海酸漿雪舟!攻める攻める攻める!竜ヶ崎巽に一切の反撃の隙を与えませんッ!』
未だ、海酸漿雪舟が操る蛸足――触手の拘束と強烈な打撃の応酬から逃れられない。竜ヶ崎巽は、足りない頭で必死に思考していた。
――クッソ……!反撃の隙を与えてくれねェ……!何とか抜け出せれば……『竜ノ逆鱗』で肉体を強化して反撃できるのに……ッ!
「がッ……!はァ……はァ……!タコ女、テメェ……ケツからタコ足なんか生やしてよォ、どうやってウンコしてんだァ?」
海酸漿雪舟は、露骨に竜ヶ崎巽を見下しながら、退屈そうに告げる。
「レディにそんなこと聞くものじゃないわぁ♡」
そして、また地に竜ヶ崎巽を力強く叩き付ける。銃霆音雷霧の指摘の通り、既に竜ヶ崎巽は全身を骨折していた。幾重にも重なる耐え難い激痛が、彼女の全身を駆ける。
「――がはッ!」
「本当に退屈なコねぇ。でもそうねぇ……こんな地味な戦いしてても仕方ないわぁ、視聴者サービスしちゃおうかしらぁ♡」
そう彼女が告げた瞬間、触手が竜ヶ崎巽を解放した。竜ヶ崎巽は、待ってましたとばかりに声を張り上げる。
「――『竜ノ逆――!」
――だが、遅かった。声を張り上げた竜ヶ崎巽の肉体は、突如湧いた潮流に押し流される。
「――おあッ!?なん……がぼッ!」
一瞬だった。一瞬で、ドーム型の〈継戦ノ結界〉に包まれる、アリーナ内部が、完全に水で満たされた。上空に浮かぶ巨大なホログラムディスプレイも、完全に水に浸かってしまっている。まるでその様は――巨大なアクアリウムであった。実況席のミルルンが興奮した様子で立ち上がり、声を上げる。
『――キタキタキタキター!!!海酸漿雪舟の十八番!水中戦の開幕だァ!』
「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」」」」」
必死に水中を泳ぐ竜ヶ崎巽の視界の先では、海酸漿雪舟が、射し込む陽光をバックにして、水中に浮かび上がった。いつの間にかその手には、巨大な筆が握られている。その先端には墨らしきものが付着しており、その墨は徐々に水に溶け込んでいる。
「あらあら♡泳ぐのに必死ね♡」
「がぼがぼ!がぼ!」
「あらあら♡あなた、水中で喋れもしない凡愚なのねぇ。可愛いわぁ」
海酸漿雪舟が掌を竜ヶ崎巽へと向けると、竜ヶ崎巽の頭部が大きな泡に包まれた。
「――おあッ!?」
『おおっと!?海酸漿雪舟!今回は窒息死を狙わないのかぁ!?』
「うふふ♡その泡は激しく動いても割れないわよぉ。呼吸の心配も要らないし、これで会話できるわねぇ」
「なんッだテメェ!こんなことしなくても勝ってやらァ!」
「ダメよぉ。〈極皇杯〉は興行なのよぉ?観客を楽しませなくちゃ、ねぇ?」
「テメェ!その筆はなんだァ!?」
「〈三十六景〉――私の武器よぉ」
「筆なんかでアタイを殺せるかァ!だったらお望み通り、楽しませてやらァ!」
竜ヶ崎巽は凄まじい勢いで水を蹴り、鉤爪――〈ヴァンガード〉を光らせながら海酸漿雪舟へと向かってゆく。それは最早、競泳選手顔負けのスピードだった。
「あらあら♡泳ぎは得意なのねぇ」
『――竜ヶ崎巽!凄いぞ!水中戦をモノともしない!』
竜ヶ崎巽は、マトモに義務教育を受けてさえいれば、体育祭のラストを締めるリレーでは、毎年アンカーを任されていたであろうほどの運動神経だ。その運動神経は、慣れない水中でも健在だった。
「――『竜ノ逆鱗』!!」
元よりドラゴニュート形態と化していた竜ヶ崎巽の肢体が、更に禍々しく変貌する。そのまま猛烈な勢いで海酸漿雪舟へと迫る。そんな中、当の海酸漿雪舟は、不敵に笑みを浮かべていた。
「――『竜ノ衝突』!!」
水中で、陸上よりも威力の落ちた『竜ノ衝突』によるタックル。だが、それでもその威力は常人なら即死に値する。海酸漿雪舟は、蛸足を揺らめかせながら告げた。
「――『墨弾』」
海酸漿雪舟が水中で振るった巨大な筆。その先端から無数の墨の弾が放たれる。そして――竜ヶ崎巽の肉体を穿つ。竜ヶ崎巽の肢体には、軽装の鎧を貫通して、穴が空いた。まるでその攻撃は、ガトリングガンと大差なかった。
「――がはッ!」
竜ヶ崎巽の身体から流れる血が水に溶け込んでゆく。あまりの痛みに顔を歪める竜ヶ崎巽。その傷口に水が染み込み、またしても痛みを増幅させる。
――だが、竜ヶ崎巽はそれでも、『竜ノ衝突』による突進攻撃を止めたわけではなかった。防がれたのだ。またしても、触手によって。
「この程度の実力で予選を勝ち抜いたのねぇ。嘘みたいだわぁ」
「テメェ……!」
竜ヶ崎巽の身体に空いた幾つかの風穴。それと同時に、彼女の躰には、無数の擦り傷ができていた。あまりの痛みに、彼女自身もそのことに気付いていなかったのだ。竜ヶ崎巽は思考する。
――なんだこの傷は……?こんな傷……受けちゃいねェはずだァ。さっきの……叩き付けられたときかァ……?
「うふふ♡言ってなかったわねぇ。私の触手には鮫肌があるのよぉ」
「鮫肌ァ?なんだそりゃァ?」
「鮫の皮のように表面がザラザラしてるのよぉ。私に攻撃すればするほど、あなたはダメージを受けることになるわよぉ」
「――ッ!なんだそりゃァ!」
事実、竜ヶ崎巽の想像以上に、彼女自身、消耗していた。一方的に百回近く、地に叩き付けられ、『墨弾』によって躰に風穴を空けられ、ダメ押しの触手の鮫肌による擦り傷。そして、水が絶え間なく傷口に染み込み、耐え難い苦痛を齎す。
そして、対する海酸漿雪舟は全くの無傷。それどころか、十二分に余力を残した状態で戦っている。所謂、舐めプだ。竜ヶ崎巽は、焦っていた。
――やべェ……!身体も限界が近い……!
「クッソ……がァ!茹でダコにしてやらァ!――『竜ノ息吹』!!」
――だが、その火炎放射は出ない。戦場は水中――当然だ。
「――おあッ!?なんで出ねェんだァ!?」
「アホなのねぇ。そろそろ終わらせようかしらぁ♡」
海酸漿雪舟は、水に満たされるドーム型の〈継戦ノ結界〉――その頂点までひらひらと舞い上がった。――そして。
「――『墨雨』」
伸びる無数の触手。振り翳した〈三十六景〉から放たれる、無数の『墨弾』。それらが、容赦なく、絶え間なく竜ヶ崎巽に襲い掛かった。
「――がッ!――ぐわッ!」
『こっ……!これは凄まじい!まさに嵐!第八回〈極皇杯〉の優勝を決めた、『墨雨』だぁ!』
鮫肌搭載の触手が竜ヶ崎巽を殴り、『墨弾』が次々に竜ヶ崎巽の肢体に風穴を空ける。竜ヶ崎巽も必死に反撃を試みるも、その猛攻に阻まれ、一切の手出しができない。海酸漿雪舟は正に、「攻撃は最大の防御」を体現していた。
『これが〈極皇杯〉王者!〈極皇杯〉王者の本領発揮だァ!強い!強いぞ、海酸漿雪舟!!』
「意外としぶといのねぇ、あなた」
「はァ……はァ……!ま……負けるかよ……ッ!もう……負けるのは嫌なんだッ!」
「そう……少し面倒になってきたわねぇ。まだ誰にも言っていなかったのだけれど、言っちゃおうかしらぁ」
「――あァ!?」
「――私の異能は神話級異能――〈瀛溟〉よぉ♡」
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