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7.賢さの訳

7.賢さの訳


 仕方がないので札の裏側からできることをやる……つけられたという匂いを嗅いでみる……ハルルンは抱きかかえられた時にも感じたが、ミナミンとは違う甘い香り系のコロンを使用している。ミナミンはフルーティな柑橘系の香りだったはずで異なるから嗅ぎ分けは可能だが、匂いは強めなのでこれに邪魔される可能性大だ。


 犬になって驚いたことは……聴覚も鋭く、人が聞こえない周波数領域の音も聞こえるとは聞いていたのだが、雑踏の中を歩く時でも一人一人の靴音が聞き分けられるほど……案外人はリズム通りに常にテンポよく歩いているわけではないなど……様々な発見があった。


 同時に……音も匂いも……注目しなければ、遮断……というか無視することも出来るようで、生まれたばかりはあまりの雑踏音と周囲の香り攻撃に悩まされたのだが、段々と調整……というか、自然と種種選択できるようになってきた。


 だから……神経を集中させれば、ミナミンのコロンの匂いを嗅ぎ分けられる可能性は高い。


「クンクン……」

 まずは左から順に札の匂いを嗅いでいく……


「わあすごい……ちゃんと匂い……あっ……いけない……じゃなくて……札を選んでいるわ。」

 はいはい……匂いを嗅ぎ分けていますよ……なんせ裏側には何の表示もありませんからね……



 ううむ……一通り嗅ぎ終わったのだが……並べられた木札は全部で12枚。そのほとんどから甘い系の香りが漂ってきていた……それはそうだろう……木札は全てハルルンが並べたのだから……。


 確かに……ミナミンが並べてしまえば……彼女の移り香が残るはずだから、コロンを染み込ませておいたとしても無駄になってしまう……そういった意味合いでは正解であるだろう。まあでも……今日だってコロンつけてはいないのだがなあ……。


 だが……俺の記憶にあるはずのミナミンの柑橘系コロンの香りにぴったりと一致する札……は、どこにもなかった……それに近いものはあるのだが……果たして……。やはり人間であった時に嗅いだ香りと犬になってから嗅いだ香りでは、受け止め方が異なるのだろうか……。


「でも……本当にいい香りだよね……新商品だったよね?前のとは何が違うの?」


「うん……ミントの香りが足された……見たいな……成分はあまり詳しくはないけど、ちょっと爽やか目の香りになって……同じシリーズなんだけど全然イメージが違うでしょ?結構気に入っているんだ。


 でも……そう言えば……私普段はコロンなんてつけないけど……家では特に……ね……ステージに上がるとき以外では使ってないんだけど……この子、香りを覚えているかなあ……???今日だって……ね……」

 ようやく……ようやくミナミンが、大事なことに気付いてくれた……ふうっ……


「大丈夫だって……犬は人間の何倍も鼻が利くから……ステージの時につけていたコロンの残り香だって、きちんと覚えているはずだから……直にコロンを振りかけて染み込ませちゃうと、返却したときに匂いが強くて怒られちゃうから……コロン浸み込ませた布で軽く札を拭いた程度だけど心配ない。


 それよりも……普段どれだけ親密なスキンシップ?しているかどうかにもよるだろうけどね……。」


「えーっ……そ……それは大丈夫だよう……トイレきちんと覚えるまではケージで寝かせていたけど……すぐに覚えたから、毎晩ベッドで一緒に寝ているもん!ちゃんとお行儀良く寝てるんだよー……。」


「それなら大丈夫だって……。」


 はあ?大丈夫なわけねえだろ!ひえーっ……だから……ミナミンのコロンの匂いは、シャンプーやボディソープで上書きされ……気付けよ!……ええい……こうなったらダメもとで、ハルルン以外の匂いがついている札を探すしかない。まあ……元は同じシリーズ物と言っていたしな……


 とはいえ……結構強めのコロンだからな……普段からつけているだろうから……体臭とも混じり合って個性的な香り……別に嫌な臭いではないのだが……恐らくミナミンのコロンを仕込んだ時にも香っていたはず……だから……だから、どの札からも同じように香ってくる。


 別な匂いも感じられたのだが……それは微かな上に結構深めで……更にどの札からもしていた……だから多分その成分は、この木札の持ち主であるブリーダーとやらのものである可能性が高い。


 それら以外はというと……4枚……いや5枚から、鼻腔をくすぐるほのかな冷涼感を伴った香りがしてくる……確かにこの香りが記憶のものと一番近いし、ミント系が加わったとか言っていたから、これなのか?


 だが……なぜ5枚なのだ?さっきコロンを布に染み込ませてから札を拭いた……とか言っていたけど、その後でそのままの手で他の札にも触ったとか?あるいはコロンの香りをつけた札の上にも何枚も重ねて仕舞い込み、他の札にも香りが移ってしまったとか……なのか?


 後者の方がより強く推察されるな……コロンを染み込ませた布でこすった札は、1枚目は強く香りがついて重ねられた他の札にもはっきりと香りが移ってしまい、2枚目の札はそこそこの香りがついて重ねられた札にも少しだけ移り香する……3枚目の札は香りはついたが、重ねられた他の札に移るほどの強い香りはなかった。


 そうなると……香りが強い順に札を選択してみるか……恐らくポップの順に香りをつけたはずだから、文字順までも当てられるはず……はあ……何だってまたこんな面倒なことをやらなくてはいけないのだ?


 えーと……1枚目は……これだな?小さな口を大きく開け、自分の顔よりも大きな木札を咥えて持ち上げる……いや……持ち上げようとして途中他の札に引っかかって落ちた……


「ありゃりゃ……失敗……でもこの札かな?この札を選んだね?正解!」

 パチパチパチ……ハルルンが持ち上げた木札をミナミンに手渡し、拍手してくれた。読み通り……ミナミンの手の中の札はポだ……


「ちょっと……この子にしては札が……大きすぎるんじゃあない?」


「ああ……そうだね……普通は2歳とかの成犬になってから仕込むみたいだからね……でも……小さいうちから木札に慣れ親しませて、特別な札を咥える練習はするんだって。まあ……知り合いのブリーダーさんは、あくまでも動画サイトで自分のペットを自慢するための仕込みだからね。


 サーカスとかプロの動物つかいとかの訓練は知らないって言ってたから……だからあたしはもっと小さなうちに、きちんと仕込めば成犬になったらすごいこと出来るんじゃあないかと思って、今から始めることにした。

 どの道……あたしたちにはこの子が大きくなるのを待っている余裕なんてないのだから……ね。」


 ハルルンの決意に対し、ミナミンは下唇を噛み締め、神妙な顔つきで俺の頭を撫でてくれた……


「さて……次の札はどれかな?」


 俺の体を抱き上げ少し後方に置き、並べられた木札を俯瞰できる位置から次の札を催促される。


 2枚目も簡単……そこそこ強めの香りがついた札を咥えようと……どうせこの小さな体では大きな木札は持ちあがらないことは先ほどで認識したので、何度も咥えようとする振りだけしてみる。


「ああ……やっぱり札が大きすぎるか……でもこの札を選んだね?正解!よしっ……2連勝。」


 ハルルンがまたもや素早く札をミナミンに手渡し、今度は小さく握りこぶしを作りガッツポーズを決めた。

 やはりあの札は小さいツ……さてさて次は……?


 ここからが難しい……恐らく最初のポの札と重なっていたはずの札……移り香した札と、3枚目のプのはずの札……これがなかなか見分け……いや、嗅ぎ分けが難しいのだ……果たして香りの強さだけで選択してもいいものか?ううむ……クンクンと選択候補の2枚の間を行き来して、何度も嗅ぎ比べてみる……


「あれ?悩んでいるよ……どの札か、分からなくなっちゃったのかな?そうだよね……3文字分も当てるなんて、かなり難しいはずだよね?2文字の名前にしておけばよかったかな?」


 いやいやいや……ミナミン……反省すべき点はそこじゃあないって……


 ううむ……香りの強さから言えば僅かに……ほんの僅かではあるのだが……こっちの方が強いな……じゃあこの札を……いや、待て待て……今札を咥えようとして斜め下から札にアタックしてみて分かったが、この札……裏側からしか匂わない……表面からミントの香りは全く漂ってこないのだ……。


 まずいまずいトラップだ!引っ掛けだったか……


「ああっと……今こっち選ぼうとしたよね?この札かな?この札なのかな?」

「ワウワウワオンッ……ワフワオウワオンッ!」


 いや違うって……今のは失敗って言おうとしても、ただ吠え立てることくらいしかできず、必死にカードへ伸るハルルンの手を、首を大きく振って頭でガードして見せる。


「あれ?違うって言ってるよ……」

「えーっ?そうかな……だったらいいんだけど……。」


 流石最愛の人……ミナミン……俺の気持ちわかってくれてるー……ダッシュでそのまま真の札の元へと駆け寄り、木札を咥えて持ち上げようと試みる。幸いにも一番端の札だったので、他の札に引っかからずに、咥えたままで持ち上げて木枠から外すことが出来た。


「わあー……やった……凄いな……偉いぞ……これで……ポップの完成だ……。」


「凄い凄い……やっぱりー……この子はやればできるって思ってたんだー……。」


 ハルルンは3枚の札を順に並べて芝生の上に立てかけ拍手してくれ、ミナミンは俺を抱き上げると優しく頬ずりしてくれた。はぁ……至福の時間……このまま時が止まって欲しい……



 だが……これで全てがうまくいくとなるわけではない……札につけた香りは時間経過とともに薄まって行くはずだから、恐らくハルルンは今後もコロンの香りを染み込ませた布で拭いてから訓練を始めるはずだ。


 選択する木札だって毎回毎回すべて同じものだとやらせが疑われるので、並べ順とともに木札だって変更するはずだ……だが……その都度香りの移った木札が作られていくとなると……回を重ねるごとに選択が難しくなっていくということに……ううむ……思い切り噛んで裏に歯型でもつけておくか?


 いや……札は借り物だからハルルンが返却するときに困るな……さてさて…… 



「じゃあ……札をシャッフルして、もう一度やってみよう……いいかな?」


 ハルルンは並べられていた木札を一旦箱に戻すと、もう一度箱の中から別札を中心に数枚選んだ。その上でポップの3枚札を重ねておくと、トランプのカードを切るかの如く両手を使って木札をシャッフル……並び順を分からなくしてから木札を順に柵に立てかけた。


「さて……ほら……ポップ……もう一度名前の札を選んで見せてみて!」


「ポップ……何回も……面倒だけどごめんなさい……もう一度だけでいいから……ポップの札を選んで見せて……お願い……。」

 2人の美少女が両手を胸の前で組み、お祈りをするように静かに顔を伏せた。やれやれ……



 今回の選別は非常に楽であった……なんせ他のダミー札は前回と違ってコロンをつけた札と長時間重なっていた訳ではなく、せいぜいシャッフル時点で短時間だけ重なっただけなので移り香は極々微量……更に先ほど噛んだ自分の匂いもついていて……つまりポップの3枚札を順に選ぶのは犬である身であれば楽勝だった。


「きゃあっ!やったぁ!流石ポップ……一度やったら2度目は完璧で、悩むことなくすぐに見つけられたね!

 凄いよ……ちゃんと撮れた?」


 ミナミンがまたもや俺の体を抱き上げて祝福の頬ずりをしてくれた……はぁー……たまらん……あれ?


「うん、ばっちり!一旦札を戻してからシャッフルして混ぜたところも含めて、ずっと一発撮りしていたからインチキも何もしていないって、見れば分かるはず。これは……バズるかも知れないよ。


 あたしは早速持ち帰って編集してから動画をアップするから……ミナミンはこのまま……公園でポップと遊んであげて。今日の立役者だからね……慰労してあげてね。じゃあね……。」


 ハルルンはダッシュで開いたバッグに手当たり次第に詰め込んで荷物を片付け、数m先の芝生の上に立てかけられた黒い板状のものを持ち上げてポケットにしまい込むと、俺たちを残してそそくさと帰って行ってしまった。あれは……スマホだよな……そうか……動画を撮影していたんだ……気づかなかったな……。


 あれ?今日の所は……俺の訓練初日で……つまりはリハーサルで……本番は後日……ではなかったのか?途中でハルルンの動きに怪しげなところはなかったから、実は最初からすっと……延々……恐らくは30分以上は撮影していたな……。


 だからか……文字札が俺の方からは裏面で見えなかったのは……反対側から俺の動きを撮影していたから……間違いなくポップの順に選んでいくところを撮影するために……考えもしなかった……。


 まあいいか……最初のうちは戸惑いながらもなんとか成功して見せ、次は少し慣れたので、自信をもって札を選んでいった……と、やらせやインチキではなく事実であることがアピールできたであろう。


 だが……大丈夫なのか?俺が人語を理解して自分の名前の札を順に選んで見せたと評判になっても……?


 前世は人間で記憶が残っているから、飼い主の言葉が理解できたのだろうなんて噂でもされたなら……前世の記憶が残っている犬……といった風評だけならかろうじてまだいいが、なぜ記憶が残されているのかという点を追及されたなら……。


 天界での修行や天界に関しては極秘中の極秘だと神様が言っていたからな……天界の存在にまで気が付かれてしまっては……下手すると厳罰に処されてしまう。


 怒りの鉄槌……等と言って、雷の直撃でもくらわされた日には……真っ黒こげでお陀仏だ……しかもそれでは天寿を全うしたことにはならず、約束してくれた夢のような来世はご和算となってしまうだろう。


 まずいぞまずい……最愛の人……ミナミンを喜ばそうと始めたことだが、そんな事で天罰をくらってしまっては……真っ黒こげで落雷死だなんて……ミナミンが悲しむ……し、俺も悲しい……。


 なによりも……折角前世の行いが評価され、多少の手違いはあったものの今度こそ、バラ色の来世が約束されているというのに……その権利が失われてしまうのは惜しい……。


 どうしよう……どうしよう……待て待て……落ち着け……冷静に考えよう。


 最悪……死後の世界というか……天界の存在に気が付かれたとして……天罰くらって死んだとしても、恐らく神様の所に一旦連れていかれて、そこで、残念じゃが……とか、引導を渡されることになるだろう。


 だったらその場でも言い訳……というか、言い繕いの言葉を準備しておけば……うまく神様を納得させることが出来たなら……もう一度ポップとして生き返らしてくれることはないにしても、来世の優遇措置は残してくれる可能性はある。


 そう……俺が犬として転生してしまった時に……下心を見透かされて、一旦は約束したはずのバラ色の人生を留保されてしまった事を覆し、多少はスケールダウンしたものの、どうやら思い通りの来世への転生を勝ち取った時のように……説得するのだ……心からの言葉であれば、神様も納得してくださることだろう。


 だがなあ……明らかに、ミナミンやハルルンの言葉を理解して、その通りに動いていたからなあ……その点を突かれると痛いなあ……最初のうちは言葉など分からないふりを貫いていたつもりだったが……ハルルンの境遇等を聞かされて、本物のアイドルになりたいという気持ちの……必死さに心を打たれてしまった。


 俺の行動が、そのとっかかりとして少しでも役に立てたなら……と考えて、出来るだけのことをやってみたつもりだったのだが……余りにもあからさまだったか?俺としてはまだお試しの……リハーサルのつもりでいたからなあ……本番ではもう少しうまく振舞うつもりでいたのだ。


 当初から撮影目的で大きな公園へやってきていたとは……注意が足りていなかった……反省……。


 だがまあ……実際に俺がやったことと言えば、札にかかれていた文字を読むわけではなく……読みたくても裏側には何も書かれていなかったのだからな……札につけられたミナミンのコロンの匂いにつられて選んだわけだからな……これは前世の記憶と全く関係なく、子犬としての技量だ。


 2度試技を行ったが、2度ともコロンの香りで嗅ぎ分けたのだから……この点を強く主張すれば……あくまでも子犬としての振る舞いに問題はなかったと……ハルルンたちが何を言っていたのか分からなかったにしても、飼い主の匂いに惹かれて札を選んだと判断されるだろうと主張すればいいか……。


 恐らく動画が広まって話題になったとして……飼い主の言葉を理解して文字も認識できる子犬……だなんて……賢いだのかわいいだの忠犬だ……だのと好意的な反響も多いだろうが、反対意見だって多く発せられるはずだ。


 恐らく飼い主の匂いを札に染み込ませていたのだろうと……なぜなら裏側には札に何も書いていないのだからな……そんなことは動画を詳細に解析すればすぐに明らかとなるはずで……そのような結論付けに対してハルルンは反論できずに認めるしかなくなるだろう。


 それだってまあ……種明かしされたところで……賢い子犬としての評価は揺るがないのではないか?


 ふうむ……おおよそのこれからの筋書きは決まった……後はどうなろうと……俺はそうなることを見越して行動したのだと……断固として考えを曲げなければ……神様だって説得できるかもしれない。

 そうだ……そうしよう……


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