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2-36 本館3F:ラウンジフロア

 ――五ツ星ホテル・〈竜宮楼りゅうぐうろう〉、本館三階――ラウンジフロア。バーラウンジやクラブ等が構える、夜の交流の場を目的とした大人向けのフロアだ。


 俺はその大理石の廊下を駆ける。ぐ背後には猛スピードで毒ガスが迫り来る。毒ガスに追い立てられるようにその一室に足を踏み入れた。――視界に飛び込んできた光景は、高級感のある内装に、バーカウンター裏の棚に並べられたカクテルの各種。――バーカウンターである。


 バーカウンターの近くまで歩み寄ったとき、背後で毒ガスの侵食がピタリと止まった。正面に向き直ると、視界の奥にも安全地帯の端が見える。本館の二階も四階も既に毒ガスに飲み込まれている。つまり、最後の安全地帯は、このバーカウンターのみだ。


 ガラス張りの窓からはモーテルが並ぶ住宅地やダイナー、大型のマーケット、ヤシの木――アメリカ合衆国の港町のような風景が見下ろせる。……毒ガスに覆われてはいるが。


「……いや……おかしいだろ……」


 俺は思わず声を漏らす。理由は明白だ。安全地帯であるバーカウンターには誰もいないのだ。ファイナリストは夏瀬雪渚――そう決まったはずなのだ。なのに、何も起きない。


「確か……」


 ――天音に聞いた話では、ファイナリストとなることが決定した瞬間、スマートフォンが勝手に眼前に飛び出してきて、ファイナリスト決定をしらせてくれるらしい。


 ポケットに入ったガラス板のような新世界版スマートフォンを取り出す。タップして起動してみても、そのホーム画面に特に変哲はない。変わったところがあるとすれば画面の右上に「圏外」と表示されている程度だ。


 ――これは出場者が生中継を観ている外部の者と連携して有利に動くのを防止するための施策だ。これは問題ないとして……。


「……ファイナリストになったんじゃないのか?」


 ――いや……まあいい。戦う敵もいないのだ。


 俺はバーカウンター裏に回り、バーカウンターの下に設置された冷蔵庫から、ウォッカとグレープフルーツジュース、輪切りのレモン、氷を取り出す。冷蔵庫の隣にはランプが点滅するWiーFiルーターらしきものが置かれていた。バーカウンター裏の棚から食塩とロックグラスを持ち、バーカウンターに置いた。バーカウンターを一周ぐるりと回り、そのカウンターチェアに腰掛ける。


 ロックグラスの縁をぐるりと輪切りのレモンで濡らし、そこに食塩を付ける。スノースタイルと呼ばれる洒落しゃれたデコレーション技法の一種だ。そしてロックグラスに氷を入れ、ウォッカ、グレープフルーツジュースを注ぐ。バーカウンターに置かれていたバー・スプーンで、最後にステア――掻き混ぜる。これでソルティドッグの完成だ。


 ロックグラスを口元に寄せる。グラスの縁に残る塩が、唇に触れた瞬間、海の記憶を呼び覚ます。ひと口含めば、グレープフルーツの鋭い酸味とウォッカの冷たい刃が舌を裂いた。喉を通り過ぎた後に残るのは、じんわりとした熱と、何故か少しだけの寂しさだった。――だが、美味うまい。


「あー……染み渡る……」


 忌住きすみ鱚子きすこ冴積さえづみ虚次元きょじげん馬絹まぎぬ百馬身差ひゃくばしんさ冴積さえづみ四次元よじげん――そして、庭鳥島にわとりじまもえ。強敵たちとの戦いで酷使した肉体が癒えてゆくかのように錯覚する。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――十分後。俺は確かな違和感を感じ取っていた。いくら何でもおかしいのだ。


「いやいや……」


 止まっていたはずの視界の両端の毒ガスが、徐々に距離を詰めてくる。じわじわと、じわじわと。バーカウンターのガラス張りの窓からは仄暗ほのぐらい夕陽が差し込んでいた。夜のとばりが降り始めている。


「……マジか。考えたくなかったけど……」


 ――最悪の可能性。まだいる(・・・・)のだ。


 高級感のある、黒を基調としたバーカウンターの中を見渡す。――が、やはり敵らしき人影は見当たらない。考えられる可能性を、疲労しきった頭で、何故か飲んでしまった酒で思考力が鈍った頭で、必死に挙げてゆく。


 ――「透明人間」……?「姿を消す異能」……?いや、違うな。だとすればあちらも時間の問題のはず。何らかのアクションを起こしてこないのはおかしい。――だとすれば……!


 カウンターチェアから勢い良く立ち上がり、背後の窓の外に目を向ける。思い付く可能性は、それしかなかった。


 ――「毒ガスが効かない」敵……!


「クッソ……!やられた……!」


 ――毒ガスが効かない――そんな異能の敵ならば、毒ガスの侵攻を気にせず、この予選会場内の何処どこにいたっていい。最後に残った俺が毒ガスになぶり殺されるまで、テキトーに安全地帯の外で時間を潰しておけばいいのだ。


「そんなの……アリかよ……っ!」


 ――不味まずいのは状況だ。俺は毒ガスによってバーカウンターから動けない。そして〈天衡テミス〉は俺と対象者との間に掟を定める異能。俺単独ではどうにもならない。じゃあ武器はというと……〈エフェメラリズム〉はご覧の有様だ。


 黒のスキニーパンツの左ポケットにじ込んだバラバラの金属片。パチンコ玉はあるがパチンコ玉単体で一体全体何ができると言うのか。


 ――いや、一つだけ策はある。三つの関門はあるが……それが通じなければ万策尽きる。……俺は予選敗退だ。


 カウンターテーブルの端に置かれたメニュースタンド。そこにはラミネート加工された、何冊かのメニュー表が立て掛けられている。迫り来る毒ガスの脅威の中、俺はそのメニュー表を必死に漁った。


 ――ここは五ツ星ホテル……。アレがあったことだし、それなら絶対に「アレ」もあるはずだ……!


 メニュー表の隙間から見つかったのは、一枚のラミネート加工された、A4サイズの紙であった。「SSID」と「パスワード」が記載されている。――そう、このバーカウンターのWiーFiへ接続するためのものだ。


 ――あった……!第一関門突破……!


 スマートフォンのWiーFi接続画面――そこに、素早く、かつ的確に、フリック入力で文字を打ち込んでゆく。


 ――貸切、かつ損害は全て〈極皇杯〉の運営である〈十天〉が負担するため、この〈竜宮楼りゅうぐうろう〉を戦闘によっていくら壊しても構わない。だが、その「貸切」の範囲は何処どこまでだ……?


 ――外部と連携を取れなくするための「圏外」……だが、徹底するならばWiーFiルーターも取り除くべきじゃないのか……!?


 ――「毒ガスが効かない異能」が必勝のゲームになってしまうのは、興行として失策じゃないのか?だとすれば、必ず、穴があるはずなんだ……!


 「接続」をタップし、スマートフォンがWiーFiに接続されるのを待つ。時間が永遠のように感じられる。すると、「接続しました」の表示と共に、画面の右上にWiーFiのマークが現れた。


 ――第二関門突破……!やはり、置かれているものは全て利用していい……!


 スマートフォンのホーム画面に並べられたアプリから、動画サイト・「NewTube」にアクセスする。そのトップページには、まさに今この瞬間行われている、〈極皇杯〉のライブ映像が見つかった。ブロック別に枠が分かれているようだ。――毒ガスが、目測二メートルの距離にまで迫る。


 「Aブロック」のライブ映像をタップすると、(まさ)にこの瞬間、俺がいるバーカウンターが俯瞰ふかん視点で映し出される。画面の下部――滝のように流れるコメント欄は、軽く炎上していた。


 「なんか酒飲んでて草」、「何してんだコイツ」、「アルジャーノンゲームすんな」、「何してんの?」、「諦めた?」――そんなことはどうでもいい。俺は、映像が切り替わるのを祈った。


 ――頼む。早く、早く切り替われ……!


 ――その瞬間、動きのない俺を映すのをめたのか、カメラが切り替わる。スマートフォンに映し出されたのは、四十代だろうか……。


 そこに映ったのは、黒いもやに覆われたダイナー――レストランの店内で、優雅にチョコレートパフェをむさぼる、鷲鼻わしばなで髭面、面長の男だった。キャソック――黒い祭服に身を包んでいる。


「見つけた……ッ!」


 ――コイツは……!第二回〈極皇杯〉の準優勝者、「タフネスの極致」――うつみ安寧あんねい……!安全地帯外での活動を可能にしているのは……偉人級異能、〈怪僧ラスプーチン〉による、不死身に限りなく近い生命力か……!


「クソが……!呑気にデザートなんか食いやがって……!」


 ――あとは……最後の関門……!〈天衡テミス〉の発動条件は「対象者の目視」だが……果たして、画面越しに〈天衡テミス〉が通用するのか……!


『掟:食事を禁ず。

 破れば、異能の使用が禁じられる。』


 ――さあ……どうだ……!遠隔リモート・〈天衡テミス〉……!


 毒ガスは目と鼻の先だ。これがラストチャンス。球状の安全地帯は、既に大きめのダンボール箱程度の体積しかない。人一人が限界だ。俺はカウンターチェアの上に両脚を乗せ、毒ガスに触れないよう縮こまる。もう、これ以上は耐えられない。目を凝らして、画面に注目する。


 ――瞬間、画面に映るうつみの皮膚が紫色に変色し、血肉をき散らして爆ぜた。テーブルの上に、スプーンがカランと落ちる。


「か……勝った……!」


 ――刹那、ぱっと周囲の黒い霧が晴れる。喜びを噛み締めるように、思わずガッツポーズ。――すると、スマートフォンが眼前の宙に浮き上がった。天使の福音のようなラッパの音と共に、ふわふわと宙に浮くスマートフォンの画面には、パチンコのようなド派手な演出で「本戦進出」と映し出されている。


『――Aブロック代表!夏瀬雪渚!本戦進出おめでとう!おめでとう!』


 まるで俺を祝福するかのように、無機質ながら何処どこか温かみのある声がスマートフォンから響いた。俺は安心感からか脱力し、一気にソルティドッグを飲み干した。たしなむのは勝利の美酒だ。


『――まずはお疲れ様!魔道具の力で傷を癒すね!』


 スマートフォンがそう告げると、俺の全身の傷が癒えてゆく。まるで天音の神話級異能、〈聖癒ラファエル〉……。体中に空いていた穴や破れた柄シャツの穴は塞がり、滲んでいた血も嘘のように消え失せた。


『――タイムは二時間四十一分三十八秒!!Gブロックがまだ決着してないから、そのまま予選会場で待っててね!』


 ――Gブロックがまだ……裏を返せば俺は、ファイナリスト八人中七着ってことか……。


 カウンターチェアから立ち上がって初めて、息の詰まるような圧迫感から開放されたことを実感する。俺は毒ガスが晴れた五ツ星ホテルの中、上階へと向かうエレベーターに歩を進めた。役目を終えたスマートフォンが独りでに俺の黒いスキニーパンツのポケットに戻った。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 ――数刻後。本館四十四階、客室フロア。俺がいたのは最初に俺がスポーンした客室だ。庭鳥島によって割られた窓ガラスの破片が室内に散乱している。


 俺はベッドに横になっていた。疲れて、何もする気力が起きなかった。――そんなとき。


『――Gブロック決着!ファイナリスト八名!出揃ったよ!』


「お……」


 ポケットからスマートフォンが飛び出し、俺の目の前に現れる。Gブロック代表として画面に映し出されていたのは――俺も知る、あの人物だった。


「コイツが……Gブロック代表……!」


『――今から〈翔翼ノ女神像(セラフィム)〉の力で〈天上天下てんじょうてんげ闘技場〉に転送するよ!ファイナリストのお披露目会だ!』


「よし……」


 ――〈極皇杯〉の予選。凄まじい激闘だった。だが、飽くまでも「予選」――言うなれば前座だ。「本戦」が、俺を待っている。

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