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夏景色  作者: あさひ
第二章 鍵屋玉屋
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鍵屋玉屋⑥


 どうやらメッセージの送り主は、同じように自称テロリストから件の動画を送られて来たらしい。

 わざわざ聞いて確認したわけでは無いが、アプリがインストールされているという事はそういう事なのだろう。


 アイコンをタップすると、三十半ばほどの女の写真が載ったプロフィール画面に飛んだ。

 氏名の欄に『三上遥』とある。


「誰だこの女は」

 一面識も無い女の写真に岩木は悪態をついた。

「三上遥さんは、岩木恵さんと同じプレイヤーの一人で、チケット保有枚数は一枚、相互に譲渡可能な相手です」

 うおっ。そうだ。こいつ喋るんだったな。予期していないとマジで心臓に悪い。


「こんな女とマッチングした覚えがないぞ」

「メッセージは、MAP上に顕現したプレイヤーであれば送信可能です。返信することで、マッチングした相手となります」



「話って譲渡の事なのか、MAPって、何処にいるんだこいつは」

「アプリの右上に表示されたMAPから、お互いの現在地がわかります。半径五十キロ圏内であれば、画面上にアイコンが表示されます」



 MAPを開くと、自分が今いる場所が表示されていた。横浜市戸塚区の国道一号線沿いで、ちょうど東海道戸塚宿の上方の出口。

 そこから辿っていくと東端に東京ディズニーリゾート、西は熱海市の手前の湯河原までが黄色い円の中に入っている。


 湯河原まで入るのか、円の縁を時計回りに指でなぞっていくと仙石原高原の近くで、円の線を跨ぐように女のアイコンが表示されていた。


 箱根か――。

 同じ神奈川県内の横浜が岩木の地元だが、箱根と言われて思いつくのは、過去に恋人と旅行で訪れた事のある強羅温泉だけだった。


 バイアスの遠心力は不思議なもので、たとえば、インドネシア出身者というだけで、あまり深く考えずにバリ島の価値について尋ねたりするように、神奈川県民であれば、ともすれば横浜や箱根の仔細を網羅していると思われがちだ。


 全国津々浦々在る一般市民は、そこまで出身県に詳しくないことを深層で自覚している筈なのに、他人には答えを求めてしまうのは何故だろう。


 東京に地方出身者が多いように、横浜出身の岩木も、みなとみらいや桜木町を観光したことすらなかった。


 それでも仙石原のススキは有名だ。箱根に近いのはなんとなく分かる。

 

 箱根からどのくらいの距離かと二本指で操作してみると鳥瞰図になり、緩やかな起伏にある高原だと分かった。


 『良ければ、お互いの現在地からちょうど真ん中辺りで待ち合わせ出来ませんか?』

 メッセージは数分前に送られてきている。真ん中ってどの辺だと縮尺を拡げていくと、自分の青い点より一回り大きい赤い点が二つ、戸塚駅の西口側、柏尾川沿いに止まっているのに気付いた。そこは岩木がスマホを投げ捨てようとしたプロムナードだった。


 なんだこの赤い点は、とそのうちの一つをタップしてみると、今度こそ本当に心臓が止まるかと思いがした。

 ロシア系の黒尽くめの男。今まさに岩木が逃げている相手の写真が表示されたからだった。

 プロフィールのコメント欄に、戸塚駅周辺と現在地がアナウンスされている。


 松並木の辺りを見回す。ここから駅までだと、車で十分とかからないだろう。こんなとこに居たらすぐに追いつかれてしまう。


 駅とは反対方向に小走りに駆けながら、タクシーアプリで少し先の国道沿いにあるコンビニにタクシーを呼ぶ。


 『いえ、真ん中と言わず僕が箱根まで向かいますのでお待ちください』拙速にメッセージを送り、スマホをポケットに仕舞って走り出す。


 やばい。これはやばすぎる。スマホを捨てた方がいいのかとまた自問するが、捨てたところで現在地が知られなくなるとは思えなかった。とにかく、逃げなければ。


 コンビニに着くとタクシーは先に到着していたが、待たせてコンビニに入る。熱帯夜にも過剰な汗は、空調の効いた室内の冷房にあたって、上気した身体に少し開放感が生まれる。

 ATMで金を下ろしていると、

『わかりました。近くなりましたらまた連絡ください』と女から返信が来た。

 

 コンビニを出ようとしたところで、夏だからなのか、サングラスの回転什器が入口の側に置いてあるのに意識が向いた。


 上端に飾り付けられた、車のバックミラー程の小さな鏡を覗くと、疲れや怯えといった、明らかに負の精神状態を貼り付けた自分の顔色が映り込む。


 什器からその内の一つ、ウェリントン型の黒いサングラスを取り出して水と一緒に購入した。


 タクシーに乗り込み、仙石原までと言いかけて思い直し、とりあえず箱根まで告げる。

 国道一号線に滑り出したタクシーの中で、ようやく自分の鼓動の速さを認識した。

 どんどん離れて行く赤い点を見つめながら、ロシア系の男が脳裏をよぎる。


 メグミイワキだな――。

 脳裏に刷り込まれたアルカイックスマイルは、いまだに恐怖の鮮度を保っていて軽い酸欠を起こしそうになる。


 シートにまどろんで深い息を吐くと、運転手がバックミラー越しに伺ってくる。不審げで心配そうな視線を無視して、異常に渇いていた喉に水を一気に流し込む。



 

 横浜から藤沢を越え海沿いにまでつながる東海道国道一号線新湘南バイパスは、割引が効くので真夜中でもトラックなどの交通量が多い。


「ほら、もっとスピード出して」

「こんな遅い車抜かしてよ、追い越し車線に行けば良いじゃん」

「そう言われてもお客さんねえ、この道なんせ暗いんでねえ、法定速度もあることだしねえ」

 何が法定速度だ。普段から守ってるやつなんて、自衛隊員くらいしか見た事ないわ。


「こう暗くちゃこれが目一杯ですよ」

 高層のビルや広告が周辺に少ない新湘南バイパスは、車のヘッドライトを頼りにした設計であるにしても、料金所やインターチェンジ以外は確かに暗かった。


「それにもしね、今ここでヘッドライトの電球が切れるような不運が降りかからないとも限らないしねえ」

 バックミラー越しに、無理を言うなと一瞥して来る。

 たらればの杞憂言ってんじゃねえよジジイが。

「とにかく急いで欲しいんだ」


 バイパスを過ぎ、茅ヶ崎に出た辺りで東西に岐れた道を大磯に抜ける。

 左手に見える、砂防林の間から時折覗く空間には海がある筈だが、先は真っ暗で何も見えなかった。

 

 後続車から見た時に、頭がなるべく出ないようにシートに深く沈みこむ。

 底知れぬ暗闇からスマホに目を逸らし、追跡の手が近付いて来ていないかMAPを開いた。

 

 依然変わらない場所にある赤い点を確認すると、安堵と共に眠気がしみ出してきた。

 眠ることは漠然とまずい気がするが、休みもなく走り周っていたので無理もない。


 このまま進めば二時には箱根に着くだろう。その先はどうすればいいか。断続的にしかつながらない意識がギアから外れかけ、体力のツケが瞼を重くする。



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