2-40 Xmas Eve
――〈オクタゴン〉・一階リビング。各々入浴を済ませ、丁度今、五人で食事を終えたところだった。
「陽奈子さん、そちらのお皿はお願いできますか?」
「おっけー!任せて、あまねえ」
キッチンでは天音や陽奈子が手際良く皿洗いを済ませている。俺も手伝おうと隙を見て皿を奪おうとするも、一切の隙が見当たらない。なので取り敢えず、濡れた皿をキッチンペーパーで拭いて、手伝う姿勢があることだけはアピールしている。――すると、エプロン姿の陽奈子が俺に優しく声を掛ける。
「雪渚、無理しないでいいから休んでて。疲れてるでしょ?」
――あれ?遠回しに邪魔だと言われてる……?
「はい、せつくんはリビングで竜ヶ崎さんのお勉強を見ててあげてください」
――どうやら邪魔らしい。これは失礼した。
「うげ、邪魔してすみませんした……」
――料理は天音と日向が共同で担当してくれている。当初は竜ヶ崎も「アタイもやる」って言って聞かなかったのだが、竜ヶ崎は力加減がわからず頻繁に皿を割ったり包丁で指を切ったりするので料理係からは永久追放を言い渡した。代わりに地下のトレーニングルームの器具等の整備を担当してくれている。
キッチンと隣接する、正八角形のリビングに足を踏み入れる。先程まで食事をしていた円いテーブルでは、竜ヶ崎が漢字ドリルを開いて熱心に勉強している。――小学二年生向けの市販のものだが。
「えっとォ……あァ?なんだこの漢字……これ一緒じゃねェかァ……」
竜ヶ崎が熱心に取り組む漢字ドリルのそのページには『牛』と『午』が横並びになっている。全く違う漢字であることに微塵も気付いていないようだ。
「――ボス!これ同じ漢字があるぞォ!きっと『ゴショク』ってヤツだぞォ!」
「誤植じゃないし違う漢字だぞ、それ……。ほら、上の部分が突き出てるだろ」
「――おあッ!?マジかよォ!アタイを騙そうとしたのかァ!このドリルはよォ!あァ!?何とか言ってみろォ!ドリル野郎ォ!」
竜ヶ崎は憤慨して漢字ドリルにブチギレている。竜ヶ崎の隣の椅子に腰掛けながら、俺は声を漏らした。
「アホ……」
――俺はと言うと竜ヶ崎の勉強係を担当している。〈竜ヶ崎組〉の支配から〈神屋川エリア〉の住民たちを助けるため、竜ヶ崎は幼い頃から孤軍奮闘していた。力で大きく劣るのにも関わらず、兄貴に挑み続けて千の黒星を重ねた。
「おォ……!この漢字は楽勝だァ!ガッハッハ!」
――しかし、戦いだけに支配されていた竜ヶ崎は、その分、物事を知らない。最悪の場合、俺がいなくなってもしっかりこの世で生きていけるだけの最低限の知識は身に付けておくべきだ――という考えからだ。
竜ヶ崎は案外勉強に意欲的で、新しい知識を吸収するのが楽しいらしい。幼少期の俺がされたように、深夜までつきっきりで勉強させるような真似は一切するつもりはない。勉強は一日に二十分程度だが、竜ヶ崎が楽しいのならばそれに越したことはないだろう。
「懐かしいですなぁ。漢字ドリル」
百インチの液晶テレビ――そこには竜ヶ崎が戦う予選Hブロックのアーカイブ映像が流れている。その液晶テレビの前に置かれたL字型のソファ――そこに腰掛けていた拓生が呟く。
「ぶっちゃけ学校の課題やったことねーから漢字ドリルの効果の程はわかんねーけどな……。教師に文句言われたこともないし」
「雪渚くらい賢かったら先生も何も言えないでしょーね……」
「せつくんにとって義務教育は児戯に等しいですからね」
キッチンから皿洗いを終えた天音と陽奈子が顔を出し、円いテーブル――その椅子に腰を下ろす。陽奈子はエプロンを脱いだようで、天音も陽奈子もパジャマ姿だ。対する竜ヶ崎はダサい「忠誠」白T一枚である。
『――でもボスはアタイを地獄から救ってくれたァ!姉御も拓生も陽奈子もだァ!だから次はアタイがみんなを救えるようにならなきゃなんねェだろォがァ!』
テレビからは竜ヶ崎の叫ぶ声が聞こえる。陽奈子が目に涙を浮かべて竜ヶ崎の頭を撫でる。竜ヶ崎が嬉しそうに頭を陽奈子に擦り寄せた。
「巽ちゃんは本当に健気でいい子ね……。ここ本当に泣きそうになったわよ……」
「陽奈子ォ!アタイ頑張ったぞォ!」
「つーか竜ヶ崎、お前体調大丈夫か。帰ってきて直ぐ風呂入ったけども」
「あァ?なんかまずかったかァ?」
「外寒いんだからヒートショック起こすぞ……。まあ問題ないならいいか」
「ふふ、竜ヶ崎さんもお身体には気を付けてくださいね」
「おォ!」
「それにしても雪渚氏が冴積四次元氏に放った『雪華弾』からの、『頭冷やしな』!あれは決まってましたなぁ!」
「おー、弄ってんのか。拓生てめえ」
「馬絹に言った、『挽き肉はパック詰めよォ……!』もよかったわよ。意味わかんないところが特に」
「陽奈子……あのな……」
「でも雪渚めっちゃカッコよかったよ!スゴいドキドキしちゃった!」
「ふふ、そうですね。せつくん、カッコよかったですよ。彼女として誇らしいです」
「おー、褒められて育ってねーから涙出そうになるな」
「雪渚氏、闇を見せないでくだされ……」
「ガッハッハ!」
「とは言え庭鳥島女史の本性も意外でしたが……雪渚氏が庭鳥島女史の企みに気付いていないというのはもっと意外でしたな」
「あー、幼少期の反動なんだろうが……俺はちょっと優しくされると甘くなっちゃうんだよな」
「せつくんの数少ない弱点の一つですからね。とは言えせつくんに見事に返り討ちにされたようで心が晴れ晴れしましたが」
「庭鳥島も手段を選ぶ余裕がないくらい、本気で〈極皇杯〉に挑んでたってことだろ。責める気はねーけどな」
「でもすげェよなァ!ボス!ファイナリスト相手に連戦連勝だぜェ!やっぱかっけェぜェ!」
「ふふ、それはもちろんですが竜ヶ崎さんも立派でしたよ」
「ホントそうね。伸び率で言えば巽ちゃんは、〈神威結社〉――いや、新世界でも圧倒的トップなんじゃないかしら」
「何にせよ本当にお二方共素晴らしかったですぞ!」
「オタクくん、ホントそれな。〈神威結社〉万歳ね」
「ええ、流石せつくんと竜ヶ崎さんです。特にAブロックは修羅のブロックでしたからね」
――夕食と入浴を済ませ、夜にこうして、〈神威結社〉の仲間たちとリビングに集まって団欒の時間を過ごすのは、誰が言い出したわけでもないが日課になっていた。この異能至上主義の修羅の新世界で、こうして楽しい時間を過ごせることは俺にとっての癒しだ。
「――てかせっかくのクリスマスなのにぃ、雪渚とデート行けないの辛いんだけどー」
「ちょっと陽奈子さん、何を彼女面してるんですか?貴女は親善試合に負けたんですから大人しくしていてください」
「はあっ!?それはあまねえが変なこと吹き込むからで……!」
「ああ、何か天音が陽奈子の耳元で囁いてたな。アレなんだったんだ?」
「ええ、せつくんの『アレ』のサイズを教えて差し上げただけです。そうしたら顔を真っ赤にしちゃって……お可愛いこと」
「そっ……そんなの聞いちゃったら仕方ないじゃん!今もめっちゃ意識してるんだけど!」
「お前ら公衆の面前で何してんの……」
「やはり〈神威結社〉でマトモなのは小生だけのようですな!」
「ガッハッハ!そりゃねェだろォ!」
「――ぶひっ!?」
「まあ兎も角、親善試合は大成功だ。二人とも十分に強さを示してくれたし、竜ヶ崎も俺もファイナリストになった。拓生も自衛するだけの力は十二分にある。もう〈神威結社〉を襲おうなんて奴は激減するだろうな」
「うん!まあ、あまねえとは親友だからこそ、勝ちたかったのが本音だけどね……」
「ふふ、私でよろしければいつでも受けて立ちますよ」
「お二方共、最高の試合でしたぞ!」
「おォ!やっぱファイナリストになった今でも二人には勝てる気がしねェモンなァ!」
「同感だ……。やっぱ天音も陽奈子も紛れもなく〈十天〉だな……」
「へへ、みんなありがと。――あっ、そうだった!雪渚!明日の本戦の作戦会議しよーよー!」
「日向女史……楽しそうですな!」
「だって十天観覧席ウザいんだもんー!〈神威結社〉のみんなと会えなくて暇だしー!」
「本当に頭が痛かったですよ、特に銃霆音さんが煩くて、煩くて」
「ああ……目に浮かぶな……」
「徒然草もマジウザかったしー!」
「本当ですね。徒然草さんは一度死んだ方がいいでしょう」
「徒然草――って第四席の?仲悪いのか?」
俺がそう尋ねると、陽奈子はバツが悪そうに目を伏せた。天音も何故か、知らぬフリをしている。
「あっ……う、うん、ちょっとね……」
「せつくんはお気になさらず」
「あ、ああ……そう……」
「さて、日向女史の言う通り、作戦会議の必要がありますな!」
「あっ、その話だった!」
「作戦会議なぁ、話したいことが多すぎるけどな……」
――六万分の一――途轍もない倍率の予選を勝ち抜き、本戦に残った八名のファイナリスト。良く知っている者もいれば、未だその底が見えない者、名前すら初めて聞く者もいる。しっかりと対策を練る必要がありそうだ。
「そうですなあ。何から話しますかな」
「えーっと、大和國さんの弟さんや幕之内くんはよく知られてるからいいとして……」
「まずは初戦、海酸漿さんでしょうか」
――海酸漿雪舟。奇怪なシルエットの黒髪ロングの美女。前々回大会――第八回〈極皇杯〉の王者にして、〈十天〉入りを拒んだ人物だ。
「――おォ!アタイの相手かァ!タコ女ァ!」
「第八回の王者――つまり第九回の雷霧の前年王者か」
「はい、そうなりますね。本来であれば、〈十天〉の第八席になっていたはずの人物です」
「優勝予想ランキングも、流石の圧倒的一位ですな……」
「アーカイブ映像で何となく水系の異能だとは判明してるが……その階級も名称も判明してないんだよな?プレートフォンを持ってないらしいから〈世界ランク〉にも載ってねーけど」
「そうね……。でも〈極皇杯〉の本戦に進むんだから少なくとも偉人級以上――いや、神話級でも不思議はないわね。一度優勝してるわけだし」
「そうなると……今年の本戦には神話級異能が三名もいることになりますな……」
「そうだな。俺と海酸漿と黒崎さん……」
「――えっ!?黒崎さんって神話級なの!?」
「あれ、陽奈子は知らなかったのか」
「知らないわよ……。あの人、〈十天円卓会議〉でも杠葉ちゃんたちのお付きに徹してるし、自分のこと全然話す人じゃないから……」
「そうか……」
「――おあッ!?あの執事は神話級なのかァ!?まァ、優勝するのはボスで、準優勝はアタイって決まってるから問題ねェけどなァ!」
――黒崎の神話級異能、〈戯瞞〉。その異能が冠する神の名は、北欧神話に登場する、「閉ざす者」、「終わらせる者」の意を持つ、悪戯好きの神――ロキ。性格は狡猾で嘘吐き。変身術を得意とする。
「ロキ……でしたよね。確か北欧神話の……」
「ああ。狡猾な性格で知られる、悪戯好きの神だな」
「『ろき』かァ!どんな異能なんだろうなァ!?」
「異能の名称から考えれば、変身術――の可能性が高いんだが、予選を観ていてそんな様子はなかったんだもんな?」
「そうですなあ。その様子がないどころか、本当にレイピアを手にしてボロボロの状態で……ギリギリの勝利、といった感じでしたぞ」
「うーん、わかんないわね……」
「まさかあの黒崎氏がファイナリストになるとは、思ってもみませんでしたな……」
「そうだな……。……そう言えば、黒崎さんって天音が〈十天〉なの知っていたのか?」
「はい、第十席の杠葉姉妹のお付きとして、〈十天円卓会議〉にも顔を出しておられましたから。〈十天〉公開前ですと、〈十天〉以外で私が〈十天〉だと知っていた唯一の人物ということになりますね。五六さんにも言っていませんでしたし」
――ということは……竹馬大学で初めて黒崎さんと会ったタイミングで、黒崎さんは天音が〈十天〉だと知っていながら、何食わぬ顔で天音と接していたというわけだ。……何処までも食えない。
「竹馬大学で黒崎氏が天ヶ羽女史と会った時点で、黒崎氏は天ヶ羽女史を〈十天〉だと知っていたわけですな……」
「雷霧の比じゃねえ。とんでもないフェイク野郎――大嘘吐きかもしれないな……」
「……あとは、雪渚が戦う知恵川ちゃんよね。アタシは天プラの企業CMの撮影で一回一緒に仕事したくらいだけど……」
「はあ、あの女ですか……」
「雪渚氏は小生が知る中で五六氏と並んで最も賢い人物でありますが……恐らく、知恵川女史も全く引けを取らないでしょうな……」
――東慶大学文学部の首席。大学で言えば俺の後輩に当たるが……その実力は如何程か……。
「かなりアイツには目の敵にされてるが……あれだよな。『言語ゲーム』を仕掛けてくるんだよな」
「そうですな。彼女のバトルは、異能戦と言うよりは頭脳戦に近いですぞ。頭脳で彼女を上回らなければ勝利はありませんぞ」
「雪渚、知恵川ちゃんの知識量は本物よ。雪渚なら心配ないと思うけど、気を付けてね」
「わかってる……」
「ボスが頭で負けるかよォ!アタイより賢いんだぞォ!」
「そりゃそうですぞ……」
「知識なら尚更せつくんの土俵ですよ。心配要りません」
天音は拗ねたように、ふいっとそっぽを向いた。余程、俺を侮辱した知恵川言葉が嫌いなようだ。
――そして……最も謎なのは……。
「現憑月月……か」
「なんか……美人なのに暗い女だったわね」
「謎の人物ですね……。時折〈極皇杯〉で無名の出場者が勝ち上がることはありますが、全く誰にも知られていないということは過去にございませんでした」
「〈十天〉ですら知らないって……そんなことあるのか……」
「銃霆音も似たようなこと言ってたわね……」
「しかも、あの熾烈な予選を僅か六分で勝ち上がってますからな……」
「早すぎだろォ……。六万人もいるんだぞォ?何をどうやったらそんな早く勝てるんだよォ……!」
――予選の僅か六分のアーカイブ映像を何度観ても、彼女は殆ど映っていない。その異能どころか、正体が全く掴めない。
ふと、スマートフォン――改め、プレートフォンを取り出してソロランキングを確認する。照明がプレートフォンの画面に反射した。
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Solo Ranking
1.【天】鳳 世王
2.【天】天ヶ羽 天音
3.【天】飛車角 歩
4.【天】徒然草 恋町
5.【天】大和國 綜征
6.【天】噴下 麓
7.【天】日向 陽奈子
8.【天】銃霆音 雷霧
9.【天】漣漣漣 涙
10.【天】杠葉 槐
10.【天】杠葉 樒
12.【極】大和國 終征
12.【極】――非公開――
12.【極】幕之内 丈
12.【極】知恵川 言葉
12.【極】夏瀬 雪渚
12.【極】竜ヶ崎 巽
12.【極】黒崎 影丸
↓
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――非公開設定は現憑月だろう。プレートフォンを持たない海酸漿を除く七名が同率十二位。明日、この格付けが正式に為されるのだ。
「まあ何にせよ……俺と竜ヶ崎が戦うとしたら決勝だな」
「お、おォ!そうなのかァ!?」
「トーナメント表の仕組みを理解していませんな……」
「ガッハッハ!勝ちゃァ問題ねェ!ボスも〈エフェメラリズム〉で全部撃ち抜いちまえェ!」
「おー、それなんだけどよ……」
四人の注目が俺に集まる。時計の針が、チクタクと心地良い音を奏でていた。
「俺、武器ないんだけど」
「「「「あっ」」」」
夜が、更けてゆく。メモリアル大会となる第十回〈極皇杯〉――後世に語り継がれる伝説が、幕を開ける。
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