3話 昼時の語らい
他の生徒達の視線から逃げるように本校舎から出た二人は、本校舎から200mほど離れた場所にある学生寮の前にいた。慌てて走ってきたからか、二人とも少しだけ息を荒くして肩を上下させていた。
「と、とにかく、ここまで来たらあいつらも追ってこねえだろ」
「そ、そうですね。その、私のせいで、申し訳ありません」
「いや、白宮さんは悪くないよ。あれは状況が悪かった」
再び謝罪する雪華に和樹はそうフォローを入れる。あればかりは状況が悪かったとしか言えない。しかし、明日がどうなるかは二人とも口にはしなかった。想像したくないからだ。
「もうこのまま外出るか?それとも、一度部屋に行って荷物おいてから行くか?」
「このまま行きませんか?ルームメイトの方と顔合わせしてすぐにほかの方と食事に行くのは些か失礼でしょうし。それなら、会う前にクラスメイトの方とお昼を済ませてからゆっくりと交流をした方がいいと思います」
「確かに、それが妥当か。まぁ俺は桐葉だから気兼ねする必要はないけどな」
というか、自分を見捨てて行方をくらましたのだ。顔合わせなど後回しにしていいだろう。今は彼女との交流を優先したい。なにはともあれ、このまま部屋には寄らずにそのまま外に出ることにした二人は早速外へと向かう。
幸いにも、正門は学生寮の方が近かったので本校舎から追ってくるクラスメイト達と出くわすことはなく、無事に外に出ることができた。駅の改札にも似た形状の正門をくぐり、二人は学園の目の前にあるモノレール駅でモノレールに乗り込むと、迅が提供した店のリストを見ながら相談する。
「この店とかどうだ?値段も手ごろだし、男女関係なく頼めるメニューも多い」
「あ、確かにこの店はよさそうですね。……こちらの店とかはどうですか?サンドイッチやコーヒーがおいしくて評判らしいです」
「お、そこもいいな。ううん、いいのばかりで迷うなぁ」
「そうですねぇ。けど、桐葉さん情報収集が得意なのでしょうか?とても参考になりますね……」
「……釈然とはしないが、確かに参考にはなるな」
悔しいことに迅が提供してくれたリストは非常に参考になる物ばかりだった。近場のものばかりなのも出し、学生が払えるリーズナブルな値段、男女関係なく楽しめるようなメニューなど、学生事情に優しい店ばかりだったのだ。ドヤ顔しサムズアップする迅の顔が思い浮かんでしまうが、あっさりと見捨てられた身としては非常に不満だ。
それからもなかなか店が決まらずいくつかに候補を絞って悩んでいた時、ふと雪華が和樹に尋ねた。
「あの、そういえば、桐葉さんとはどのお店に行こうとしたんですか?」
「俺らはハンバーガーショップに行くつもりだった。ボリュームはあるのに、値段は手ごろで何より写真を見た感じ美味そうだったからな」
「……どんなのか見せてもらってもいいですか?」
「ああ、いいぞ」
和樹はページを切り替えてもともと行くつもりだったハンバーガーショップのホームページを表示して雪華に見せる。雪華は少し驚きつつもホームページをまじまじ見てやがて顔を上げると、口を開いた。
「………あの、この店にしませんか?」
「……え?マジで?いいのか?」
名家のお嬢様の口からハンバーガーショップに行かないかという予想外の言葉に和樹は純粋に驚き素直に聞き返してしまう。それに、雪華はこくりと頷いた。
「ええ、実は、その、前からハンバーガーには興味があって、昔一度食べたことがあったのですが……中々食べる機会がなくて……」
名家故だろうか。ハンバーガーショップのような庶民的なものに触れる機会は少なかったらしい。そして、少ないからこそ逆に好奇心が刺激されてしまうのだろう。事実、雪華の目が『食べたい』と物語っていたから。元々、和樹もハンバーガーを食べるつもりでいたので、文句はない。
「じゃあ、そこにするか」
「ええ。楽しみです」
こうして二人の目的地はハンバーガーショップに決まった。
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その後、学園最寄りの駅から3駅乗ったところにある大型ショッピングモールについた二人は早速、三階にある例のハンバーガーショップへと向かった。エスカレーターを上り店の近くまで歩けば、ちょうど昼頃というのもあって長蛇の列ができていた。和樹はそれを見て少し顔を顰めた。
「うわーやっぱ人気店なだけあって並んでるなぁ。待ち時間は……一時間か。まぁそんなものか。どうする白宮さん。並ぶか、それともほかの店に行くか?」
「ここまで来たんですし、並びましょう。それに一度列待ちをしてみたかったんです」
(お嬢様だなぁ…)
和樹の問いかけに即答した雪華は列待ちすら楽しむつもりのようで、和樹は内心で微笑んだ。雪華がそう言ったので二人はそのまま列に並んで予定より少し早い50分程でようやく店の中に入れた。中では黒のエプロンに身を包んだ若い男性店員がさわやかな笑顔と二人を出迎える。
「いらっしゃいませー?何名、様…です…か……」
しかし、雪華の姿を視界に入れた瞬間、男性店員は硬直する。彼だけではない。中にいる客やせわしなく動いているほかの店員達までもが彼女に目を奪われていたのだ。素でモデル顔負けの美貌に?まれたのだろう。そして、そんな視線に慣れているのだろう雪華は店中から一斉に向けられた様々な感情を宿した視線を前に平然としており、眼前で硬直する男性店員に声をかけた。
「あの、席に案内してもらえませんか?」
「っつ、も、申し訳ありませんっ?すぐにお席にご案内します?」
雪華の言葉にハッと我に返った男性店員が慌てて二人をテーブルへと案内する。案内されたのはいいに面したテラス席だった。偶然開いていたのだろう。二人はそのテラス席の端のテーブルに案内された。テーブルに案内され席に座った二人は司会に広がる東京湾の景色に思わず関心の声を上げる。
「うわぁ、いい眺めですね」
「だな。並んで待った甲斐があった」
二人して景色をそう好評すると、早速メニューを開いてすでに並んでいる間に決めていた食べたいものを注文する。しばらく待つと自分たちが注文した品がそれぞれ運ばれてきた。雪華はチーズバーガーにウーロン茶とポテトSサイズとメニューの中では少量のものを、対する和樹はダブルベーコンチーズバーガーにコーラ、Lサイズのポテトと男子高校生らしいボリューム満点のものだ。自身の二倍は超える量を注文した和樹に雪華は純粋に驚く。
「とても食べるんですね。やっぱり、それだけ体が大きければ食べる量もそれ相応ということですか?」
「昔からよく食う方だったからなぁ最近じゃ。2,3人前の量を食べるのが当たり前になってきているんだよなぁ」
和樹の身長は日本人高校生の平均を上回る180cm前半だ。その上、魔装使い(エーテルナイト)として幼いころから必死に体を鍛えていた。その結果、食事量は年を取るごとに増えていき、今となっては2,3人前の量を食べないと物足りないと感じるようになったのだ。
「ふふ、本当によく食べるんですね」
雪華は口に手を当ててくすくすと上品に笑う。所作が完ぺきなお嬢様の前に庶民的料理代表ともいえるハンバーガーがあるのは少し場違いな感じもするが、それはあえて口にはしなかった。
「まあ、それはそうと冷めないうちに早く食べよう」
「そうですね」
そして、二人はそれぞれ包装紙を剥き、口に頬張った。最も、雪華は一口が小さかったため、かぶりついたといった方が正しい。口に広がる胡椒などのピリッとした刺激が美味い。口に含み間で飲み込んだ二人はほぼ同時に口を開く。
「美味しい」
「美味いな」
同時に味を称賛した二人は互いに笑いあうと、その後も何度も咀嚼していき、ハンバーガーを和樹が四分の一、雪華が八分の一ほどを食べた時、和樹が食事の手を止めると徐に口を開く。
「………そういえば、一つ聞いてもいいか?」
「はい。何でしょう?」
「朝のトラック。あれどうして避けようとしなかったんだ?向かってきてるの気づいてたんじゃないのか?」
「………」
朝、トラックに轢かれそうになった雪華を和樹は寸前のところで助けた。あの時、トラックの存在に気づいていないと思っていたのだが、後で振り返ってみればどうにも奇妙だった。
主席であるはずの彼女ならば、音が聴こえないとは言えトラックの接近に気づかないわけがない。それに、あの時教師達との会話で彼女達は『立場的に』といった。それが御三家と関係しているのは間違いない。だとしたら、彼女はトラックに気づかなかったのではなく、あえて避けようとしなかったのではないかと思ったのだ。
その疑問に、雪華は頷きを以て肯定した。
「……ええ、はい。実を言うと、トラックには気づいていました。ですが、接触する寸前のところで避けようとしていたんです」
「何でまたそんなことを……」
「被害を出さない為です」
雪華は少し声のトーンを落としながらその理由を話し始める。
「私は御三家の一角『白宮』の人間です。故に、昔から命を狙われることは何度かありました。ですので、今回のトラックも入学した私の事を狙ったものなのではと思ったんです。ですから、ギリギリまで引きつけて避けることで、他の生徒達が巻き込まれないようにしようと思ったんです。ですが……」
「避ける前に、俺が飛び込んできた、と」
「はい。そうなります」
「はぁ〜〜なるほどなぁ。てことは、俺もしかして余計なことしたか?」
雪華から明確な理由を聞かされた和樹は、背もたれに背中を預けると頬をかきながらそんなことを言う。だが、それを雪華が否定した。
「そんなまさか。確かに回避できるものでしたけど、貴方が私を助けるために飛び出してくれたことには変わりありません。ですから、余計なことなんて言わないでください。私は、貴方の行動に感謝してるんですから」
「そ、そうか」
真正面からそんなことを言われるとは思わず、顔を赤くした和樹は照れ臭くなって雪華から目線を逸らしハンバーガーを勢いよく頬張った。
その様子に雪華はくすくす笑うと、自分からも一つ質問をした。
「私からも一つよろしいですか?」
「ング……ん?どうした?」
雪華の問いかけに和樹はたった今、口に入れたハンバーガーを無理やり飲み込むと応じる。雪華は和樹の右手首に結ばれている二つの結晶に視線を向けながら尋ねた。
「どうして、九条さんは《魔装》を二つ持っているんですか?私達魔装使いは《魔装》を原則一つしか使えないはずですが……」
《魔装》とは魔装使いが振るう特殊武装の総称であり《魔魂結晶》と呼ばれる特殊な鉱石が魔装使いの魔力に呼応して変化した武装の事である。
ちなみに《魔魂結晶》とは世界に点在する『龍穴』と呼ばれる大穴の周辺から採掘できる特殊な鉱石の事である。この星には『龍脈』という地脈のように魔力が流れており、その魔力が噴き出す大穴こそが龍穴と呼ばれている。その周囲は魔力が浸透しており、魔力が浸透し馴染んだ鉱石こそが《魔魂結晶》である。
そして、《魔装》の形状はそれぞれの魔装使いによって異なり、大剣や刀、銃、鎧や装束など多種多様な形状が存在している。《魔装》は魔装使いが魔法を放つために使う魔法の杖と同様の役割をこなしており、魔装使いはこれを介することで己の超常の力―すなわち魔法を使うことができるのだ。《魔装》は普段はアクセサリーや小道具のような形状の小さな結晶体《待機形態》であり、魔力を呼応させて使用するときに武装へと変化する《起動形態》になるのだ。普段は《待機形態》で持ち歩くのが基本だ。
しかし、この魔装は一人一つしか反応しないのが魔装使いの原則。理由としては幾つかあり、魔魂結晶が魔装使いの魂の分身であることから、本人にしか反応しないからとか、当人の魔力が魔魂結晶に馴染んだことで、他者の魔力を受け付けなくなったとか、諸説ある。なんにせよ、魔装は一つしか使うことはできず、二つも持っている必要はないのだ。
一部の例外を除けばそれは世界共通の不変の事実である。
魔装使いどころか一般人でも知ってるようなことなのに、なぜ彼は二つ持っているのか出会った当初から疑問に感じていた雪華は思い切って彼に尋ねたのだ。
「ああ、そのことか。俺が魔装を二つ持っているのは、片方がお守り代わりなんだよ」
「お守り、ですか?」
「ああ、こっちの宝玉の形をしたものが俺の魔装『ヴァナルガンド』だ。それで、こっちの桜型の魔装《桜月》がある人からお守りとして持たされたものでな」
そういって、和樹は二つの魔装を外して自身のの顔の高さにまで持ち上げると陽光に当てる。半透明の2つの結晶が緋色と桜色に煌めく様は美しかった。
「ある人というのは…」
「俺が目標にしている人で、最も尊敬している人だ。彼女は、これから降りかかるであろう苦難を前に励みになってほしいということで、コレを俺に持たせたんだ」
誰かやどういうきっかけがあったかなど、詳しい経緯は話してはいなかったものの、《桜月》を慈しむように見ている彼の表情から、彼が心の底からその人を慕っているということがよくわかった。
「そう、ですか……きっと、とても素晴らしいお方なのでしょうね」
彼の様子を見て雪華は微笑を浮かべながら呟く。自分にも同じような人がいるから、彼の気持ちはよく分かったのだ。
「ああ、本当に素晴らしい人だよ」
和樹は満面の笑みを浮かべてそう答えると、今度は彼が彼女に尋ねる。
「なぁ、白宮さんの魔装はどんな形なんだ?」
「私のはこういう形状です」
そう言って、雪華は白銀の髪をポニーテールにして纏めている簪と共に髪飾りとしてつけていた雪の結晶を模した六角形の青白い花の形状をしているアクセサリーを取り外し和樹に見せた。
「これが私の魔装《白麗》です。普段は髪飾りの一つとして簪と一緒に着けているんです」
「まるで氷の結晶みたいだ。すげぇきれいに輝いているな」
「ふふ、ありがとうございます。ですが、九条さんの魔装も御綺麗ですよ。私もさっきは思わず目を奪われたぐらいです」
「お褒めにあずかり光栄だ」
それからも二人は談笑混じりにハンバーガーを食べていく。そして、楽しそうに会話しながら食べ進んでいた時和樹はふと気づいた。
(ん?ほっぺにソースがついてるな)
彼女はチーズバーガーをモキュモキュと可愛らしく食べており、頬にソースがついてるのに気づいていない。だから、和樹はクスリと笑いながらナプキンを取ると、
「白宮さん、ちょっとじっとしてて」
「え?なにを、です……」
彼女が何かを問うよりも先に頬についたソースをナプキンで拭き取ったのだ。
「ほっぺにソースついてたからさ、拭いてあげようと思って」
「えっ?」
紙ナプキンでソースを拭き取られた雪華は最初こそ訳が分からず硬直していたものの、和樹にそう指摘されたことで状況をやっと理解した瞬間、
「っっ~~~~っ?」
ボボボッと火が付いたかのように瞬く間に顔を赤くし、ハンバーガーを皿に置いて恥ずかしそうに俯いてしまう。それを見て、和樹は自分がやったことを理解し頬を少し赤らめながら謝罪する。
「あ、あー、すまん。女の子に急にやることじゃなかったな」
「い、いえ、私の方こそ…お恥ずかしい姿をお見せしました……」
お互いにそう謝罪した後、しばらく沈黙が続く。しかし、その沈黙に耐えられなかったのか和樹は強引に話題を変えた。
「そ、そういえば…白宮さんは《星桜魔剣武闘祭》は出るつもりなのか?」
「わ、私ですか?」
話題を振られた雪華は彼の問いかけに少し黙った後に答えた。
「勿論、《星桜魔剣武闘祭》には出るつもりです。ですが」
「どちらかに出るか迷っているのか?」
「はい、その通りです。シングルならばそれで良しですが、私はダブルスにも興味がありまして……」
「でも、ダブルスを選んだとしても白宮さんなら主席だし、ペア相手はすぐ見つかるんじゃないか?」
和樹は頬杖を突きながらそう言う。新入生主席である彼女ならば引く手数多だろうとそう思ったのだ。しかし、その言葉に雪華は少し表情を暗くさせた。
「確かにそうかもしれません。……ですが、正直に言って私はそういう考えではペアを組みたくはないんです」
「理由を聞いても?」
彼女の様子に頬杖をやめ神妙な顔つきを浮かべた和樹は彼女にそう尋ねた。
「構いませんよ。九条さんも知っての通り、私は『白宮』の人間です。白宮の人間だからこそ、才能が溢れている人間だと思われてしまう。それが私はすごく嫌でした」
かの白宮家の長女。栄えある第一魔装学園の主席入学者。そして、『白雪の姫君』という呼び名を既に持つ彼女は才能溢れる天才だと今日だけでも散々言われた。そして、それらの賞賛の中には妬み、やっかみなどの上辺交じりの負の感情が込められていることにも彼女は気づいていたのだ。
それが彼女は嫌だった。
「私は才能溢れる天才ではありません。どちらかといえば、ただ魔力量が多いだけの凡人です。一を聞いて十を知ることはできなくて、十を聞いてようやく一を理解することができるような、誰もができるようなことしかできません」
白宮雪華は並外れた才能を持っているわけではない。一度見て聞いて成功できるるほどの才は彼女にはない。だが、できないからと言って彼女は諦めることはしなかった。一度でできないなら五十回繰り返す。それでもできないなら百回。それでもできないなら何度でも繰り返していきモノにしてきた。
「白宮家として魔装使いの鍛錬だけでなく、舞踊や書道など多くの習い事をしていますが、指導してくださった先生方は皆口を揃えて言います。『お嬢様は、あらゆる習い事を完全に習得していると』ですが、それは結果的にそうなっただけで、何度も練習して身につけたものです」
第一魔装学園に主席入学したことも同じことだ。誰もができることを何度も必死に繰り返して努力した結果、主席で入学しただけに過ぎない。
白宮雪華は並外れた才能を持っているわけではないが、天才であることには違いない。しかし、何の天才かと言われれば、それは『努力』の天才であるということだろう。そして、諦めることを知らないだけのことなのだ。
「それで、話を戻しますが、私は白宮家の人だから、主席入学者だからといった上辺のことだけで判断してペアを申し込んでくる方達とは、申し訳ありませんがお断りさせていただこうと思っています。私はその人の実力を見極め本当に組みたいと思った人とペアを組みたいんです。綺麗事だとわかっておりますが、それでもこの考えは曲げたくはありません」
「…………」
力強い決意が宿った言葉でそう言った彼女に、和樹はしばし無言で彼女を見据えて納得した。
(なるほど。噂ってのはあてになんねぇな。これのどこがお綺麗なお嬢様なんだ…)
和樹は彼女の認識を改める。和樹が彼女に会う前に聞いていた『白雪の姫君』の評判は容姿端麗、品行方正、才色兼備の完璧な女性だった。何をやらしてもそつなくこなし、魔法や剣術の才能をも有しているという非の打ちどころのない存在だと和樹は思っていた。
しかし、こうして彼女と言葉を交わし、彼女が内に秘めた想いの一端を知ったことでその認識は変わった。彼女はただ才能にあふれた名家のお嬢様ではない。諦めないことを知り、己を高めるために努力をすることを怠らない『武』の心を知る気高き武人だ。だから、
「……いいんじゃないか?それで」
「え?」
その言葉は自然と出ていた。驚きの声を上げる雪華に和樹は再び頬杖を突きながら笑みを浮かべた。
「別にそれが白宮さんの決意ならわざわざ曲げる必要なんてないだろ。曲げたくないならそのまま貫けばいいじゃねぇか。曲げてそういう奴らとペアを組んでもしこりを残すだけでいざという時に何かあったらそれこそ迷惑な話だ。嫌なら嫌で自分の信条に拘って突き通せばいいだけの話で、どうしてこっちが曲げなきゃいけねぇんだ?もしも、それで文句言ってくるような奴がいたら、そいつはよほどの阿保に違いねぇな」
「――――――」
暢気に笑いながら平然と言い放った和樹に雪華の瞳が大きく見開かれた。
彼女の青白の瞳は揺れ和樹に向けられておい、次いで喜びの色がじんわりと滲み、
「ふっ、ふふっ、ふふふっ」
彼女は相好を崩すと、口に手を当てながらくすくすと笑い始めたのだ。
「ええ、ええっ、九条さんの言う通りですね。ですが、文句言ってくる方を阿呆だなんて、そんなこと言う方は初めてですよ」
「別に思ったことを言っただけだしな。ま、そもそも文句言う奴とは普通にペアなんざごめんだな」
「確かにそうですね。……ですが、九条さんはペアを名乗り出ないのですね。貴方は次席ですし、実力としては最も合理的だと思いますが……」
雪華の言う通り、和樹は次席入学者という新入生の中で雪華に次ぐ実力を持っている。主席と次席でペアを組むのが校内の選抜戦を潜り抜け本戦に進むために最も合理的な組み合わせだ。しかし、そんな彼女の指摘に対して和樹は何とも曖昧な表情を浮かべた。
「…あー、確かにその通りなんだがなぁ。俺の場合は少し面倒でな……」
「?それはどういう?もしかして、何か事情がおありなのですか?」
「……事情というかなんというかなぁ。俺も《星桜魔剣武闘祭》には出るつもりなんだが、俺はさ……ダブルエントリーするつもりだから、ペアは慎重に選びてぇんだ」
「ダブルエントリーをするつもりなのですか?ですが、あれは先生もおっしゃっていたように、負担が大きすぎると……」
雪華は驚愕の声を上げてそう指摘する。その雪華の指摘に和樹は小さく微笑んだ。
「それ桐葉にも言われたよ」
「桐葉さんにもですか?」
「ああ、あいつにはダブルスに影響が出たらどうするんだといわれたよ。でもな、それでも、俺はシングルとダブルス両方出場するつもりだ。これだけは何があっても譲れない。だから、ペアも俺がダブルエントリーをしても構わないっていう人にしたいんだ。だから、白宮さんにペアを申し込むつもりはないよ。白宮さんの足を引っ張りたくはないからな」
「九条さん……」
微笑みながらそういった和樹に雪華は目を見張ると、何かを考えこむ仕草をした後、思い切って彼に尋ねる。
「……その、九条さんはどうして、ダブルエントリーをするのですか?」
「約束を果たすためにだ」
簡潔に答えた和樹は雪華から視線を外し、海に視線を向けながら話し始める。
「ガキの頃にある人と交わした約束を果たすために、俺は魔装学園に来た」
「約束…ですか?それはどんな?」
雪華の問いに和樹は一度口を閉ざすと、思い出し笑いを浮かべると空を見上げながら気恥ずかしそうに、だが、同時に想いのこもった力強い言葉で答えた。
「………『誰よりも強くなる』。とても子供じみたものだが、それでも俺はその約束を果たすために《星桜魔剣武闘祭》のシングル、ダブルスを両方優勝して《双星》と《桜花の剣王》の二つの称号を勝ち取り、《星桜の剣聖》になりたいんだ」
《星桜魔剣武闘祭》で優勝した者にはそれぞれある称号が与えられる。ダブルスなら《双星》を、シングルなら《桜花の剣王》を、それぞれ与えられるのだ。一般的にこの称号を持っている者達は日本最強各の実力を持つ学生として名を馳せることになる。しかし、これにはもう一つ上の称号がある。
それこそが、《星桜の剣聖》だ。
これはシングルとダブルスの二つとも制覇したもの、すなわちグランドスラムを達成した学生のみが名乗ることを許される称号。そして、この称号を得るということは、その学生が文字通りの日本最強であるということを意味している。
しかし、この称号を得るために日々鍛えている者は数が少なく、ごく一部の日本最強を本気で狙う者達を除き、大半が《星桜の剣聖》の称号を諦めており、《双星》、《桜花の剣王》どちらかに絞って鍛錬している。そして、和樹は本気で《星桜の剣聖》の称号を狙うごく少数の内の一人だ。
こういった者に共通しているのが、彼らは往々にして勝利や強さへの際限なき渇望があるということ。言ってしまえば、究極の負けず嫌いであり、何が何でも頂点に立つという強い執念を持っているということだ。
己にできるすべてを極めつくし、それを磨き、誰も見たことのない高みへと羽ばたかんとする若き学生たちなのだ。九条和樹はそんな究極の負けず嫌いの一人なのである。
「無謀だと、無茶だと笑う奴の方が多いだろう。だが、そんな奴らの事なんざ、どうでもいい。馬鹿にするだけで目指そうとしない腰抜け共に一々構ってやるつもりもない。俺は本気で《星桜の剣聖》を目指してる。そのために俺はここまで努力してきたんだ」
笑いたいのなら笑えばいい。だが、笑うぐらいなら、俺の前に立つな。そういわんばかりの力強い覚悟と決意が宿る彼の言葉に雪華は圧倒された。
(……すごい。そして、とても強い方ですね)
シングルかダブルスどちらを出るかで悩んでいる自分が馬鹿らしく思えた。だって目の前にいるこの人は、どちらかを選ぶという半端をはじめから選ばすに、両方制覇して日本最強になると言い切ったのだ。上級生ならまだしも、まだ魔装学園に入りたての新入生がそれを言ったところで、笑う者が大多数だろう。だが、彼はそれらをどうでもいいと一蹴した。
彼は本気で日本最強になろうとしている。
それがどれだけ厳しく、苦難に満ちた道のりであっても彼は決して諦めずに、立ちはだかる強敵のことごとくを打ち倒し、自分こそが日本最強であると頂で吼えるために強くなろうと努力しているのだ。
己の誇りの為に、そして、約束の為に。
その彼の覚悟の、決意の強さを前に、彼の瞳に宿る渇望の炎を雪華は初めて他者に圧倒されたのだ。
ここまで芯が強い人間を、本物の強者を彼女は久しぶりに見た。
そして、彼女は思った。
(この人のことをもっと知りたい。この人の強さを……私は、もっと知りたい)
ここまで他の人に興味を抱いたのは初めてかもしれない。
入学して初めて親しくなった知り合いを、次席入学と表面上ならば格下に在るはずの彼を、一人の誇り高き騎士である九条和樹という人間を、彼女はこの日深く知りたいと思った。