1-11 海老蕎麦
「えっと……せつくん?ごめんなさい、話の繋がりが見えないんですが……」
「フフフ……まあ見てなって」
――数分後。豪勢な料理を完食し、俺が手伝おうとする隙もなく、手際良く食事の片付けに取り掛かる天音。屋上の喫煙ブースで煙草を吸って、リビングへと戻ると、食事の片付けを済ませた天音の姿が見えない。
「あれ、天音?」
「――せつくん!」
左手側―― バスルームの方向から天音が俺を呼ぶ声が聞こえる。バスルームへと通じる脱衣所の扉を開くと、脱いだメイド服を畳んでいる、下着姿の天音が立っていた。
「おお、天音。悪い、風呂入るところだったか」
「せつくん、あの、一人になりたいと思うんですけど、今日だけで、今日だけでいいので、良かったら一緒にお風呂入りませんか?」
「……ああ、そうだな」
――数分後。バスルームの中央には大きな円形のジャクジー付きの浴槽がある。身体を洗い、二人で浴槽に身体を沈めると、今日の疲れが綺麗さっぱり洗い流されたように感じられた。
「あぁー、生き返るなァ……」
「ふふ、気持ちがいいですね……」
俺の膝の合間にちょこんと収まる天音。天音は俺の太腿に右手を伸ばして、指先で、艶めかしく触れた。
「せつくん、あの……」
「ああ、ここじゃアレだから。後でまた、な」
「はい……」
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――〈オクタゴン〉・二〇一号室。乱れた白いベッドシーツの上で、上裸の俺は、ふかふかの枕に顎を乗せ、スマートフォンでネットサーフィンに勤しんでいた。
そんな俺の隣で、もう一つ置かれていた枕に白いウルフカットの頭を乗せ、肩を露出させた天音。ばってんヘアピンやレースのカチューシャは既に外していた。白い羽毛布団を被った天音が俺の方を見て、静かに微笑んでいる。部屋の壁掛け時計の時刻は零時を回り、日付は二一一〇年の十二月二日になったところだった。
「せつくん……何見てるんですか?」
「ああ、〈世界ランク〉アプリのソロランキングにクランランキング……それと『ブラウザ』で確認できる情報はもう頭に入れてしまおうと思ってな」
――一度見聞きしたものは絶対に忘れない「無限記憶」と中学二年生当時の俺が命名した、俺の特筆すべき才能。現にかなりこの異能至上主義の新世界の全貌が露わになってきた。
――それだけに、俺の自殺した要因についての記憶がないのが不思議ではあるが、それを今考えても仕方がない。何れ、何かのきっかけで思い出すだろう。
「流石せつくんです。もうこの新世界に関する知識量は私と大差ないかもしれないですね……」
「はは、文字列の情報だけを記憶するのと実際に目で見るのとは大きな違いがある。新世界に関する知識量じゃ天音には勝てないよ」
「ふふ、ご謙遜を」
「謙遜でもないんだが……。つーかこの新世界……異能至上主義って話はやはりマジらしいな」
――八十五年前――旧世界では仕事、収入、学歴、スポーツ、話の面白さに顔面――人を評価する基準は多様だった。だがこの新世界において、それらは全て、異能の階級という形ではっきりと現れる。そのため、この新世界では異能が最も重要視されるらしい。
「そうですね……。異能という武器を全ての人が手にしてしまったことで、殺し合いは日常茶飯事――新世界の治安は最悪ですが……」
「そうなるわな……」
――そりゃあクランを組むのが一般的なワケだ。背中を預けられる仲間が多ければ多いほど、その分生存確率も上がる。
――異能バトルが当たり前の世界。異能至上主義故に皆が「異能バトル」や「異能戦」と呼んでいるだけで、本来ならばそのような特別な呼称も必要ないのだ。
――そしてもう一点。〈世界ランク〉アプリに表示される、「You」という赤文字の表記と共に示されていた「夏瀬 雪渚」のソロランキング――現在、一億五千二百三十八万四千九百五十六位。
親友、五六一二三が最高経営責任者――CEOを務める、世界的な多国籍企業でもある〈天網エンタープライズ〉――通称・天プラ。世界六国と連携しており、どのような原理か解らないが、恐らく先程の竜ヶ崎との戦闘の結果が反映されたものだと予想される。
――そして同じく、「You」という赤文字の表記と共に示されていた〈神威結社〉のクランランキング――最下位の三百万五千二十九位タイ。クランランクは最低評価のF級。
こちらはクランを結成してからの戦績が反映されるのだろう。クランを結成してから俺も天音も〈オクタゴン〉内で過ごしており、何もしていないのだから当然最下位というわけだ。
因みに俺も、一旦非公開設定にしておいた。クランメンバー全員が非公開設定にしたことで、クランランキングの〈神威結社〉は、非公開表示となった。とは言え自身の順位は確認できるのだが。
「せつくん、明日――もう今日ですが、お出掛けになるのでしたらそろそろお休みになりませんか?せつくんも今日色々あってお疲れかと思いますし……」
「ああ、そうだな。寝るか」
――まあ粗方、有益な情報は手に入った。焦ることもないか。
「はい、おやすみなさい。せつくん」
「ああ、おやすみ――」
自然と瞼が閉じてゆく。
――こうして、俺は、この異能至上主義の新世界での、「一日目」を終えた。
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「――ぐあぁ……あぁ……。よく寝た……」
快眠も快眠。壁掛け時計の短針は「13」と「14」の間、長針は「6」を指し示す。窓から差し込む陽光が、新たな日の訪れを告げていた。
――十三時半か。超理想の睡眠だったな。
「おはようございます。せつくん」
声のする方向に目を向けると、テレビ台の前の木の椅子に腰掛けた、綺麗な姿勢で白い髪の美しい容姿の女が、俺に微笑んだ。レースのカチューシャ、露出した胸元、長いフリルスカート――最早俺の中で定着してしまったメイド服に着替えたその子の姿は、目を覚ました直後に目に映る光景としては、極上のものだった。
「おはよう天音。俺が起きるの待っててくれたのか」
「ふふ、せつくんの彼女ですから。さ、せつくん、お食事の用意もできていますよ」
――そして、天音に優しく促されるがままに朝食を済ませ、脱衣所の洗面所で歯磨きや洗顔を終えた俺は、リビングのL字型のソファに、天音と斜め向かいに座った。
「よし、出発するか」
「えっと、せつくん。つけ麺……を食べに行くんですよね」
「ああ、つけ麺を食べに行くんだ」
「えっと、せつくんがつけ麺好きなのは存じておりますが……主目的は何なのですか?」
「ああ、つけ麺はオマケだよ。あの街に行くならつけ麺は欠かせないからな。主目的はそうだな、『竹馬大学』だ」
「『竹馬大学』ですか」
――茨城県つくば市にある国立の総合大学、「竹馬大学」。新世界は〈日出国ジパング〉の〈竹馬エリア〉にキャンパスを構える「竹馬大学」――ということになるのだが、竹馬大学には商学部がある。
――俺の在籍していた東慶大学には商学部はないため、俺の知る限り当時の日本国内で最も優秀な商学部があるのが竹馬大学だ。要するにそこで仲間として欲しい商人を探そう、という魂胆だ。
「なるほど……竹馬大学には商学部がございますね。そこで商人を探そう、というわけですね」
「その通りだ。竹馬大学ほどのレベルならもう実際に商人として生計を立てている奴も多いだろうからな。こんな時代なら尚更だ」
――〈竹馬エリア〉までも、エクスプレスで数分で着くらしい。流石新世界というべきか。当時は東京からつくば市まで一時間は掛かったものだが……。
「かしこまりました!せつくん、そうと決まれば参りましょう。〈竹馬エリア〉へ!」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――三十分後。〈竹馬エリア〉・竹馬駅周辺。そこから見える景色は、〈超渋谷エリア〉や〈真宿エリア〉と同様に、縮小したつくば市の姿があった。巨大な複合型商業施設が聳え立つ通りを、北東方向に数分進むと見えてくるラーメン店・「道福軒」。俺たちはその賑わう店内の、テーブル席に向かい合って座っていた。
食券機に天音から借りた銀貨一枚を投入して注文したのは「海老蕎麦」。眼前に置かれた海老蕎麦の、心地の良い香りが鼻腔を擽り、食欲を掻き立てる。貪り食うように麺に食らい付くと、海老の旨みが口内に弾けるように広がる。
「うっま……っ!」
――俺は食には五月蝿い。フードデリバリーで、大盛りの追加料金込みの総計千八百円を支払って、茶碗一杯分もない唐揚げ丼が届いたときには流石にブチギレて低評価を押した。ああいう飲食店の風上にも置けないカス飯屋は絶対に許してはならない。
「あの、せつくん、いや、めちゃくちゃ美味しいんですけど、つけ麺食べるんじゃなかったんですか……」
ラーメン店に似つかわしくないメイド服を着こなす白いウルフカットの美女。呆れた様子で俺に告げる。
「気が変わった」
「もう……せつくんらしいですけど……」
――そんな飲食店に対し、茨城県つくば市――改め〈竹馬エリア〉の麺類は大抵の場合、ボリュームもあって美味い。俺も大学を除籍される前までは何度か一二三たちと態々つくば市まで足を運んでつけ麺を食べに行ったものだ。つけ麺だけに留まらず、ラーメンやまぜそばも負けず劣らず美味いわけだが、兎角、つくば市の麺にはそれだけの価値がある。
「うま……天音、食べ終わったらトイガラス行くぞ」
「えっ……トイガラスっておもちゃ屋さんですよね?もう、せつくんがおもちゃ好きなのはわかるんですけど竹馬大学に行かないとですよ」
「武器を買いに行こうと思ってな。あと玩具。クソ面白そうなカードゲームがあるらしいじゃないか」
――俺は精神的に未熟なんだと思う。人格形成が成されていない。俺の自殺の要因でもある、とある理由によって。結局はそれが思い出せないわけなのだが、〈竹馬エリア〉に足を運んだのは、それを思い出すためでもある。
「おもちゃ……って、いや、せつくんそれはいいんですけど、武器はちゃんとした武器屋が各地にございますよ?」
「ああ、知ってる。まあ落ち着け天音。俺が今まで間違っていたことがあったか?」
「……ちょいちょいあった気がしますけど」
「成程な。そういう意見もあるよな」
完食した大盛りの海老蕎麦。その余韻に浸りながら軽い冗談を言ってみる。
「ふふ、もうせつくんったら。あ、せつくん次のお客さんもいらっしゃるようですし、『ごちそうさま』して出ましょうか」
「おい俺二十二歳児だぞ……」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
――ラーメン店・「道福軒」の愛想の良い主人に軽く挨拶をして店を出て、西方向へと進むこと数分。大通り沿いに立つ玩具店・「トイガラス」の竹馬エリア店。店内には様々な種類の子供向けの玩具が、圧巻と言えるほどに、見事に陳列されている。
縫いぐるみや男児向けのホビー商品、女児向けの着せ替え人形等が並ぶ陳列棚の合間で、メイド服の美女が俺の背後で、俺が手に持つ商品を不思議そうに覗いている。
「ほう……構築済みの『白虎ビャッコベルク』デッキに『朱雀スザクオン』デッキ……迷うな……」
「ふふ、せつくん楽しそうで何よりです」
なんやかんや言って、俺が喜ぶ様子を微笑みながら見守る天音はまるで俺にとっての聖母のようだった。
「悪い天音……これは時間を要する判断だ……」
「せつくん、一つ銅貨八枚なら大した額じゃないですし両方買いましょ?あ、この『玄武ゲンブロード』デッキってのと、これも、あとこれも買いましょ?」
「おぉ……天音、俺を甘やかしすぎじゃないか」
「ふふ、償い……ってわけじゃないんですが、せつくんには私、何でもしてあげたいんです」
「償うべきなのは俺の方なんだけどな……まあそう言ってくれるなら甘えさせてもらうか」
「せつくん、それより早く武器を買わないと、日が暮れて学生さんもおうちに帰っちゃいますよ?」
「ああ、そうだな」
手持ちの買い物カゴに構築済みデッキを幾つか放り込み、陳列棚の合間を進む。天音が後を追うように俺の背後をついてくる。
「せつくん、おもちゃ屋さんで武器って……何を買うんですか?」
俺は目的の商品の前に立って、親指でそれを指して告げた。
「――これだ」
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