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夏景色  作者: あさひ
第一章 しかけは爆弾です
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しかけは爆弾です②


「え、そうなの」

「そう、ダムはな、コンクリートだけで出来てるんだ。鉄筋を一本も使ってない。だから錆びることもないんだ。長く使える」


「鉄筋を使わない方が強いの? それならマンションとかはなんで使ってるの」


「引っ張りに、弱いんだ。コンクリートはな。マンションには生活空間があるだろう。柱梁のようなラーメン構造を維持するには、コンクリートだけでは保たない。だがダムは、厚みが桁外れに違う。マンションなどの壁の厚みはだいたい百八十ミリ。ダムはな、高さが百メートルあれば厚みも百メートルある。マンションと違って杭などではなく、堅固な岩盤にそのままコンクリートを流すんだ。桁違いに頑丈なんだよ」


「へえ、そうなんだ」

「そう、だから大きな地震でビルが倒壊、なんてことあるがダムはビクともしない」


「大きな地震なんて体験したことないけど、たしかに聞かないね」

「だろう。ロープウェイのチケットはちゃんと持ってるか? ここから降りて下から見よう」

「もうはじまるの? 放流」


 お願いしますと係の人に自分のチケットを渡し、ロープウェイでダムの麓まで降りる。


 このロープウェイも運搬路としてダムを作った時の名残であるらしく、錆びたレールはなかなかの年季をただよわせていた。


 不穏な気分になったけれど、父の終始にこやかな顔を見ていると、今日という日にしっかり羽をのばそうと思った。


 昨日もおとといも、ほとんど寝られなかった。浴衣姿で、髪をあげたりしているのだろうか。待ち合わせでは、どんな顔をしていればいいのだろうか。


 学校からの帰り道は、誰も話しかけては来ないだろうに、まるでこれ以上は引き受けられません。無視です無理ですタイミング合わないんです、と回送中のタクシーさながらに突っ走り、家に着き、自分の部屋に入れば東西南北を確認したり、用も足さずにトイレの扉の鍵をカチャカチャといじったり、風呂に浸かれば音痴なおたまじゃくしを披露したりして、エネルギーで家中をマーキングする。


 それにしたって、ぼくはこの街をまだまだ知らないというのに「十二時半にね、鳩広場」と言った不意打ちの笑顔に、ぼくはできるかぎりの自然体でいることに、ベストを尽くした。


 分からない時こそ全力を、と昔から父が言っている。頭の角度がボブスレーみたいな、枕の厚みに慣れつつあるベッドにまどろみながら、分からない人には鳩広場を、と昨日からぼくは思いはじめている。

 

 仕事を、みてみたい――。

 翌日の朝、急な思いつきで、パジャマ姿で新聞を開げている父に、そう言ってみた。

 

 もう何かして誤魔化すしかないと、早朝からしゃにむにクロスワードパズルをしたり、IKEAのカタログとSUUMOのサイトを覗いて、住んでもいない1LDKに、買ってもいないおしゃれなイスや、無駄にデカいダブルサイズのベッドを配置し、ニトリでカーテンやラグを選んでいちおうわくわくし、ブラックだなとかっこつけて淹れたコーヒーを嗜むふりをして、全体の計算した料金を見て「ふっ」と鼻で笑ってやった。


 そんな時間の無駄遣いをしても、ちっとも紛れない気持ちが肩を叩いてきて振り向けば指でほっぺを指してくる。これはあれだな、ぼくひとりでは無理だな、とリビングに居る父に頼ったしだいだ。


 ぼくの家には、母さんが居ない。

 死別ということではなく、ぼくが中学生の今よりずっと小さい頃に、離婚をしたらしい。

 ぼくは物心を養うのが遅かったみたいで、当時の記憶はほとんど思い出せない。


 父一人子一人。

 父が就いている電気関係の仕事には出張が多く、平均二、三年で引っ越しを繰り返し、ぼくも二校目の中学校に転入を済ませたところで、慣れることなど、まずない。


 転校を繰り返す度に思うことは、山程ある。

 勉強の方で言えば、たとえば転校する前の学校では国語が五段階中三、英語は二ほど進んだ授業をしているとする。


 だとして、転校した先の学校の授業では国語が二、英語が四の進捗になっていたりして、混乱する。

 おしなべてこの進み方は、学校に寄るのだ。


 たとえ扱う教科書が同じだとしても、制服も、土地も、流行りの部活も、空気も違う。

 なにしろ一番の問題は、また名字から呼ばれる付き合いが始まることだ。


 朝比奈裕一。

 ユーイチ、ユーイチと、友達に下の名前で呼ばれることが当たり前にあったあの光景は、引っ越し三回前の思い出で、今では朝比奈さん、朝比奈くん、朝比奈、と呼ばれている。


 苗字で呼ばれると、空気がすごく重たい気がしてしまって、話しかけるどころか、応じる事すらも億劫になってしまって、その湿度の殻をやぶれない。


 珍しい名字だね――。

 いつだったか、最寄り駅のコンコースで歌っている路上ミュージシャンの二人組に、そう言われた事がある。


 どうも偶然が重なったのか、その二人の名前と、の大事な人の名前を重ね合わせると、朝比奈、になるらしい。

 こじつけっぽいと思ったが、聞いてみるとたしかに朝比奈以外にはない気がするもんだから、おかしい。アヤだ。バイアスだ。


 こだわってオリジナルだけを歌っているんだと言って歌い出したその曲は、それなりにキャッチーで青春っぽい、夏の曲だった。


 そういえば、コンコースを抜けた先で振り返った商店街も、サンライズ商店街という名称で、イイネ、とひとりごちたことを思い出した。


 どんな歌だったかな。思い出そうとしていると右肩に軽く、人がぶつかってはっとした。


「すみません」

 片手でお辞儀したその男の人は体格がよく色眼鏡をかけていて、片手に黒いストラップをぶら下げた、黒い一眼レフを持っている。


 「あ、こちらこそすみません」

 怖いのでしっかり腰を折りたたみ謝っていると、

 ゴォゴゴゴォ

 と大地が唸るような音が突然して、俯きながらも「放流だ」と気づいた。


 勢いでバッと頭を上げてしまったが、男の人はもう立ち去っていて見失った。


 鳴り出した水は量の圧倒的さをしっかり伝えてきていて、見上げると下から百二十メートル覗いたその七合目位にある、ふたつの四角い穴から圧倒的なまま飛び出して来た。


「ほら、来たぞ」

 父に、がしっと肩を組まれながら、僕はその轟音と、大量に流れ落ちるまさに滝のような放流の力強さに胸が高鳴るのを感じ、じっと見ていた。


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