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6.特訓

6.特訓


「お回りと言ったら、あたしが出した指先の下をこうやってぐるぐると回るんだよ、いいね?」


 ちょっと歩いた先の広い公園についたら早速、特訓が開始された。お手にお座り、お代わりにお預けなどは普段からミナミンに仕込まれているからな……一通り披露してあげたら今度はお回りだ。


「はいっ、お回り!」

「はっはっはっ……」


 無視すると機嫌を悪くされかねないので、地べたに座ったまま尻尾を振って嬉しそうにハルルンの指先を見上げて目をくるくる回してみる。ミナミンを喜ばせようと、何でも一度に覚え過ぎた……反省している……。


「うーん……一回じゃあだめか……ここは辛抱強く……。

 いいかな?お回り!といったら、こうやって……ぐるぐるとその場で回る……いい?」


 腹から腰のあたりを両手で抱え上げられ、ハルルンと一緒にその場を何度もぐるぐるとまわされた。ううむ……お回りってこうやって仕込むのか?飼い主の指先を目で追わせることから初めて、次は頭を回して最後は体ごと……と、段階を踏んで自然と動きを覚え込ませるものではないのか?


 まあ……俺は仕込んだことはないのだが……家は公団でペット禁止だったからな……でも、俺ならそうやるだろうな……。


「はいっ……お回り!」


「はっはっはっ……」

 またもやただ指先を見つめて、尻尾だけ振ることにする。


「がーんっ……何でも一度に覚える賢い子じゃなかったの?」


「えっ?うーん……そうだよー……今日は調子が悪いのかなあ……ほらっ……指先をじっと見てて……ほうら……ぐーるぐる……自然と体も動いてくる……。」


「わふっ!」

 今度はミナミンが直接指導を始めたのだが、ここで一回で出来てしまうと、飼い主の言う事なら一度で覚える賢い子……という事になってしまうから、そうはさせない……。


「あれ?だめだあ……簡単な躾とか芸なら覚えるけど……他はまだ駄目かな……もしかすると、飼われていた家でトイレとかお手なんかは、覚えさせていたのかもしれないよね。


 だから一度で出来たのかも……でも……生まれてからそんなに経ってなかったはずだから、やっぱり覚えるのは早いんじゃあないかな……根気よくしつこくやってみたなら……。


 いい?じっとこの指先を見るのだよ……これっ……舐めちゃダメ、めっ!見るだけ!ねっ?ほーら……じっと見てて……最初は目で追えるけど段々と頭が動いて……次は体が……お回りっ!


 ででで……出来たあ!」

 余り飼い主の気持ちをもてあそんでもいけないので、ここらで希望通りの動きをしてやる。


「うわっ……すっごーいっ……ミナミンは、さっすが飼い主だね。ちゃーんと我が子の気持ちは分かっているんだ。一度覚えたら、あたしがやっても大丈夫かな?ほらっ……お回り!」

 今度はハルルンの指の動きに従って、ぐるぐると回って見せてやる。


「きゃっ……感激ーっ!いいねえ……じゃあ次行ってみようか……。


 ミナミンが直接指導したほうが覚えが早いみたいだから、最初からミナミンがやってみて……次はチンチンだね……多分……トイプードルだから得意なはず……。」


 俺がわざとハルルンの指導を無視していることを特に怒ろうともせず、それならとミナミンに任せて俺を仕込む方針に切り替えた様子だ。流石グループリーダー……出来ないことをしつこくやらせようとせず、出来ることで伸ばしていこうとする……。



「じゃあ次は……さく越えだよ……チンチンしてー……はいっジャンプ!」


 チンチンの練習は、それでも数回はそ知らぬふりをして、好物のジャーキーを手に上に吊り上げられるのを機に、2本脚立ちを極力自然にやってのけた。その後、後ろ脚立ちのまま歩いたりダッシュしたりと進化させたが、案外4つ足で歩くのと変わらず安定しているようだ。トイプードルの体の素養半端ないな。


 怖いのは……逆立ちして歩くことだよな……確かペット芸の動画で見た記憶がある……だが俺は生前ほとんど運動などした記憶がないほどのインドア派だからな……前世の記憶があるからこそ……如何なトイプードルの体に生まれ変わったにしても限界はあるはずだ。


 いつの間に準備していたのか、幅50センチ高さ20センチほどのハードルのような木製の柵が芝生の上に置かれ、なんとそれをジャンプしろと命じられる。無理だ……俺はまだ生まれて間もない子犬だぞ……後ろ脚立ちして俺の肩口くらいの高さの柵を、超えられるはずないだろ?高跳び選手じゃあるまいし。


「はっはっはっ……」

 後ろ脚で立ったまま、柵の前でただ茫然とする……


「どうしたの?高すぎるのかな……流石にこの高さは無理みたいだね……。」


「うーんそうか……知り合いのブリーダーさんにお借りしてきたんだけどなあー……トイプードルでも成犬用の柵なんだろうね。そうか……まだ体が小さいから筋肉もそんなについていないだろうしね、もっともっと低い柵……今度探してみてもらうよ。だったら……逆立ちも無理かな?」


 ぎくっ……ついに来てしまったか……まずい……


「逆立ちも教えるのはもう少し大きくなってからにしようか……転んで怪我されても困るしね。」

 ほっ……助かった……


「じゃあ……まだ早いかな……これもブリーダーさんからお借りしてきたんだけど、文字カード……これなんか特に長い時間かけて根気よく教え込まなくちゃ……らしいんだけど、名前を書けた……なんて聞いたから、こっち方面の方が得意かなと思って借りて来た。」


 ハルルンが、先ほど断念した木製柵とほぼ同寸の薄手の木箱を持ってきて開けると、そこには木製の短冊というか、薄い木片がぎっしりと並べられていた。


「へえ……カタカナが書かれたカードというか……木の札だね?これでポップの名前を覚えさせるの?」


「そうだね……名前とか好物とかを教え込ませるらしいよ。最初のうちは選ぶ札に好物の臭いをつけたりして、選ぶと褒めてあげるようにして……更に並び順とかで根気よく正解を覚えさせるみたいなんだけど……頭のいい子は5つくらいの質問に応じた札を取れるようになるらしいけど、この子はどうかな?」


「ふうん……そうだね……文字が入った札を選ばせたら、あんな読めるかどうか……難しく考える必要性もなくなるもんね……さっすがハルルン……頭いい!」


「いや……だから……色々と聞きまわって仕込んで来たんだって。


 グループ結成してはや3年……いい加減曽根賀谷商店街だけのアイドルから脱皮して、全国区とは言わないけどせめて県内のご当地アイドルくらいにはなりたいと思っていてね。


 それだってどうやってやればいいのか……マネージャーさんや事務所の会長さんなんかといつも相談していたんだけど、手立てがなくて……事務所と言ったって……商工会長が会長の、芸能事務所とは言えないただのスタジオ管理会社でしかないからね。


 だけど……この子が文字を書けますっていう動画はすごくバズッて……1週間でなんと10万アクセス……そりゃあ……ちょっと文字として判断するのは難しいかも……とか批判じみたものが多かったけど、中には今後も継続して教え込めば、きちんと書けるようになるのでは?とか期待コメントもあったりしたの。


 普段はグループ推しの人が見るくらいで、せいぜい3桁アクセスなのにだよ……。


 ミナミンが勘違いみたいだから、すぐに消してっていうから消したけど……あんなのはちょっと怪しげでも話題に上ればいいんだから……あたしはそのままでも良かったんじゃあないかと今でも思っているよ。


 だから今だったら、この子関連の動画はそれなりにアクセス数稼げるんじゃあないかと思っているんだ。


 もっと見たいって思ったら、他の動画も見てくれるかも……でしょ?きっかけはどうでも、あたしたち関連の動画を見てもらって、一人でも二人でも……ちょっといいんじゃあないか?って思ってくれる人が増えて行けばいいなあって……だから頑張ろう!」


 ハルルンは右手を握り締め肘を少しだけ曲げガッツポーズを決めながら、大いなる決意を口にした。


 成程……地下アイドルとも言えない人気のご当地アイドルだが、やはり上昇志向は持っているという事か……頑張って欲しいところではあるのだが……こっちにもそれなりの事情があるので、余り協力は出来かねるな……別の手を検討していただくしかないだろう……と思う。


「ふうん……ハルルンは偉いね……ほんとは休日もバイト掛け持ちで忙しいんでしょ?なのにポップの特訓のためにわざわざバイト休んでくれて……そうやってグループのために活動するって……凄いと思うよ。


 あたしは……取り敢えずグループのお給料だけでもなんとか暮らしていけているから……どうしても足りない時はお母さんに電話して、お小遣い振り込んでもらったりしているけど……お母さんは若い時にアイドルにあこがれていて、結構色々なオーディションに出たりしていたらしいんだ。


 だから……商店街の催しとはいえ、私がスカウトされたことをすっごく喜んでくれていて……ずっと応援してくれているから……このままでもいいかなあって思ってるけど、この先のことを考えているんでしょ?」


「うちの親はアイドル活動に反対しているからね。生活が苦しいなんて言おうもんなら、すぐ家に連れ戻されて地元で就職させられるのが落ちさ。25までは好きなことをやらせてくださいって、お父さんに土下座までして頼み込んで、ようやく許可をもらった身の上だからね……頼ることはできないし、何より成功したい。


 もうあまり時間は残されていないから……だから……ミナミンの意志に反しているかもしれないけど、この子のことを利用させてほしいんだ。ずっとじゃない……あくまでもとっかかりの話題作りのために。」


 ミナミンの言葉にハルルンは、頭を下げながら懇願と言った感じだ。結構な温度差を感じていたのだが、背景が違うのだな……反対する親を何とか説得して、期間限定でアイドル活動を行っているハルルンと、どうやら親が協力的なミナミン……グループ内でも引っ込み思案ぎみなのは、その為か……。


「ミナミンの家族の話をちゃんと聞くのは初めてだね。まあ……あたしの個人的事情を打ち明けるのも、今日が初めてだけどね……レッスンの休憩時間の駄弁りで打ち明けるような内容じゃあないからかね。


 グループメンバーには打ち明けてない内容だから……悪いけどオフレコでね。心配して気を使われても困るから……。なんとしてでも名前を売るんだって……街中でビラ配りとか……大変だからね。」


「ああ……あったね……ビラ配り……客席の半分も埋まらなくて……商店街の角ごとにビラ配りで、レッスンそこのけで半日以上立ってたね。寒い時期だったから大変だった。


 それがコロナで……一旦休業になって……再開時は一つ置きの座席配置だったから逆に入りきれないお客さん迄出始めて……一時期はプラチナチケット化したこともあったよね。だから……座席数を元に戻した後も休日はほとんど満席で……不謹慎だけどコロナ様様だよって、誰かが言ってたもんね。」


 ミナミンが中空を見つめながら頬を緩め、懐かしむように話す……。


 はあ……結構苦労していたんだな……俺なんか……半分しか埋まらない頃からの熱狂的なファンだったから……再開をそりゃあ心待ちしていたし、再開後はチケット予約のクリックに没入していたもんなあ……興行が成り立つ座席数を設定しているはずだから……入りは悪くても、そこそこ稼いでいるんだと思っていた。


「今はまだ……商店街の振興のためにお客さんを呼び込むためとして、商店街から補助金が出ているけど、事務所の社長は、それを余り当てにするなっていつも言っている。せめて商店街アイドルからご当地アイドルへ一ランク上げる必要性があるんだって……そうじゃなきゃ本当のアイドルとは言えないってさ。」


 成程な……いつまでも商店街の地下劇場メインのアイドルでは、いけないという事か……確かにな……今の立ち位置では地域のフェスに呼ばれるはずもないだろうし……地元の高校の文化祭ですらお呼びがかかっていないはずだ。


「じゃあまずは……やってみよう……ほれ……ポップ……自分の名前が書かれた札は、どれかな?」


 打ち明け話の傍ら準備を進めていたハルルンが俺を抱き上げて、芝生の上に木枠を直置きして、そこに十枚ほど木の札を並べて立てかけた先で降ろした。やれやれ……どうしようかな……あれ?


「ほらっ……どうした?札を……選ぶんだよ。」


 立てかけられた木の札の所まで鼻先を無理やり持っていかれ、札を選ぶように強制される……だが……木札は裏側……表側にはカタカナが書かれているのだろうが、裏はただ木目が見えるだけなのだ……これでどうやって選べというのだ?うん?なんだかちょっと……いい香りが……


 ああこれは……ミナミンがいつもつけているコロンの香りに似ているな……そんなに強くはなく、ほのかで爽やかな正にミナミンにぴったりの香りなのだが……ちょっと印象が違うし、なにより……握手会の時に香ってくるもので、普段のミナミンは化粧っ気もないどころかコロンだってつけないのだ。


 臭いがついている札は……ざっと嗅いだ感じ3枚だから、ポと小さいツとプ……のはずだ。だが……普通に選べと言われても……俺ならともかく私生活のミナミンしか知らない子犬じゃあ無理だぞ……ステージ後はシャワーして化粧も落として帰ってくるんだからな……その辺理解しているのか?


 しかもどれがポでツでって全く分からんから、どの順で咥えたらいいのかすらわからん。


「どうしたの?ポップ……選べない?うーん……そうだよ……だって……木の札覚えさせてないでしょ?どの札選べばいいのか、一度も教えていないじゃあない……最初はこの札だよって……何度もしつこく教えてあげるんじゃあないのかな?」


 困って立ち尽くしていたら、ミナミンから助け舟……いいぞ……裏側じゃあ書いている文字も分からないことも指摘してくれ。


「大丈夫だって……選ぶ札にはミナミンがいつもつけているコロンの香りを染み込ませているんだから……大好きなミナミンの匂いだから、飛びつくはずだよ……。」


 ところがハルルンは自信満々に答え、全く譲る様子を見せない。だ・か・ら……ミナミン普段はコロンをつけていないの!なのになぜ?どうしてここで俺のミナミン愛を疑わせるような発言を?


「ええっ?そうなの?あー……だから……昨日使いさしでもいいから、コロンひと瓶頂戴って言って来たんだね?あの匂い……好きなのかなあって思ったんだけど……違ったんだ。


 ふうん……札に匂いをね……警察犬みたいだね!」

 ミナミンが納得とばかりに笑顔で何度も頷く……かわいいのだが……


 仕方がない……ミナミンのコロンの香りはさほど強くなく、シャワー後の帰宅時ではシャンプーやボディソープの匂いにかき消され……というか混じり合ってしまっていたから明確ではない。


 そうなると……前世の記憶だけを頼りにミナミンの香りを当てに行くしかないのだが……果たして……人の嗅覚と犬の嗅覚……匂いの感じ方は同じなのだろうか?たしか……人の千倍以上も匂いをかぎ分ける能力があるって、前世の時の科学番組みたいなので聞いたような記憶が……


 そうなると……コロンの香りも犬が嗅ぐと、細かく成分ごとに分類されて識別……とかなると、俺の記憶の香りとの照合がうまくいかない可能性も……ううむ……困ったな……


「はいっ……えーと……ポップ……好きな香りがついた札を選んでね……ヒントは……いつも抱きしめてあげる時に、匂ってくる香りだよー……。」

 ミナミンがしゃがみ込んで俺を抱き上げ、じっと見つめて目線を合わせ、笑顔で告げる……


「だめだよー……ネタばれさせちゃあ……ほいっポップ……自分の名前の札はどれかな?


 こう言って選ばせるんだよ!」


 ミナミンの手の中から引きはがされ、背中から両手に包まれた後に地面に戻され札の後ろに立たせられる。ううむ……ド天然の二人だな……二人ともに札の正面側へ回って、俺の反応に期待している様子だ。


 どうしてこの状況で、生まれて間もない子犬が人語を理解して、その通りに行動するだろうと信じて疑わないのだ?しかも札の裏側には何も書かれていないというのに……


 ええい……ままよ……


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