17話 人喰い鬼
「―――ねぇ、うちとも遊んでいかへん?」
森の奥から姿を現した、謎の女、見た目ならば鬼女というべき彼女は美央達に視線を向けるとくすりと優雅に微笑みながらそう言ったのだ。
美央は彼女の一挙一動見逃さずに警戒しつつ戦鎚を構えて彼女に誰何を問うた。
「……貴様、何者だ?」
「…何者?そうやねぇ、ウチはぁ…」
下あごに手を当てながら少し考え込むような仕草をすると、妖艶な微笑みを浮かべて答えた。
「―――『酒呑童子』。そう言えば分かるでありんすか?」
『っっつ!』
その名を聞いた全員に衝撃が走る。
『酒呑童子』。日本の伝承において最も存在が知れている『鬼』。その中でも特に強大な力を持ち、伝説に名を連ねている二体の悪鬼が片割れ。
日本三大妖怪の一つにも数えられ、大江山の鬼の首領として悪名を轟かせ、平安の世に恐怖を齎した厄災の悪鬼。
だが、肝心なのはそれではない。
(……この女、『神獣魔装』持ちかよっ)
『神獣魔装』
それは世界各国に存在している特殊な魔装の事だ。
古来よりモンスターは存在しており体内には生命活動や力の源でもある魔石があるのだが、強大なモンスター達の中でも神話や伝説にその名を記している存在は他を凌駕する強大すぎる魔力を宿しており、彼らの死後肉体が消滅しようとも魔石だけは決して消えることはなく、破壊も困難である。また、彼らの魔石は普通の結晶体ではなく、角や牙、鉤爪といった体の一部の形状をしており、色もそれぞれ違う。
そして、何より驚くべき特徴が、その魔石を媒介に神獣達の能力を行使することができることだ。
基本的に魔装使いは魔装を一つしか扱えないのだが、この神獣魔装だけは例外であり、自身がもともと持っていた魔装と同時にその神獣魔装も使うことができるのだ。使用者はその神話の怪物を自身の肉体に憑依させて身体能力までも体現できるのだ。彼女の姿が『鬼』の姿であることもそれが関係している。
全ての魔装使いが詠唱を行い魔法を発動する中で、詠唱なしで魔法を発動し神獣の力までも行使できるとなれば、神獣魔装がどれだけ強力なのか想像に容易いだろう。
しかし、神獣魔装は持っていれば誰もが使えるわけではない。それぞれの神獣魔装に適合した者だけがその力を行使することができる。また、死して尚残っているためか神獣魔装には神獣達の魂が宿っているとされその神獣達が持つ凄まじい力の奔流に自身の自我が食われないように自我を強く保つことが求められており、神獣魔装を扱えるものは運と実力を兼ね備えていなければならないのだ。
『酒呑童子』もその神獣魔装の一つであり、目の前にいる彼女はそれを完全にものにしているように見えた。
そうして雪華は目の前の彼女が酒呑童子と名乗ったことで、驚愕に目を大きく見開いた。
「貴女はまさか……『人喰い鬼』緋ノ夜霞ですかっ!?」
「あら、うちの事を知ってはるなんて嬉しいでありんすねぇ」
雪華が零したその二つ名に『酒呑童子』はくすくすと無邪気に、あるいは狂気的に笑って肯定した。
『人喰い鬼』
それは日本では知る人ぞ知る危険人物の二つ名だ。闘争を何よりも好み、戦場に行きその力を振るい敵を撃ち倒し喰らう。
闘争と血に狂喜乱舞する様は、まさしく鬼。
その果てに倒した敵は数知れず、更には喰らった命の数も底知れないだろう。
故に、彼女は『人喰い鬼』という二つ名がつけられたのだ。
『人喰い鬼』緋ノ夜霞。それこそが、『酒呑童子』に選ばれた魔装使いの本名である。
彼女はどこかの犯罪組織に所属しているわけではなく、己が欲望のままに戦場を求めて世界各地を渡り歩く戦闘狂だ。
「何が目的ですか!?なぜ、ここに、貴女がいるんですか!?」
雪華の焦燥に満ちた問いかけに、彼女はくすくすと微笑を返す。
「何故と問われても、うちはただ闘争をしたいだけでありんす。主さん達に声をかけたんも、深層で遊んだ帰りに偶然見かけたからでありんすよ」
そう返すと、霞は品定めするように雪華達を順に見てうっとりと笑った。
「見たところ、まだ十代の童……察するにどこかの学園生でありんすが、中々どうして皆強い気配を放ってるでありんすねぇ。特に、そこの少年」
霞は全員を見渡した後、和樹へと改めて視線を向けるとぞくりとするような妖艶な笑みを浮かべつつ、大太刀の鋒を向けた。
「……主さんが1番強いでありんすね?その身から感じる闘気、童の身でありながら、よう鍛え上げたものでありんす」
霞の見立てではこの場にいる4人の中では和樹が一番強く感じたのだ。その強さは子供にしては、よくそこまで鍛えたものだと感心すらする程。
その賞賛に、和樹は不敵に笑って返す。
「そりゃどうも。んで、特に目的がねぇんなら、このまま見逃してくれると俺達としてはありがてぇんだがな」
目的もなくただ偶然自分達を見かけて声をかけただけならば、もしかしたら見逃してくれるかも知れない。そんな淡い期待を込めて言ったのだが、それはあっさりと否定された。
「無理でありんすね。こうして相見えた以上、うちは主さん達を逃す気はありんせん」
見逃す気はない。そう言った彼女は最後に「あぁでも…」と呟き続けた。
「うちを満足させたら、あわようば生きて帰れるかもしれんせんね」
彼女はそう希望を仄めかす言葉を言ったが、つまるところ戦う他生き残る術はないということだ。
だからこそ、腹を括った和樹は突然声を張り上げた。
「……美央先輩!!」
「ああ!!」
声を張り上げた直後、和樹の背後で暴風が生まれる。
暴風の元凶は美央だ。彼女が構える戦鎚にはいつの間にか凄まじい暴風がまとわれており、足元には藍色の魔法陣が浮かび上がっていた。
有栖川美央の能力は『風』だ。あまねく全てを吹き飛ばす暴風を操る力。
彼女は和樹が霞と話している間に詠唱を済ませて魔法をいつでも放てるようとしていたのだ。それを感じ取っていた和樹は詠唱が完了するまで会話を引き延ばしていたのである。
詠唱が完了した美央は勢いよく飛び上がると、暴風纏う戦鎚を構える。
「時間稼ぎ感謝する。まずは開幕一撃だ!これでも喰らっておけ!!」
彼女は未だ何の構えも取っていない霞に狙いを定めると、その名を叫んだ。
「《嵐砕・風撃衝》ッッ!!」
激しく渦巻く暴風の塊が勢いよく放たれる。
大気を喰らいながら迫る暴風の鉄槌を前に彼女は静かに嗤った。
「アハッ」
牙を剥いて嗤った彼女はゆらりと動いて大太刀を構えると小さく呟く。
「唸りなんし。《鬼灯》」
主人の言霊に応えて大太刀《鬼灯》は血色のオーラが纏われる。朱色の大太刀が血色の輝きを帯びると、彼女は片手で振るって風鎚を迎え撃った。
轟音が響いた直後、風鎚はあっけなくかき消され、凄まじい衝撃波が発生した。
「ま、まさか、一撃で……しかも、片手でか……」
衝撃に腕で顔を庇いその隙間から見た美央は霞の姿を見ると戦慄の声を上げて生唾を飲み込む。
彼女の姿勢は無造作に大太刀を横に振り抜いた姿勢であり、彼女がただ魔力を纏わせた大太刀を振るっただけで風鎚をかき消したのだと分からされた。
しかも、片手でだ。
魔力の補助もあったかもしれないが、それでも何と恐るべき圧倒的な膂力だろうか。
「くそっ……それなりに威力はあったんだが、無傷か……」
それなりの破壊力を持っている自分の魔法があっさりと掻き消されてしまったことに美央は苦笑いを禁じ得なかった。
「ふふっ、中々の攻撃でありんしたね。次はうちの番でありんす」
そう言うと霞は大太刀をゆらりと掲げる。
刹那、大太刀に宿る血色の妖気が爆発的に噴き上がり、竜巻の如き妖気が一瞬で大太刀に収束。
「《鬼灯》。滾り狂いなんし」
巨大な血色の大太刀が出来上がった瞬間、それを見上げる和樹達はゾッと背筋に悪寒が走る。
「あ、あれは、ヤベェっ!!」
「くっ、全員魔力障壁を展開し後退しろっ!!」
和樹がギョッと表情を青ざめ、美央が声を張り上げて防御を促す。そして、全員が魔力で全身を覆い障壁を展開し、同時に大きく後ろへと飛び退いた瞬間、大太刀は振り下ろされた。
直後、鼓膜を破らんばかりの轟音が鳴り響き、飛ぶ斬撃と化した凄まじい衝撃が大地を激しく揺らし、木々を根こそぎ吹き飛ばした。
凄まじい衝撃に和樹達は後退してもなお大きく吹き飛ばされ、地面を何度も転がり漸く止まる。
「ゲホッ、ゲホッ……な、何が起きた……?」
「けほっ、こほっ……わ、分かりませんっ。せ、先輩達はっ…?」
和樹と雪華は最も近くにいた上に同じ方向に後退したため、吹き飛ばされても逸れることはなく、濛々と立ち籠る土煙の中で咳き込みながらゆっくりと立ちあがり、周囲を見渡す。
最初こそ土煙のせいで見えにくかったが、少しして土煙が晴れて露わになった周囲の景色に2人は絶句した。
「ま、まじかよっ……」
「い、一撃でっ…?」
土煙が晴れた光景は悲惨だった。
地面には深々と斬撃の痕が刻まれており、その周囲の樹海は根こそぎ吹き飛ばされ地肌が顕になっていたのだ。
膨大な魔力を纏わせた大太刀を振り下ろした。
言葉にすればたったそれだけの一撃で景色を変えてしまうほどの凄まじい破壊力には、2人とも愕然とする他なかった。
その時、小さくか細かったが雲雀の声が少し離れたところから聞こえてきた。
「み、美央さん、だいじょうぶですかっ?」
「うっ、うぅっ……」
雲雀の美央を案じる声と美央の苦悶の声に和樹達は揃ってそちらへと視線を向ける。
視線の先には蹲る美央と隣で座り込んでいる雲雀がいて、美央の左足から夥しいほどの血が流れているのが見えた。
彼女は避けきれなかったのか先程の一撃に左脚が巻き込まれたようだ。事実は違くて、回避が間に合わなかった雲雀を庇った結果だったのだが、なんにせよ、あの怪我の状態では戦闘を続けるのは難しいだろう。
その時、土煙の向こうから地面を踏み鳴らしながら霞が現れる。そして、怪我をして動けなさそうな美央の姿を視界に収めるやこてんと首を傾げる。
「あら、そこの少女が全霊をかけたみたいだから、うちもそれなりの攻撃をしんしたけど、一撃で倒れたんでありんすか?まだまだ始まったばかりでありんすよ?」
さらりと告げられた彼女の一言に、和樹は苦い表情を浮かべて内心で呻く。
(それなり?ふざけんなよ。あれは致命傷レベルの一撃だぞっ!?)
景色を変えるほどの一撃をそれなりなど、ふざけるなと声を大にして叫びたいほどだ。
あれほどの一撃。普通ならば致命傷になってもおかしくないほどだ。美央だからこそあの程度で済んだだけなのだ。
だが、実際はどうであれ結果的に美央が戦闘不能になっているのには変わらない。だから、和樹は美央達を庇うように立った。
「和樹君…?」
「雲雀先輩は美央先輩の手当てを頼みます。あいつは、酒呑童子は俺達がやります」
「そ、そんなっ無茶ですっ」
雲雀はまだ一年生である彼ら2人が自分達を庇って戦うことを無謀だと断じて止めようとする。
だが、その制止を和樹の隣に並び立った雪華が止めた。
「雲雀先輩ここは私達に任せて美央先輩の回復に専念してください。まだ余裕のある私達が組んで彼女と戦うのが最も効率的です」
「……雪華さんまで、で、ですがっ……」
雲雀はそこまで言って悔しそうに口を噤む。
彼女とて分かっていた。美央が負傷し動けない今、撤退は不可能。遠距離攻撃型の自分は彼女の治療に専念し、近・中距離型の2人に任せるしか選択肢はないと言うことを。
先輩として後輩2人に任せてはならないと思う反面、戦士として合理的に考えればそれしかないとも考えてしまっていたのだ。
そして、結局その葛藤は合理的な判断に軍配が傾いた。
「…‥2人とも、ごめんなさい。お願いします」
彼女は頭を下げて2人にそう頼む他なかった。
それを2人は一瞥すると、大きく頷く。
「「はい」」
2人は威勢よく頷くと、数歩歩き霞と向き合うと得物を構える。
戦闘続行の意思が残っている2人に視線を向けると、満足そうに笑う。
「ふふ、そう来なくては遊び甲斐がありんせんよ」
霞はニィッ口を裂いて笑みを浮かべると、大太刀を肩に背負うように持ちながら、もう片手で指をクイクイッと曲げて言い放った。
「さ、来なんし童共。うちを楽しませておくんなまし」