ep.2
僕は1人、森の中にいる。
静かな森は人間の気配はまったくしない。
『ちょっと!そこのあなた!私、どうやら箱の中に閉じ込められたみたいなのよ。あなた、私と一緒にトラックにはねられた子よね?』
スマホの中の女性が疲れた顔をして僕に話しかけてくる。
「あの、多分そうです。」
『どうなってるのかしら…出口が見つからないのよ。』
「えっと、僕にはスマホの中にあなたがいるように見えるんですが…」
僕がそう言うとスマホの中で女性は首を傾げた。
(首を傾げたいのはこっちだよ)
僕はため息をついてスマホを眺めた。
『これは夢かしらね?私、疲れてたから、きっとそうね。私は水川カナって言います。職場ではカナちゃんって呼ばれてたわ。あなた、お名前は?』
スマホの中の女性はニコリと笑ってそう言った。
僕の母親と同じくらいの年齢だろう。
「僕は梶田圭太です。東高の1年生です。」
『まぁ!東高なのね?お勉強できるのねぇ。ケイタくん、よろしくね。』
懐っこい、このおばさんは母親とは違うタイプの人だった。
僕の母親はおとなしくて控え目なタイプだ。
グイグイくるタイプの人は苦手だ。
僕はなんとなくスマホの電源を切りたくなった。
『私たち、天国にでも来てしまったのかしら?こっちから見える分には森にでもいるみたいだけど…』
カナさんがこちらを睨むので僕はスマホの画面を外側に向けて周りを見せた。
『あら!猫ちゃん!無事だったのね!!』
スマホの画面の先に子猫がいた。
「僕はライハルトだよ!猫ちゃんなんかじゃないやい!」
子猫はスマホに向かって猫パンチをした。
じゃれているようで可愛かった。
『あら、ごめんなさいね。ライハ?ライくんね!とにかく無事でよかったわ。』
カナさんはライハルトという名前を一回では覚えられなかったようだ。
「お前が僕を助けてくれたのか?でもなんで猫なんだ!なんの魔法を使ったんだよ?!」
ライハルトはペチペチとスマホをパンチしている。
『変ね?私が見たとき、あなたはすでに猫だったわよ?』
僕たちはそれからしばらく「なぜこうなったのか」検討をした。
そもそも人間の言葉を話す猫なんて、まるで物語の中の話だ。
スマホの中に人がいるのだって、AIの技術が進んだとはいえ、現実的じゃない。
まったく結論は出ず、辺りは暗くなってきた。
ホーホーという鳥の鳴き声が聞こえて僕たちはビクッとした。
僕は体が動くようになり、立ち上がって森の様子を確かめた。
動物の気配はあるものの人間がいそうな気配は全く無い。
「狼とか熊が出てくるぞ。」
ライハルトはいつの間にか僕の腕の中にいた。
僕は片手で黒猫を抱き、片手でスマホを持って歩きだした。
「安全な場所を探さないと。」
夢だとしても狼に食べられるのは嫌だ。
「僕の知ってる森なら川沿いを進むと大きな岩に洞穴があるよ。何かの巣かもしれないけど。」
そう言われてそちらに進む気にはなれなかった。
『テントでもあればいいのにね!』
カナさんはスマホの中でそう言いながら笑っていた。
(そんなもの通学中の生徒が持ってるわけ無いだろう)
僕が呆れ顔をすると次の瞬間にスマホから大きな荷物が出てきたように見えた。
ドサッと大きな袋が足元に落ちた。
「えっと、何かしました?」
僕はスマホの中のカナさんを見た。
『ここにある通販サイトみたいなやつ、これ、ポチッとしてみたのよ。54800円もするテントだけど、三人ならこれくらいじゃないとダメでしょう?』
そこには『4人用テント 54800円』と表示されている。
カナさんはスマホの中でスマホを操作していたのだ。
通販サイトのアプリを開いて購入手続きをしたのだという。
「どういう仕組みなんだろう。」
『わからないけどこれも必要よね!』
焚き付けとライターが出てきて転がった。
「何を燃やせと?」
僕は辺りをキョロキョロ見回したが薪っぽいものは落ちていない。
『森なんだから枝とか落ちてると思ったのに。』
カナさんは『しかたないわね』と言いながらスマホをいじっている。
ドスンと薪の束がその場に現れた。
僕は焚き付けにライターで火をつけ、薪を燃やした。
(キャンプかよ)
ライハルトは焚き火の近くで丸くなると眠ってしまった。
僕はしかたなくテントを張ることにした。
キャンプを楽しむような家庭で育っていない僕にとって、それはかなり困難極まりない仕事だった。
テントの形になる頃には辺りは真っ暗だった。
『ケイタくん、頑張ったわね!今日はもう休みましょう。』
カナさんはポチっておいたわよ、と言って寝袋を出してくれた。
僕は考えるのも疲れてしまって、寝袋に入るとすぐに眠ってしまった。
────
ぐぅーーと言う自分のお腹の音で目が覚めた。
ライハルトはいつの間にか僕と一緒に寝袋で寝ていた。
(潰さなくてよかった)
スマホを覗くとカナさんはふかふかのベッドで眠っていた。
ピンク色の可愛らしい部屋でクローゼットにはフリフリのワンピースやらがたくさんかかっていた。
僕は背負っていたリュック中からチョコをみつけて口に入れた。
人生で1番美味しいチョコなんじゃないかと思った。
「ケイタ、それ何?僕もお腹空いた。」
いつの間にかライハルトは起きてきて僕の目の前にちょこんと座った。
「チョコレートだよ。猫にも食べられるかな?」
「僕は猫なんかじゃないってば!」
ライハルトはチョコを両手で器用に掴んで口に入れた。
「わぁ!!甘くてすごく美味しい!!」
『二人とも早起きね。』
スマホからカナさんが眠そうな顔で話しかけてきた。
どうやらカナさんはお腹が空いたりはしないらしい。
「そのピンクの部屋はどうしたんですか?」
『通販サイトを見てたら着せかえゲームみたいなやつの広告が出てきてね、試しにダウンロードしたらこうなったのよ。魔法みたいよね。』
カナさんは興奮気味にそう言うとピンクのフリフリのワンピースを自分に合わせて鏡で見ている。
『ちっとも似合わないけど。』
カナさんは笑いながらワンピースをクローゼットに戻した。
スマホの中がどういう仕組みなのか全くわからない。
────
早朝の森は靄がかかっていてなんとも幻想的だった。
焚き火のおかげか動物に襲われることもなかった。
僕は火の消えた焚き火の跡の前に座り、ため息をついた。
(長い夢だな)
『ここはどこかしらね?地図はあるけど日本ではないみたいよ。』
スマホを見ると地図が開いていた。
僕は縮小してこの大陸を見た。
確かに見たことのない地名ばかりだし、見たことのない大陸だった。
ライハルトは横から地図を見ている。
「僕も知らない土地だった。僕の国ではないみたい。」
僕はまたため息をついた。
森を抜けると村があるようだが、見知らぬ土地で他の人間に会うのは僕にはハードルが高かった。
それにやっとの思いで張ったテントを片付けるのもなんだか嫌だった。
「ここに住もうか。」
冗談で言ったつもりだったがライハルトに引っかかれた。
「こんなところで餓死なんかしてたまるもんか!村に行こうよ!」
『村まで3kmみたいよ。』
「わりと近くにあるんだね。」
僕は立ち上がりテントをみつめてため息をついた。
(このまま置いていこうか)
『置いていこうだなんて考えてないわよね?!54800円もしたのよ!許さないわよ!』
カナさんはスマホの中で喚いている。
(エスパーかよ)
僕がしかたなくたたもうとするとテントはパッと消えてしまった。
「えっ?!僕、まだ何もしてませんよ!」
焦ってスマホを見ると中にテントが見える。
『こっちに収納できればいいのにって思ったらね、なんか、きちゃった。』
カナさんはそう言うと舌をぺろっと出して笑った。
僕はそれを見て不覚にも笑ってしまった。
この人と話すとペースが乱される。
カナさんは寝袋や薪までもスマホの中に収納してしまった。
試しに出す作業もしてもらうと一瞬でテントが中から出てきた。
「さすが夢の中だよね、やたら便利にできてる。」
カナさんは『本当にね』と言ってニコリと笑った。
僕はリュックを背負い、村の方へと進むことにした。
ライハルトはテクテクと後ろをついてきていたが、途中で疲れたのか僕の肩に乗った。
ふかふかの毛皮がほっぺに当たってくすぐったかった。
しばらく歩くと森を抜けてきれいな草原が広がった。
道路も電柱もない、ただ果てしなく続く草原だった。
(ど田舎なのかもしれない)
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