嫉妬の砂
嫉妬の砂
彼女は思う。彼を見ていると何か感じたことのない感情が湧き上がってくる。
羨み、妬んでしまう。
まあ、つまり嫉妬なのだが。
そんな彼女の名前は藤岡優。吹奏楽部でトロンボーンを担当している、何の変哲もなく、特筆すべきこともないごく普通の中学二年生である。
そして優から何故か嫉妬を向けられるようになったのは渡部歩。同じく吹奏楽部でチューバを担当している優の同級生である。ただ、歩は中一の終わり、春休み中に入部してきたため条件は中一とそう変わらない。
小学校はお互い違う学校だったのもあり、優は歩のことを人伝でしか聞いたことがなかった。
友人が語る歩の人物像は、所謂完璧だった。
頭脳明晰文武両道。人当たりも良く、人から好かれる存在。加えて委員会では副委員長を務めているらしい。
優が尊敬している同じくトロンボーンの先輩が居るのだがその人に近いな、とぼんやり考えていた。
何となく、最初から雲の上にいる存在として見ていたのもあり、最初から普通にレベル高めな演奏をされても頭を抱えてわああぁあ…。となるだけだった。
そしてそんな状況で焦らないほど呑気でないので、仮にも初心者に追い越されるのは良くない。プライド的に。と思いながら今まで以上に練習に打ち込んだ。
ここまでは、まだいいのだが(別に良くはない)問題なのはその後の合唱コンクールだ。
優は指揮者をやるかどうか珍しく大分真面目に一年生の後期から悩んでおり、意を決して立候補して、知らないうちに指揮者になっていた。
部活時に指揮を振ってくれている顧問は音大卒であるのと、その指揮を伊達に一年半見ていない、というのもあって珍しくも自信のあった優であったが、その自信もリハーサルで見事に打ち砕かれることとなる。
自身らの出番は一番なのもあり今回の歌と指揮の反省を頭の中で反芻しながら席に着いた。
三番目に指揮を振ったのは一年の頃に同じクラスで、歩について語ってくれた岡崎大翔だった。
見た瞬間、息を呑んだ。あれが大翔なのか、と。己など遠く及ばないと。
悔しくて、悔しくて、でも目は逸らしたくなくて。睨みつけるように大翔の指揮を見続けた。瞳に薄く張った膜を無視して優は次の指揮者である歩を見やる。
指揮の振り始めで、絶望を感じた。
次元が違いすぎると思った。
あんなにも綺麗な指揮が中学生に振れるのか。うちの顧問と同じぐらい振れているんじゃないかと思った。
悔しい、悔しい。
悔しい悔しい悔しい!!
(ああ、悔しい。苦しい…。あぁ)
「勝てないな」
そう、漏らしてしまうぐらいには。
目を逸らしてしまいたい。逃げ出してしまいたい。
でも、まだ…。
(やりようは…あるのか…?)
そう思い、深呼吸をしてから再び目を向けた。
放課後、何故か指揮者が第二音楽室の隣に勢揃いしてたので音楽科に届ける予定であった紙を手の代わりに振りながら彼らに近づいた。
「なんでお前らそんな指揮上手いんだよ」
と話しかけに行くと
「藤岡さんのほうが上手かったけどね」
と歩に言われ、大翔も上手いだそっちのほうが上手いだのと言っていたら、優の幼馴染でアルトサックスを担当している森川祐輝に
「お前ら何してんの?」
と呆れ気味に言われて自分の用件を思い出し、とっとと届けに職員室へ走った。
時折、優は歩のクラスの曲を思い出しては歩の指揮を思い出して胸をツキツキとさせていた。
これがいわゆる嫉妬か、なんて、他人事みたいに考えながら。
暫くして、当日。
自分の出番が終わった後はしったはしったはしった!!!!!としか考えられなくなっていた優は大翔の礼をするタイミングのミスで少し和みつつ、歩のクラスの番になるのを心臓バクバクで待っていた。
歩の指揮の振り始めをじっと見て、優は負けを悟った。瞳がチリチリと揺れる。覚悟は当にできていたはずなのに。
でも目は逸らさない。逸らしたくない。この男の指揮を、せめて脳に焼き付けよう。
薄っすら張る膜なんて無視し、現実を無理矢理見せつけるために前を向いた。
「指揮者賞 二年四組渡部歩さん」
分かりきっていた。そんなの分かりきっていたはずなのに。リハの日からそんなの目に見えていた。想像なんて容易にできた。なのにどうして、こんなにも悔しいのだろう。感情を見ないように言い訳をつらつらと並べるが、担任の言葉で堰を切ったように泣き出してしまった。
出口で出待ちしていた市のマスコットキャラのせいというかお陰というか涙は一瞬にして引っ込んでいった。
暫くした後、歩と佑輝と大翔が会場から出てきた。
「歩。おめでとうございやす」
素直におめでとうと言えなくて若干濁した自分を優は少し恨んだ。
その言葉を聞いた歩は不服そうな顔をした。
「こいつ、結果に納得してないから」
こいつ、と大翔が歩に視線をやり言った。
「だって絶対藤岡さんだった」
そう漏らした歩に対し、嬉しい気持ちいと、そんなことあるわけない、という少しだけ複雑な気持ちで
「いや、あれは歩だったよ」
と、返し、伴奏者賞をとった佑輝にも
「佑輝くんも、おめでとうございやす」
と伝えた。また、濁してしまった、と思いながら。
優は独り地面に座り込む。砂が付いて気にならないわけでないが、優はそれを気にしないようにしている。たまに、忘れてしまうぐらいには。
嫉妬。
そう名のついた感情から目を逸らそうとしても、勝手に顔を出してくる。
持っていていい感情なのか、悪い感情なのか。
それは優には判らない。
だってこの感情を抱くのは、少なくとも初めてだから。
(今は、どうしようもないか)
そう思い、優は立ち上がる。付いた砂は払っても完全に落ちることは無かった。
遠目に見つけた歩を一瞥し、優は小さく息を吐く。
「才能って怖い」
私の名前あゆーとこの作品に出てくる歩は関係ないです。
合唱コン前に優は歩と大翔に「どうしたら上手く振れる?」とか「何を意識的に振ってる?」と聞いたら「「何も考えてない」」と言われ、ショックを受けたのは完全に蛇足…。
今回実体験を物語にするという今までやったことがないことに挑戦してみました。気に入ってもらえれば幸いです。