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夏景色  作者: あさひ
第一章 しかけは爆弾です
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しかけは爆弾です⑧


 午前三時。岩木は枕元に置いたスマホを凝視していた。

 さしたる確証があるともない漠然とした一抹の不安から、明かりをつけコーヒーを淹れる。

 暗い部屋での考え事は、ともすれば内向的になりがちだ。


 無防備だった胸中の風通しを良くしようと窓を少しだけ開けると、じめじめと蒸した風が入ってきた。

 雨は夜中のうちに止んだようで、アスファルトの上で帰化した独特の匂いが立ち込めている。頭がズキリと痛む。昨夜は飲み過ぎた。


 ドリップしたてのコーヒーに氷を溶かし一口啜り、これから調理する食材のようにスマホを台所に置いて、換気扇の下で煙草をつける。


 動画を観終わったあとにそれらしきアプリを開くと、自分の写真がプロフィール画面として表示されていた。


 写真の上には本名がむき出しに記載されていて、下部にはチケット×1と書いてあるだけの、淡白なページだった。ただ左右にスワイプすることで、見知らぬ人のプロフィール画面に飛べる勝手がわかった。


「こんなマッチングアプリ、Tinderくらいしか入れた覚えがねえぞ」


 岩木は、このアプリがいつからあるのか、誰から送られて来た動画なのか調べようとしてみたが、どちらも分からなかった。

 肌身離さず携帯していたスマホを、誰が、どうやって細工したのか。ウイルスの類いでこういった事が出来るのか。

 インターネットやスマホのアルゴリズムに明るくない岩木には、仔細考えもつかなかった。


 あるいは日常的なレコメンデーションから嗜好がわかる、と爆弾男は言った。

「ならおれの嗜好もわかるってか」

 岩木は沈黙したスマホに話しかけてみる。しゃちほこばって言うことで、動揺への抵抗力を強めようとした。


「岩木さんはブレンドを特に好みますが、いつもの喫茶店ではアメリカンを嗜みます」という無機質な女性の音声が、ふと光ったスマホから流れる。


 岩木は慌て、服にコーヒーを溢した。

 溢れたコーヒーに気にもかけず、岩木はただ戦慄した。見込んだのは無反応であって、まさかそこから声が出てくるとは思わなかったからだ。


 しかるにその回答は、非番に欠かさず行うランニング後のいつもの岩木の朝の光景だった。

 それに、アプリの画面には自分の写真が載っていて、それは終業後の昼下がり、缶ビールと魚肉ソーセージを買ってコンビニから出て来た、昨日の自分だった。


 誰かに見られているという感覚から、反射的に玄関を振り返る。

 まだ濡れたままのビニール傘がだらしなく三和土にもたれているだけで、変わったところはない。


 岩木は口も悪いが女癖も悪く、非番の前日は必ず街に出て女を漁る。

 そうして昨夜も、バベルという、カラオケもダーツもある若年層向けのバーに入っていった。


――店内は平日の割に、比較的混んでいた。

 教室ほどの広さに十席ある丸テーブルは一つも空いておらず、カウンターに座り水割りを頼む。向き直って見てみると各テーブルで四、五人の男女が赤ら顔で乾杯していたり、中央のステージで歌っている男もいた。


 盛り上がった雰囲気の中に、二人組の女が静かに飲んでいるのが見えた。そのうちの一人がこちらをちらちらとみている。ふん。今夜はあれだな。

 女なんて腐るほど居る。電モクを手に取る。

 すでに四曲ほど予約が入っており、ちょうどいいな、と流行りの歌を入れる。


 岩木のたった一つの特技は、昔から歌だった。

 案の定岩木が歌い始めると話し声が止まり、数人がこっちを見て何か言っている。歓声を上げるやつもいた。


 歌い終わり、二人組のところへ電モクを持っていくと、

「めっちゃ上手いですね」

「ね、プロかと思った」

 プロはこんなとこと来ねえよ、と岩木は思う。

「いやいや、そんなことないですよ。あ、どうぞ」と電モクを差し出すと

「この後歌えないでしょ」と女が笑う。

「そうそう、歌えない歌えない。あ、そうだ、お兄さんリクエストしていいですか」

「僕でよければ」と笑い返す。


 これですこれ。え、どれだろう、知ってる曲かな、と電モクを覗き込み、ほんの五センチほどの距離に顔があったが女は避けなかった。

 なら、と、カウンターに戻ろうという動作をしたら腕を掴んできた。ほんと簡単だな。つまらねえ位に。


 結局その流れで一緒に飲むことになり、しばらくすると、そろそろ二人とも潰れるな、と分かるくらいに舌が回ってなかった。


 じゃあはじめの方におれのことを見て来たコイツで良いか。


 大丈夫ですか?と介抱の体で連きそって行き広めのトイレでヤッた。戻ってくると、私先帰るね、と、めれんが際立った女がテーブルを立つ。


 ここ2階で階段危ないからタクシー来るまで一緒に待ってるね、とトイレから一緒に戻ってきた女に言うと、私も帰ると言うのでお会計まだだからちょっと待ってて、と引き止めた。すぐ戻って来て会計したら友達と乗れるから。

 あ、うん、と分かってるのか分かってないのか椅子に座った女の内股が震えていた。


 タクシーが来て、女のカバンを取り先に乗った。

「え、ちょっとそれ私の」

「早く、タクシー行っちゃうから乗って」

「え、あ、うん」だいぶ酔っ払ってんな。

 ずいぶん走ったところで、

「ああ、ごめん。おれも酔っ払ってた。友達置いて来ちゃったね」といまさら気づいたかのように言う。

「降りる?」と聞くと

「降りられるわけないじゃん」とまだ酔っている女は言った。

 だよな。と岩木は笑う。

 タクシーはそのまま、首都高速横羽線を下って行った――。


 あのビニール傘は......あの女の傘か。いつの間に帰ったのか。

 二日酔いの頭が痛む。

 玄関を見て、ようやく鍵が掛かっていないことに気づく。今にも誰かが入って来そうな予感がして、岩木は末恐ろしくなり鍵を掛ける。


 一方で、舐めやがって、とも思うのは、ただでさえあれこれと物事を考えるのが苦手な、言葉など快感の入り口ほどにしか意味を持たない、岩木のシンプルな感情の収束だった。

 

 結局そのまま眠れなくなって、アパートから本署へ出勤した。

 欠伸を噛み殺しながら朝礼を終え当直の申し送りを受けながら、この事を誰に相談するべきか悩んでいた。


 いたずらにしてはタチが悪い。なにしろ自負がどれだけあったところで、解決の役に立たない。

 悩み抜いた末、直属の上司に聞いてもらうことに決めた。


 そういう時に限って忙しく気づけば夕方で、報告書の作成を早く終わらせパトロールまでのタイミングで、と岩木は機を伺う。


 すると、給湯室から両手にお茶を持った上司が出て来た。


「飲むか」

「あ、ありがとうございます」

「今日は忙しかったな。浜田のばあさんも毎日毎日よく来るもんだ」

「はは、本当ですね。動物病院に連れてく猫が分からないって、なんですかね」

「猫屋敷だからなあ、あの家は」

「本当そうですよ」一息つき、今だなと思った。

「あ、先輩、ちょっと良いですか」

「ん?」

「ちょっと相談があるんですけど」

「なんだ深刻だな」

 これ見てほしいんですけど、岩木は自分のスマホを見せようとしたが、それは叶わなかった。

 

 ――無い。

 昨日の動画もアプリも、スマホから全て消えていた。いくら探しても、どこにもそのデータの痕跡が無い。おかしい。今朝までは確実にこのスマホの中にあった。


「それでなんだ、相談というのは」

「あ、いえ、やっぱり何でもないです」


 岩木は途方にくれた。

 

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