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雪月花のソード・ワルツ  作者: 桐谷 暁人
第一章
18/20

18話 窮地




 霞が第二ラウンドの合図をした瞬間、和樹は身を屈めて一言呟く。


「『吼えろ』」


 一言呟き彼は炎を全身に纏う。


「『炎狼纏皮』」


 四肢に炎を宿した彼は、両足に力を込めて纏う炎を爆破させて自分の身を一気に前へと押し出す。

 爆破の加速を以て肉薄した和樹はそのまま炎纏う大剣を霞へと振り下ろす。だが、その一撃は、


「ふふ、その意気やよし」


 あっさりと受け止められる。

 相も変わらず片手で受け止めた霞は優雅に笑っていた。


(やっぱこの程度じゃビクともしねぇか)


 受け止められた和樹は歯噛みし内心で呻く。

 見かけは柔くしなやかな女の細腕だったが、そこからは想像もつかないほどの驚異的な強度。

 鬼といえば、『剛力無双』と言われるほどの怪力だ。その圧倒的膂力は攻撃だけでなく防御にも転じることができ、矛にも盾にもなり得るのだ。

 呆気なく防がれた和樹はその事実を分かっていた為、驚かずにすぐに次の一手を打つ。


「『吼えろ』ッッ!」


 詠唱を叫んだ和樹は鍔迫り合いをしつつ、左足を振るい横っ腹に爆破加速を加えた蹴りを叩き込んだ。ドゴォと鈍い音が響くものの、霞の身体は微塵も揺らがなかった。まるで巨大な大木を蹴ったかのような手応えに和樹は舌打ちする。

 大剣を平然と受け止めながら、脇腹に叩きつけられた脚に視線を落とした霞は感嘆する。


「良い蹴りでありんすね。魔法の威力も見事なもの。……けれど、人が力で鬼に敵うと思ってるんでありんすか?」

「ゴハッ…!?」


 そう告げられた直後、和樹の腹に未曾有の衝撃が伝わり、肺の中の空気と共に血を吐き出しながら吹き飛ばされる。腹部から広がる痛みと彼女が左拳を構えていたことから、殴り飛ばされたのだと分かった。十数m地面を転がった和樹に霞は容赦のない追撃を仕掛ける。


「ほうら、ぼさっとしてる時間はありんせんよ!」

「ッッ!」


 地面を踏み砕き一気に和樹との距離を詰めた霞は、大太刀に血色の妖気を再び纏わせて脳天目掛けて振り下ろす。


「くっ!!」


 何とか体勢を立て直した和樹は、自身も大太刀の間に大剣を差し込んで剣腹で防いだものの、防いでもなお伝わる衝撃に身体は地面にめり込んだ。


「ぐっ、がっ……」

「ほうら、主さんの力はその程度でありんすか?もっと気張らなくては、すぐ終わりになりんすよ?」

「ぐっ、ごっ、のっ」


 和樹は自身を圧壊せんと圧力を増す大太刀に苦悶の声をあげつつ何とか耐えているが、大太刀はぐぐぐっと押し込まれていき一瞬でも気を抜けば叩き潰されることだろう。

 だが、ここで雪華が救援に入る。


「和樹さんから離れなさいっ!!」


 確かな敵意を宿した声音で叫んだ彼女は居合斬りの構えを取りながら霞に肉薄し、一気に刀を抜き放つ。


「《氷雨乱斬》ッッ!!!」


 裂帛の雄叫びと共に無数の氷の斬撃を放つ。

 銀閃が無数に煌めき霞に襲い掛かる。しかし、視界を埋め尽くすほどの銀氷の斬撃を前に、霞はあっさりと和樹から大太刀を離してあっさりと回避して後方に飛び退いた。


「和樹さんっ!」

「す、すまんっ、雪華、助かった」


 雪華に助けられて身を起こした和樹は彼女にそう礼を言いつつ口の端から垂れる血を拭うと再び立ち上がった。

 あっさりと下がった霞は袖で口元を隠すとはんなりと微笑む。


「ふぅん小娘。主さんは白宮の人間でありんすね。その容姿に魔力、そして研ぎ澄まされた気配。よう知ってやす。……成程。白宮の人間ならば、うちの事を知っててもおかしゅうのうござりんすね」


 雪華の容姿を見て更にはその力量や気配を感じ取った事で御三家の人間だと看破した彼女は、それならば自分の本名を知っていてもおかしくないと納得する。

 雪華は冷や汗を流しつつ剣呑な眼差しを浮かべると、改めて彼女に問うた。


「………酒呑童子。貴女は何が目的なのですか?どうして私達を襲うんですか?」

「先刻言ったでありんしょう?ただ主さんらと戦いたいからでありんすよ。それ以上に理由などありんせん」


 目的を改めて問うても返事は変わらず、ただただ戦いたいだけと言うことに雪華は苦い表情を浮かべる。

 闘争に陶酔し、戦うことこそが至上で、その他のことはどうでもいい様は、人間にあらずまさしく『鬼』だ。だからこそ、雪華は改めて理解せざるを得なかった。

 彼女に対話は不可能であると言う事を。そして、この場をどうにかするには彼女を満足させるほどの戦いをする他ないと言うこともだ。

 しかも、彼女自身が化け物じみた強さを有している分、尚のことタチが悪かった。


(考えなさい雪華。まともに戦っても勝つのは難しい。なら、どうやって全員で生きて帰れるかを考えなさいっ!!)


 それでも他に何か方法があるはずだと雪華は自分に言い聞かせて考え続ける。

 しかし、それを和樹が止めた。


「雪華腹を括れ」

「和樹さん…?」

「彼女相手に勝つこと以外考えるな。ああいう奴らは話し合いでどうこうできる相手じゃない。戦う他生き残る道はねぇんだ」

「へぇ、主さんは分かっているようでありんすね。そう、生きて帰りたくば、うちを満足させなんし」


 和樹の意見を霞も肯定する。

 もはやこの戦いは対話でどうこうできる領域にない。勝つか負けるか、生きるか死ぬか。そう言う戦いになっているのだ。


「雪華次は合わせろ。1人1人じゃ厳しい」

「………はいっ」


 和樹に言われてようやく踏ん切りがついたのか、雪華も決心に満ちた表情を浮かべて刀を構えた。それを確認した和樹もまた大剣を構えると威勢よく叫ぶ。


「行くぞっ!!」

「はいっ!!」


 2人はほぼ同時に飛び出し、左右から霞を挟み撃ちにする。


「アハッ、そう来なくては面白うのうござりんす!!」


 急迫する2人に霞は口唇を歪め嬉々として嗤うと大太刀を振るう。大気を薙ぎ暴風を生み出しながら迫る血色の刃は、まずは和樹へと迫った。


「ッッツ!!」


 胴体で泣き別れせんと迫る大太刀に和樹はただ受け止めるのではなく、腰を低く落とし地面を抉るように踏ん張りつつ大剣を斜めに構えることで受け止める。


「シィッ!!」

「……へぇっ」


 短い呼吸音と共に大太刀は受け止められ、和樹の足元の地面が陥没する。霞はすぐさま自身の剛力を受け流されたのだと理解し、感心の声を上げた。


「一撃受けただけで修正するとは、うちが見込んだだけのことはありんすね」

「ぜぇああぁぁッッ!!」


 霞の称賛の言葉を和樹は受け流し、体をくるりと回転させて大太刀を横に弾きつつ逆袈裟斬りの一撃を放つ。

 しかし、それは膂力を以て強引に戻された大太刀に受け止められる。だが、そこで終わりではない。

 一撃受け止められるとわかるや直ぐに、大剣を引き体勢を変えて次の斬撃を繰り出す。逆袈裟の次は唐竹割りを繰り出した。

 それも呆気なく防がれる。今度は水平に横薙ぎを繰り出す。それもまた防がれた。再び次の斬撃へと移行する。そうして繰り広げられるのは、斬撃の応酬だ。

 血色と紅蓮。二色の斬撃が幾度となく交錯し、火花を散らす。先程は力で圧倒されていたが、和樹は受け方を変えつつ鍔迫り合いをせずに立て続けに斬撃を繰り出す方法へと変えたのだ。

 それは功を奏したらしく、こうして怪力を誇る彼女と斬り結べていた。とはいえ、それもギリギリだ。


(くそがっ、一撃が重すぎるっ!どんな怪力してやがんだっ!?)


 和樹は内心で悪態をつく。

 衝撃を足元に逃していると言うのに、それでも一撃一撃受け止める度に腕が痺れるほどの重撃に『酒呑童子』の恐ろしさを改めて痛感する。


「アハッ、アハハハッ、その意気でありんすよ!もっとうちを楽しませておくんなまし!」


 高らかに哄笑をあげて、闘争に歓喜し頬を朱に染める彼女はとても艶やかであったが、その内から滲み出る狂気がそれを打ち消す。


「ぐおっ!?」


 霞の連撃を捌く和樹が苦悶の声を上げる。

 大太刀を振るう速度が加速したのだ。剛力を以て振るわれる大太刀の回転が速くなり、生み出す暴風は周囲に衝撃を振り撒く。和樹は大剣から伝わる先程よりも強い衝撃に思わず青ざめた。


(こんっのっ、化け物がぁっ!まだ上がんのかよっ!?)


 明らかに遊んでいる。鬼の性が影響しているのか。それとも、ただ単に彼女自身が戦いを楽しみたいだけなのか。それに加えて、彼女は回避行動を一度しか取っていない。その回避も苦し紛れではなく余裕に満ちたものであった。

 なんにせよ、自分達は彼女に遊ばれていると言う事実に屈辱を感じた。

 そうして霞の重撃の嵐に圧倒され、斬撃を捌けずに肉体のあちこちを斬られ大量の血が飛び散り始めた時、彼女の真後ろから詠唱が聞こえる。


「『麗銀の鳥よ。その嘴槍で撃ち貫け』―――《凍鶴嘴槍》っ!」


 詠唱の主は雪華だ。

 彼女はずっと隙を伺っていたのだ。和樹が切り結ぶ中、どうにかして一撃を叩き込めないかとずっと探っていた。

 そして今、タイミングを見計らい一気に攻勢に出たのだ。彼女は氷纏う刀の鋒を霞に向けて勢いよく突き出す。氷の槍はそのまま彼女の後頭部に直撃するかと思われたが、


「ふふ、勿論、忘れてるわけがありんせん」

「ッツ!?」


 艶やかに微笑んだ彼女は、雪華の方を見ないまま空いている片手で氷の槍をあっさりと二本の指で挟んで止めたのだ。


「その意気、大いに結構。でありんすが、ごめんなんしね。うち、魔力に敏感なんでありんす」

「カッ、ハッ……!?」


 和樹の大剣を片手で受け止めつつ、雪華に視線を向けた霞がそう呟いた直後、ドゴンッと雪華の腹に彼女の足が叩き込まれた。

 雪華の身体は容易く浮かび上がると、直後には大きく蹴り飛ばされた。彼女は盛大に吐血しながら地面を数度跳ねて転がる。


「ケホっ、かはっ…」


 地面に横たわる雪華は腹を抱えたまま血の塊を何度も吐き出す。


「雪華っ!?」

「余所見をしてる暇はありんせんよ?」

「テメェっ!」


 雪華を助けに行こうとした和樹の前に霞が立ちはだかり、大太刀を振り下ろし再び斬り合いの攻防を始める。だが、元々追い詰められていたからか、数合の打ち合いの後、呆気なく大剣は弾かれてしまい頭上に大きくかちあげられてしまう。


「隙あり、でありんすよ」


無防備に顕になった胴体に、大太刀が振り下ろされ左肩から脇腹にかけて斬り裂かれた。


「…………ゴフッ」


 傷口から大量の血が噴き出し、口からも血の塊が溢れて彼の体が後ろに大きくと揺らぐ。

 そして揺らいだ彼の致命的な隙を見逃すはずなく、大太刀を離して拳を構えた霞は血色の妖気を拳に収束させて巨大な拳を形成すると腕を引き絞りつつ妖しく嗤った。



「中々に楽しめんしたよ」



 そう彼女なりの労いの言葉を送り、拳を振り抜いた。

 刹那、途方もない衝撃が和樹の全身を襲い大地へと轟音を立てて叩きつけられた。

 凄まじい轟音が響き、小さなクレーターを作り、その中心でぴくりと動かない和樹の様子に、雪華達は唖然とする。


「か、和樹さんっ、そんなっ……」

「和樹、くんっ……」

「………ッ」


 雪華や雲雀が声を震わせ、つい先程漸く意識を取り戻した美央が悔しそうな表情を浮かべる。

 霞は血塗れで倒れ伏す和樹を一瞥すると、用はないと言わんばかりに視線を外し、雪華達の方へと歩き出す。


「さぁて。次は誰がうちを楽しませてくれるんでありんすか?」


 飛び散った返り血に頬を濡らしながら、妖しく嗤う悪鬼。その悍ましい姿に地面に倒れたまま動けないでいた雪華は絶望に瞳を揺らす。


(こんなのっ、勝てるわけがっ……)


 まだ戦い始めてから十分も経っていない。だが、十分も経たずして追い込まれている現実に雪華達はあまりの力の差に誰もが勝てないと理解してしまったのだ。



………ただ一人を除いて。




「……ん?……ふふっ」


 他の者達に狙いを変え襲いかかろうとした瞬間、ガラリと何か崩れる音が後ろから聞こえた。霞は眉を顰めて後ろに振り返ると心底嬉しそうに微笑を浮かべた。


「?……えっ?」


 霞の様子に何事かと困惑した雪華は彼女が見ている方向へと視線を向けると、驚愕に目を見開いた。


「う、嘘っ……」

「まさかっ、まだっ…」


 雲雀や美央も遅れて気付き驚愕の声を上げる。

 彼女が視線を向けた先では、あり得ないことが起きていた。それはーー


「はぁっ…………はぁっ……ゴフッ………はぁっ……」


 地に沈んでいたはずの和樹が、確かに立っていたのだ。

 全身から血を噴き出し、口からも何度も血を吐き出し、息も絶え絶えな死に体の様子であったが、それでも和樹は立ち上がり戦意の衰えていない眼差しを霞に向けていたのだ。


「……その傷でよう立ち上がりんすね。もしや、挽回の一手でもあるんでありんすか?」


 霞はその眼差しに何かを感じたのか、再び彼に向き直りつつそう問うた。それに和樹は挑発的な笑みを浮かべると、歯を剥き出しにし唸るような声音で言葉を返す。


「……ある。……そう言ったら、どうする?」

「へぇ、それはそれは。そんなものがあるのなら、是非とも見たいものでありんすねぇ」


 本気で挽回できると思ってないのだろう。和樹の言葉を嘲笑った霞に、和樹は獰猛な笑みを浮かべる。

 

「あぁ、言われなくても、見せてやるよ。もうどうこう、言ってられないからな」

 

 そう言うや否や、和樹は自分の胸に手を翳す。


『ッツ!?』


 すると、驚くべきことに彼の胸には小さな魔法陣が浮かび上がり、そこからあるものがせり出てきた。

 彼の胸から出て胸の前で浮かぶソレは、紅い魔魂結晶だ。一瞬、彼の魔装『ヴァナルガンド』かと思ったが、形が違う。


 ソレは、獣の牙のような形をしていた。


「ッッツ!!」


 ソレを見た瞬間、これまで終始笑顔だった霞の顔色が変化した。玩具を見るような笑顔だったのが、その中に明確な脅威を前にしたかのような張り詰めた表情へと。

 彼女は和樹の前に浮かぶソレが何かを知っていた。当然だ。だって、自分もまた同種のモノを持っているのだから。

 だからこそ、霞はすぐさま優雅に、愉快そうに笑った。


「………ふふ。そう言うことでありんすか。面白い童でありんすね。…それならば、こう言った方がいいでありんしょうか?」


 そうして目を細めると、彼への認識を改める言葉を口にした。



「…………うちと同じく『獣』に選ばれた童。その力、見せてみなんし。うちが見定めてあげんしょう」



 そう言い放ったのだ。


「え……?」


 霞の言葉に雪華は目を丸くする。

 聞き間違いでなければ、今和樹のことを『獣に選ばれた』といった。雪華も馬鹿ではない。ソレが何を意味するのかをすぐに理解し、純粋な驚きに目を見開き和樹に視線を向けた。


「和樹さん……貴方、まさか……貴方も……?」


 雪華の困惑混じりに呟き和樹を見上げるが、和樹はソレに言葉を返さずに血塗れの獰猛な笑みを浮かべた。


「ああ、お望み通り見せてやるよ」


 そう言って彼は瞳を閉じると静かに口を開き、




『―――縛鎖を解き放て、猛き魔狼の王(ヴォルフ)よ』




 己の身に宿った獣を解放するための『歌』を紡いだ。


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