しかけは爆弾です①
「花火が見たい」
まだ通い慣れていない道を、学校に向かいながらゆっくり歩いて行く。
この通学路にも、道祖神があったり、殿様がえほえほ大名行列したりと、歴史的な由来があれば少しはマシなんだろうけれど、ロジックのないようなただの道を覚えるのは苦手だ。
実はもう一つあったんですよと、この松で五十四次ですと、うっかり加えてくれないだろうか。信じるか信じないかはあなた次第です、と言われたら信じるし、箱根駅伝の旗を配るお手伝いだってしてもいい。
ロジックのないようなただの道、なんてこの道を作ってくれた人に失礼かもしれないけれど。
大きな交差点で、そしたらここらへんが江戸方になるのかな、なんて膨らんだ空想を信号音が割る。
青で動き出した目の前の広い横断歩道を、若いカップルがこぢんまりと渡っていくのを横目にみながら、ああ、もったいない。と思う。もう少しで、ぼく次第だったのにと。
「花火が見たい」
そう言っていたのは、確か2週間前の木曜日。
その日の放課後、いつも通りのルーティーンで帰路につこうと校門を跨いだところに、後ろから肩をたたかれ出でさして振り返る。
「ねえねえ、七日、暇?」
「え」ぼく?
「七日、あるんだって」
「え、な、なにが?」
「決まってるじゃん、花火だよ、花火大会」
「決まってるって」決まってるの?
「大きい花火大会なんだよ、二万発」
「二万発」
「花火が見たいんだ、あたし。盛大な花火がさ。一緒に行こ、だから空けといてね」
「え、あ、うん」え、ちょっと。
「やった、決まりね」待って。
「ち、ちょっと待って」どこでやるの?
「嬉しい!」
破顔した彼女は、そう言って先を行ってしまう。
心なしか弾みながら、スイスイ歩いて行く彼女を追おうとしたところで、彼女は友達に声をかけられ合流する。
あ、え、えええええ。どういうこと? 彼女とぼくが……行く? 花火に? え、何日だっけ。というか、何が起きた?
肩に少しかかるほどの黒髪に大きな瞳の彼女とは、クラスは別であるけれど同じ学年ではあるし、一面織もないというわけでもない。
それでもそのやりとりは、転入して間もない学校で起こりそうな事柄の中で、ぼくにとって最も現実離れで、空が落ちたり、海が枯れたりするようなことよりも天変地異で、表現力の失った表情をしてしまっていたと思う。
冷静に会話を整えようとするたびに高まっていく身体の熱さと、強くなる鼓動に意識がしゅんしゅんと気化し、自分が何と応えたのか判然としない。沸騰しはじめた薬缶というよりも、水素爆発だった。
あれから数日経った今も、ぼうっとしたままの、蛇口垂れ流しみたいな思考のままで、文庫本を開く気にもならないので、漫然とあの日の実体験を追体験してみる。
けれども、とたん視線が彼女とぶつかっただけで、泳いだ目をカレンダーに流した。うわ行き止まり。ぐわっと方向転換。そんな具合に。
なんで。なんでなの。カレンダーと自分とのあいだの空間で、臨時会議。
話したことあるっけ? いやないないない。誰かがバラしたのか? いやこのことは誰にも言ってないし、そもそもそんな、赤裸々な話や、青春に枕を置いて笑い合えるような友達は居ないよ。そうだよね。まだね、悲しいことに。
え、じゃあ。バレてたのか? バレるものか?
ぼくはただ教室の隅っこで転入生然として、父からのお下がりの文庫本と、グラウンドで短距離の練習をする彼女を、たしかに、交互に見ていたが。
元来人見知りの側面を自覚しているぼくの、今置かれている環境はそれに拍車をかけるようなものであって、ともあれ、馴染む。念頭だ。
転入、馴染む、卒業。それだけだ。
所の法に矢は立たぬ、郷に入っては郷に卒業だ。
思えば、満足に挨拶すらしたことがないのだ。
そう思いつつも、決して従ってくれないのが青春で、初恋なのかもしれない。
「ゴーニソツギョウ?」
「うわっっ」
泳いだ視線を縫いとめるように、背後から声がした。
「驚きすぎ」くすくすと笑う彼女が、次に何を言うのだろうか。手にしている文庫本に力が入る。口に出してたなんて。絶望だ。
「し、しあさってだ――」
「何読んでるの、それ」
「え」
「見せて」
「あ、本。これはホワイトアウトっていう」
「ふぁいとあうと?」
「ホワイトアウト。真保裕一さん。ダムが占領されるんだ」
「へえ、雪の本? 夏なのに。ねえもうすぐだね、明明後日」
「あ、うんそうだね。しあさって」
短距離選手め。ペースが速い。
楽しみだね。そう言った彼女はもう自分の教室に向かっていた。
フライングだよ。どうみても。