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01.天使とツツジと小説家

「天使と書いてあまつか、何人いるんだこの街」


 すぐそこで女の子の肩を抱きカラオケを楽しむ天使さんには届かない声量で呟けば。


「この街のホストだけで四十人近くいるね、そこにコンカフェ、キャバクラ、メン地下、配信者、男女問わずの流行りかな」


 ほらこれ、あそこのホストくんじゃない? 加工強めで草なんて検索かける奴がいて、出て来るホームページがある、そんな【街】の話。




「自分で自分に名前を付けるぞーってなって、そんな天使なんて高尚なワードが飛び出すなんて、そうやってオシャレェな名前をつけて格好良くなれると思っているのか」

「尊敬してる先輩の源氏名をもらうパターンもあるみたいだよ、俺もらったことないけど」

「襲名式?」

「原稿進まないからって八つ当たりしてんなよ、天使さんも、一人称が自分、ことりあそびと書いてたかなし、なお前に文句言われたくないだろ」


 カウンターの向こう側、ひょろひょろしたイケメンが蔓延るこの街ではあまり見ないようなガタイの良い男前が自分のペンネームを呼ぶ。


「う、小鳥遊は一般教養では?」

「微妙じゃない?」

「この街に一般教養もクソもあるか、んなもん求めるならもっと健全な時間の喫茶店とかでコーヒー飲みながらやれよ小説家先生」


 荻野千明、小説家、志望、ペンネーム小鳥遊、ことりあそびと書くタイプのたかなし、自分だ。


「ぐぅ、この街の喫茶店はチェーン店でも怖い、昼でも怖い、聞こえて来る会話やワードが怖い、来店してる客のジャンルが怖い、あれが大丈夫な店員逆に怖い、あとなんであそこの客は喫茶店でスピーカー通話出来るんだ」

「よしよし怖い思いしたんだねぇ」


 カウンターのこっち側、先程から優しい声色で自分に返事をしてくる男、小説で登場させるなら間違いなく絶世、傾国の美形と書き表す顔面の持ち主に頭を撫で回される。


「甘やかすなよクズ、そいつは小説家で、ここはバーで、今は深夜二時で、そいつが飲んでるのは酒だぞ? もっといい場所があるだろうが酒も高いし」

「真間さん、心配してくれるんですか」

「ママちゃん優しい」


 カウンター向こうの男前、真間さんはここ、BAR「Lack」の店長でツンデレだ。


「ちげぇよ、大して売れてる感もねぇのにすげぇ頻度で夜の店に来る小説家の財布が…………」

「心配なんですね」

「心配なんだね」

「ちが、だ、払えませんで飛ばれても困るからな!? そういう街だし、千明も例外じゃねぇだろ!」


 飛ぶ、お支払いをせずに行方をくらませることらしい、仕事に急に来なくなったりするのにも使われるそう、日本人の感覚的には難しそうな行いも、この街では少し違うようで。


「飛ばないですよ、そんなこの街の人的な感覚じゃないですし、自分、株をコロコロ転がすのが得意で結構金持ちです」


 そっと鞄から取り出した通帳を真間さんに渡しもう片方の手でピース、汚いものを触るように指先で受け取り薄目で最終更新ページを見ると真間さんの顔色が変わり。


「俺にも見せて」

「クズは見るな! こんなもんこの街で出すな! つかオレにも見せんな!」

「見たくせに」

「千明おま、は? 絶対これクズには見せんなよ!? 出禁にすんぞ」


 予想以上に取り乱す真間さんになんだか笑えてしまった。


「ふは、ごめんクズ、出禁は困る」


 叩き付けられた通帳を鞄にしまう、片手間クズに謝罪する、ちなみにクズ、悪口ではない、愛称だ。


「ピヨは俺のお客さんなのに〜」


 この異世界級美形は久瀬、外を歩けば女を引っ掛け、芸能に携われば国宝級の称号を得るだろうこの男、まあ恐ろしく屑なもんで名字からもじり愛称がクズ。


「確かにお前指名で来てるけども、流石にこの街でこんなピュアピュア天然謎金持ちほっとけねぇし、クズに寄生されるのも見てられねぇよ」

「お母さん……!」

「名字いじってんじゃねぇぞ、真間は本名だ」

「本当に思ったのに」


 実母よりよっぽどお母さん、お父さんぽくもあるがなんと言うんだろうな、ママみ?


「ていうか一旦店の売り上げにもなるならママちゃんだって嬉しくない?」

「お前絶対大量裏引きすんだろ」

「うらびき?」


 左に傾げればコテンすなと右方向に叩かれる。


「客とキャストの関係で、店の支払いじゃないとこで金銭を渡すこと、少し飯奢るとかならまだいいが……クズお前この間のクラウディグループの小さいホスクラ、なんでクビになった」

「えと、ちなつちゃんとホテルに行ったら30万円くれて、それをちなつちゃんが友達だったか働いてる店が一緒だったかのさやかちゃんに自慢して、さやかちゃんがお店に言い付けて、クビ! って感じかな?」


 とんでもない話をゆるいジェスチャー付きで話す、ちゃんと屑なんだよな。


「どっちもお前の客だったよな」

「そう、ちなつちゃんまでなんか怒り出して大変だったー」

「何故お金をクズにあげたことが自慢になるのか」

「そういう街なんだよ、これが裏引きと女の嫉妬、そして店の対応だな」

「ほう」


 クズによる屑違反実演説明、確かにそんなことしたら店とキャスト間の契約が要らなくなるしな。


「もー、俺を警戒させるくらいにはピヨはお金持ちなの?」


 ぎゅっと肩を抱き寄せられれば香水の匂い、女性的で、でも甘過ぎず、忘れないでねと脳裏を撫でるような。


「マジでやめろ、追い出すぞ」

「大体、あの店でもちゃんとちなつちゃんさやかちゃん合わせて余裕で30以上の売り上げ出してるんだし、いいじゃんね?」


 ね? と言われても。


「……それだけクズが素敵だったから狂ってしまったのかも、ね?」

「だよね〜」

「……屑が」

「ん?」

「呼んでねぇ」


 脳が毒される前に息を止める。


「じゃあピヨが俺と結婚して、共有の財産にしちゃえばいいのか」

「っ、…………なるほど」

「声ちっさ、なるほどじゃねぇぞカモ」

「ピヨはことりだよ?」


 嗚呼軽薄、こんなにも耽美で何故、クズから逸らした目が真間さんと合う。


「うるせぇクズ、……クソ、千明から離れろクズ、そのまま買い出し行って来い」

「もはや呼んでるのか罵ってるのか分からないな」

「おら、釣りは出ねぇはずだ」


 お使いって普通少し多く渡しておかないか? まあ相手はクズだしなと放られジャラジャラ音を立てる小さめジップロックを眺める。


「うへ、細々と小銭……足りなかったらどうするの、超恥ずかしくない?」

「絶対足りる」

「ふぅん、…………ちょっと行ってくるね千明」

「く、ず」

「いってきまーす」


 人の耳元に呪いを吹き込めば、立ち上がり少し癖のある歩き方で店を出る、いってらっしゃいの代わりにサボるなよと念を押されるクズがいなくなれば。


「で、千明お前、赤過ぎだろ顔」


 熱源がいなくなり肩の熱が耳に再集合、止めていた息を再開すれば残り香に蝕まれる。


「お酒が美味しいもので」


 気まずさで流行りの曲を歌い続ける天使さんに目をやる、天使の名の通り上手く、はないなぁ。


「……そりゃ何より、うちはアイツ以外に毒やまずいもんは出さねぇよ」

「でも美味しいんですよ」

「……有毒劇薬、せめて用法用量を守り正しく使えよ」

「用法用量どこに記載されてます?」

「オレ」

「ママァ」


 バレてるんだろうなぁ、あんな屑に心惹かれていることを、恥ずかしいけど、真間さんならいいかと思える。


「この街、夜の世界初心者が初手にアイツは確実に痛い目見るぞ」

「まあ見たら見たで小説のネタにでもしようかなって」

「そんな元気も心も持ってかれるっつってんの」

「…………」

「自分は大丈夫とか、アイツをどうにか出来るとか」

「思ってないですよ」


 スリープ状態になっていた執筆用のパソコンを起こす、今日の進みはイマイチ。


「そうか?」

「ただ、読ませてみたいんです、自分が書いた話を」

「……理性はあるのか、逆にもう残ってないのか」


 天使さんの卓へお酒を運びに行き、彼女なのかお客さんなのか連れの女性を気に掛けつつ戻って来た真間さんの溜め息は、もう知らない、より、面倒見てやるか、なのを感じられて、なるほど、これがオギャるか?


「クズには言っちゃ駄目ですよ?」

「言わねぇけどアイツもう気付いてるだろ、カモ察知センサーは上等だろうしな」


 それはそう。


「改名しようかな」

「鴨遊び?」

「辛い」


 カタカタと執筆しながらバーのマスターと談笑、喫茶店より人の会話はうるさいし、コーヒーじゃなくて酒だし、BGMはどこかのホストの熱唱だし、でも、悪くない。




「ずっと聞いてなかったけど、クズとはどこで知り合ったんだ?」

「知り合ったというか、拾った?」

「は? いよいよゴミだな?」

「そんな感じでしたよ?」


 クズとの付き合いと真間さんとの付き合い、実はそんなに差はないのだ、このバーに通い始めるほんの数時間前。




 金はあった、が、株だ投資だで得たものはなんだか自力の稼ぎと思えなくて、売れてから売り上げと混ぜて使おうと思いあまり触らずにいた。


「燃えるゴミか……」


 家賃が安く、出版社も多い都内であること、あとは……ネタがありそうと結構適当に決めてしまった大型繁華街の近く、一人暮らしデビューをしたアパートのゴミ捨て場には日々奇妙なものが転がっていたりする。


「どちらかと言えば粗大ゴミ……」


 外では着れないようなギラついた服、えげつない形をしたショッキングピンクのナニカ、インクか鼻からであることを祈るばかりな赤黒く染まったティッシュ、トレーディングカードならSSRであろう煌めきの名刺、綺麗な人の顔がプリントされたシャンパンボトル。


「綺麗な人本体が捨てられてるのは初めて見たなぁ」


 朝日を浴びて光り輝く、男性、街中大通りなら放って置くが、自分が住んでいて親切なおば様が大家さんをしているアパートのゴミ捨て場、徹夜明けの気分転換に一番乗りで来たがために自分が第一発見者、流石にスルーはし難い、というか生きているのか?


「もしもーし、お兄さーん」

「……」


 返事無し、呼吸あり、脈ありで生きてはいる、外傷はパッと見無し、パトカーか救急車か。


「おはようございます、荻野さん」

「わっ……西岡さん、おはようございます」


 こちら親切なおば様こと西岡大家さん、ゴミ捨てだろうか、結構な早朝なのにお化粧はバッチリ。


「ゴミ捨て?」

「はい……今日も素敵ですね」

「あらありがとう、ってこれ、久瀬さん?」


 これ?


「んー、……自分は知らない人なんですけど、そうなんですか?」

「うちの201に住んでる久瀬さん、顔は綺麗だけど内面が腐っててね、今回は酔ってんだか襲われたんだか」


 この慣れっぷり、西岡さんもこの街の人なんだなぁ、住んで数ヶ月、基本買い出しや小説の持ち込み、バイトくらいでしか出歩かないがかなりパンチのある街であるということは前情報を越える勢いで自分に蓄積されていた。


「……なるほど、ゴミ捨て場までは帰って来られたんですかね」

「ゴミ回収の人が困っちゃうから、ちょっと端に寄せといてもらえる?」

「……あ、はい」


 そんな出す曜日を間違えたゴミみたいな、とは言わないでおいた。


「じゃあ私もゴミ出して、っと、小説、頑張ってね」

「……はい、ありがとうございます」


 初めましてで何をしている人かと聞かれ、小説家と答えてからいつも応援してくれる、応えられるように、取り戻せるように頑張りたい。




 子どもらしくない手紙、年齢相応な可愛らしい言葉を使ってよ


 作文の賞なんて成績に繋がらないでしょ?


 おじい様からも本より教本を読むように言ってください!




 幼少期に祖父からたくさんの本を与えられた、広がる世界、言葉、表現は自分も物語を書きたいという気持ちを生み、カタチにしたそれは多くの賞を受賞した、ただそれを気に入らない……人もいた。


「顔も思い出せないのに」


 祖父の死をきっかけに、全てを取り上げられ、勉学に励むように閉じ込められ、息苦しいまま年月が経ち、異常さに気がついた周りが自分を救い出した頃には。


「書けなくなっていた、なんて、言い訳なのかな」


 それでも、言葉を愛し、孫を愛し、孫の書いた物語を愛してくれた祖父の言葉はいつまでも胸の奥底にいてくれた。


『大丈夫、千明の言葉を信じて』


 自分の言葉を信じる、思ったことを口にする、簡単なことのはずなのに、奪われたなんて、形のあるものでもないのに。


「……嫌なこと思い出した、……睡眠不足か、良くないな」


 ふと我に返れば、数日前に納得いかないままに提出した最新作の落選通知を受け取ったことと絶賛ネタがないことを思い出し溜め息を吐く。


「……ネタ……あ」


 ネタ。




「重い……臭い……どっこいしょ」


 拾っちゃったなぁ。


「布団……洗う予定だったしいいか、よっこいしょ」


 自分の部屋は205、二階まで久瀬さんをおぶりよたよたと上がれば、この人の部屋の鍵がどこか分からないと誰にでもない言い訳をし連れ込んでしまった、我ながらはしたない。


「んー、シャワー……浴びたい」


 新しい原稿は全く進まず、ペンネームだけのページで風呂も入らず徹夜明け、臭いのは自分かもしれない、いや絶対違うのだが、そう思わせるくらいには臭さと縁遠い顔が眠る。


 内面が腐っててね。


 西岡さんの言葉を思い返し少し不安になりながら浴室へ向かった。


「まあ、盗られて困るものはない」


 と言いつつ財布や通帳なんかを鞄に詰め脱衣所まで持って来た、パソコンは重いし湿気のそばはなぁと置いて来たあたり全然油断しているのだと思う。


「服、くさ」


 ゴミ捨て場特有の生臭さとお酒、ちょっと香水、数分おぶってきただけでこんなに匂いが移るもんなんだなと脱いだ服を洗濯機に放り込む。


「あ」


 後で布団のシーツも入れようと洗剤の投入を一時中断、いつもよりほんのり手早くシャワーを済ませれば適当な部屋着に着替え彼の様子を見に行く。




「…………起きてる、ますか」


 物書きとは思えない日本語が飛び出す。


「わ、え、……起きたます」


 煽ってんのか。目を覚ましていた男の横に座る。


「……怪我ないですか」

「あ、うん、多分……ごめんだけどここって、アーバンアザレアであってる? 俺の部屋じゃない、よね? え?」

「……アーバン、アザレア、です、自分の部屋です、205、お兄さんがゴミ捨て場に落ちてたから」


 倒れてただった。


「拾ってくれたの?」

「……そんな落とし物みたいに、大家さんが避けといてって言ってたけどなんか、……放って置けなくて」

「ふぅん? 優しいね」


 ネタ欲しさの下心です、とは言えなかった。


「……いや、そんな……」

「俺久瀬、みんなにはクズって呼ばれてる」


 クズ。


「……みんな、さんに嫌われてるのでは?」

「違うよ? たぶん……えっと」

「……あ、荻野千明です」

「ちあき、半年前に切れた姫と同じ名前だ、きまず」


 姫、とお客さんを呼ぶ人種、ホストか?


「……荻野でいいですよ?」

「んー、でもなー…………ね、俺荷物持ってなかった?」

「……荷物……今日偶々朝早くて、ゴミ捨て場の一番乗り自分でしたけどく、じぇさん以外何もなかったですよ?」


 噛んだ、そしてまた物みたいに。


「クズでいいよー? スマホはケツポケットに入れがち、……ですよねーよしよし、財布はほぼ空だからいいとして鍵か〜またゆきちゃんに怒られる〜」

「……ゆきちゃん、西岡大家さん?」

「そう、西岡由紀恵ちゃん、八本目なんだ鍵無くすの」

「え、こわ、消しゴムくらいのノリで言うじゃん」

「俺の部屋のスペアはめちゃくちゃ作ってるって言ってたけど毎回鍵代が一万円ずつ上がってくの、酷いよね?」


 八万。


「……無くす方が悪いかと」


「正論だ〜」


 一万足す二万足す三万足す……払ってるんだよなぁこの感じだと。


「…………シャワー、浴びていきますか?」

「え? セクシーなお誘い? 身体目当てで拾ったの?」

「……いや、結構匂うのでそのまま西岡さんに突撃するのは印象悪いかと」

「冷静だね? じゃあ借りようかな」


 そうでもないんです、実は起きてるとこ見た時から結構心臓ばくばくです。


「……えと、シャンプーとか自由にどうぞ、見て分かるのしかないはずです、タオルの予備は出しておきますね、服は洗っちゃいますけど……く、ぜさん手足長いからな、フリーサイズでなんかいいの」

「だからクズでいいし、タメ口でいいよ?」

「……いや」


 人の返事を待たずにお借りしまーすと浴室へ消えてしまう、タメ口はいいが、クズは呼び難いぞ。




 臭いが消えることを祈りながら布団本体は消臭スプレーを用法以上にぶちまけつつ干してみる、シーツとくずさんの服を洗濯機に放り込めば改めて洗剤の量を測り洗濯機のスイッチオン。


「…………よし」


 タオルドライで大体済む己の短髪を簡単に拭きあげ、軽く掃き掃除も済ませれば、何とは言わないが無事だったパソコンを開く。


「……ゴミ捨て場、落とし物、捨てられて、拾ったら、捨てた側は、分別……あー……」


 いつかのためのメモは溜まるが肝心の本文が。


「書けない……」

「何してるの? マインスイーパー?」

「うわっ、と、……今時それしてる人いるのか?」


 後ろから抱きつかれ跳ね上がる心音を宥める、フリーサイズでもモデル体型には少し小さく感じるなと貸した服をチェックすれば平常心を装いながら視線をモニターにやる。


「懐かしいよね、俺も小学生の時授業中やってた」

「……あー、あるある…………」


 自分と同じバイト先の安いシャンプーなのにいい匂いな気がする、というか距離の詰め方が怖い、これがホストなのか、プロフェッショナル怖すぎる、怖いと思っているのに。


「…………これ」

「……小説書いてる、って言ってもこれはまだ書き出せてもいないけど」


 隠しても良かった、懐かしのパズルゲームだと誤魔化しても良かった、それでも聞いてほしいと思ってしまったのは自分の弱さかこの人の魔力か。


「小説家さん?」

「……ん、本も出せてないし、色々賞に応募してるけど結果イマイチ、好きな漫画の二次創作なら伸びるんだけどそうじゃないんだよなぁ……」

「ふぅん?」


 きっと何を言っているのか分かっていないような返事、それでものし掛かる体重はそのままでくずさんはペンネームしか書いてないページを眺める。


「……重い、よ、クズ」


 タメ口クズ呼び、彼の要望全部叶えた声掛けはあまりにも罵倒でこちらがムズムズした。


「たかなし……ことりあそび……」

「え」


 今間違い直したよな、読めない人間には無理な順番で発声したよな?


「ことり」

「今正しく読めてたじゃん」

「……ピヨちゃん!」

「えぇ?」


 命名と同時に強く抱きしめられる。


「……小鳥遊です」

「ピヨって可愛くない?」

「まあ……っ」


 クズの髪から落ちてきた水滴が首筋に落ち肩が跳ねる。


「あ、ごめん、冷たかった?」


 謝りながらも退かない、なんなら水滴をなぞるように首筋を撫でるもんだから此方の声も上擦る。


「……ドライヤーあるけど、使う?」

「ありがと、ピヨも髪乾かしてあげる」

「……自分は別に」

「はい持って来て〜」


 解放され言われた通りドライヤーを持って来ればコンセントに挿す、はいと出される手に本体を置けば、やって、とねだっているみたいじゃないか。


「……いや、自分はもうほとんど乾いてるし」

「はい、おいで」


 なんなんだ、その圧は、顔からくる魅力がそう感じさせているだけかも知れないがそれにしたって。


「く」

「おーいで」

「…………いい歳して」

「関係ないよ、俺が触れたいの」


 目を覚ましたところからなら出会って五十分ちょい、これがクズのやり方か、絆されたら負けだ金を取られるかもしれない。


「…………いや」

「出来たら交代ね」

「……ん」


 負けた、もしかして自分、ちょろいのかもしれない。


「熱かったら言ってね」

「……はーい」


 その手の経験があまりない自分にも分かる、余程手慣れているのか美容師かってくらい上手い、そして十中八九前者だろう。


「真っ黒だね」

「……染めたことないから」

「ピュアだ」

「……髪が?」


 髪は短くシャワーを浴びたのはもう一時間近く前、ドライヤーの轟音が収まっていくのに寂しさを覚えたのはそれだけ乾くのがあっという間だったからで他意はない。


「はい、次俺〜」


 ドライヤーを渡され目の前には半乾きの金髪、どうしよう、人を乾かすなんてやったことない。


「……下手だったらごめん」

「ドライヤー童貞?」

「……否めない」

「優しくしてね」


 語尾にハートをつけられた気がした、なるようになれだ。


「…………あつかったら、いって」

「ふは、大丈夫だよ」

「……柔らかい」

「結構染めてるんだけどね」

「……不純?」

「ピュアの反対?」


 ドライヤーの距離は大丈夫かな、耳熱くないかな、ピアスって熱持ったりするのかな、手早く、痛くないように、熱くないように、ドライヤー童貞、頑張りました。


「どう……?」

「ありがと〜人にやってもらうのっていいよね」

「……慣れてやがる」


 こっちは初めてで緊張したのに、って言うとなんか卑猥。


「よし、じゃあゆきちゃんのところで鍵もらってくるね」

「……買ってくるでは……あ、服」

「戻って来るから干しといて」

「……行ってらっしゃい」

「ん、行って来ます!」


 途端に静かになる自室、洗濯機の音だけごとごと聞こえるがそれに寂しさすら感じる。


「この後クズにお金を請求されるのか、ドキドキしてしまった分みたいな、それともホストクラブに連れて行かれるとか……」


 真っさらな原稿を見ればそれもありなのか? と頭を抱える、いつもより気持ちサラサラな気がした。


「なんだあれ……初対面だぞ、内面腐敗物らしいぞ、いくら顔が良くてもこれ以上関わったら駄目だろ」


 自分の髪を指で梳きながら窓の外を眺める。




「ただいま! 見てピヨ新品!」


 後から入居したであろう自分の鍵よりも綺麗な銀色を自慢げに見せてくる。


「……おかえり、そりゃそう」


 あとなんだこのやり取りは、少し照れ臭くなる、おかえりなんて最後に言ったのはいつだったか。


「そしてゆきちゃんブチ切れ……」

「……西岡さんが? あんな上品な人も切れるんだなぁ」


 それはそうか、貸してる家の鍵だ。


「お金は今月の家賃と併せてだって、誰か助けてくれないかなぁ」


 いつの間にかウチの充電器に挿していたスマホで助けてくれる誰かを漁り始める、いざとなったら電気代とか言って請求を断ろう。


「……」

「あ、服ありがとう!」

「…………」

「乾いたら……何見てるの?」

「ん」


 窓の外、さっき視界に入った、最近見つけたこのアパートの気に入っているところ。


「うわぁ……すごいね、俺の部屋向こうの通り側だし、いつもこの時間寝てるから気付かなかった」


 なんならずっと雨戸閉まってるやと笑う声が窓際に座り外を眺める自分の肩に寄りかかる。


「……重い……」

「何の花だろ」


 アパートの外に花、西岡さんの趣味なのか、アパートの名前がそうなのだからそうなのだろう、朝日が当たりまるで。


「……赤い、ツツジ、……これだけ咲いてたら」

「へぇ、燃えてるみたい」

「………………」


 思わず固まる。


 そう、思ったんだ、初めて見た時自分も、火事にでもなったのかと、真っ赤に庭を埋め尽くし駐車場にも飛び出す勢いのツツジの花を、炎みたいだって、燃えてるって、でも。


「あ、不謹慎だった? ごめんね?」

「ちが、くて……」

「ピヨちゃん?」


 散々否定されてきた日々が頭を過ぎる、自分の感じたものや表現したいものを掻き消される感覚、口に出せば叱責してくる幻聴。


「…………ぅ、わ」


 いつしかそれを封じこめていた、絵画の感想を饒舌に語れば、風景の美しさを素直に口にすれば、人の努力をその人自身が受け止められるよう祈れば。


『やめて』


「ピヨ?」

「…………すごいな、こんな」




 だってそう見えるんだよ


 楽しそうでしょ


 もっと伝わればと思って、聞いてほしくて


 寂しい。




「……千明、どうしたの」

「そう、いう、比喩的な言い方すると怒られない?」

「怒るの!? いや、自由じゃない?」

「でも」

「千明怒った?」

「いや……自分もそう思った」

「じゃあいいじゃん? てか言ってよ、お揃いで嬉しいじゃん」

「でも、言葉にしたら」

「よく分かんないけどさ、もっと千明の言葉を信じて? お喋りしよ?」

「…………ぁ」

「ね?」


 フィクションみたいな出会い方をした、顔が綺麗なだけの初対面の男が自分と同じものを見て、同じように受け止め。


「…………ふは、こんなんで」

「小説家さん的に無し?」


 自分が躊躇ったそれを、躊躇いなく口にしただけだ。


「くそ、なきそー!」

「おぉ!?」

「あー、本当に、あの花は燃えてるのかもね」


 独りぼっちな世界に侵略者、征服されたらどうなるだろう、なんて好奇心、くだらないと思う人の方が多いだろうこの喜び、歪な愛や恋がそこらじゅうに落ちているこの街で恋に落ちるのに、それだけあれば十分じゃないか。


「…………本当に真っ赤、火傷しちゃいそうだね? あちち」

「ん……」


 そもそも人に触られるのは嫌いだ、ましては顔、それでも。


「ふふ、俺の手冷たいでしょ」

「きもち……」


 自分の赤くなった頬を撫でる指に悪くないと思ってしまうくらいには手遅れのようだ。


「よーし、頑張りますかー」

「おー? なんか元気? やる気? どうしたの?」

「憑き物が焼け落ちた」

「こわ」

「ありがとう」

「どういたしまして? え? 俺?」

「ふふ、あー、頑張る」

「んー?」


 分かっていないという顔、もいい。


「もっと書くから、見てて」

「……うん、わかった」


 他の男の代わりにされたなんて思いもせず微笑む男に心臓がギュッてなる、叶うとも思えないこの恋は毒で薬……違法ではないよな?


「まあ今日はお休み、せっかくだしクズのこと教えてよ」

「お? 取材? インタビュー?」

「そんなとこ」


 本が出せたなら、この屑とされる男は読んでくれるかな、この街の人間には難しいかな、……いや


「あ、ツツジが咲いてるからアザレアなのかこのアパート、ゆきちゃんオシャレ〜」

「……クズって」

「ん?」

「…………顔が、いいな」


 まあ、いいか。


「そうだよ〜、あ、ねぇピヨちゃん」

「ん?」

「お酒好き?」

「ん?」




「ただいま〜」

「あ、クズ」

「……買えたか」

「ピッタリでしたー」

「不服そうにすんな、そう言ったろ」


 真間さんがクズから受け取った買い物袋を裏に持っていく。


「なんの話してたの?」

「んー? プロローグ的な」

「ふぅん? 小説の話? ピヨは頑張り屋さんだね、ぺんだこ出来ちゃうよ?」


 隣に帰って来たクズからお使い前にはしなかった煙草の匂いがした、気にしないフリをすればするりと手を取り指を絡めてくる。


「う、パソコンで書いてるからぺんだこは出来ないよ」

「そっか」


 そして手を繋がれると文字が打てない。


「これからも通うから、よろしく」

「んー? 他所行っちゃやだよ?」

「よしクズ、千明に見放されないようにちゃんと仕事しろよ……あ?」


 真間さんも戻って来る、お使いに不備はなかったようだが煙草の匂いに気付けば舌打ちをし痛い方のデコピンを放つ。


「いっ……あ、ねーピヨー、今度ホスクラの体入に行くんだけど源氏名どうしよう、いつも名前だけなんだけど名字必須の店みたい」

「体入?」

「体験入店、コイツの場合入店祝い金もらってトンズラとかよくやってるな」

「うわぁ」

「ドン引きじゃん、ね、なんかオシャレェなのない? 天使以外で」

「……源氏名か、ツツジモリとか」


 パッと浮かんだ洒落た名字、やり過ぎ感が否めない。


「新人期間手書き名刺なんだよねぇ、面倒〜、田中でいいか」

「飛ぶ臭いしかしねぇな」

「…………やっぱり、クズって実は」

「んー?」


 ツツジを漢字で書ける男の話


「……なんでもない」

「え、気になる」

眠らないと有名なあの街、どんなイメージですか?


リアクション、感想、誤字脱字のご指摘、評価、ブクマ、読んでもらえたのだとアクションいただけたら幸せです。

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