10.大成功
10.大成功
「では、まずは……私が示すカードと同じものを選ぶよう命じて頂けますか?」
プラスティックメガホンを首から下げたテレビスタッフが数枚ほどのカードの束を手に、メガホンは使わずに肉声で叫ぶ。まあ……距離的に10mもないから……メガホンつかうべき距離でもないけどな……
「えっ……ええっ?……ぽぽぽ……ポップの名前のカードを選ばせるわけではないのですか?」
ミナミンが驚いたように目を大きく見開いて、口も半開きの状態だ……
「はあ……まあ……名前を書いたカードを選ぶだけだと……カードに大好きなおやつの匂いを染み込ませておくとか……色々と工夫できますからね。文字を理解しているのであれば、こちらが指定する文字カードと同じものを選べるはずですよね?まずはその実験からやってみたいと考えます。
とはいえ……最初はこのカードから始めましょうか……。」
呆然自失気味のミナミンに対し、ぺらぺらと活舌の良いテレビスタッフは、1枚のカードを高く掲げた。
ポップのポの字だ……小手調べ的な……だな……
「わわわ……分かるかな……?ポップ……今日はいつもと違ってポップの名前カードではなく……いやっでも……ポップの名前の一文字なのか……ポの字だよ……ポの字……ほらっ……あのお兄さんが掲げているカードと同じ文字をこっちの中から選んでみて……分かるかな?」
突然の要求に慌てふためくミナミンは、戸惑いながらもテレビスタッフの方を指さしながら言葉だけで説明し、それから俺の体を抱きかかえると……カードを並べた枠の裏側にそっと置いた。
おいおい……まるで俺がミナミンの言葉を理解している……みたいな……いや……まあ……理解しているけれどもだな……だがそんなことが明らかになると……天罰だって喰らうかも知れないが、何よりもミナミンの手元を離されて、研究所で実験動物扱い……なんて怖ろしいことになりかねん。
かといって……折角のテレビ取材……しかもおおよその見当ではその目的は、人語を解するかもしれない犬……つまり俺……が目的くさい……ここで全くのデマだと知れたなら……昨日やったはずのアイドルグループシュープリーマーの取材自体がお蔵入りで放送されないなんてことになりかねん……。
かといって……ミナミンと離れて暮らすなんて……犬として生まれ変わっても、大好きだったミナミンと一緒だから満足できているのだ……そりゃあ所詮は犬と人間……どれだけ思いを寄せたところで、遂げられることはあり得ないのだが……元々推しのアイドル……そんな大それたことは考えずにただ応援していただけだ。
ミナミンの私生活なんて全く知る由もなかった、ただのアイドルヲタクの生活に比べたら、私生活の時間はほぼべったりな今の生活は、正に天国なのだ……この生活を失いたくない……。
とはいえ……ミナミンをがっかりさせたくもないし……なにせ……グループの存続すらかかっているかもしれんのだからな……では、どうすりゃあいいのだ?
「ほらっ、ポップ……あそこにいる叔父さんが持ってるカードと同じのを選ぶのだよ……最初は……この間選んだカードと同じ文字だから……簡単だよね?ポップの……名前の……」
悩んだまま動けずにいたら、今度はカード枠の傍らに立っていたハルルンに声をかけられた。ミナミンもそうだが……こっちがただの子犬だという自覚がないな?口調から察するに、人間の3歳児か4歳児相手の感覚でいるみたいだな……。
取り敢えず……そうだな……前回の木札を選んだのは……あくまでもミナミンのコロンの匂いにつられて……といった背景を強調するためにも……まずは……
カードに書かれた文字や図柄には目もくれず、クンクンと鼻を鳴らしながら……並べられたカードの匂いを順に嗅いでいって見せる……そうしてから選択に悩む姿を見せつけ、細工がなければカードは選べないと判断させる……これにより文字認識などしていないことを印象付けるのだ。
とはいえ……生まれて間もない子犬が……人の命令をある程度理解して、思惑通りに動いているのだという心象は消えない……それなりに賢い子犬として評価されるであろう……ただの子犬であるならば……並べられたカードを意味なく噛み散らかしたり、あるいはただスルーして飼い主の元へ甘えに行くだけだろうからな。
うん?あれ?ミントが配合された爽やか形の香りがほんのりと……極々僅かではあるのだが……1枚のカードから漂ってきているのが分かる……なんだこれは?このカードは……ポの字のカードだ……そうか……名前カードを選ばせるであろうと考え、あらかじめ仕込んであったな?
まあいい……次々嗅いで行こう……すぐに反応して見せると、文字を認識していることを悟られるからな……匂いの強弱にも反応したのだと分からせるため……だが……あれ?……おかしいな……2つ隣の小さいツにも、そのまた次のプのカードにも……どちらからも香りは漂ってこない……匂いがついていないぞ……ごく薄くしかつけなかったから、掠れてしまったのかな?
まあいいさ……コロンの匂いで当てたということにして……数歩戻ってから1枚のカードを口に咥えて見せる……
「きゃっ……やったぁ!ポップ……凄いよ!」
「ほんとだね……お見事!」
瞬間……ミナミンが駆け寄ってきて俺の体を抱き上げると思い切り抱きしめて頬ずりしてくれた……はあ……至福……
「いやあ……やりましたね……じゃあカードを差し替えてください……次は……このカードですよ。」
横目でちらりと確認すると……スタッフが掲げるカードは数字の3……やはりポップと名前を選ばせるつもりはなさそうだ。だが……先ほど並べられたカードには、ポの他に匂いがつけられたのはなかった……カードの文字に注視してはいなかったから……うーん……3があったかどうかすら覚えていない……。
「じゃあポップ……次はね……数字の3だよ……分かるかなあ……またまた、あのお兄さんが持っているカードと同じのを選ぶんだよ……でも……カタカナの名前は教えたけど……数字は教えていないもんね。無理なら分からないって言ってくれればいいからね……。」
ミナミンが心配そうに俺の様子を窺いながら、恐る恐るといった風にゆっくりと震える両手で、俺の体をカードが並べられた枠の裏側に置いてくれた。
数字は教わっていないのだから分からないよ……そもそも子犬だから文字とか数字なんて覚えられないんだよって、言葉で言えたなら……どれだけいいか……
まあいいさ……今度もまた……カードの匂いを順に嗅いでいって……どこにも匂いがついていないから分からない……と言った体で、棒立ちしているさまを見せつければいいさ……
あれ?変だな……またもやミントが配合されたコロンの香り……ふと見上げると、そこには3のカードが……あれ……この位置は……先ほど小さいツが置かれていた場所だったはず……そうか……カードは1回ごとに総とっかえするのかな?
更に入れ替え時にハルルンが対象カードに匂いをつける……あるいはあらかじめ選ばせるカードが決まっていて、夫々匂いをつけてある……これは……やらせなのか?ミナミンは態度から知らない可能性大だが、テレビスタッフとハルルンが共謀して……仕組んでいる???
まあいいさ……ここにきて匂いをつけたカードをスルーするわけにもいかないだろう……演出の意味からも最後のカードまで匂いを嗅ぎまくり、中央付近まで戻ってから3の書かれたカードを咥えて見せる。
「ややや……やったぁ……さっすがポップ……凄い凄い……」
すぐさまミナミンが駆け寄り、またもや俺の体を抱き上げると思い切りハグしてくれた……はあ……昇天……もう……死んでもいい……。
「やりましたねえ……名前に関わるカードだけでなく、数字まで選べるとはすごい……じゃあ次は……。」
ハルルンがカードを差し替えると同時に、テレビスタッフがカードを掲げる……手順としてはっきりしてきたな……二人が示し合わせているのはほぼ間違いがない。次のカードは☆マークのカード……
「今度こそ……むずいよね……これは無理かな……?」
ミナミンは全く自信がない素振りで、俺の体をカード枠の裏側にすとんと置いた。やはりミナミンは裏方事情を全く知らない……テレビスタッフとハルルンだけでやらせを行っているに違いがない。
まあこちらとしては……同じことを繰り返すだけだ……端からカードの匂いを嗅ぎまくって行き……コロンの匂いがつけられたカードを選択する……匂いは極々僅か……恐らく人間の鼻では嗅ぎ分けられないほど微量……だから余程詳細に調べなければ……この場ではわからないはず……。
今度は一番向こう端……最後のカードだった。位置を教え込んで取らせているわけではないことのアピールだな?
「すすす……すごい……ポポポップは……やっぱり天才だね!」
裏事情を知らないミナミンは、目の前で起きていることを信じられないといった様子で、今度は緊張ではなく興奮気味に小刻みに震えながら俺の体を抱き上げた。鼻息が荒くて興奮気味なのが伝わってくる……。
「いやあすごいですねえ……天才犬現る……って見出しで大々的に特集を組みましょう。20までの数字のカードがありますから……今度は計算できるか……やってみますか?
こちらが掲げたのと同じカードを選ぶ……っていうだけでは、文字だろうが数字だろうが図形だろうが……同じの選ぶだけですから変わりありませんからね……。」
テレビスタッフも大喜びの様子で、興奮気味に駆け足でこちらへと寄って来た。いくら仕込みとはいえ……所詮は動物相手……ここ迄一発で旨く行くとは予想していなかったのだろう。そうだな……一度くらいは失敗して見せたほうが良かったかな?
だが……文字認識や図形認識なんて……人間でだってそうそうに簡単なことではないのだぞ。幼いころから慣れ親しんで学校でも習った事のある文字や数字に図形ならともかく……初めて見る図形や文字など……簡単に見分けられるものではない。
例えば……日本人にとってアラビア文字……タイ文字だってそうだが……ぱっと一瞬見ただけで、同じものを書けと言われても、正解できるものは少ないだろう。いや……日本の昔からの画数の多い漢字だってそうだ……再現して書けと言われても……手本を見ながらでもなければ無理だろう。
漢字ですら読めるけど書けない……特に現代日本では……パソコンやワープロにスマホ……文字を手書きすることはかなり減り……学校の授業でさえもタブレット使用……等となっている。
書けないということは文字の詳細を正確には知らないということで……点や横棒に文字修飾等……少し異なる文字を見せられてそこから選ぶ……なんてことだって結構難しいものだ。
それを……人間ならともかく子犬に……子犬だって簡単にできるであろうと、考えているというのか?いや……匂いをつけているのだろうから計算なんて関係ないのだが……仮にそんな事出来たとするなら……猿よりも知能が上になってしまうぞ!
いいのか?そんなことして……本格的に調べられたら仕掛けがバレて、やらせが疑われるぞ!
ううむ……そうなったとしてもテレビ局側は知らぬ存ぜぬで……全てハルルンの一存でやった……なんてトカゲの尻尾切りみたいなことをするつもりなのか?
掲げられた3枚のカードは……数字の2と記号の+と数字の3……答えは簡単だが……選んでもいいものかどうか……かなり悩ましいな……あれ?おかしいな……1から順に数字が並んでいて、中央辺り……5のカードに来ても匂いがついていない……ハルルンの奴……間違って別のカードに匂いをつけたか?
そう思って10枚目の0まで匂いを嗅いでみたのだが……どれにも匂いがついていない……先ほど選んだ3のカードにだって匂いがない……そうか……選んだカードは毎回全て差し替えで……数字は同じものが複数枚あるのかな?そりゃそうだ……スタッフが持っているカードだって同じものだからな……。
何だったら3のカードを選んでやろうと心づもりがあったのだが……それすらも出来ないな……ふうむ……参ったな……どうしようか……悩ましく……カードの端から端まで何度も往復して見せる……。
「いやあ……やっぱり駄目でしたね……だって……流石に計算なんて……教えていませんよ。ペットに計算させようなんて……普通考えませんよね?
スタッフさんが掲げるカードと同じものを選ぶくらいは、教えていない数字や図形だって何とか頑張れば選べたんでしょうけど……同じの選ぶだけですからね……やっぱりこの子……賢いから……それでも流石に計算は無理ですよ……でも……今度までには何とか計算も教えておきますよ。ねっ、ミナミン?」
「ははは……はいっ……ががが頑張って……ややや……やってみます……。」
少々の間があったが……ハルルンがたまりかねたといったばかりに助け船を出してくれた。
「ああっ……そうですね……この特集は今後も継続……ということで……企画を出してみますよ。上の承認を得次第お伝えしていきたいと考えます……今日の撮れ高から見て多分大丈夫でしょう。」
そこでテレビスタッフがやってきて、笑顔で締める……ふうむ……連載の特集になったというわけか……想定外の大功績だな……そうだよな……天才犬が話題となれば……しかもそれを独占できたなら……かなりの視聴率が稼げるであろう。自慢にはなるが……なんといっても俺……かわいいもんな……。
やらせと勘繰られないように一旦失敗した風に見せて置き……次は計算の答えにも匂いを染み込ませておく……表立っては……これから計算式を覚えさせる特訓を始めるというわけだ……これだけで特集の第2弾が組めるという事だ……最初からこの段取りで……ふうむ……抜かりがないな……。
こんなこと……ハルルンが考えたのか?いや……恐らくそれはないだろうな……元々降ってわいたようなテレビ取材……こんなこと彼女が想定できたはずはない。そうなると……シナリオはテレビ局が準備してきたものか……それだと先行きが読みずらいからちょっと困るな。
果たして……このシナリオに乗ってもいいものかどうか……やらせとばれた場合の反動が怖いからな……信用できないとかパッシングの嵐となり……それこそグループ存続の危機となってしまうかも知れない。
既にメジャーデビューしてそれなりに売れているならまだしも……ほぼ完全な地下アイドル……いや……そこまでも達していないのかもしれん……商店街アイドル……商店街からの補助がなければ存続すら危うい程度のグループなのだからな……それこそ吹けば飛ぶよな……だ……。
かといって……この間ハルルンが打ち明けたことを思えば……このまま何事もなく進めば……やがてグループの存続は危ぶまれる……ステージやCDにグッズの売り上げだけでは赤字のようだからな……確かにな……チケット代……俺が買っていたころと同じならば……平日1500円で土日でも2000円だったからな……地下劇場の維持管理費だけでも月当たり馬鹿にならない金額だろうから……。
今の状況は俺には分からないのだが……それでもコロナの影響で間引き席になって……逆に常時満席でプレミア化しているとか言っていたけど……それでようやく500円ずつ値上げしたんだったよな。
余り極端に値上げして客足が遠のいても困るだろうし……やはり全国放送での宣伝効果は外せない……そうなると……いやでも乗っかるしかないのか……仕方がないなあ……。




