2-34 銃声の響くボールルーム
五ツ星ホテル、〈竜宮楼〉。場所は、ボールルーム――舞踏室。橙色の西日が射し込む。
俺は銃弾の嵐を避けながら、一気にオレンジに染まった壁に走る。ぴたりとその壁を背にして、逃げ場を失くすように俺は立った。――すると、銃弾の嵐が、止んだ。
――思えば簡単な話だった。本館五階スパフロアの白いマッサージチェア、北館四階――大宴会場の純白のリネン、エレベーターの白い内装、そしてこのボールルームの白を基調とした壁と紅白のペルシャ絨毯――冴積が現れたのは全て「白いもの」の傍だった。
――雷霧が「韻を踏まなければ」落雷を発生させられないように、「事前に視認しておく」など、何らかの条件は必要だろうが、間違いないだろう。冴積四次元の異能は――「白から白へと移動する異能」だ。
すると、観念したかのように、俺の正面――窓際の白い壁から、ぬるりと白いフードとバラクラバで覆われた男の頭が現れた。まるで水面から顔を出すかのように。まるで壁に溶け込んでいたかのように。
「東慶大学医学部の次席入学者……勉強だけの人間ではないのだナ……」
「『白から白へと移動する異能』……この解……正解か?」
冴積四次元は壁から姿を現し、紅白のペルシャ絨毯の上に立った。
「正解だヨ……見事ダ……。この偉人級異能の名を〈白死〉と言う」
「ああ、ぴったりじゃねーか」
「軍人としテ、これまでの二十五年――異能戦争で五万人は殺めてきタ……。僕の異能を見破る者なんテ、これまで一人足りともいなかっタ……」
「……そうか。……でも悪かったな、生中継されてる中で異能をバラして。今後戦いづら――いや、そもそもお前は昨年の本戦で……異能を使ってなかったんだな」
「どちらにせヨ、この夕方までに予選が決着しなかった時点デ……僕の負けだヨ。夕陽が差しては、白が失くなってしまう」
「まさか……降参するってか?」
「あア……もう勝ち目がないからナ……」
「――舐めんなよ」
気付けば俺は、全身白尽くめの防寒コートを着た男――冴積四次元の胸倉を掴んでいた。勝利を捨てた冴積の言葉に、何故か無性に腹が立ち、どうしても語気が強くなってしまう。
「お前も真剣で来てんだろ!舐めてんのかテメェ!」
――過去に、自ら命を絶った俺自身への怒りだったのかもしれない。ただ、どうしても、目の前で勝利を諦めた冴積が許せなかったのだ。
「……っ!舐めては……いなイ……。気を悪くしたなら謝ル……」
「これまで一度も看破されなかった異能が数分で看破されたからって何だってんだ!俺が賢すぎただけだろうが!相手が悪かったんだよ!馬鹿が!」
「……どういう……つもりダ?」
「仮にも世界十三位の人間が、まだ終わったわけでもねーのに降参なんてつまんねー真似してんじゃねーって言ってんだ!」
「……だが……恐らく僕では勝てなイ……」
「去年、異能を使わずに本戦で庭鳥島を倒したんだろうが!これまで成功続きだったから初めての失敗に戸惑ってんのか!?お前強いんだよ!自信持て!」
「……戸惑ってル――そう……かもしれないナ……」
俺は胸倉を掴む手を勢い良く離し、壁に冴積を叩き付ける。そして、ポケットからスリングショット――〈エフェメラリズム〉を取り出す。
「俺は容赦なく死体蹴りするぞ。……守らなきゃなんねーモンがあるからな」
「……いや、戸惑ってタ――その方が正確だろウ。お陰で迷いは晴れタ」
「……おう」
冴積はスナイパーライフルを構えた。ライフルスコープ越しにこちらに照準を合わせる。それに合わせて、俺も〈エフェメラリズム〉のY字型の棹に張られたゴム紐とパチンコ玉を引っ張り、構える。そして――掟を解いた。
「安心しろ。俺だけ異能を使うような卑怯な真似しねーよ」
「……感謝すル。〈十天推薦枠〉……」
「闘ろうか、非異能戦……!」
その言葉を引き金に、二発の弾――銃弾とパチンコ玉が交錯する。お互いに命中し、それと同時に両者バックステップ――一歩退き、次の弾を構える。俺の肩からはどくどくと血が流れ、柄シャツに血を滲ませる。
「初段は外すつもりだったガ……敢えて喰らったのカ……?」
「さっきお前を壁に叩き付けたからな。ハンデだ」
「天才なのカ……馬鹿なのカ……わからない奴ダ……」
――頭と心臓を避ければ、即死はない……!
銃声がボールルームに絶え間なく響き続ける。異能の発覚を畏れる必要がなくなった冴積四次元の猛攻は本当に容赦がない。正確無慈悲――百発百中の射撃のセンスは異能ではなく彼の標準装備だ。
頭と心臓を正確に撃ち抜いてくるが、それを読んで俺は回避する。冴積もまた、回避を予測してその位置に五十口径弾をブチ込んでくる。更にそれを予測して俺は回避――。凄まじいレベルの読み合いが銃声の響くボールルームで行われていた。
「――くっ!殺戮マシーンかよ……!」
「敬意を評して、じわじわと嬲り殺してやろウ……」
「――『貫通弾』」
頬の肉が抉られ、腕に風穴が空く。脚に空いた穴からは血が流れ、全身の慟哭がまた更に痛みを齎す。俺も負けじと〈エフェメラリズム〉で反撃するが、〈エフェメラリズム〉最高火力の『貫通弾』ですら、冴積は物ともしない。
「狙撃銃を扱う軍人に対してパチンコとは……舐めているのはどちらダ?……〈十天推薦枠〉」
そう声を発する冴積の口元はバラクラバで覆い隠されているものの、何処か楽しげだ。冴積はボールルームの隅を陣取り、そこから微動だにせず的確に狙撃している。俺は必死に回避と攻撃を不規則な周期で繰り返す。
――そりゃそうだ。相手はガチガチのスナイパーライフルに対して、こちらは玩具店で買った金属製のスリングショット――付属していたゴム弾をパチンコ玉に替えただけだ。武器の性能が違いすぎる。それに加えて相手はプロの軍人でこちらはズブの素人……分が悪すぎる。
「おー、ガチでやってんだけどな……!――『参連弾』!」
三発のパチンコ玉が空を切る。不安定なエイムにより、一発だけ命中するも、またもその防寒コートに弾かれてしまう。防弾チョッキの役割も果たしているのだろう。露出しているのは目元だけだが、それもリコイルスコープによって隠されている。一切の隙がない。
「本気なのは伝わっていル……。だが……このままでは時間の問題のように思うガ……?」
――勝ちの目は……アレしかない。
「いやいや……素人相手に時間掛けすぎだろ」
「安い挑発……乗るわけがないだろウ……」
響き渡る銃声。その砲声はあまりにも五月蝿い。その音が鳴り響く度に、鼓膜が破れるほどに耳を劈く。
「軍人が聞いて呆れるぜ……。ああ、だから去年の準決勝も負けたんだな」
安い挑発の台詞と同時にパチンコ玉――『貫通弾』を放つ。冴積の目を狙うも、鉄製のライフルスコープがそれを阻む。
「動揺を誘っているのカ……?僕は戦場で人の死を何度も見ていル……。今更多少のことでは動じなイ……」
――ダメだ……!もっと、もっとコイツと向き合え……!コイツから本音を引き出せ……!
「軍人か……。俺にはわからないがお前も苦労してそうだな……」
「幼い頃から兵器として生きてきタ。疾うに感情など失っていル……」
お互いが描く弾道がボールルームの宙で交錯する。何度も、何度も。その度に銃声が響く。身体のあちこちから血が流れ、俺の身体は一方的に追い詰められていた。
「そうか?俺のさっきの言葉が効いたんならまだお前の心は死んでねえだろ」
「いや……〈極皇杯〉も、異能戦争の軍資金稼ぎに上から命令されて出場しただけダ……。後で怒られる面倒と天秤に掛けて、戦うことを選んだだけだヨ……」
「お前……!」
「ニュースで観た……。君の幼い頃もそうだったのだろウ……?感情など疾うに壊されタ……。だが君は僕と違って立ち直ることができタ……」
「…………っ!お前……それで……!」
「だから君が少しだけ羨ましイ……。だから〈十天推薦枠〉……君と戦ってみたかっタ……」
「――お前……人生クソつまんねーだろ」
『貫通弾』を放ちながら、弾丸が急所に命中するのをすんでのところで回避した俺は告げた。冴積は、呆気に取られたように目を丸くする。
「お前がなんで軍人をやってるのかは知らねえ。お前ほど優秀な人間がなんで戦場に拘らなきゃいけないのかも知らねえ」
「〈十天推薦枠〉……君は……ッ!」
冴積が初めて、声を荒らげた。
「五年後の自分を想像してみろよ。――お前は笑えてるのかよ」
「笑えるかッ!毎日毎日戦わされて、味方は何人も死んで、何の恨みもない敵を何人も殺しテ……ッ!笑えるわけがないだろウ……ッ!」
「俺は仲間に教えてもらった……!楽しんで生きなきゃ……死んでるのと一緒だろうが!」
「……ッ!〈十天推薦枠〉……強い……んだナ……」
「強くねえよ……俺なんか強くねえ……」
「僕は……人として生きたイ……ッ!」
「大丈夫。お前を本戦へは進ませねえ。――頭冷やしな」
冴積四次元が放った最後の弾丸と、俺が放った最後の弾丸――『雪華弾』が空を切って交錯する。その様は、俺の目にはまるでスローモーションかのように映った。
冴積が撃った弾丸は、〈エフェメラリズム〉の棹に命中――そして、〈エフェメラリズム〉は壊れた。スリングショットを形作っていた金属片がペルシャ絨毯に飛び散る。
「ありが……とウ……」
――そのとき、冴積がそう告げた。バラクラバに覆われて表情は読めないが、笑っているような気がした。それと同時に、俺が撃った『雪華弾』もまた、冴積四次元に命中した。冴積の身体が、冷気と白い霧に包まれて――瞬く間に凍り付く。瞬き一つしない。
「柄にもなくクサい台詞吐いちゃったな……」
足を引き摺りながら、氷に覆われた冴積へと歩み寄る。弾丸の嵐に阻まれてよく見えなかった冴積の顔を覗き込むと、その目には涙が浮かんでおり、その涙もまた、凍っていた。
――コイツなら、自分の道を歩めるだろう。俺ができたんだ。
右脚を高く上げ、冴積の頭を目掛けての踵落とし。凍り付いた冴積四次元は、まるで彫刻でも砕いたかのように割れた。その冷たい破片がペルシャ絨毯の上に散らばる。降り注ぐ雹を浴びながら、俺は冴積に語り掛けるように呟いた。
「じゃあな、銃殺王」
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