20話 月照らす夜に
「んっ、んんっ………ぁっ…………?」
深い眠りから意識を浮上させた和樹は、ゆっくりと瞼を開ける。
目を開けてまず見えたのは、暗い部屋に浮かぶ真っ白な天井だ。ここがどこかは知らない。どこかの部屋だろうか。
(アルコールの匂い……医務室、か?)
だが、直後に鼻腔に伝わったアルコールの匂いからここは医務室なのではないかと彼は推測する。
彼の推測通り、ここは本栖ベースの宿舎にある医務室だ。
「あっ、か、和樹さんっ良かった!目を覚ましたんですねっ…!あぁっ、本当に良かった…!」
視界の端から自分の顔を覗き込んできたのは、白銀の髪に淡青白色の瞳を持つ少女がいた。
「雪華…か……うぐっ……」
まだ虚な意識のままぼうっとしつつ何とか身を起こそうと動くが、全身から鈍痛が伝わり呻く。
呻き声を聞いた雪華は慌てて彼の背に手を添えて補助をしつつ気遣うように声をかける。
「……無理はなさらないでください。あれだけの傷を負っていた上に神獣魔装まで使ったんですから」
「あ、ああ、そうだったな……」
「先生曰く、4日は目を覚さないと言われてたのですが、まさか2日で起きるなんて……それも、神獣魔装のお力、ですか?」
雪華の問いかけに和樹は苦笑いを浮かべると、肯定する。
「……まあ、な。……神獣魔装を宿すと使わなくても傷の治りが早くなるんだよ」
神獣魔装の適合者は自身に神獣魔装を宿している。その為、展開せずともその力の恩恵を得ることができ、傷の治りが早くなったりもするのだ。
だからこそ、四日間寝たきりと診断されていても、それよりも早く回復できたわけだ。
最も、初めて『フェンリル』を使った時は幼かったこともあり二週間近く寝込んではいたが。
和樹は雪華にそう返すと、彼女に振り向いて尋ねる。
「……雪華、あの後はどうなったんだ…?先輩達は……?」
「落ち着いてください。順を追って話します。まず、先輩方は二人とも無事です。昨晩には完治しています」
そうして雪華は順を追ってこれまでのことを話す。
まず、今はあの襲撃があった日の2日後の深夜だ。窓に視線を向ければ月が空高く昇っていた。
あの日、霞と激闘を繰り広げた和樹は元々の傷の深さによるダメージに加えて神獣魔装を使ったことによる激しい消耗により意識を失い今日まで昏睡状態であった。
勿論、『人喰い鬼』改めて『酒呑童子』が遠征中の生徒を襲撃したことは誰もが事態を重く見ており、遠征は中止。信号弾が打ち上げられた時点で、生徒達を全員呼び戻して、和樹や雪華、美央、雲雀を除く全ての生徒達は即座に寮へと帰還した。
和樹は未だ目を覚さないことから宿舎の医務室で寝かせており、同じ班であった三人は断固として帰還を拒否し万が一に備えての和樹の警護と看病を引き受けて残ることにしたのだ。
和樹達を救出した後、戦闘区域を中心に教員達が霞を捜索したものの結局、発見することができなかった。どうやって彼女が魔境に入ったのか謎であり、侵入経路を調べる為に城壁を隈なく調べたものの特に異常はなく、結局どこから侵入したのかは分からなかった。だが、分からないにしても警備状況は見直さなければならず、改善を求められている。
「………というわけです」
「そうか。分かった。話してくれてありがとう」
「いえ、大丈夫です。ですが……」
和樹はこれまでの状況を話してくれた雪華にそう礼を言う。雪華はそれに気にしなくていいと首を横に振るが、その視線は何かを聞きたげだった。だが、それが雪華が聞く前に和樹が露骨にため息をついた。
「はぁ……しっかし、負けるってのはきついなぁ。酒呑童子にも最後は見逃されたしな」
思い返すのは霞との戦いのことだ。表向きには和樹が撃退したことになっているが、彼女の気紛れで見逃されただけのことだ。
だからこそ、事実上の敗北が和樹は悔しかった。雪華もそれは同様で表情を曇らせる。
「ええ、そうですね。私達は彼女にいいようにされました」
「ああ、あそこまで強い敵がいるとはな。本当、世界は広いぜ」
「…………」
腕を頭の後ろで組んで壁にもたれた和樹がそう言うものの、雪華は先ほどからずっと何か効きたそうだった。それにようやく気づいたのか、和樹は再び身を起こして話題を変えた。
「お前の聞きたいことは分かってる。コイツのことだろ?」
そう言って、胸に魔法陣を浮かべて中から紅い牙の魔魂結晶ーフェンリルの神獣魔装を取り出した。
雪華はそれを見て少し真剣な表情を浮かべると頷き思い切って尋ねる。
「はい。和樹さん、貴方はどこで神獣魔装を手に入れたのですか?」
「……………」
雪華の問いかけに和樹はしばしの間沈黙すると、窓の外に浮かぶ月を見上げると、懐かしむような表情を浮かべた。
「…‥五年前にな。俺は父方の親戚の家があるドイツに家族で旅行に行ったんだよ」
「ドイツ、ですか?」
「ああ。俺さクォーターでドイツの血も流れてるんだ」
「そうだったんですね」
雪華の言葉に和樹は笑みを浮かべて話を戻す。
「話を戻すけど、その時に俺はテロに巻き込まれて、人質にされたことがあったんだよ」
「ッツ」
テロに巻き込まれた。その言葉に雪華が気まずそうに表情を曇らせた。自分が踏み込んではいけない領域に触れたと感じたのだ。そして、咄嗟に謝罪しようとするも、それより先に和樹が話を続ける。
「まぁ結局、母さんがあっさりと鎮圧してくれて事故らしい事故は起きなかった。だが、肝心なのはその後だ。そいつらはとある神獣魔装を持っていたんだよ」
「それが……」
「ああ。コイツ、『フェンリル』だ」
和樹は自分の手の中にある結晶をコツンと弾いた。
「もしかしたら、適合者を探すつもりだったのか。あるいは、組織に持ち帰るつもりだったのか。狙いは定かではなかったんだが、結局奴らの目論見が果たされることはなかった。そうする前に俺が適合者として選ばれたからな」
「そう、だったんですね……」
「ああ、でも話はそこで終わりじゃない」
「え?」
顔を上げて驚く雪華に、和樹は当時を思い出してから苦々しい表情を浮かべて拳を強く握りしめると呻くように呟く。
「当時の俺は急なことだったのもあり、『フェンリル』を暴走させてしまったんだ」
「そんなっ…」
雪華は思わず口を抑えてしまう。
神獣魔装の暴走。それは、つまり神獣の力を見境なく周囲に振り撒くと言うことであり、周囲に甚大な被害が出てもおかしくないのだ。
だからこそ、その被害を想像して表情が青ざめてしまう。和樹はそんな雪華の想像を肯定するように頷く。
「元いた場所が廃墟だったから死者こそ出なかったが、当時は山火事が発生して大変だったな。訳がわからず力に呑まれた俺は周囲を焼き尽くそうとしたんだよ」
「ど、どうやって、止まったんですか…?」
一体どうやって暴走を止めたのか。そんな疑問に、彼は月から視線を下ろし手首にあるもう一つの魔装《桜月》を見つめながら答える。
「母さんが、体を張って止めてくれたんだ」
「……お母様が、ですか?」
「そうだ。母さんが止めてくれなかったら、俺は生きてはいないだろうな。母さんのおかげで俺はこうして生きていられる」
彼の言う通り、綾火がいなければ自分はこの場にはいない。神獣に呑まれた哀れな被害者としてあの場で討伐されてもおかしくなかったのだ。
強大な力の奔流に呑まれて訳がわからず助けを求めて泣き叫ぶながら、周辺を炎で焼き尽くす彼を止めてくれたのは他ならぬ母の愛だったのだ。
母の愛があったから、自分はここまで強くなれた。
「体を張って止めてくれた母さんは、俺にこう言ってくれた。『―――大切な人達が危険な目にあっている時。これ以上どうしようもない時。そして、自分以外ではその状況を打開できない時にそれを使いなさい。傷つけるためではなく、守るためにその力を使いなさい』ってな」
和樹はあの炎の海の中で自分を抱きしめながら言ってくれた母の言葉を思い出しつつ口にした。
あの言葉があったから、自分は力に恐怖せずに折れなかったのだ。
「だから、その時決めた。俺は、守る為にこの力を使おうって。どれだけ強大で危険な力であっても、その力を使いこなして守りたい人達を全員守りたい。そして、約束を果たす為に俺は魔装学園にきたんだ。《星桜の剣聖》を目指すのも、その誓いを果たすために必要な事だからだ」
「……そう、そうだったんですね。……」
全てを聞いた雪華はくすりと表情を綻ばせた。
彼の強くなる理由は聞いていたが、それを成していた根幹の一つは母の愛に応える事だった。
なんて優しいんだろう。
なんて誇らしいんだろう。
母の愛に応えるために彼はこれまで努力を積み重ね、神獣魔装ですら使いこなしてみせた。
彼ほど気高い戦士はいないとすら雪華は思ったほどだ。
「和樹さん……貴方は凄いですね」
その称賛は自然と口から出ていた。彼のことを更に知ることができた雪華は無性に嬉しかったのだ。
「ありがとう。でも、大したことじゃねぇよ」
雪華の称賛に首を横に振り謙遜する和樹。雪華はその謙遜にくすくす口に手を当てて笑った。
「ふふっ、ご謙遜を。家族の愛に応えるために強くなる。言葉にすればそれだけですが、実際にやろうとするのは簡単なものではないんですよ?」
「そうなのか?」
「ええ、そうです」
和樹を言いくるめた雪華は彼をじっと見つめると、穏やかな少女を浮かべる。
「和樹さん……私は、貴方の目標を応援します。貴方ならばきっと誰よりも強く、誰よりも優しい英雄になれるでしょう。だから、どうか忘れないでください」
「?雪華…?」
雪華は首を傾げる和樹の手を取ると両手できゅっと優しく握ると顔を上げて宣言する。
「貴方は一人ではありません。貴方の夢を応援し支える友人がいることをどうか忘れないでください。私が貴方のことを支えます。ですから、共に強くなりましょう」
「ッッ!!」
雪華の言葉に和樹は一瞬でも瞠目すると、すぐに笑みを浮かべて握られている手を広げて手を握り返すと、瞳に力強い覚悟の炎を宿す。
「ああ、ありがとう。だけど、お前が俺を支えるだけじゃない。俺にもお前を支えさせてくれ。だって、俺達はペアだろ?なら、互いに支え合って強くなろうぜ」
「っ!はいっ!一緒に強くなりましょうっ!」
雪華は握る力を一層強める。
二人は今日圧倒的な敗北を経験した。
結果的に無事に生きて帰れたものの、それは敵の気紛れによるもの。ただ運が良かっただけのことだ。
だからこそ、二人は月光に照らされ、夜闇の静寂が満ちる医務室でもう二度と負けないように強くなることを改めて誓った。
これより始まるのは、二人だけではない多くの人間が紡ぐ物語だ。
その中で、二人はこれから数々の試練に出会し、強敵と戦うことだろう。
それでも、互いの目的を果たす為にもう二度と負けはしないと、二人は改めて誓った。