第5話 「選んだのはモラルでした」
「これはっ……!」
俺が選んだのは、恐れていたうちの一つ、「なんでも言うこと聞く」という破壊ワードが記されたカードだった。
運は、巡ってこなかったか……。
「ま、まじで……なんでも、なのか?」
念の為、俺はもう一度確認する。
「……わ、私が、できること、なら……」
そう言って、赤面しながら俯き続ける逢坂。
まじかよ……。
なんでもって……。
あんなことや、こんなことだって……まじで俺の思いのままってか。
いや、どこの鬼畜野郎だ!
俺はそこまで堕ちる気はない。
しかし、なんでもか。
やっぱり考えちゃうよなぁ。
簡単な事で済ませるという手もあるが、それだとももったいない気がするし。
今まで彼女の1人も出来なかった俺が、こんな可愛い女の子を好きにできるんだぜ?
言い方はちょっとアレだったが、実際その通りだ。
この辺で彼女の1人でもつくっちまうか?
俺が急に付き合って、なんて言ったら、彼女はどんな反応をするんだろう。
何でも聞くってんだから、付き合ってくれるんだろうか。
まあ、嫌な顔されるのは目に見えるが。
流石にいくらチェリーの俺でもそんな汚い手で彼女つくろうとは思わねえし、やっぱり単純なのがいいだろうな。
俺は誠実な人間であることを選んだ。
そして、俺が逢坂に出した命令は……。
「そ、それじゃあ、いいか?」
「は、はい……」
「えっと、命令なんだけど……クッキーつくって食べさせてくれないか?」
俺はあの中で1番望んでいた選択肢の内容をそのまま命令したのだ。
それを聞いた逢坂は、意表をつかれたかのように、キョトンとしていた。
まあそうなるわな。
結局、強制的にカードを取り替えたようなものだし。
「………いいん、ですか?」
俺がとった行動に疑問をもったのか、首を傾げて聞いてくる。
「あ、ああ。いいもなにも、俺の言うことはなんでも聞いてくれるんだろ?じゃあそれに従ってくれよ」
「……わ、わかり、ました。じゃ、じゃあ、明日、つくって持ってきます……」
変わらず弱々しい声での返事だったが、俺にはこころなしか、彼女が少し嬉しそうに見えた。
「お、おう。楽しみにしてる。それじゃあ俺はもう帰るから、また明日な」
「は、はい。また、明日……」
その挨拶を最後に、俺は空き教室を出た。
クッキーかぁ。割と楽しみ、だけど……彼女が出来たかもしれないんだよなぁ。ああ、もったいないことしたなぁ。
と、ほんの少しだけ後悔しながら俺は帰路に着いた。
────────
自宅に到着し、鍵を開けた。
「ただいまあ」
返事が返ってくる気配はない。
家には、引きこもりの姉が1人いるはずなんだが……返事がないということは、寝ているか、あるいは……。
俺は自室に鞄を置き、部屋着に着替えた後、姉がいるであろう隣の仕事部屋の扉を開けた。
「ちさ姉、入るよ」
ノックせずに入った俺は、想像通りの光景を目にし、呆然とした。
電気のついてない暗がりの部屋には、PCと液晶タブレットの光。
そして、その光に照らされる、やつれた顔の女がいた。
「はぁ……またかよ。ちゃんと飯食ったのか?ちさ姉」
「そ、その声は……ナ〜オぉおお!!」
服がはだけて下着が丸見えのだらしない格好のまま、俺に飛びついてくる。
「やめろよ!暑苦しい!」
「仕事が追われてんのよぉ。また手伝ってぇ」
「わーったから。飯食った後でな。どうせ朝からまともに食ってねえだろ。今から作ってやるから、ちょっと待ってろ」
部屋には朝渡した弁当の空の容器と、買い置きしていたスナック菓子が散乱していた。
なんて不規則な姉だ。
これでよく肌荒れないな。ニキビだらけになってもおかしくないのに。
「やったぁ!愛してるぞお、ナオ〜」
甘い声でそう言いながら、頬擦りしてくる。
………うぜぇ。
こんな見てくれだけで女の「お」の字もない実の姉にべたべたされてもちっとも嬉しくねえ。
どうせなら、和希の妹とかにされたいわ。
姉が頬擦りをやめてくれるのをひしひしと耐えながら待っていた。
と、その時、姉の動きがピタリと止まった。
同時に、千咲は犬のように鼻をぴくぴくと動かした。
「すんすん、ナオ……臭うぞ」
そういうことか。
「お、おいやめてくれよ。自分でもわかってるからあんま口に出さないでくれ」
男子高校生特有の体臭が出るのは生理現象だ。
しかし、いざ人にそれを言われるとなんか恥ずかしい。
「いや、そうじゃなくて……ナオ、お主から女の匂いがするぞ」
「な、なに……っ!?」
まさか、事故で逢坂さんを押し倒した時に。
てか、どんだけ鼻効くんだよこの姉は。
まじで犬みたいだ。
「ナオ……あんたまさか、彼女でも出来たぁ?ま、ありえないけど」
おい、ちょっと酷くないか?
実の弟にそんなネガティブ発言するか普通。
まあその通りだから反論出来ないのが情けない。
「そうだなぁ……俺の中の倫理観を完全破壊してたらできてたかも」
「なにそれ?……まあいいや。ナオ、早くご飯作ってー。食べたらすぐに再開だからね」
「へいへい」
まったく、人使いの荒いお姉様だこと。
俺がいなかった何度死んでるか。色んな意味で。
まあ逢坂さんのことは話さなくていいか。
明日お礼のクッキー貰ったらもうさよならで会うことないだろうし。
あー、やっぱりもったいなかった。
彼女にしときゃ良かった。
学校に続き、2度目の後悔をしながら、俺は台所へ向かった。